結衣ちゃんの登校から数日が経った。
 初めの方こそ、結衣ちゃんの周りには心配する人、興味本位で近づく人などで人だかりができていたが、結衣ちゃんの反応が薄いともなれば、真剣に深く関わろうなんてする人も少なくなっており、なんとなく彼女と距離をとるようになっていた。
 そんな中でも、僕は彼女に向かって果敢に話しかけた方だと思う。彼女の声を聴けたことはないが、静かに首を縦に振ってくれるようにはなってくれた。
 朝の登校のときに挨拶をしたり、移動する授業のときには教室の場所を教えてあげたりなどした。さすがにお弁当を一緒に食べるとまではまだいけてないし、そこまでの仲に持っていくには相当な勇気が必要になるだろう。
 だけど、関わることをやめると美月の気迫のこもった言葉を踏みにじることになる。そして何より、自分の決意を簡単に曲げてしまうようなことは絶対に嫌だった。
 そして、これまでの数日間で僕の心の中で一つの仮説が浮かび上がっていた。
 ……もしかして結衣ちゃん気が強くなった?
 確信は持てないがどうもそんな気がする。

 今日の午後は二時間に渡って体育の授業だ。
 普段の体育は一時間が基本だが、本日に限っては特別。
 授業の内容はソフトボールなのだが、なんと昨年でプロ野球の現役を引退した選手が特別講義という形でお越しいただくことになったのである。
 野球には興味のない僕ですら名前くらいは聞いたことがある選手なのだから、野球部員にとってはこの上ない幸せなのだろう。普段から忙しない野球部員たちがさらに忙しないのが分かる。その会話の中からは、もう死んでもいいなんて声も聞こえる。これから夏の大会を控えているのだから、このイベントは夏の大会に向けえてのモチベーションにも繋がるのだろう。
 生徒が体操服でグラウンドに集まり、集合隊形で選手を待っている。横の方からは女子の甲高い声が聞こえてくる。普段は男女に分かれて体育をするのだが、今日に限っては特別講義なので合同で行うことになった。滅多にない女子との体育でテンションの上がっている者もいる。先ほどのもう死んでもいいというのは、もしかして女子の体操服姿を拝められるからなのかと想像を膨らませる。僕は全然興味ない。まあ、萌え袖というのはいいものだと考えてはいるが。
 自然と結衣ちゃんの位置を確認している自分がいる。彼女は僕らのクラスの女子の中で出席番号が最後だ。そのため、彼女は僕の横の列にいることになる。ちょっと横の空を眺めるふりをして、背伸びをしながら彼女の方を向いてみた。そこには、体育にまるで興味がないというような表情をしている彼女がいた。あまり長く見ていると勘違いされそうなので視線を戻そうとしたとき、彼女のダボッとした体操服の手元に目がいった。結衣ちゃんが萌え袖をしている。やっぱり萌え袖はいいものだ。
 萌え袖をする女子はどこかしら自分をアピールしているという偏見を持っているが、彼女は本当に無意識にやっているのだろう。これまでのほんわかした雰囲気の結衣ちゃんも良かったが、少し気が強そうな雰囲気を醸し出している結衣ちゃんの萌え袖というものいい。お巡りさん、今の僕は捕獲しないと危険です。
 そうこう考えているうちにワッと歓声が上がった。
 みんなの向けている視線の先に目をやると、ユニフォーム姿で帽子のつばにはブルーのサングラスが掛けられていた。
 この人が昨年現役を引退された青木選手か。
 名前くらいは聞いたことあるし、姿を見たときには見覚えがあった。野球に関して無関心の僕でも見たことがあるのだ。おそらく試合で多く活躍されてヒーローインタビューとやらをたくさん受けてこられたのだろう。
「今日の体育の特別ゲスト、青木先生にお越しいただきました! みんな拍手!」
 体育の教師である佐藤先生の言葉に続いて、青木選手へ拍手が送られる。中には俯いたまま拍手をしている者もいるが、本当に野球に興味がないのだろう。それとは打って変わって野球部員の盛り上がりは凄まじいものを感じる。
「青木と申します。特別講義ということで不慣れな点も多々ありますが、本日はよろしくお願いします」
 青木選手は落ち着いた口調でそう言うと、深々と一礼をした。
 目の前にいる青木選手からは、自分は偉い人間なのだというオーラが微塵も感じられない。二回りも年下の僕たちに対して帽子を取って礼をするところを見ると、どんな場面においても、誰に対しても平等に接しているのだと分かる。
 今の一連の挨拶だけで人格者としてのオーラを感じることができた。さらに、照りつける太陽の光がサングラスに反射し、さらに輝きを増している。
