ここ数年、おせちは通販で有名店のなんちゃら、というものをいろいろ試している。
「今年のはなかなかに正解ね」
「私はこのお煮染めが一番好きやな」
「じゃぁ、伊達巻きは全部食べちゃっても良い?」
「それは許されざる所業や」
私がぱくぱくとそれを口に運ぶと、取られまいとしてか、春香も競うように口へ。甘くどっしりとしていて、それでいてどこかふわふわと感じる伊達巻は、まさにおせちの花形だと思う。
「この赤い紫蘇味のやつって、なんて名前だっけ」
「それはチョロギやな。紫蘇科の植物で、根っこの部分。ジャガイモと同じ塊茎と呼ばれる形状の根っこで、この赤い色は梅酢に付け込んどるから赤いだけなんや」
「元は何色なの?」
「白や。黒豆と煮たら黒くなる」
「ふうん」
箸先のそれをじっくりとみて、まるで気のない返事をしてから口に含む。思っていたよりも酸っぱくて、顔が少しだけ皺をもった。
口直しのために食べたのに、酸っぱさに別の口直しを、と蕪のサーモン巻を頬張る。塩気で少ししっとりとした蕪と、サーモンの味が口の中で広がった。サーモンってどうして美味しいんだろうか。鮨の人気ナンバーワンなのも分かる気がする。私のナンバーワンは鉄火巻きだけど。
「あ、伊達巻食べきってもうた」
そこはかとない寂しさを纏わせて言う春香の膝に、リリが乗る。にゃあにゃあと催促をするので、春香は顔の高さまで抱き上げてキスをした。口元についた伊達巻のかけらを舐めそうになるので指摘してやれば、慌てて己の舌でそれを舐め取る。不満そうににゃあと言うリリに、ごめんごめんと笑う春香は楽しそうだ。それを見て、私もなんだか楽しくなる。
時計を見れば、午後三時。正月休みでゴロゴロしていた体を動かすにもちょうど良いのかもしれない。そんなことを考えた私は、春香にある提案をすることにした。
「ね、伊達巻を今から作らない?」
冷蔵庫の中には、お雑煮用に切った三つ葉や小松菜、なると。中央はおせちのお重を入れるためにあけてある。その上の段にはんぺんが数枚おかれてあった。私が好きなので常備しているのだ。
「はんぺんをすり鉢で、すり潰して」
以前動画サイトで見た時のメモを元に、春香に指示を出す。
ふわふわしたはんぺんを、手で適当に刻み、すり鉢の中に放り込むと、彼女は「よしきた」なんて言いながらすりこぎ棒を回した。
「あれ? うまくいかへんね」
隣で卵を溶きほぐしながら様子を見ているが、どうにもすり鉢が落ち着かない。棒で混ぜる度に動くのだ。
「私がすり鉢を抑えておく方が良いのかな。でも確か、ユーチューブでは一人でうまいことやってたんだよね。……何か方法がありそ」
二人で首を傾げながら、キッチンを見回す。何かヒントになるものがあれば。
「なぁ灯。文明の利器に頼ろうかと思うんやけど」
「──オッケーグーグル」
まっすぐと春香の瞳を見ながら、頷いてしまった。
グーグル先生によれば、すり鉢の下に濡れ布巾を敷くらしい。試してみると、確かに滑らない。
「春香、その棒の真ん中あたりを右手で持って、左手の掌で棒の頭に添えてみて」
「こうやろか?」
「そうそう。それで、円を描くように回す」
春香は、言われたとおりにぐるりと数回円を描いていく。なるほど、うまくいっている。物事にはやり方というものがあるのねぇ、なんて関心してしまった。
「正解?」
「──みたいね」
ひはりと笑い合う。
「つぶつぶがなくなるくらい、きれいに潰すのがいいらしい」
「結構な労力やなぁ。……なぁ」
「ん?」
春香の手元がきれいなすり身状になったことを確認し、調味料を加えていく。
「フープロ使えば良かったんやないかな」
