あれから、一週間がたった。

 今日も重い足取りで駅まで歩く。

 二人と別れたあとも、うつむいたままだった。

 ようやく駅へとたどり着く。駅員さんもいなければ、改札もない。いわば、無人駅。

 もう一つ先にある駅は栄えていて、人も大勢いる。

 距離はさほど変わらないのに、足が赴くのはここから見る景色が綺麗だからか、それとも一人になりたいからか。

 多分きっと、後者だと思う。

 階段を登って、古びた木のベンチに腰を掛ける。

 少し、高いところにある駅。

 周りにある家も、木も、人もすべて小さく見えた。

 これでもかというほど存在を主張する夕日。

 その姿は眩しくて、でも儚くて。

 とても輝いていた。

 あの日からを境に、染夜さんは放課後の帰る時間だけではなく、移動教室の時もそれ以外も

 「日那行こー!」とか「日那、一緒にやろうー!」とか日那ちゃんしか誘わなくて。

 何で?どうして?私、何かした?

 私も隣にいるのに。そう思う日々が続いていた。

 私も一緒じゃ駄目なの?三人で一緒にいちゃいけないの?

 なんて、問い詰める勇気もなかった。

 無自覚でしていたとしたら、余計にたちが悪い。

 日那ちゃんも優しいからすごく気に掛けてくれているのはわかる。

 素直に「私も入れて!」と明るく言えたらいいのに。

 でも、そう思う度に、日那ちゃんはそんなことしなくても輪に入れて、誘ってくれる人がいて、染夜さんだけじゃなくて皆に好かれていて、愛されていて、可愛くて。

 羨ましい。

 そう比べてしまう自分が出てきてしまって苦しくなる。

 日那ちゃんにあたるのはおかしいとわかっているけど日那ちゃんの近くにいると、どんどん自分が醜くなっていっているのが嫌でもわかった。

 苦しくて、辛い。

 前までは日那ちゃんみたいな人になりたい。と純粋に憧れていた。

 でも今はそれよりも暗くて、重いどろどろとした感情が私の心を支配している。

 いいな。日那ちゃんは。何で私は日那ちゃんみたいに生きることが出来ないのだろう。

 羨望が嫉妬に変わっていっているのがわかった。

 それでも、日那ちゃんと離れてしまったら私は一人になってしまう。

 それがどうしても怖かった。

 また、中学の時みたいに戻るんじゃないかと思ったら嫌で。不安で。

 せっかく高校に入って、今までの自分から脱却して変われたと思っていたのに。

 何も変われていなかったんだ、私は。

 ずっと弱いまま。

 結局、植え付いた記憶と性格はずっと背負っていかなきゃいけなかった。

 ここに座って、この夕日を見るとなんだか『お疲れ様』と言われているようで。

 この暖かなオレンジの光はまるで『大丈夫!ここにいるよ。』と言っているようで。

 私の涙腺を崩壊させるには充分だった。

 そんな夕日を見ながら「今日も、頑張った。」と呟いた途端目から涙が溢れ落ちた。

 誰もいない。誰も来ない。

 そう思ったら涙は止まることを知らない。

 まつげも頬もびしょ濡れで、スカートのポケットにいれていたスマホを取り出し自分の顔を見てみると、目も充血していてとてもひどい顔をしていた。

 ふと、ついたスマホの電源。

 時刻を見ると17時30分だった。

 電車が来るまであと、15分。

 早く来てほしい気持ちとまだこのまま、一人でいたい気持ちが交差していたその時だった。

 階段を登る足音が聞こえてくる。

 徐々に見えてくる茶色でハーフアップにした髪。

 同じ学校の制服。

 間違いない。あれは同じクラスの東君だった。

 一瞬、目があうと彼はそのまま近づいてきて私との間に人、一人分のスペースを開けて腰を掛けた。

 近くで見るとやっぱり男女の体格差があるからか大きい。

 そして、一番目を引いたのは田舎の穏やかな町並みにはそぐわない、耳に煌めくピアスだった。

 ていうか、今顔見られたくない。

 泣き止め。そう思うけど涙は止まることを知らない。

 我に返ったように私は下を向く。

 泣き顔なんてそう簡単に元通りなんて、出来るはずがなかった。

 そんな私の気持ちなんて多分知らずに、東君は話しかけてきた。

 「同じクラスの西原さんだよね?俺、東 龍。よろしく!」

 彼は爽やかに笑った。

 驚きだった。東君が私を認識しているだなんて。

 確かに同じクラスだけど、全然接点なかったし。
 話したことさえなかった。

 何なら東君は男子にも女子にも人気で、住む世界が違う私からしたら憧れの存在だった。

 そんな人とせっかく話せるチャンスなのに、泣いているところなんて見られたくなかった。

 だから、私はうつ向いて

 「…うん。よろしく。」

 とだけ返した。

 きっと感じか悪かっただろう。それでも今、東君の方を見て話すことなんで出来ない。

 確実にひどい顔をしているから。

 沈黙の時間が流れる。

 正直言って、気まずい。

 こんな状態じゃなければ、自分からもっと話しかけれただろうし、会話ももっと続いていたかも知れない。

 手に持っていたスマホの電源を入れてこっそり時刻を確認すると17時37分だった。

 電車が来るまであと8分。

 (…お願い、早く来て!)

