あけましておめでとう、と言葉を交わしてから二日。元日を炬燵の中でゆるりと過ごしていた私は、肩までの炬燵布団を引き寄せる。その90度隣で同じように肩まで炬燵布団をかぶっている春香は、伸びをした。二人とも手元には文庫本がある。
「そろそろ窓、開けようか」
「うん。空気の入れ換え、大事やからね」
お互いそう言いながらも、一切起き上がろうとしない。
「灯、なんで立たんの」
「寒いもん。春香こそ」
「……最初は」
「グー!」
二人の手だけが、炬燵テーブルの上で舞う。何度かのあいこのの後、負けたのは私だった。
ふわぁ、と一つあくびをしたあと、のそのそと炬燵から這い出る。体がぶるりと震えた。二箇所の窓を開けて外を見れば、いかにも寒そうに木立が揺れている。肩下までの髪がふわりと浮く。手首にかけていたゴムで一つにまとめた。
「珈琲、飲む?」
「飲む! あ、それやったら」
先ほどのじゃんけんは何だったのか。春香はするりと炬燵から抜け出ると、自分の部屋に向かった。
その間に私はコーヒーメーカーに粉と水を入れてセットする。
「じゃじゃん! 年末に差し入れで頂いたお高いチョコ! 一緒に食べよ」
一粒数百円もするチョコレートの箱を手に、キッチンの対面カウンターに手をかける。その顔があまりにも嬉しそうだったので、私までつられて笑ってしまった。引き出しから、去年二人で散歩したときに買った豆皿を二枚取り出す。
「え、チョコやろ? そんな丁寧に?」
「三が日くらい、丁寧な生活をしている気分になりたいじゃん」
くくっ、と笑うと、春香は小皿を受け取りながら頷く。
「それもそうやね」
春香が先に炬燵に戻ると、ニャァと彼女の足下から声がしていた。珈琲が沸いたので注ぎながら様子を伺う。
「リリ、どうしたの。炬燵に入りたいの?」
白に黒いブチが体に入るリリは、最近この家に来た猫だ。知り合いの子どもが急に猫アレルギーを発症したらしく、飼えなくなったと私が相談を受けたのが十二月。
そこから二人で相談し、先住猫の茶トラのミヤと顔合わせをして問題がなかったので受け入れることにした。手足の先が黒で靴下になっているのもかわいい。最初から我が家に来ていたら、きっと名前はひねりもなく『くつした』になっていたことだろう。
リリが雌、ミヤが雄だから心配していたが、どちらも去勢しているからか、そのあたりの愛称などは関係ないようだ。
ニャァともう一度、今度は春香への返事のように鳴く。
「はい珈琲。年末にカルディで買ったヤツ」
「あ、あのなんとかって名前のやつやな」
「そう。なんとか。春香も忘れたの」
炬燵に入ろうと布団を上げると、春香ではなく私の布団から中に入っていった。彼女は不満そうな顔で笑いながら、珈琲を手にする。炬燵の中から三度目のニャァが聞こえた。
「チョコ、美味しいね」
「これ一つ、いくらなんやろう」
「値段を考えながら食べるチョコは、さらに美味しいわ」
春香も頷き、もう一つを口に放り込んだ。私はその横で、珈琲を流し込む。珈琲とチョコレートを一緒に頼む大人になったんだなぁ、なんて思いながら、再び読みかけの文庫本に目を落とした。
私、明田灯と新辺春香が一緒に暮らし始めたのはもう七年ほど前のことだ。当時私がちょうど40になったとき、春香は三つ下なので37だった。
同居のきっかけはもう忘れたが、出会いのきっかけはSNSだった。共通の友人を介して知り合い、そこから妙に気があって仲良くなった。
その頃、彼女は契約社員をしながら漫画の仕事を細々としていて、私は紹介予定派遣でようやく正社員になったばかり。お互い家賃を少しでも安く抑えたいという気持ちと、もしも倒れたときに一人では不安だからという理由で、一緒に住むことにしたのだ。