「あ」
ぴたりと動きを止めてしまう。本当だ。どうして気が付かなかったのだろうか。
「次回はもっと簡単に作れるってことやな!」
「それはそう」
二人で顔を合わせ、また笑った。そうして、私は再びメモを見返す。
「最初に塩を小さじ三分の一。それから小麦粉を大さじ、いち──っ、と。はい、混ぜて混ぜて」
言われるままに、すりこぎ棒を回していく春香を見ながら、今度はみりんと醤油を追加していく。
「なんだかぷに、って塊になってきた!」
「それを潰していこ。よし、卵を追加する」
「なぁ、私の方が労力大きくない?」
「気のせいでしょ」
しれっと言いながら卵を少しずつつ注ぐ。だんだんと滑らかになっていく生地を見守りながら、砂糖壺を手元に引き寄せた。
「これで最後。砂糖を大さじ……えっ」
「えっ?」
「なんと」
「なんと?」
「大さじ四杯」
「多くない?」
「でもそうメモにあるのよねぇ」
「それやったら、そうなんやろう」
「春香が多いって言ったんじゃん」
「灯もびっくりしてたやろ」
「多いよね」
「うん、多い」
とはいえ、ここまで指示通りに進めてきたのだ。ここで調整してしまって微妙な味になるのは悔しい。素直に、メモのとおりの分量を追加していこうではないか。
大きめの鉄のフライパンを熱して、サラダ油を敷く。薄く油を流していくと、黒光りする美しい鉄の肌が、まるでヴェールを纏ったように見えるから不思議だ。
「そのすり鉢の中身をここに入れて」
「これは結構難しいやんな?」
「あっ、そこの大きいお玉使うのはどう?」
ラックにかかる、通常よりも少し大きいお玉を春香に手渡す。年末に春香が買ったものだ。
「買おといて正解や」
少しずつ流し込むと、じゅわじゅわと心地の良い音があがった。ひとしきり入れ終えたところで、フライパンに蓋をする。弱火で様子を見ていく。
「この蓋、中が見えるから良いね、って思ってたけど、曇って見えにくいもんなのね」
顔の角度を変えて覗き込むが、いまいち良くわからない。それでも、膨らんできたのは見えるので、しばらく我慢。
「がまん、がまん」
「何を我慢しとるん」
「あけてみたくなるじゃん。鶏肉とかでも良く、早めにひっくり返して失敗するんだよね。テレビで栗原はるみさんが『皆さんここが我慢どころですよ』って言ってたからね」
「なるほど」
春香まで神妙な顔で、「がまん、がまん」などと呟いている。間抜けな二人だな、なんて思ってしまった。
「そろそろええんやないか」
蓋をあけ、ひっくり返す。私よりも多少は料理の腕が良い春香が、フライパンでポーンと天地を返した。
調理台には手拭いを敷いて、その上に巻きすを広げる。
「準備万端やな。そこにのせればええんか?」
「ん」
フライパンから直接、焼いた卵を巻きすにのせる。それを私が端からぐるりと巻き込む。最後に下に敷いていた手拭いで強く縛り、あとは冷めるのを待つだけだ。
「ねぇ、冷めるのを待つ間にさ」
「洗い物?」
……忘れてた。いや、そうじゃなくて。
「それもある」
「それ以外はなんや」
「昼寝でもしない?」
時計を見れば、もう四時過ぎ。思っていた以上の重労働だった春香は──私はうまいこと指示役となってしまったけれど──ふわりとあくびで同意した。
猫たちを引き連れ、炬燵へ。
炬燵布団を持ち上げれば、二匹とも連なって中に入っていった。
「炬燵で昼寝は最高やなぁ」
「しっかり布団に入ったら、起きられないしね」
炬燵の中で、私の足に一匹がくっついている。おそらくもう一匹は春香の足にくっついているのだろう。
これはいよいよ、眠りの淵に猫共々落ちていく時間がやってきたのだ。
