夜の帳が落ちると門前には篝火が焚かれ、いかめしい顔の武士が二人、周囲を睥睨している。件の武士団の屯所が左京七条の外れ、まだ役宅街といえなくもない辺りであることを、千央は意外に思っていた。てっきり郊外は郊外でも右京の、本当にあばら家や田畑、沼地だらけの辺りを想定していたからだ。
しかし考えてみれば、そんなところに大人数の武士が屯所を構えていれば、「物騒な(なり)の者たちが集まっている」と近所の民たちによって噂がたつ。それなら貴族の屋敷で働く武士団がちらほらいて、似たような屯所も付近に見られる街中にいることで、疑いをかけられるのを避けてきたのだろう。わざわざ適切な押し入り先を調査した上で奪いに入っていることを考えても、この群盗どもにはあくどい頭がついている。絶対に逃がすわけにはいかない。
 屯所の(はす)向かいの屋敷の主に事情を話して門の内に入れてもらい、監視をしていた千央はふと眉を寄せた。何事か話しながら二人の男が門の表まで出てきて、立ち話の後に片方が雑用係らしい小者を連れて通りを歩きだす。
「自分が追います」
「頼んだぜ」
自分の後ろから様子を窺っていた放免が申し出たので千央は了承した。すぐに出ていくと、他の通行人にまぎれて悟られないよう男の後を尾けていく。なかなか様になっていた。放免は罪を許された元・罪人であるため、時折こうした探索にはうってつけな者がいたりする。
それを見送った別の放免が、訝し気に千央に話しかけてきた。
「潮時と見て、逃げようとしてんでしょうかね」
「そいつは虫が良すぎるな」
百歩譲ってただの盗みならともかく、やっていることは夜討ちだ。押し込んだ先で邪魔になった武士や雑色、時に家の者を殺害し、怪我人など何人になっているか。およそ見逃せる所業ではない。
 それはそれとして、立ち去った二人の方になんだか見覚えがあるような気が、千央はしていた。どこで見たのかが思い出せない――公鷹を殺そうとした奴らか? いや、あの時取り逃がした奴はもっと大柄だった。どのみち明確な記憶がないのでは意味がない。捕縛して吐かせるのが一番だ。
「鈴木め、遅ぇなあ。夜陰に紛れて逃げられたらコトだぜ」
千央がこぼすと、放免が乾いた笑い声をあげた。
「なにしろ未だかつてないほど人手が足りませんからね。都の夜討ちや左京大夫を襲うような武士ども相手に数で不利となると、俺らも腰が引けちまいます」
実際、検非違使で警備に携わる衛門府の衛士たちと違って、放免たちは追捕や探索が主な任務だ。一人二人の罪人ならともかく、武士団相手となると力不足も甚だしい。
「さすがに捕り物だぞ、頭数ぐらい揃えてくるだろ」
「だといいですがね…」
この口ぶりだと、検非違使の忙しさは相当らしい。捕り物に割く人手すら惜しむほどの。
その点、ここでも夜討ちの首謀者の目論見は見事に達成されているのだ。
「もういっそ、嵩増しに弾正も入れちまおうぜ。大丈夫だって、うちは暇持て余してるから」
名案と言わんばかりの千央の言葉を聞いて、放免が真顔で首を横に振った。
「やばいっすから。旦那がここにいること自体まずいっすから」