「まぁ、あわなかったら解消でええよね」とは、春香の言。引っ越し費用はかかったとしても、あっさりと解散もできるだろうと共同生活に踏み出したのだが──。
これが思っていた以上に快適だった。
部屋は多摩川の近く、東京都大田区の外れの築五十年の三階建てのビル。エレベーターはないが、二階なので苦にはならない。というよりも、運動をしない二人なので、このくらいは足を動かした方が良いだろう。
初めて会ったときの春香の印象は、随分と格好良い子だな、だった。身長155センチの私と比べて随分と背が高いと思ったが、後で聞けば172センチもあるという。ボブカットの髪に白いシャツが印象的だった。白シャツにデニムが合うなんて、羨ましいと思ったのを覚えている。あれは背が高くないと様にならないのだ。
「そうだ。ミカン食べる?」
「ミカン? ええね。炬燵にはミカンや」
年末に近所の八百屋で箱買いしたミカンを取りに、玄関に向かう。やはり玄関側は少し冷えるが、炬燵でぼやけた体には心地良い。
「はい。三つで足りる?」
「十分過ぎるやろ。一つでもええ」
「ふっふっふ。春香、30分後に同じ台詞が言えるかなぁ」
「……絶対二つ目食べとるな」
「せやろ」
「こういう時だけ大阪弁で突っ込むなって。めっちゃドヤ顔やん」
「あえてのドヤ顔してるからね」
「あえての」
ふ、ふ、ふ、と笑い合う。春香の目は猫の目のようだ。スッと通った一重のつり目が和風美人を醸し出している。同じ一重でも、私は少し重めで垂れ目で、高校生までは必死で二重にするアイテムで二重垂れ目を目指した過去がある。あのくらいスッとしてたら、アイプ……アレを使わないでも済んだのかもしれない。
「あぁ、やっぱり炬燵にはミカンだよねぇ」
ごろんごろんと持ってきたミカンを机上に置いて、一つ手に取る。フニャァとミヤが膝に乗ってきた。
「こら、ミヤはミカンはだぁめ。食べたら消化不良起こすよ」
私の手元へちょいちょいと愛らしいその手をのばしてくるから、振り払いにくくなる。手に触れる肉球が気持ち良く、思わずぶにゃりと触ったら逃げられてしまった。残念。その様子を見ていた春香が、ひはりと笑う。
こたつで食べる蜜柑は格別だ。
「そう言えば、小学校のころ給食で冷凍蜜柑が出たな」
「懐かしい! あれ大好きやった。新幹線の売店でも売っとるよね。今はもうないんやろうか」
「どうだろ。私飛行機派だから、わからないや」
薄い皮がきれいに剥ける。一続きで剥けたそれを見て、何かに見立てたくなった。乱雑にペン立てにささる油性マジックを引き抜く。きゅきゅきゅ、と音を立てて私に描かれる顔は、蜜柑の皮のでこぼこで僅かに歪む。
「うぅん、いまいちだわ」
「なに描いてるの」
のぞき込む春香の目の前に、完成した芸術作品を見せる。
「タコさん」
「……カワイイデスネ」
「なんで目をそらす──って、笑ってるじゃんか」
顔をそむけつつ、喉で笑いを殺しているのを見つけてしまった。春香はと言えば、見られたというような顔をして、今度は破顔する。
「タコさん描いたら、お腹空いてきたかも」
「ミカン食べながら言うこと?」
そんなことを言いながら、春香からも、ぐうという音が聞こえてくるではないか。
「どこかの誰かさんは、ぺこぺこみたいですけど」
「どこの誰かさんですかねぇ。──おせちの残り、食べよ」
その言葉に、勢いよく立ち上がる。私の背中で暖を取っていたミヤも慌てて、立ち上がった。
「あ、ミヤごめん」