正月がこのまま終わる。
「今年のはなかなかに正解ね」
「私はこのお煮染めが一番好きやな」
「じゃぁ、伊達巻きは全部食べちゃっても良い?」
「それは許されざる所業や」
私がぱくぱくとそれを口に運ぶと、取られまいとしてか、春香も競うように口へ。甘くどっしりとしていて、それでいてどこかふわふわと感じる伊達巻は、まさにおせちの花形だと思う。
「この赤い紫蘇味のやつって、なんて名前だっけ」
「それはチョロギやな。紫蘇科の植物で、根っこの部分。ジャガイモと同じ塊茎と呼ばれる形状の根っこで、この赤い色は梅酢に付け込んどるから赤いだけなんや」
「元は何色なの?」
「白や。黒豆と煮たら黒くなる」
「ふうん」
箸先のそれをじっくりとみて、まるで気のない返事をしてから口に含む。思っていたよりも酸っぱくて、顔が少しだけ皺をもった。
口直しのために食べたのに、酸っぱさに別の口直しを、と蕪のサーモン巻を頬張る。塩気で少ししっとりとした蕪と、サーモンの味が口の中で広がった。サーモンってどうして美味しいんだろうか。鮨の人気ナンバーワンなのも分かる気がする。私のナンバーワンは鉄火巻きだけど。
「あ、伊達巻食べきってもうた」
そこはかとない寂しさを纏わせて言う春香の膝に、リリが乗る。にゃあにゃあと催促をするので、春香は顔の高さまで抱き上げてキスをした。口元についた伊達巻のかけらを舐めそうになるので指摘してやれば、慌てて己の舌でそれを舐め取る。不満そうににゃあと言うリリに、ごめんごめんと笑う春香は楽しそうだ。それを見て、私もなんだか楽しくなる。
時計を見れば、午後三時。正月休みでゴロゴロしていた体を動かすにもちょうど良いのかもしれない。そんなことを考えた私は、春香にある提案をすることにした。
「ね、伊達巻を今から作らない?」
冷蔵庫の中には、お雑煮用に切った三つ葉や小松菜、なると。中央はおせちのお重を入れるためにあけてある。その上の段にはんぺんが数枚おかれてあった。私が好きなので常備しているのだ。
「はんぺんをすり鉢で、すり潰して」
以前動画サイトで見た時のメモを元に、春香に指示を出す。
ふわふわしたはんぺんを、手で適当に刻み、すり鉢の中に放り込むと、彼女は「よしきた」なんて言いながらすりこぎ棒を回した。
「あれ? うまくいかへんね」
隣で卵を溶きほぐしながら様子を見ているが、どうにもすり鉢が落ち着かない。棒で混ぜる度に動くのだ。
「私がすり鉢を抑えておく方が良いのかな。でも確か、ユーチューブでは一人でうまいことやってたんだよね。……何か方法がありそ」
二人で首を傾げながら、キッチンを見回す。何かヒントになるものがあれば。
「なぁ灯。文明の利器に頼ろうかと思うんやけど」
「──オッケーグーグル」
まっすぐと春香の瞳を見ながら、頷いてしまった。
グーグル先生によれば、すり鉢の下に濡れ布巾を敷くらしい。試してみると、確かに滑らない。
「春香、その棒の真ん中あたりを右手で持って、左手の掌で棒の頭に添えてみて」
「こうやろか?」
「そうそう。それで、円を描くように回す」
春香は、言われたとおりにぐるりと数回円を描いていく。なるほど、うまくいっている。物事にはやり方というものがあるのねぇ、なんて関心してしまった。
「正解?」
「──みたいね」
ひはりと笑い合う。
「つぶつぶがなくなるくらい、きれいに潰すのがいいらしい」
「結構な労力やなぁ。……なぁ」
「ん?」
春香の手元がきれいなすり身状になったことを確認し、調味料を加えていく。
「フープロ使えば良かったんやないかな」
「あ」