 鈴木尚季が手勢をまとめて現れたのは、それから半時ほど過ぎた戌の四刻頃のことだった。しかしその人数はわずか十人、放免が四人という有様だ。心底いやそうな千央の顏を見て、尚季も渋い表情にならざるを得なかった。
「おまえにはわからんだろうが、もうどうしようもなく衛士が足りないんだよ。俺の出がけにも三条の大納言殿お求めの警固の隊が準備をしていた」
「あの狸じじ」
部下の面前で高位の貴族に毒づきかけた千央の口を咄嗟に塞いだ尚季は、溜息をついて話を続けた。
「これでも別当殿にかけあってかき集めたんだ。これ以上は都合できん。おまえをせいぜい宛にさせてもらうさ、嬉しいだろ九条殿」
「俺に良いことがなんにもねえ!」
うんざりした表情を隠しもせずに唸った千央だったが、息をつくと太刀に手をかけた。
もとより荒事は得手の分野だ。せいぜい恩を売っておくとしよう。
相手が賊だとわかっているだけに、尚季に同行した衛士たちも各々太刀を抜き列を作った。全員に目を配った尚季も太刀を手にすると、一気に門を出て件の屯所の門へ走る。門前に立つ男が気づいて顔色を変えたが、構わず尚季は体当たりをかけ、屯所の内へ踏み入った。
勢い余って転がる男が立ち上がるより早く大声を張り上げる。
「検非違使少尉、鈴木尚季である! 汝らは都において夜討ちを行い、都人を損ない財を奪った疑いがある。太刀を捨て、団をまとめる者は前に出よ!」
普段は人当たりの良さすら感じさせる尚季だが、衛門府、ひいては検非違使で少尉を務めるものの気迫を見せた。大音声に屋敷の中からばらばらと男たちがまろび出てくる。額の紋を見る限り、木瓜だけでなく四つ目結いや鷹の羽などさまざまだ。予想どおりわずかな混乱の後、申し合わせたように太刀を抜く。
「従わぬ者は斬る! 捕縛せよ!」
やっぱりなという顔で尚季が吠えると同時、怒号があがった。衛士たちと胡乱な男たちの斬り合いが始まる。

 千央は素早く身を捻り、屋敷から現れた手近な男の足に斬りつけた。尚季の手勢が死なないようにするのならば敵の手足を殺すに限る。肝要なのは一人二人を残すことだが、この乱戦でうっかり全員殺したり捕縛したりすると意味がない。
乱戦に陥ったものの、思いのほか群盗たちは落ち着いていた。否、むしろ検非違使との斬り合いに昂っているように見える。事の重大さがわかっていないのか、無法なふるまいに興じているのかはわからないが、どちらでも大差はないだろう。
都から遠く離れた地方では、治安を守るために豪族によって武士団が形成される。ほとんどの場合豪族の護衛などをつとめる武士だが、その地で持て余される乱暴者や人を害した者などが集まっていることも珍しくない。この武士団もそうした無頼者の集まりなのだ。だからこそ、都で夜討ちをするなどという無謀なことができたのだろう。
背後と正面、機を合わせて打ちかかってくる二人を躱してそれぞれ背中と腿をひと薙ぎし、二人が地に転がるのを視界の端に捕らえながら一瞥する。衛士たちも常日頃からの訓練の成果を発揮し、危なげなく賊を順に無力化しつつあった。賊が弱いというより、一人ひとりの行動がばらばらで連携がないためだろう――となると全滅が近い。そろそろ誰かに、首謀者のところまで案内してもらわなければ。

やけに大きな笑い声のほうを千央は振り返った。いつの間に現れたのか、熊のごとき巨漢が衛士を三人相手どって暴れている。力自慢であるらしく、大太刀を振り回し衛士の衣を掴んで投げ飛ばし、やりたい放題だ。これはいい。
「そこの熊、太刀を置けっつってるだろうが!」
わざと大声をあげて挑みかかっていくと、比較的軽傷の賊がじわりと距離をとり始めた。
掴みかかる大男の手を避けながら尚季と目を合わせる。彼も気づいているらしく、眉を上げて応じてきた。
あとはどちらか手の空いている方が、逃げた賊を追うだけだ。