「青木選手はこれまでたくさんの輝かしい記録を残してきた、プロ野球界を代表する選手だ。日本代表にも幾度となく選出され、国際大会では日本の世界一に貢献をしてきた。プロ野球の世界からアメリカのメジャーリーグにも羽ばたいた。日本の野球だけではなく、アメリカのベースボールも経験も豊富であるため、本日の講義は皆にとっても有意義なものになることは間違いなしだ。また、青木選手のプロ野球の通算成績は……」
 恒例の佐藤先生の野球大好きマシンガントークが始まった。
 僕は例の如く列の一番後ろだから、みんなの様子を背中越しに見ることができる。
 みんな頭を掻いている。僕と同じ、また始まったという気持ちなのだろう。
「光、恥ずかしいからやめてくれよ」
 どこからか声が聞こえた。
 僕以外の生徒も首を左右に振っている。その声の出どころは誰もわかっていないようである。
 いや、そもそもの話、僕のクラスには光という名前の生徒はいない。そして、合同で体育をやっているクラスにも光という名前の生徒はいなかったはずである。となると、光というのは……
「俺のことを光と呼ぶんじゃないよ」
 やっぱりか。光というのは佐藤先生の名前だったのか。佐藤先生は僕らの学年の担当ではないため、普段から接する機会は体育の授業くらいだ。だから、佐藤先生の下の名前が光ということを知っているのは、佐藤先生が顧問の野球部の部員くらいか。よく見てみると、いくつか見える坊主頭が小刻みに揺れている。普段は怖い顧問の先生が下の名前で呼ばれたことで笑いが止まらないのだろう。
「別にいいじゃん。昔は同じグランドで甲子園目指して練習した仲じゃねーか」
 青木選手は笑いながらそう言った。
「いや、今は体育の先生だから先生と呼んでくれよ」
「なんだ、生徒に下の名前で呼ばれるのが恥ずかしいのか」
「そういうわけではないが……」
 これにはさすがの僕も興味が湧いた。この青木選手と光(笑)が同じ高校の野球部だったとは驚きだ。そしてこの会話を聞いている限りでは同級生なのだろう。
 青木選手に揶揄われている光(笑)の耳が赤くなっている。生徒の前で下の名前で呼ばれることが恥ずかしいのだろう。青木選手はまだ光(笑)を揶揄っている。そのたびに光(笑)がムキに言い返している。
 その光景を見ている生徒は盛り上がっており、おそらく普段は見ることのない佐藤先生の一面を見ることができてテンションが上がっているのだろう。ちなみに、この体育の出来事があってからは、佐藤先生は生徒の間では光(笑)と呼ばれることになったのはここだけの話。
 一連の流れが一段落したところで、佐藤先生が一つ咳を払った。
「もう知っている者もいると思うが、俺はこの城南高校の卒業生だ。つまり、この青木選手も城南高校の卒業生だ」 
 なるほど、これで合点がいった。
 青木選手と佐藤先生が同じ高校の同級生ということは分かったのだが、それだけで現役を引退されたプロ野球選手がわざわざ体育の授業のためだけに時間を割いてくれるのは都合がよすぎると考えていた。
 青木選手が来て下さったのは、城南高校が青木選手の母校であるからか。
「授業の始めから波乱万丈だが、今日の体育は、一時間目は青木選手に野球、ソフトボールの技術の向上のコツなどをご指導いただき、二時間目は基本的に自由にしようと考えている。。元プロ野球選手が授業に来て下さる機会は滅多にない。この時間を無駄にしないためにも、迅速な行動をよろしく頼む」
 先ほどの動揺を拭い去るかのように、佐藤先生はその場を締めた。
「まずはストレッチだ。怪我しないようにしっかり伸ばせよ」
「立派に体育の教師やってんな」
 青木先生がまたも冷やかすようにそう言った。少しくどくも感じたが、優しそうな方であるということが分かり、有意義な体育の時間になると感じた。
 体操隊形に開く際に結衣ちゃんの方に視線をやると、彼女の顔にはつまらなさが滲み出ていた。いつになれば彼女の笑顔を見ることができるのだろうか。

「それじゃ、男女でペアを作ってもらおうか」
 ストレッチが終わった後に、青木選手の口からとんでもない発言が飛び出してきた。普段から静かに過ごしている生徒からすれば、授業中に聞きたくない言葉ぶっちぎりのナンバーワンであろう。
 いつもの僕なら自分から女子とペアを作るなんて不可能だ。しかし、今回ペアを作る人はもう決まっている。きっと彼女は最後に余って青木選手から声を掛けられて「自分は誰ともペアを作りません」とか強がったことを言うに違いない。そんなことを抜かす前に僕の方から声を掛けてやる。
 周りを見渡すと既にペアを作っている生徒もいる。この機会を伺って彼女に近づく者がいるのではないかと気が気でなかったが、少し見渡すと微塵もペアを作る気のないオーラを醸し出している彼女の姿が目に入った。両手をポケットに突っ込んでおり、だるそうな佇まいだ。気が気でなかった僕の不安を一蹴してくれた。誰も声を掛けようとしていないのも頷ける。
