二学期がはじまり、あっという間に文化祭前日になってしまった。
 外はしとしととした雨模様で、校舎内も酷くじめじめと湿気っている。
 昨日の午後から始まった文化祭準備だったが、俺たちのクラスは昼前にはもう終わってしまった。
 自分のクラスは、夏休みに調べた好きなことを、一枚の記事にして展示するだけの簡単な企画。
 準備といっても各自好き放題に書いたA3用紙を、均等に並べた展示用の衝立(ついたて)に貼っていくだけだった。

「白石! 気合い入ってんな、これ!」
 片隅に掲載された俺の生地を読んだクラスメイトが、大きな声で俺を呼んだ。その声に、他のクラスメイトたちが集い始める。

「めっちゃ調べてるじゃん」
「ええーここ気になってたやつ!」
 思ったよりも好評で、俺は照れながら頭を掻いた。

「でしょ、やっぱ好きな物と言えば、食べ物だからね」
 今回選んだ題材として、学校周りのグルメ情報を記載された地図を作製し、写真と食レポ付きで提出したのだ。というか、それくらいしか自分でも書けるモノが思いつかなかったのだ。
 勿論写真の中には、幸詩と行ったかき氷屋や、油そばなどもちゃんと含まれている。

「俺の医学的観点からの授業開始時間をずらす提案とか、以外と反応がない」
「俺だって、ヴィンテージショップの選び方や俺のコーディネートについてのアドバイスを書いたのに」
「コアで良いと思うよ、俺は」
 ちなみに松下と高田は高度なテーマを選んだせいか、記事の内容はとても面白いし二人らしくはあるのだが、正直高校生が読むには少々ハイカロリーな内容である。

 青口学園の文化祭はクラス出し物は、お化け屋敷と高校三年生のみが許可されている飲食系以外は抑えめだ。その代わり、各部活の出し物にかなり力が入っている場合が多い。
 俺らのクラスは特にこの傾向が強く、準備が終わったクラス内は閑散としており、ほとんどのクラスメイトは自分の部活の準備に行っている。

 俺のボランティア部は出し物がないので、三十分のミーティングで文化祭運営としての二日間のシフトを話し合って終了した。ちなみに俺たちはじゃんけんで負けたため、高田、松下と三人で土曜日早朝の手伝いをすることになっている。

「思えば、軽音部って土日二日間演目あるけど、望月っていつ演奏すんの」
 準備が完了したクラスの中で、床に転がった高田が文化祭のパンフレットを開きながら、俺に尋ねてきた。

「ふ、明日の最後の方だって。人数が多いから、くじ引きで決めたらしい」
「おおー、二日目のが受験生や他校からも来て、盛り上がるのにな」
 高田は興味薄そうに、ぺらぺらと文化祭のパンフレットを捲っている。
 幸詩のことを急に聞かれ、正直、ドキッとした。桜井さんと共に帰った時から、幸詩とすれ違って言葉を交わすくらいで、ほぼメッセージでのやりとりしかない。
 それに……思い出すだけで、身体がどんどんと熱くなってくる。
 あの日、深夜に幸詩から歌った動画が送られて来たのだ。

『あげる』
 短いメッセージだけがついていて、朝起きてびっくりしてしまった。
 理由を聞いたが、『晴富ならいいかなって』という理由になっているようでなっていない返答が返ってきた。とりあえず、トラウマもどうやらかなり回復したようだ。
 正直気持ち悪いかもだけれど、毎日幸詩の歌声を聴いて寝ている。
 桜井さんが幸詩の歌のためにあんなに頑張ってしまうのも、少しわかってしまった。

「白石、顔、赤いけど大丈夫か?」
「えっ」
 高田に指摘され、俺は思わず顔を隠す。

「そそそ、そんなことないけど」
「動揺していたら、もっと怪しいぞ」
 参考書を読んでいた松下からも指摘を受けて、俺はもう余計な事を言わないと口を閉じた。
 ただ、高田と松下から視線がぐさぐさ刺さってくる。

