堯毅が到着した時、検非違使庁はまだ上を下にの大騒ぎだった。なにしろ推定ながら、都を騒がせていた夜討ちの賊をまとめて捕らえた上、その首謀者と思しき衛門府に勤めていた者を捕縛済みなのだ。
全員の調書きを作らなければならないし、そのためには全員の聴取を行わねばならず、さらにそのためには追捕時に傷を負った全員の手当てが必要ときている。
日常的に怪我の多い検非違使たちの傷を診る医師は公的には存在しなかったが、これまでは都の内で医薬に詳しいものを募って、必要に応じ対応していた。だからその医師を呼べばいいのだが、そこへ仮にも施薬院別当である堯毅がやって来たのでは、いくら気に入らないとはいえ検非違使別当が断って帰すわけにはいかなかったのである。
「突然訪問しましたのに、ご丁寧に対応いただきありがとうございます」
にこやかな堯毅にそう言われ、別当は渋面を隠しもしなかった。
 検非違使別当、藤原実貞(さねさだ)は小柄ながらがっしりした体格の、武人らしい風貌の人物だ。名家の徴である下り藤を額に戴いていながら、四角い顎とへの字の口の印象が強すぎて、上流貴族らしさを損なっているように見える。
「親王殿下に怪我人の処置をさせて、お喜びいただけるとは思いませんでしたな」
「尹宮さまは傷つき苦しむ者を見過ごせないお方なのでな」
ついてきた菅原智也が眉ひとつ動かさず応じた。左衛門佐である智也に対し、検非違使別当は右衛門権佐の職にあり、見知った者同士だ。用向きはともかく智也が使庁に来てもなんとも思うまい。しかしだ。
普通の親王は心得があったとしても、怪我人の手当てなどしないだろう。ましてや捕り物で使庁の門内には死亡した賊の死体も運びこまれている。検非違使を務める衛士であっても死の穢れに対する怖れがあるのだから、顔色ひとつ変えず門内に入ってきたこの親王の態度はもはや、異端どころの騒ぎではない。
「おや、私が施薬院別当だとご存知だからお任せいただいているのでは?」
「ですが今宵は、弾正尹宮としておいでになられたのでしょう」
検非違使別当はぶすっとした顔をしてみせた。別段この親王に敵意があるわけではないのだが、自分の半分ほどの年齢の彼が、なんの努力もなく突然弾正台の長の地位を得たことに対する不満はある。
その人事に対して最も不満を持っているのが堯毅本人だとは、微塵も思っていなかった。
「さすが鋭くていらっしゃる。では手当ても終わったことですし、今宵の用件をお話しいたしましょう――先日死体で発見された右京識少属の木下為末の事件ですが、彼の雑色をこちらで大志を務めております橘公鷹の屋敷で保護しています」
「親王殿下ともあろう方が、そのような些末な案件に?」
「私が弾正尹宮であるなら、当然のことでは?」
問い返されて別当は押し黙った。有名無実の役職となって久しい弾正台であっても、尹宮に首を突っ込まれたのでは無視はできない。どうせこの親王には追捕も裁きをすることもできないのだ、聞くだけ聞くとするか、と腹を括る。
「…すると雑色がその、右京識少属の殺しについて知っていることがあると?」
「ええ。のみならず、先ほど追捕された和田清重をはじめとする群盗たちの案件についても証言ができると思われます」
別当は眉を跳ね上げた。それは聞き捨てならない。

この半年、群盗どもにはさんざん都を引っ掻き回された。家人を傷つけられ、殺害された貴族や都人の数はきりがなく、震えあがった上級貴族たちのための護衛に人手を割かれ、時には公卿たちから面罵すらされてきた。
鈴木尚季から「群盗たちの首魁と思しき者を突き止めたので追捕の人手が欲しい」と言われた時には今一つ信じられなかったが、踏み込んだ屯所からは奪われた品――絹織物や綾、単衣、仕立てのよい狩衣や直垂、蒔絵が施された二階厨子や髪箱といった調度品、銀の銚子などが続々と見つかったのである。ちなみに米もあちこちで盗まれていたが、とうに盗人たちで炊いて食べてしまっていたらしい。
和田某が本当に群盗の首魁であるなら、何としても罪を立証し、この半年の都人や検非違使たちの苦労の報いをくれてやらねばならない。