 周りには一瞥も暮れずに彼女の方へ歩を進めた。近づいてくる僕とは違う方向を、彼女は見ていた。おそらく僕のことなど一ミリも考えていないだろう。
「山本さん、ペアを組む人は決まった?」
 彼女の元に辿り着いた僕は、彼女が僕の存在に気付く前に声を掛けた。
 僕の声が耳に届いたのか、彼女は僕の方を向いて言った。
「いや、まだ決まっていないけれど」
「だったら僕とペアを組まない?」
「え」
 彼女は拍子抜けしたように瞳が大きく開き、入れっ放しだった両手をポケットから出していた。
「なんであなたとペアを組まないといけないのよ」
 始めこそは驚いた表情を見せていた彼女だったが、腕を組んだ後、ため息交じりにそう言った。
 これまでの僕ならここでメンタルブレイクを受けているだろう。ただ、今回ばかりは引くわけにはいかない。彼女と何かしらの関係を持てるチャンスなのだ。
「恥ずかしい話、山本さんしか話せる女子がいないんだよね」
「あなた寂しい人なのね」
 メンタルブレイクしそうだ。
記憶を失っているとはいえ、姿形はまぎれもなく以前の山本結衣とは変わらない。そんな彼女の口からそんなことを言われると心に限界が来そうだ。
「そんな山本さんこそ、そろそろ男子の友達の一人くらいはできないわけ?」
 僕は負けじと彼女に皮肉染みた口調で返した。
「は、そもそも私は友達なんていらないんだけど」
「また強がっちゃってさ。そんな性格だから友達できないんだよ?」
 そんなお互いが子ども染みた言い合いをしている内に、周りでペアを作らずに立っているのは僕と結衣ちゃんの二人になっていた。僕たち以外の視線は僕たちに注がれており、みんなの表情は仏のように穏やかである
 僕たちは目を合わせ、一時休戦という形でその場に腰を下ろした。
「よし、これでペアができたな。まずは基本中の基本であるキャッチボールをやっていこうと思う。ペアの男子は前にきて二人分のグローブを持って行ってくれ」
 ペアの男子がぞろぞろと立ち上がり、前にあるグローブを取りに向かう。学校に保管されているグローブは、座布団であるかのように潰れているものだ。我先にととりに行った坊主軍団は、グローブを掲げ、少しでもましなグローブをゲットしたことをアピールしている。中には、女子の利き手を聞かないまま取りに行った者もいるらしく、再度取りに行く男子の姿も見受けられた。
 無事みんなにグローブが行き届いたところで青木選手からキャッチボールのコツや重要性についての教授をいただいた。その後はペアでキャッチボールを数分行った。こう見えて、僕は小さい頃は父とよくキャッチボールをしていたので、これくらいはなんてことはない。しかし、肝心のペアの彼女はとんだ運動音痴だった。一球もまともな球が来ていない。何より投げ方がおもしろい。
 昔から結衣ちゃんの運動神経が悪いことは知っていた。記憶を失ってしまい、性格は穏やかな性格から気の強い性格に変わったようだが、運動神経に関しては記憶を失っても変わらないという検証結果を得ることができた。
 当の本人は膝に両手をつき、どうして上手くいかないのだろうという表情でこちらを見ている。彼女は息を切らしているが、息が切れるようなことは何もしていないはずである。むしろ毎回ボールを追いかけている僕の方が息を切らすものではないのか。彼女が振りかぶってボールを投げると、例の如くその球は無情にも彼女と僕の距離のちょうど真ん中あたりに一直線に落ちて、僕の方へはゴロで届いた。まだマシだ。
 転がってきたボールをキャッチして彼女の方を見ると、投げる前と同じ格好でこちらを見ていた。
 色々な要素が重なってとんでもない投球になっていることは分かるが、一球でもいいから彼女に上手に投げられるようになってもらいたい。投げ方に関しては、青木選手にお手本を見せてもらってのあれだから、僕が教えたところで特に変化は見られないだろう。他に何かないだろうか。
 結衣ちゃんへ投げるためにボールを握った。そのとき、ボールを握っている右手を見たところで、彼女がうまく投げられない理由を閃いた気がした。
 先程の青木選手のお手本では、投げ方のレクチャーや注意点を教えていただいた。よく考えてみると、そのときにはボールの握り方については一切言及をされていない。
もしやと思い、僕は彼女の元に駆け寄り聞いた。
「あのさ、ボールどうやって握ってる?」
「え、こうだけど」
 僕の予想は的中した。
 彼女はいわゆる鷲掴みと呼ばれる握り方をしていた。
 これではリリースが安定せず、ボールが届かないのも頷ける。
「たぶん、山本さんがうまく投げられない理由はその握り方だと思うよ」
 そう言いながら彼女の持っていたボールを取り、正しい握り方を見せた。
「……私の握り方とはだいぶ違うわね」