文句を言うように足元にまとわりつくミヤを抱え上げて、鼻歌を歌いながらキッチンに向かう。
ほんの、数歩の距離だけれど。
「そろそろ窓、開けようか」
「うん。空気の入れ換え、大事やからね」
お互いそう言いながらも、一切起き上がろうとしない。
「灯、なんで立たんの」
「寒いもん。春香こそ」
「……最初は」
「グー!」
二人の手だけが、炬燵テーブルの上で舞う。何度かのあいこのの後、負けたのは私だった。
ふわぁ、と一つあくびをしたあと、のそのそと炬燵から這い出る。体がぶるりと震えた。二箇所の窓を開けて外を見れば、いかにも寒そうに木立が揺れている。肩下までの髪がふわりと浮く。手首にかけていたゴムで一つにまとめた。
「珈琲、飲む?」
「飲む! あ、それやったら」
先ほどのじゃんけんは何だったのか。春香はするりと炬燵から抜け出ると、自分の部屋に向かった。
その間に私はコーヒーメーカーに粉と水を入れてセットする。
「じゃじゃん! 年末に差し入れで頂いたお高いチョコ! 一緒に食べよ」
一粒数百円もするチョコレートの箱を手に、キッチンの対面カウンターに手をかける。その顔があまりにも嬉しそうだったので、私までつられて笑ってしまった。引き出しから、去年二人で散歩したときに買った豆皿を二枚取り出す。
「え、チョコやろ? そんな丁寧に?」
「三が日くらい、丁寧な生活をしている気分になりたいじゃん」
くくっ、と笑うと、春香は小皿を受け取りながら頷く。
「それもそうやね」
春香が先に炬燵に戻ると、ニャァと彼女の足下から声がしていた。珈琲が沸いたので注ぎながら様子を伺う。
「リリ、どうしたの。炬燵に入りたいの?」
白に黒いブチが体に入るリリは、最近この家に来た猫だ。知り合いの子どもが急に猫アレルギーを発症したらしく、飼えなくなったと私が相談を受けたのが十二月。
そこから二人で相談し、先住猫の茶トラのミヤと顔合わせをして問題がなかったので受け入れることにした。手足の先が黒で靴下になっているのもかわいい。最初から我が家に来ていたら、きっと名前はひねりもなく『くつした』になっていたことだろう。
リリが雌、ミヤが雄だから心配していたが、どちらも去勢しているからか、そのあたりの愛称などは関係ないようだ。
ニャァともう一度、今度は春香への返事のように鳴く。
「はい珈琲。年末にカルディで買ったヤツ」
「あ、あのなんとかって名前のやつやな」
「そう。なんとか。春香も忘れたの」
炬燵に入ろうと布団を上げると、春香ではなく私の布団から中に入っていった。彼女は不満そうな顔で笑いながら、珈琲を手にする。炬燵の中から三度目のニャァが聞こえた。
「チョコ、美味しいね」
「これ一つ、いくらなんやろう」
「値段を考えながら食べるチョコは、さらに美味しいわ」
春香も頷き、もう一つを口に放り込んだ。私はその横で、珈琲を流し込む。珈琲とチョコレートを一緒に頼む大人になったんだなぁ、なんて思いながら、再び読みかけの文庫本に目を落とした。
私、明田灯と新辺春香が一緒に暮らし始めたのはもう七年ほど前のことだ。当時私がちょうど40になったとき、春香は三つ下なので37だった。
同居のきっかけはもう忘れたが、出会いのきっかけはSNSだった。共通の友人を介して知り合い、そこから妙に気があって仲良くなった。
その頃、彼女は契約社員をしながら漫画の仕事を細々としていて、私は紹介予定派遣でようやく正社員になったばかり。お互い家賃を少しでも安く抑えたいという気持ちと、もしも倒れたときに一人では不安だからという理由で、一緒に住むことにしたのだ。