 激しい殴打の音がして、門を預かる武士が中門から飛び出してきた。続けて二度、次いで三度。取り決めどおりの叩き方を確認して東門を開ける。すると血にまみれた武士が二人、もつれるように転がりこんできた。
「なんだ、どうした?!」
「た、たすけ…」
走ってきたらしい二人は答えることもままならず、激しく喘ぐばかりだ。どうしたものかと考える間もなく、門の外から声がかかった。
「屯所から逃げてきたんだよ」
声と同時に半開きの門扉が蹴り開けられ、松明を持った二人の男に続いて、更に数人が雪崩れこんできた。都に住む者なら誰でも知っている、明かりを掲げた火長とそれに続く衛士――検非違使だ。
「殿! 検非違使です、殿!」
門の武士が呼ばわると、小づくりの屋敷の奥から小柄ながら筋肉質な体躯の男が現れた。
「なんだ、騒がしい! 今宵これ以上の厄介を持ち込むな!」
怒鳴ってからふと口をつぐむ。門の内を、正しくは和田の屋敷の敷地内に転がりこんで激しく喘ぐ二人の賊を火長が照らし、その前に鈴木尚季が仁王立ちしていた。
「左衛門少尉、和田清重! 検非違使少尉、鈴木尚季である。都で夜討ちを行っていたと思しき武士団の追捕におよび、この二人がこの屋敷へ駆け込んだ」
和田の表情が歪む。さらに屋敷の中からばらばらと男たちが現れ、検非違使を見て一気に殺気立った。威嚇するように睨みつける。
松明に照らされた和田の顔を、千央は穴があくほど眺めた。
間違いない、佐伯連之の屋敷にいたあの和田だ。佐伯の屋敷には情報収集を兼ねて定期的に通っているが、和田が来訪するのは常に夜になる前だという話で、実際千央も遭遇したことはなかった。
和田はというと、地面に這いつくばる男たちを虫けらでも見るような目で見やってから、笑顔を作り反駁した。
「これはしたり、私には心当たりがない。賊を当方の屋敷へ追い込んでの濡れ衣ではないか」
「そう言い張るのは勝手だが、我々は逃げ去るこやつらを追ってきたまで。門扉を叩く数を合図にしていたことも確認済みだ。捕り物には弾正少忠の九条殿も居合わせられた。我ら検非違使のみで話を合わせているわけでないのはご理解いただけような?」
弾正と聞いて、和田がちらりと千央へ目をやった。訝しげだった表情がふと、苦々しげなものに変わる。佐伯の屋敷で遭遇したことを思い出したのだろう。千央の大柄な体格や胡人じみた風貌は印象に残りやすい。
怒りのこもった目をあちこちに走らせ、切り抜ける術を探しているらしい和田に、尚季は畳みかけた。
「汝も一味である疑いがある。聴取を行うため、太刀を置き速やかに同道願おう」
千央は門の内へ目を配った。さすがに物陰に武士を潜ませてはいないようだ。

 というよりも。地面は蹴立てられた跡があり、水かなにかを零した痕跡も見られる。たった今賊が飛び込んでくるより前に、ここでは何か面倒事が起こっていたのだろう。それは先ほどの和田自身が言った、「これ以上の厄介」という言葉からも間違いない。
検非違使は尚季や火長を含め五人、弾正台に属する自分、対して和田は己が屋敷のうちにあり、手勢が少なくとも十人はいる。さて、改めてここで斬り合いになるか。

和田は後方から何か進言する武士を制して首を振った。さすがに、都で検非違使を正式に敵に回すほど無謀ではないようだ。だがそれでも、悪意を隠すことはしなかった。
「……我が友、式部大丞たる佐伯連之が黙ってはいますまい」
「なに、誤りであればすぐにお帰りいただけよう」
腹の底から吹きこぼれる怒りを押さえつけるように答える和田に、厳しい表情のまま尚季が告げる。追って到着した放免たちが、和田に縄を打った。


 和田の追捕を見届けた千央が捕り物があった屯所に戻ると、ここでも衛士たちが賊たちを捕縛していた。そこそこ怪我をしている者もいたが、衛士たちも賊たちの中にも重傷者はいない。確認を済ませた千央は、手近な賊の衣で太刀の血を拭うと鞘に納めた。屯所の母屋の中から続々と、盗品と思しきものが運び出されてくる。大量の絹織物、蒔絵の細工が美しい髪箱や鏡箱、果ては銀製品まで。この武士団が群盗であることは間違いない。
衛士たちへの指示を終えた鈴木尚季が声をかけてきた。
「片付いたな。おまえも使庁に来るか?」
「もう十分だろ、俺は帰る。あとはそっちでやってくれ」
面倒だとか疲れたという心情まるだしで答えて火長から松明をもらい受け、千央は屯所を出た。事の次第は弾正台にも届いているだろうから、今から自分が行く必要はあるまい。
 一仕事終わった充実感以上に、今はとにかく腹が減っている。公鷹の屋敷へ行って飯をたかることにしよう。
時刻はおそらく亥の二刻あたり、普段の公鷹なら寝ている頃合いだ。二条大路や朱雀大路には篝火が焚かれているが、ちょっとした大路や小路は月や星の明かり以外に頼りはない。
あまり夜目が利くほうではない千央は松明を頼りに西洞院大路を北へ歩んでいった。土御門大路で東へ曲がろうとしたところで足を止める。

激しい息遣いと、よろめくような不確かな足取りの足音。体重は軽い。

通りの北側の暗闇からまろび出てきたのは、いつだったか見た童だった。確か、名は正。
「どうした。怪我してるのか?」
千央の言葉が終わるよりも早く、正はその場に倒れ伏した。