「男子と女子とでは手の大きさの違いもあるし仕方ないよ。とにかくこの握り方でもう一回投げてみようよ」
 そう言って彼女と距離をとった。
「いつでもいいよ」
 彼女は頷き、振りかぶった。
 相変わらず、投げるまでの過程は見てられないほど不細工なものだが、肝心なのはしっかりと僕の方へボールを投げられるかどうかだ。
 彼女がどこに投げればいいのか分かるように、胸の前にグローブを構えた。そして、彼女の放ったボールは、きれいな放物線を描いて僕の胸元へ届いた。
 彼女は自分でも信じられないのか、空になった右手で口元を隠している。
「うそ! できたぁ!」
 投球から数秒後、彼女は自分の投球が現実であることを実感し、その場で大きな甲高い声を上げた。これに関しては僕も嬉しい。
「こんないい球が来たのは初めてだよ」
「……下手で悪かったわね」
 先ほどの喜んでいる表情からは一転、むすっとした表情へ切り替わった。
「でも、一つアドバイスしただけでこんなに変わるなんてセンスあるんじゃないかな」
「私には野球のセンスがありそうね」
 そう言った彼女の顔は、誇ったかのような表情に切り替わった。
 気が強くなって扱いが難しいと感じていたが、案外扱いやすいのかもしれないとも感じた。この数秒の間にたくさんの表情に切り替わったことを踏まえると、あながち間違っているとは思えない。
 にしても、上手くボールを投げられた後の彼女の表情は、記憶を失ってからは見たこともない輝いた表情をしていた。僕含め、クラスメイトにも笑顔を見せている光景は見たことない。そんな彼女が、楽しそうな表情を見せてくれたことが何より嬉しかった。
「もうちょっと時間があるからたくさんやろう」
「うん!」
 距離をとるために、僕に背を向けて走っていく彼女のポニーテールは、今の彼女の踊っている心を表すかのように左右に揺れている。僕はそれをじっと眺めていた。
「じゃあいくよ!」
 そう言って投げた彼女の球は、僕の頭の遥か上を通過していった。

 そんな体育の日から数日が経過し、七月も上旬が終わろうとしていた。
 一学期は夏休みへの登竜門である期末テストを残すのみ。
 テスト前最後の授業も終わり、今は帰りの会の準備の時間だ。
 窓の外からは、セミの鳴き声が止まることなく鳴り響いている。
 周りの会話に耳を傾けてみると、夏休みの遊びの計画などの声が聞こえる反面、華の夏休みが地獄へと化すかもしれない欠点常連組の悲痛の声も同時に聞こえてくる。
 その悲痛な声が顕著に表れているのが野球部員である。よく分からないが、この夏休みに甲子園の予選が開催され、二年生ながらもベンチメンバーに選ばれているクラスメイトがいるのだとか。近くにいるベンチに入れなかった(と思われる)野球部員は、お前ならできると言っているが、本当は欠点が原因で、自分に背番号が回ってきてほしいと考えているのではないだろうか。いや、こんなに捻くれた想像をするのはやめよう。
 前を向くと、結衣ちゃんがクラスメイトの女子と話をしている光景が広がっていた。あの体育の時間が終わってからというもの、彼女がクラスメイトと話す機会が増えていた。ペアを作る時間に、僕と言い争いをしていたことが話題となったらしく、話しかけづらかったけど親しみやすいかも、と話を掛けるようになったのがきっかけみたいだ。
 そんな僕はというと、体育の時間は彼女と良い関係を築くことはできたと感じているが、あれ以来、彼女と一言も言葉を交わせていないのが現状である。何か特別なことが起きたわけではないが、何故か話しかけることができていない。おそらく、彼女が他のクラスメイトと話す機会が多くなり、話しかけることに対して無意識のうちに遠慮をしてしまっているのかもしれない。
 話しかけたい気持ちは山々だが、クラスメイトと話している彼女の笑顔を見たり、笑い声を聞いているだけでも幸せな気持ちになる。記憶を失くしてしまった直後の、病院で対面した彼女の生を感じなかった表情とは比べ物にならないくらい、色々な表情をするようになっていた。
 本当は一刻も早く、記憶を失う前のような関係に戻りたいとは思う。ただ、彼女は周りのクラスメイトとの関係を一から構築していかなければならないことを考えると、僕だけが一方的に関わり合いを求めていくことは、避けなければならない。
 僕のクラスは、担任の春本先生のおかげで男女ともに仲がいい。まずは、そんなクラスの雰囲気を感じてもらい、学校が楽しいと感じてもらいたいものだ。登校したての頃は、周りとの関係などを求めていないというオーラがビシビシを伝わってきた。しかし、最近の彼女のオーラは柔らかいものに変わっており、男女を問わずに彼女と話をする機会が増えている。男子が話しかけている光景を見ると、何とも言えない感情に見舞われるけど。