 さっきまでの気持ちとは反対に電車が早く来てほしいという気持ちが強くなった時、

 「ここの景色さ、綺麗だよな。なんかおちつく。」

 と夕日を見ながら言った。

 「とくにさ、この夕日が綺麗だよな!」

 「…そうだね。」

 私は相変わらずうつ向いたままだった。

 地面しか見ていない私に突っ込むことなどせず東君は

 「だよなー!」

 と笑いながら楽しそうに言う。

 東君はどう思っているのかわからないが、あまりにも失礼な態度を取りすぎてきっと嫌われたと思う。

 最悪だ。

 もうこうやって、東君と話す機会なんてないかも。

 また、私の心が沈む。どんどん、曇っていく。

 「ねぇ、下の名前、玲架だよね?玲ちゃんって呼んでもいい?」

 「…え。」

 「俺のことは龍って呼んでいいからさ。」

 驚いて顔をあげた瞬間、パチッと音が鳴ったかのように東君と目があった。

 あまりにも急で反応が遅れた。

 それでも、嬉しいという感情がさっきかかった雲の隙間から徐々に現れたようで、私の心に光を差した。

 「だめ?」

 綺麗な目が私を捉える。

 駄目なわけがない。

 むしろ、嬉しい。

 「…いいよ。」

 そう口を開きかけたとき、プシューと大きな音がして電車が到着した。

 時刻は17時45分になっていた。


 *


 翌日。

 あの後、私はふと自分が泣いていてひどい顔であることを思い出し、もうとっくに遅いけど涙でぐしゃぐしゃになった顔を隠しながら、東君とは違う車両に逃げるようにして乗り込んだ。

 東君と逢うのが気まずい。

 学校に近づいていくにつれて、いつも重い足取りが今日は一段と重くなる。

 まるで足に重りがついているんじゃないかと錯覚するほど。

 (…あれは、幻覚。東君と駅で会ったのも、話したのも、泣き顔を見られたのも全部夢だった!だから大丈夫!)

 そう思うことにした。

 都合の良い夢を見ていたんだ。よく考えてみれば、東君があの駅に突然来るはずないし。

 私のこと知ってるなんて、しかも下の名前まで。

 そんなことあるはずがない。

 だからいつも通り。

 同じクラスだけど接点がない。

 遠くから見ているいつもの距離のままなはず。

 少しもやっとしたけど、それが良い。

 もし昨日のことが本当だったとしても、きっと日那ちゃんと近づくために私に話しかけてきただけだ。

 私は日那ちゃんみたいに可愛くないし、愛嬌もない。

 ここ二ヶ月ずっとそばにいたけど、皆が話しかけるのは決まって日那ちゃんだった。

 だから、東君も日那ちゃんと近づきたいだけなんだ。

 また、ネガティブな感情が支配する。

 そんな事を考えながら歩いていると、いつの間にか学校にたどり着いていた。

 (…あぁ、今日も憂鬱な一日が始まる。)

 下駄箱で靴を履き替えながらそう思う。

 周りには「おはよう!」と元気に言い合っている女子たちが目にはいる。

 私は、そんな人たちの横を静かに通り階段を登った。

 この学校は一年生のクラスが一番上の階に教室がある。

 長い階段を一歩一歩、ゆっくり歩く。

 だんだんきつくなってきて意図していないのに足が自然と重たくなっていった。

 そんな私を、元気の良い運動部の男子だろうか?

 重い荷物を持っているはずなのに元気に抜かしていった。

 (…はぁ、すべてしんどい。)