「望月となんかあったのか?」
「べべべべべっべつに! なにも!」
「白石、下手な嘘は自分の首を絞めるぞ」
 高田の直球の問いかけと、松下からの鋭い指摘の間に、俺は話さず小さく縮こまる。
 本当に何もないはずなのに、俺が勝手にずっとおかしいのだ。
 黙りこくる俺に、高田は呆れたように肩を落とす。松下も視線を参考書に戻した。
「まあ、あんま抱え込むなよ」
「そうそう、深く悩むとドツボにハマるタイプだろ。吐き出したら楽になることもある」
 なんだかんだ長い付き合い。ドライだけれど優しい二人に、俺は小さく「ごめん」と呟いた。

 暫く待っていると、五限目終わりのチャイムが鳴り響いた。
 ようやく帰れる時間だ。
 クラスメイトに挨拶だけすると、松下と高田と共に教室から出て行く。
 三人ともさっさと帰ろうと、いつもより足早に教室から下駄箱を経由して校門へと向かう。
 なにせ、明日の七時集合の早朝シフトだ。
 あと少しで、下駄箱から抜けて、校庭側に出たところだった。

「あ、白石くん、いた!」
 後ろから聞き覚えのある声と駆ける足音が聞こえた。振り返ると、桜井さんが一直線に俺の方へと向かってきていた。

「え、桜井さん? どうしたの?」
 俺は何故呼ばれたのかと問いかける。
 桜井さんは息を切らし、額の汗を指先で拭った。湿気を含んだ空気が、何故か二人の間で、重く淀んでいるように思えた。

「ちょっと、二人きりで話したいんだけど、今大丈夫かな?」
「い、いいけど……」
 一体なんなのだろうかと、俺は高田と松下に「ごめん、先に帰ってて」と断りを入れ、桜井さんに誘導されるまま購買のベンチの方に向かった。
 購買の近くは家庭科室があるため、高校三年生の屋台組が忙しなく仕込みや試食を行っている。ただそこから少し外れるだけで、人気も少ない状態だ。

「桜井さん、話って何?」
 二人きりと言える環境で、俺は桜井さんから距離を取りながら、本題について尋ねる。

「……単刀直入に言うね。明日の演奏の後、望月くんに……告白する」
 世界が一瞬止まったようだった。心臓がドクンと跳ね、喉が締まり、息が詰まる。

「最初は、一緒にバンド出来るだけで十分だと思ってた」
 彼女の言葉が、鈍い痛みとなって胸に響く。確かに彼女は以前、俺に同様のこと言っていたのを思い出す。幸詩と演奏するのが夢だと。

「でも、実際一緒にいて、胸がドキドキして、目も耳も全て奪われて」
 顔を赤く染めた桜井さん。ああ、目を反らせば良かったと、機会を逃したのを心の中で悔やむ。
 どれも俺も心当たりがある。
 わかる、わかるからこそ、呼吸ができない。

「私、本当に好きになっちゃったんだ、って毎日思ってる」
 桜井さんの言葉が次々と降り注ぐたびに、俺の胸の奥がずきりと痛む。
 

「応援してほしいとは言わない。ただ、私の気持ち、()()()()()()()()
「そ、そう……」
 震える喉から絞り出せた言葉が、引きつるような曖昧な返事だ。

「話したいことは、それだけ。流石に他の人の目があるのは、私でも恥ずかしいからさ」
 桜井さんは、本題だけ伝えると「じゃ、文化祭、演奏、見に来てね」っと言葉を残し去って行く。
 なんで、俺に宣言したの。どうしてなの。
 わからなすぎて、また頭がぐちゃぐちゃになっていく。
 俺は唖然として立っていると、何故か俺の元に高田と松下がやってきた。

「おい、大丈夫か」
「白石、とりあえず帰ろう」
 二人はもしかしたら、先ほどの会話を盗み聞きしていたかもしれないが、深くは聞かずに俺を引きずるように連れて行く。
 ぼうっと霞む頭の中が、ゆっくりと整理され、一つの結論が浮かび上がった。

 もし、桜井さんの言葉が正しいならば。
 俺は、幸詩に恋をしているということだ。