 教室の前のドアが開き、春本先生の姿が見えた。話をしていた生徒は、まだ話し足りないというように、自分の席の戻りながらもまだ会話を続けている人もいる。
 帰りの会と言っても、そんなに特別なことがあるわけではない。ましてや文化祭の終わった一学期において、残りは期末テストのみである。毎回の帰りの会は、春本先生から連絡事項を告げられるだけであり、数分で終了するため、帰宅部の僕としてはとてもありがたい。
「一学期も残すところ数日なわけだが、明日のホームルームで席替えをしようかと考えているんだけどいいかな?」
 早く終わらないかと窓の下に見える他校の生徒を眺めていると、滅多にない特別な要望を告げられた。
 瞬く間に教室内は歓喜の渦に包まれ、帰りの会とは思えないほどの盛り上がりを見せた。この盛り上がりは、席替えを行うことを肯定している証だ。七月に入ったこともあり、夕方とはいえども気温は三十度近くである。高校生にもなって席替えでここまで盛り上がれるのも珍しく感じるが、正直、今のこの熱気は暑苦しくも感じる。
 そして何より、この席替えを経ることにより、結衣ちゃんとは席が離れてしまうのである。あまり話せてはいないとはいえ、席が近いことで彼女の様々な表情を近くで見ることができていたのだ。おそらくだが、このまま席が離れると、今以上に関わりを持つことが難しくなるであろう。
 視線を外から前に移すと、彼女の後姿が目に入った。六月、七月と数えきれないほど彼女の後ろ姿を見てきた。その機会が減るというのは何とも寂しい気持ちになるが、席替えを行うことは確定しているため、今日でこの後ろ姿をこうして眺めるは最後だろう。
 盛り上がりの熱が冷めないまま、春本先生は学級委員に帰りの号令を指示した。
 さよならの挨拶が済んだ後であっても、しばらくの間は席替えの話題でも持ちきりであった。
 そんな中、結衣ちゃんは黙々と帰る準備を進めていた。
「席替え楽しみだね」
 この騒ぎに乗じて声を掛けてみた。
 久々に声を掛けてみたが、結衣ちゃんは帰る支度をしていた手を止め、上半身だけ反転させた。
「そうね、やっとあなたと離れられるかと思うと待ち遠しいわ」
「なんだそれ」
 真顔で言われたから冗談なのか本音なのか分からないのが怖い。
 そして、結衣ちゃんはすぐに上半身を元の向きに戻し、片付けの準備を再開した。
とにかく、動揺していない素振りを見せないようにしないと。
「それって本当?」
 抑制する間もなく無意識に口から出てしまった。
 僕からの問いかけに対して、彼女は先ほどと同様に手を止め、今度は眉間にしわを寄せた表情でこちらを振り返った。
「……何の話よ?」
 本当に分かってないようである。
「いやだから、僕と席が離れるのが嬉しいのかって話」
 僕の言葉を聞いた彼女は、数秒間キョトンとした表情をした後、両手をお腹に当てて前のめりになりながら大笑いを始めた。
 彼女の笑いの真相が分からず困惑する。
 彼女の大爆笑はしばらく続いた。そして、一段落したのか、右手で涙を拭うようにしながら起き上がった。
「まさか今の本気にしちゃったわけ?」
 言葉の意味が分からなかった。
「どういう意味?」
「そんなに真剣な顔で真意を確かめるなんて、あなた私のこと好きなの?」
 なんてこった、当の本人にはそう捉えられてしまっていたのか。しかし、あながち間違いではないので言い返す言葉が見つからない。
「確かに好きな人と席が遠くなるのは寂しいわよね」
「べ、別にそんなのじゃないし」
「本当かなぁ」
 結衣ちゃんは揶揄いの表情で僕を下から覗き込んできた。おとなしい性格だった彼女が、揶揄いながら見上げてくるものだから、内心可愛いと思ってしまった。
「湊」
 結衣ちゃんへの反撃の言葉を模索していると、教室の前のドアから自分の名前が呼ばれた。目を向けると、そこには美月が立っていた。
 自分の声が届いたと認識すると、美月は僕の席の方へ歩を進めてきた。そんな彼女が歩くと、すれ違った男子がみんな振り返って目で追いかける様子が分かる。そうだ、美月は学校では超が付くほどの優等生であることを忘れていた。
 そんな彼女が僕の方へ来るものだから、何事だと感じている生徒もいるだろう。美月とは幼馴染であることを公言しているわけではないし、公言したいとも思わない。この学校でせいぜいこの関係を知っているのは指で数える程度だろう。
「今日からテストの関係で部活が休みだから一緒に帰らない?」
 学校で話すことなんて滅多になかったから驚いたが、そういうことか。
「たまには一緒に帰るのも悪くないな」
「決まりね」
 美月と学校から帰るのはいつぶりだろうか。
にしても、高校に入って二年生にもなるのに、美月はこれまでのテスト週間も一緒に帰ろうなんて誘ったことなかったのにどうしたのだろうか。