ぴたりと動きを止めてしまう。本当だ。どうして気が付かなかったのだろうか。
「次回はもっと簡単に作れるってことやな!」
「それはそう」
二人で顔を合わせ、また笑った。そうして、私は再びメモを見返す。
「最初に塩を小さじ三分の一。それから小麦粉を大さじ、いち──っ、と。はい、混ぜて混ぜて」
言われるままに、すりこぎ棒を回していく春香を見ながら、今度はみりんと醤油を追加していく。
「なんだかぷに、って塊になってきた!」
「それを潰していこ。よし、卵を追加する」
「なぁ、私の方が労力大きくない?」
「気のせいでしょ」
しれっと言いながら卵を少しずつつ注ぐ。だんだんと滑らかになっていく生地を見守りながら、砂糖壺を手元に引き寄せた。
「これで最後。砂糖を大さじ……えっ」
「えっ?」
「なんと」
「なんと?」
「大さじ四杯」
「多くない?」
「でもそうメモにあるのよねぇ」
「それやったら、そうなんやろう」
「春香が多いって言ったんじゃん」
「灯もびっくりしてたやろ」
「多いよね」
「うん、多い」
とはいえ、ここまで指示通りに進めてきたのだ。ここで調整してしまって微妙な味になるのは悔しい。素直に、メモのとおりの分量を追加していこうではないか。
大きめの鉄のフライパンを熱して、サラダ油を敷く。薄く油を流していくと、黒光りする美しい鉄の肌が、まるでヴェールを纏ったように見えるから不思議だ。
「そのすり鉢の中身をここに入れて」
「これは結構難しいやんな?」
「あっ、そこの大きいお玉使うのはどう?」
ラックにかかる、通常よりも少し大きいお玉を春香に手渡す。年末に春香が買ったものだ。
「買おといて正解や」
少しずつ流し込むと、じゅわじゅわと心地の良い音があがった。ひとしきり入れ終えたところで、フライパンに蓋をする。弱火で様子を見ていく。
「この蓋、中が見えるから良いね、って思ってたけど、曇って見えにくいもんなのね」
顔の角度を変えて覗き込むが、いまいち良くわからない。それでも、膨らんできたのは見えるので、しばらく我慢。
「がまん、がまん」
「何を我慢しとるん」
「あけてみたくなるじゃん。鶏肉とかでも良く、早めにひっくり返して失敗するんだよね。テレビで栗原はるみさんが『皆さんここが我慢どころですよ』って言ってたからね」
「なるほど」
春香まで神妙な顔で、「がまん、がまん」などと呟いている。間抜けな二人だな、なんて思ってしまった。
「そろそろええんやないか」
蓋をあけ、ひっくり返す。私よりも多少は料理の腕が良い春香が、フライパンでポーンと天地を返した。
調理台には手拭いを敷いて、その上に巻きすを広げる。
「準備万端やな。そこにのせればええんか?」
「ん」
フライパンから直接、焼いた卵を巻きすにのせる。それを私が端からぐるりと巻き込む。最後に下に敷いていた手拭いで強く縛り、あとは冷めるのを待つだけだ。
「ねぇ、冷めるのを待つ間にさ」
「洗い物?」
……忘れてた。いや、そうじゃなくて。
「それもある」
「それ以外はなんや」
「昼寝でもしない?」
時計を見れば、もう四時過ぎ。思っていた以上の重労働だった春香は──私はうまいこと指示役となってしまったけれど──ふわりとあくびで同意した。
猫たちを引き連れ、炬燵へ。
炬燵布団を持ち上げれば、二匹とも連なって中に入っていった。
「炬燵で昼寝は最高やなぁ」
「しっかり布団に入ったら、起きられないしね」
炬燵の中で、私の足に一匹がくっついている。おそらくもう一匹は春香の足にくっついているのだろう。
これはいよいよ、眠りの淵に猫共々落ちていく時間がやってきたのだ。
正月がこのまま終わる。