「まぁ、あわなかったら解消でええよね」とは、春香の言。引っ越し費用はかかったとしても、あっさりと解散もできるだろうと共同生活に踏み出したのだが──。
これが思っていた以上に快適だった。
部屋は多摩川の近く、東京都大田区の外れの築五十年の三階建てのビル。エレベーターはないが、二階なので苦にはならない。というよりも、運動をしない二人なので、このくらいは足を動かした方が良いだろう。
初めて会ったときの春香の印象は、随分と格好良い子だな、だった。身長155センチの私と比べて随分と背が高いと思ったが、後で聞けば172センチもあるという。ボブカットの髪に白いシャツが印象的だった。白シャツにデニムが合うなんて、羨ましいと思ったのを覚えている。あれは背が高くないと様にならないのだ。
「そうだ。ミカン食べる?」
「ミカン? ええね。炬燵にはミカンや」
年末に近所の八百屋で箱買いしたミカンを取りに、玄関に向かう。やはり玄関側は少し冷えるが、炬燵でぼやけた体には心地良い。
「はい。三つで足りる?」
「十分過ぎるやろ。一つでもええ」
「ふっふっふ。春香、30分後に同じ台詞が言えるかなぁ」
「……絶対二つ目食べとるな」
「せやろ」
「こういう時だけ大阪弁で突っ込むなって。めっちゃドヤ顔やん」
「あえてのドヤ顔してるからね」
「あえての」
ふ、ふ、ふ、と笑い合う。春香の目は猫の目のようだ。スッと通った一重のつり目が和風美人を醸し出している。同じ一重でも、私は少し重めで垂れ目で、高校生までは必死で二重にするアイテムで二重垂れ目を目指した過去がある。あのくらいスッとしてたら、アイプ……アレを使わないでも済んだのかもしれない。
「あぁ、やっぱり炬燵にはミカンだよねぇ」
ごろんごろんと持ってきたミカンを机上に置いて、一つ手に取る。フニャァとミヤが膝に乗ってきた。
「こら、ミヤはミカンはだぁめ。食べたら消化不良起こすよ」
私の手元へちょいちょいと愛らしいその手をのばしてくるから、振り払いにくくなる。手に触れる肉球が気持ち良く、思わずぶにゃりと触ったら逃げられてしまった。残念。その様子を見ていた春香が、ひはりと笑う。
こたつで食べる蜜柑は格別だ。
「そう言えば、小学校のころ給食で冷凍蜜柑が出たな」
「懐かしい! あれ大好きやった。新幹線の売店でも売っとるよね。今はもうないんやろうか」
「どうだろ。私飛行機派だから、わからないや」
薄い皮がきれいに剥ける。一続きで剥けたそれを見て、何かに見立てたくなった。乱雑にペン立てにささる油性マジックを引き抜く。きゅきゅきゅ、と音を立てて私に描かれる顔は、蜜柑の皮のでこぼこで僅かに歪む。
「うぅん、いまいちだわ」
「なに描いてるの」
のぞき込む春香の目の前に、完成した芸術作品を見せる。
「タコさん」
「……カワイイデスネ」
「なんで目をそらす──って、笑ってるじゃんか」
顔をそむけつつ、喉で笑いを殺しているのを見つけてしまった。春香はと言えば、見られたというような顔をして、今度は破顔する。
「タコさん描いたら、お腹空いてきたかも」
「ミカン食べながら言うこと?」
そんなことを言いながら、春香からも、ぐうという音が聞こえてくるではないか。
「どこかの誰かさんは、ぺこぺこみたいですけど」
「どこの誰かさんですかねぇ。──おせちの残り、食べよ」
その言葉に、勢いよく立ち上がる。私の背中で暖を取っていたミヤも慌てて、立ち上がった。
「あ、ミヤごめん」
文句を言うように足元にまとわりつくミヤを抱え上げて、鼻歌を歌いながらキッチンに向かう。
ほんの、数歩の距離だけれど。