 すると、美月は何やら視線を横にずらして、何かに気が付いたようである。
「ごめんなさい、もしかして湊とお話ししてた?」
 美月は、横で僕たちの会話を眺めていた結衣ちゃんに申し訳なく聞いた。
「ううん、特に大事な話じゃなかったから」
「それならよかった。自己紹介がまだだったね、二年四組の矢野美月っていいます」
「わたしは山本結衣っていいます。よろしく」
 二人の自己紹介が合わってもなお、美月は結衣ちゃんの顔を凝視していた。
「……わたしの顔に何かついてる?」
「いえ、きれいな肌だなぁって思って」
 美月は我を取り戻したように、そう答えた。
 そんなお互いの紹介が終わった頃、美月は教室内の同じバレー部の子に呼ばれて、そちらへ向かい、僕と結衣ちゃんだけが残される形となった。美月が来る前の結衣ちゃんとの会話は、彼女にとっては大事な話じゃなかったようで、一人で焦っていた自分が恥ずかしく感じられた。
「きれいでいい人そうだね」
 僕が放心状態でいると、結衣ちゃんがそう言った。
「美月とは家が隣同士で、昔から家族ぐるみで仲良くしてるんだ」
「クラスの男子がみんな彼女の方を向いているわ」
「確かに学校での美月はきれいだしおしとやかだから、自然と目で追っちゃう気持ちもわからなくはないよ」
「学校での?」
 彼女が首をかしげながら聞いてきた。
 しまった、学校と学校以外での美月はまるで人が違うということを認識しているのは僕だけしかいないんだった。
「そういう意味じゃなくて、学校だと制服姿だからより釘付けになるというか」
「あなた、女子の制服が好きなのね。注意しておくわ」
 彼女に良からぬ僕のイメージがついてしまった。
 女子の制服姿が嫌いな男子はいないと声を大にして言いたいが、良からぬイメージに拍車がかかりそうだったので、グッと喉に抑え込んだ。
「なにはともあれ、美月はすごく良いやつだからまた紹介するよ」
「そうね。あなたと違って心が純粋な良い人そう」
「その言葉そのままそっくりお返しするよ」
「邪な心をお持ちのあなたに言われたくないわね」
 そんな僕の心が壊れかかっているところに、美月が寄ってきた。
 美月に促され、教室を出ようとした瞬間、後ろからおびただしい数の視線を感じた。おそらく、高嶺の花である美月と帰ることを、妬ましく感じている男子の視線だろうか。
「湊、なんであなた涙目なのよ」
 次に結衣ちゃんと話をするまでに、メンタルを鍛えておこうと決意した。

 今日は一日を通して、空には雲が広がっており、太陽が顔を出すことはなかった。
 教室を後にして、美月と隣り合わせで帰り道をとぼとぼ帰っていた。その間、美月とは何回か言葉を交わしたが、それはすぐに途絶え、自動車のエンジン音だけが僕らの間に響いていた。
 幼馴染である僕たちにとっては、これが普通である。
「結衣ちゃんと喋るの初めてで緊張したなぁ」
 美月は頭の後ろで手を組んで、空を見上げながら言った。
「そうか、美月は初めましてだったか」
「うん、湊が好きそうな子どもっぽい顔立ちだったね」
「……なんか誤解されるような言い方だな」
「違うの?」
「違うね」
 結衣ちゃんに続いて、美月にも良からぬ印象が植え付けられてしまうところだったが、ここははっきりと否定しておく。
 会話はここで途切れ、僕と美月の間には沈黙が広がる。
 耳に入ってくる雑音が、自動車のエンジン音から川のせせらぎへと切り替わる道を曲がり、毎日通っている河原道へと入っていった。
 河原道に入ったことで、僕と美月の沈黙は濃さを増していた。
「太陽が昇っている内に帰るなんて何か月ぶりだろう」
「俺はいつもこんな感じだけど、今日はなんだか騒がしいな」
「なによそれ、わたしがうるさいみたいなこと言わないでよね」
「違うの?」
「ぐぬぬ」
 ぐうの音も出ないのか、美月は頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。とはいっても、愛想をつかされたとは思っていない。
「嘘だよ、たまにはこうして美月とのんびり帰るのも悪くないよ」
 そう言うと、美月は頬を膨らませたまま、こちらへ向き返った。機嫌を損ねているようにも見えるが、口元の端が少しばかり吊り上がっているのが分かる。しばらくすると、膨らんでいた美月の頬からは空気が抜け、それなら許すといった安らかな表情になった。
 一本道の河原町を直進していると、突然、なんだか懐かしい衝動に駆られた。立ち止まって辺りを見渡すと、今いる場所が、結衣ちゃんに告白した場所であることが分かった。太陽の西日で辺り一面が茜色に染まり、当時と情景が似ていた。
 その瞬間、背筋から全身に広がるように鳥肌が立った。
 ……目の前に結衣ちゃんがいる?