「すぐに引き渡していただきましょう」
別当の目が据わったのを見て、堯毅はなんとも嬉しい心持ちになった。少なくとも彼は検非違使の長として、正当な怒りを抱えている。だが、彼の意には添えないので、一応申し訳なさそうな表情を作った。
「それが、毒を盛られており命が危ない状態です。なんとか一命を繋ぎとめておりますが、いつまでもつやら」
「なんと。畏れながら、殿下であれば今少し、そやつの時を稼げると?」
「ええ。時を無駄にせぬよう、聴取できることは手当の傍ら私のほうでやっておきましょう。症状が安定しだい、こちらへ運んでまいります」
別当は眉をひそめた。
雑色の命がどうあれ証言させられさえすればいいのだが、賊を引き据え罪の如何を問う勘問(かんもん)までに死なれては困る。噂によればこの宮さまは、当代有数の医師だという話だ。
ちらりと智也の方を見ると、得意げな表情で見返してくる。己が家司を務める親王の才覚に誇りがあるのだとわかる。その雑色が勘問の時までに死にそうなら、こんな余裕のある態度ではいられないだろう。
「それならばお任せいたします。ぜひとも殿下のお知恵をもって、その雑色を生かしておいていただきたい。なにしろこの半年、都を騒がせた群盗どもの勘問ですからな。ぜひご臨席ください」
怪しい武士団の調査として、大志か何かから何度か調査の許可を求められたことを覚えている。あれは確か、弾正台にも籍をおく有識だったはずだ。それも目の前の異貌の親王による指し金であるなら、弾正台の尹らしいことをしてみたいのだろう。
その程度の親王のままごとになら付き合ってやってもいい――と別当が思っているぐらいのことは、堯毅も看破していた。
「微力を尽くしましょう」
微笑んでそう言い残し、堯毅は検非違使庁を後にした。


 卯の四刻、夜が明け、いささかの寝不足を感じながら検非違使庁に出仕した公鷹を襲ったのは、怒涛のような問い合わせだった。捕らえた群盗たちの現在までの供述がまとめられ、それに対しどの程度の罰が適当かを返答するようにというものだ。故実に通じる公鷹の得手の分野であり、大志としての職務ともいえる。
気を引き締め、公鷹はすぐさま筆をとった。検非違使の役職を兼任して以来、初めての仕事量だ。積み重なった勘文の上から次々に片づけていく。といっても、群盗を構成していた武士たちの罪状はおおよそ同じようなものだった。押し込んでの家人への暴行傷害に殺人、窃盗。
中には以前にも都で盗みを働いて(むち)打ちの刑罰を受けていた者もいた。しかしほとんどは尾張から来たという者たちで、都に来る前の経歴がわからない。
「これは尾張に問い合わせないとなんとも……」
「それならこっちでやっておいた」
不意に声をかけられて顔をあげると、ちらちらと無精ひげの生えた鈴木尚季がやって来ていた。腰を上げようとする公鷹を制して入口に腰を下ろすと、やれやれとばかりに大きく伸びをする。
「結局屋敷に帰れなかったが、そっちはちゃんと寝たか?」
「はい、いくらかは」
「それはよかった……俺はよくなかった」
生欠伸をかみころしながらの話によると、使庁に戻ったところ、屯所からそう離れていない場所で件の武士団に所属する武士の死体が見つかったという報告があったという。屯所の見張りをさせていた放免に確認したところ、踏み込む一刻前に小者を連れて出た武士だとわかった。その者は屯所に戻る前に殺害されていたということだ。
「考えられるところでは、和田の屋敷に報告に行った後で殺されて放り出された、だろうな」
「口封じということですか……和田の勘問はどうなっていますか?」
尚季は素直にもうんざりした顔をしてみせた。
誣告(ぶこく)だと言い続けているな。誤魔化そうったってそうはいかん。武士団の者が転がり込んだ現場を押さえたのは大きい。だが他にも証拠が欲しいところだからな、奴と奴の武士団について尾張に使いを立てた」
順当だが、果たして成果があるだろうか。尾張でなんらかの罪を犯していれば記録にも残っているだろうが、そうでなければ何の手がかりも得られない。
「和田の経歴はわかっているんですか?」
「ああ、たいしてないからな。左衛門少尉の前は伊賀(いがの)(すけ)、その前は和泉(いずみの)介、で大和(やまとの)(じょう)。こういう奴は前にも何かしでかしているものだ。伊賀、和泉、大和からの訴状を調べさせている」
なるほど、と公鷹は思った。確かに初犯が群盗を率いての都での群盗騒ぎなど、ちょっと考えづらい。介や掾ということは、近隣の国の国司の補佐や書記などの任についていたようだが、前職でも何か問題を起こしていると考えるべきだ。そのどこかでおそらく木下為末と出会っているのだろう。そうなるといっそう、正の証言が重要になってくる。
だが、あんな状態の正から聴取をしなければならないのか。
思い悩んだ顔の公鷹を一瞥し、尚季はちょっと笑った。
「まあ、大志は有識だからな。そこにある分が終わったら昼で帰ってかまわん。九条殿によろしくな」
「ありがとうございます」
公鷹が礼を述べると立ち上がってひらひらと手を振り、尚季は仕事へ戻っていった。