 どうして、こんなしんどい思いをしてまで教室に向かわないといけないのだろう。

 早く帰りたい。一刻も早くこの場所から去りたい。

 そう思っていても、時の流れは決して早くなったりしなかった。

 「ハァ」と何度目かもわからないため息をついたとき後ろから声をかけられた。

 「玲ちゃん、おはよう!」

 声でわかる。日那ちゃんじゃない。東君だ。

 「…おはよう!東君!」

 驚きつつも慌てて返す。

 「もう!東君じゃなくて龍でしょ!」

 「龍って呼んで!俺、玲ちゃんと仲良くなりたいからさ!」

 そう言って笑顔を見せる。

 期待するな。本当は私なんかじゃなくて、日那ちゃんと仲良くなるために仕方なく言っているに違いない。

 でも、やっぱりそんなこと言われて嬉しくないはずがなかった。

 ましてや、憧れの東君に。

 昨日の出来事が夢じゃなくて良かったと少し思ってしまった。

 催促するように視線が向けられる。

 慣れない名前を呼ぶことに胸がドキドキと音をたてる。

 「…龍…君。」

 「うん、なぁに玲ちゃん?」

 優しく問いかけてくる龍君に昨日とってしまったひどい態度を謝ろう。そう思って口を開く。

 「あの、…昨日はごめ…」

 「今日さ、一時間め何だっけ?」

 話をそらすようにそう言った。

 「…数学だよ。」

 「そっかー!数学か!教えてくれてありがとう!」

 わざとらしくそういう龍くん。

 きっと、分かっていてそう言ったんだ。

 私に気を遣ってくれたんだ。

 他の女子達が言っていたみたいに龍くんは噂通り優しかった。

 その優しさに、私は救われた。

 それからも、謝る隙なんて与えてくれず教室のドアの前まで来てしまった。

 ガラガラとドアを開けて、龍くんと一緒に教室へ入るとクラス中の痛いほどの視線が刺さった。

 主に男子の珍しいものを見るかのような視線。そして、女子の何でお前が一緒にいるんだよ。と言わんばかりの視線。

 すると、すぐさま日那ちゃんがいつも通り駆け寄ってきた。

 「おはよう~!玲ちゃん!と東君?」

 「おはよう。南さん。じゃーね!玲ちゃん。」

 東君は笑いながら私達の元から離れるとすぐさま自分の席の近くにいた男子の輪に混ざっていった。
 
 「おはよう。日那ちゃん。」

 私も挨拶を返すと、日那ちゃんは私と、離れていった龍くんを交互に見ながら口を開いた。

 「東君といつ仲良くなったの!?」

 大きい目をさらに大きくさせてそう聞いてくる。

 先程まで刺さっていた痛いほどの視線は、少し少なくなった感じだが(気になる!)という感じで、主に女子達が耳をそばだてているのがわかった。

 「昨日、駅でたまたま会っただけだよ。話したのも昨日が初めて。」

 日那ちゃんのテンションが徐々に上がり始める。

 「それで~。玲ちゃんって呼ばれてるんだ~!」

 にやにやする日那ちゃん。

 その姿も不覚にも可愛いと思ってしまった。

 私がそんなことしても、こんなに可愛くはならない。

 いつの間にか染夜達も加わっている。

 「でも、東君が女子を下の名前で呼ぶのって珍しくない?」

 「いいなー。」と長い髪をくるくる指でいじりながら言う雨宮さん。

 「西原さんの事、好きなんじゃない?」

 そうテンポ良く返した雲田 叶愛《くもた とえ》さん

 二人とも染夜さんと仲が良い、一軍女子だ。

 染夜さんと日那ちゃんが、仲良くなってからいつの間にかこの二人も輪の中に加わっていた。

 ていうか、勝手に盛り上がられても。

 そんなんじゃないし。

 龍君が好きなのは多分、日那ちゃんだし。

 その言葉はそっと、胸の奥にしまった。

 そんな事を言ってしまったら、自分がもっと惨めになる気がした。

 「ホームルーム始めるよー!席ついてー!」

 担任の霧矢先生が教室に入ってくる。

 「じゃあ、また昼休みに話そう!」

 そう明るく雨宮さんが言って皆、一斉に散らばった。

 私も自分の席につく。

 (はぁ、今日も一緒か。)

 胃がキリキリと痛みだす。

 でも、一人でご飯は食べたくない。

 それでも私は、あの人たちの会話に入ることが出来ない。

 空気みたいな存在になる。

 生き地獄のようだ。

 いても、いなくてもいい。そんな存在というのは。

 経験者にしかわからないだろう。

 日那ちゃんは普通に馴染んでいて良いなと思う。

 あの人たちといる日那ちゃんは、正直言って苦手だ。

 もちろん、日那ちゃんの事は大好きだけど。

 あの人たちのいる日那ちゃんを見ていると羨ましい。

 何で馴染めているの?

 私がいることで日那ちゃんはすごく気を遣ってくれている。

 私が日那ちゃんを縛っているんじゃないか?

 日那ちゃんは、私なんかといるよりあの人たちといた方が楽しいんじゃないか?

 いいな。日那ちゃんは。

 可愛くて。明るくて。運動も勉強もできて、愛嬌もあって。愛されていて。

 それに比べて私なんかって。

 黒いどろどろとした感情を抑えることができなくなるから。

 「…はぁ。」

 また、何度めかわからないため息をついた。