 目の前にいる彼女は、僕に微笑みかけると、反対方向へと駆け出していった。ちょっと待ってくれ、どうして逃げるように走り出すんだ。僕は彼女を逃すまいと、懸命に腕を伸ばして彼女の右手首を掴もうとした。
 しかし、悲しいことに、僕の右手は空を切った。確かに彼女の右手首には触れたはずなのにどうして感触もないのか。空振りに終わった右手の掌を見つめた後、彼女の方へと視線を移した。
 しかし、すでに彼女の姿は見えなくなっていて、代わりに美月が困惑な表情で目の前に立っていた。あまりの近さに、一歩後ろへ後ずさった。
「ちょっと、大丈夫?」
 美月はその言葉と同時に、僕の両肩を大きく揺らした。結衣ちゃんの姿が幻想だと気付くまでに少しの時間を要したが、頭がガンガンするほど大きく揺すってくれたおかげで、視界は良好になった。小学生だろうか、河川敷で走り回っている子どもたちの元気な声も聞こえてくる。うん、ここは現実の世界だ。
「ごめんごめん。ちょっと不思議の国に迷い込んでいただけだよ」
「その不思議の国とやらに興味があるから詳しく聞かせてくれないかしら?」
「恥ずかしい単語を繰り返さないでくれるかな…」
 目の前の美月を交わして帰ろうとしたが、再び美月が目の前に現れた。いつもなら揶揄いの目で僕を見てくるところだが、今の美月の瞳からは、困惑や不安だけでなく、真剣さも読み取ることができる。こうなると、簡単に諦めてくれるような彼女ではないことは分かりきっている。
 ……本当にお母さん気質なんだから。
 立ち話も何だったので、河川敷へと下る階段の最上段に腰を掛けた。美月もそれに倣って、僕の横に腰を掛けたところで、河川敷へとつながる階段の横幅は埋まった。
「さっき立ち止まった場所で、僕は結衣ちゃんに告白をしたんだ」
「ふうん」
 美月は、人差し指で唇を擦りながら少しだけ相槌をした。こちらのことは気にしないで、話を続けてどうぞということか。
「そしたら急に結衣ちゃんが目の前に現れて、何も言わずに笑顔だけを向けて逃げるように去っていったんだ。理由はないけど、去っていく彼女の後ろ姿がどうにも寂しげに思えて、僕は本能的に手を掴もうとしたんだけど、それは空振りに終わった」
 一通りの事情は話し終えたが、美月はまだ反応がない。
 こちらとしては話す材料はもうなくなったので、目の前で走り回る子どもたちをぼーっと眺める。どうやらケイドロをしているみたいだ。
「それで? 湊はそれを見てどう思ったの?」
「え?」
「だから、不思議の国とやらの感想よ」
 咄嗟に聞かれたので、反応が遅れてしまった。あと少しで警察の勝ちだというケイドロのクライマックスに見入っていた。美月は足を伸ばして座っていたのに、気づけば体育座りになっていた。
「う~ん、難しい質問だな」
「そうでもないでしょ、率直にどう感じたのかを聞いているのよ」
 美月姐さん厳しい。
「多分、このままだと友達以上恋人未満という関係で終わってしまうのかなって」
 この気持ちは薄っすらと抱いていた。結衣ちゃんが記憶を失ってからも頑張ってはいるのだが、ソフトボールの一件以来は声を掛けることもできていないし、何より彼女から声を掛けられたことが指を数えるほどしかないのだ。しかも、片手で足りる程度である。記憶を失った当初こそ、彼女には近寄りがたいオーラが纏っており、危機感というものがなかった。
 しかし、今では、彼女に好意を寄せているという男子生徒の噂も耳にする機会が多くなっていた。その上、明日には席替えもあり、ついに彼女とは離れてしまうかもしれない。そうなると、今以上に遠い存在となってしまうだろう。
 美月の方に視線を向けると、何故か彼女の眉間にはしわが寄っていた。
「甘ったれたこと言わないでよね」
 美月の声は、聞いたこともないほど低く、それに怒気を含んでいるようだった。
「甘ったれたことって、率直な感想だよ」
「運命がどうにかしてくれるとでも思ってるの?」
「それはさすがに言いすぎだよ、俺だって頑張ってるんだから」
「何をどう頑張ったのよ」
「それは……」
 うまく言葉にできないことに嫌気がさす。
いや、正直に言えば、言葉にすることが『ない』といった方が正しいのかもしれない。
「そんなだと思った」
 不意に届いた彼女の声は、先程からは想像できないほどに明るく弾んでいた。予想外の展開に彼女の方へ顔を向けると、膝頭に肘を乗せて、頬杖をついている美月の姿があり、何やらニヤニヤしているようにも見える。
「急にどうしたのさ、さっきまであんなに怖かったのに」 
「怖かった? さあ、誰のことを言っているのやら」
「あのなあ……」
 彼女の真意が見えないまま次の言葉が喉から出かかった瞬間、美月が目線を僕の方へ移した。
「人ってそんな簡単に変われないと思わない?」
 少し間をおいて、彼女は言った。
 怒っていると思ったら明るくなって、明るくなったと思ったら何やら哲学的なことを言ったり、彼女のことがほんの少しだけ心配になった。
「どうかな、変われる人はすぐに変われるし、変われない人はなかなか変われないんじゃないかな」
 美月は答えを求めるように聞いてきたので、一応、答えのつもりで返した。
「じゃあ、運命が決まっているって言われたらどう?」
「それは仕方ない気もするけど」
「その運命は変えることはできません」 
「それはあまりにも残酷だな」
「そうでしょ?」
 まるで美月の話の真髄が見えてこない。ケイドロをしていた子どもたちの姿は河川敷から消えていて、辺りには川のせせらぎが響いている。
「確かに湊は山本さんとお付き合いを始めた。これは事実」
「うん」
 美月の話を途切れさせたくないので、簡単な相槌をする。
「でも、もう一度山本さんと付き合える運命にないとしたら?」
 自分でも覚悟していたが、面と向かってそれを突き付けられると胸の奥が苦しくなった。今の一言で、美月が僕に何を伝えたいのか理解した。
「あんたは記憶を失った山本さんを振り向かせたいんでしょ」
「うん」
「じゃあ……」
「わかってる」
 今度は、僕の方から美月の言葉を遮った。
 この先は、いくら美月でも言わせるのはカッコ悪い。
「僕自身が変わる必要があるんだ」
 焦っていたのは本当だ。でも、結衣ちゃんに声を掛けたりできないのを、無意識のうちに自分のせいじゃないと考えていたのかもしれない。
 僕の言葉を聞いた美月は、立ち上がって背伸びをした。彼女のきれいなストレートヘアが左右に揺れる。
「なんだ、やっとわかってくれたんだ」
 美月は腰の後ろで両手を繋ぎ、屈託のない笑顔でそう言った。
「いつまでも考えを模索していても他の男子に抜かされちゃうからね」
「え、山本さんって人気あるの?」
「可愛いからあるでしょ」
 自分の発言に気が付いて口を塞いでももう遅い。
 そーっと目線だけを美月の方に移すと、明らかに右の頬が上がっていることが分かった。既に暗くなった川の方へ視線を移すと、目の前に美月の顔が乗り出してきた。これは明らかに面白がっているときの美月だ。
「ほお、湊もそういうことを恥ずかしげもなく言えるようになりましたか」
「うるさいな」
 これ以上は美月のペースになると思い、鞄を持ち上げて河原道へと戻る。
川は真っ暗に染まっているのに、美月のニヤニヤした表情は鮮明であることに少しばかりの呆れを感じた。意識して少し早く歩いていたが、すぐに駆けてくるローファーの音が聞こえてくる。
「もう、勝手に帰らないでよ」
 しばらくお互い無言のまま歩いていると、長かった河原道を抜けて、本屋の面している大通りに出た。
 そろそろ家に着くといったところで、横を歩いていた美月が僕の右肩を叩いた。
 僕は彼女の方を向くと、まだニヤニヤしていた。まったく、このしつこさを学校の生徒の前で公言したい。信じてもらえないだろうけど。
「どうしたの」
 ため息を含んで聞いた。
「湊が山本さんのことを『結衣ちゃん』って呼んでるの想像したら笑えちゃって」
「なにそれ」
「立派な進歩を褒めてるんだよ」
「馬鹿にしてるようにしか聞こえないよ」
「そんなことないもん」
 半ば呆れ気味に美月の反応を逸らした。
 ……でも、結局は今回も美月に気付かされちゃったな。
 僕の家の前について、僕が玄関前の門を開くと、湿り気の多い夏の夜でもきれいに響き渡るような美月の言葉が僕の鼓膜を震わせた。
「わたしはいつでも湊を応援してるんだから」

「……なんでまたあんたが後ろなのよ」
「それを僕に言われても」
「初めての席替えのワクワクを返してもらえるかしら?」
「すいません、僕には返せません」
「……わたしのことおちょくっていると捉えさせてもらうわ」
「どうぞどうぞ」
 美月に励まされた翌日、クラス念願の席替えが行われた。
 前の僕の席は窓側の一番後ろで、いわゆる『神席』である。
 せっかく勝ち取ったその席から離れるのも嫌だったし、何より結衣ちゃんと離れることの方が嫌だった。でも、そこは観念して、席が離れていようが積極的にアプローチを掛けると決意した。
 だからって、この展開は予想外すぎる。
 まさか、また結衣ちゃんと席が前後になるなんて。