公園の駐車場に停めた車から降りると、青くさいけれど少し涼しい風が頬を撫でた。よくよく目を凝らして見てみれば、青い空の近くに黄色い絨毯のように、ひまわり畑が広がっている。
「うわ、すごーい!」
「ひまわり見にくるのはじめて?」
「うん、はじめて見る!」
友達のSNSで見たことはあったけれど、実物はこんなに綺麗なんて。はやく近くで見てみたい。
「早く行こうよ!」
そう振り返ると、佑は眩しそうに目を細めながらシャツの胸元からカラーレンズのついたサングラスをかけた。
「うわ、一瞬にして芸能人オーラ出た」
「うそ、やめた方がいい?」
「まあいいんじゃない? いまは芸能人じゃないし!」
別に夏だし日差しが強いから、サングラスくらい変なことじゃない。それにいまは、サングラスの下の素顔を見ようとする人なんていない。
公園のなかの上り坂を少し歩いて行くと、一面の黄色い花が、わたしたちのほうを見つめていた。その様は圧巻で、思わず息を呑んだ。
「これは……すごいね」
「だね」
真っ黄色の花びらは、太陽の光をしっかりと浴びて輝いて見えた。自然の生命力が直接伝わってくるようだった。
「見て、佑! めっちゃきれい!」
「見てる、見てるよ」
わたしの身長くらいから、ゆうに超えるくらいの高さがあるひまわりを見ているだけで、気分がとても明るくなった。色々考えるべきこともあるけど、そんなのが飛んでいくくらい、わたしはひまわりに魅了されていた。
見ているだけで、勝手に笑顔になる。
ーーそれはまるで。
「なんか、佑みたいだなぁ」
「え?」
佑のサングラスの下の目が、丸くなっていた。
「みんなを笑顔にしてくれるところとか、似てると思わない?」
「……そうかな」
「そうだよ」
近づいてじっくりと見てみる。緑の太い茎はまっすぐに空に伸びていて、空へと背を伸ばしていた。
「こんなに綺麗だなんて思わなかったな」
「波音、こっち向いて」
なに、と言おうと振り向くと、カシャッとシャッター音が聞こえた。佑はスマホを持って、してやったりというような表情をしていた。
「……え」
写真、撮った。
今まで一度も撮られたことがなかったのに。
「なに、だめだった?」
「う、ううん! ちがう、嬉しくて」
何回か出かけてきたけれど、佑はほとんど写真を撮らなかった。メンバーといるときは山ほど写真を撮って、ブログや雑誌に載せていたし、写真を撮るのが好きだと何かで言っていた。
そんな彼が、わたしと一緒にいるときは写真を撮らなかった。それは、”そういうこと”だと思っていたのに。
「綺麗に撮れたよ」
その腕前は、実際の写真を見てみなくても知っている。
本当に、佑が撮る写真は美しい。いつか個展を開いてほしいと思っていた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
それから、ぷらぷらとひまわりを見ているときも、佑は何度か写真を撮った。でもそれは、どれもわたしや風景ばかりが被写体になっていて、自分が映っているものは一枚もなさそうだった。
それもそうか、自撮りしたところで載せる媒体はないし、一般人の、しかも男はそうそう自撮りなんてしない。
「ねえ佑」
「んー?」
佑はひまわりの近くに寄って、写真を撮る。その姿を、わたしは撮る。
「あ、いま撮ったでしょ」
「だめだった?」
「事務所通してください」
「うわ冗談キツ」
あはは、と佑は声を上げて笑った。その楽しそうな姿も、写真に収める。
たぶん今日のことは、これからもよく思い出すだろうな。
きっと、あのときの佑は、といろんな表情を思い出す。時間が戻ればいいのに。あとあと写真を撮っておけばよかった。なんて思わないように、たくさん写真を撮っておこう。
ひまわり畑の畝の中に入る。背の高いひまわりたちに、わたしはあっという間に囲まれる。
「佑! 来て!」
「はいはい」
佑が隣に来たのを見て、わたしはスマホを持った腕を伸ばす。
「撮ろ」
「ツーショ?」
「うん。いや?」
「いいえ、全然」
佑はわたしの手からスマホを取って、腕を伸ばした。画面の中に、微妙に間の空いたわたしたちが映っている。
「はい、撮るよ。もうちょっと寄って」
「ええ」
これ以上寄るのか……!
ただでさえ、こんなに近いのに!
いやでも、少し勇気を出せば。
わたしは横に一歩踏み出す。それでもまだ少し遠いけれど、これが限界。
「はい、撮るよー」
そのとき、ぐいっと佑がわたしの顔に顔を近づけた。
ーーう、近い!
「はい、チーズ」
心臓がドキドキしてきた。頬が上気しているのを感じる。
カシャ、と小さくシャッター音がした。
「……うん、いい感じ」
「あ、ありがと」
「いいえ」
緊張した。
あんなに佑の顔を近くで見たのは、雑誌だけだ。全部があのまますぎて、心臓が縮みそうだった。
「巴音、行こ」
当の本人は、近づいたことも何もかも素知らぬ様子で、次の場所へと行こうとしていた。
意識したのは、わたしだけか。
……そりゃそうだ。なんでもない、ファンの女の子へのサービスでしかないのだろうから。
そう考えてしまうのと同時に、でも今だけは、自分だけの佑だと勘違いしてしまえばいいのに、と思う自分がいる。
そしてわたしは、そう思ってしまうわたしが、少し嫌だった。
ひまわり畑から離れて、広い公園の中をのんびりと散歩する。8月の下旬になってもまだまだ暑さは収まる様子もなく、強い日差しがジリジリと肌を焼く。それでもアスファルトだらけの街よりかは、風が涼しいような気がした。
「そろそろ休憩しようか」
「だね。たしかあっちにカフェあったよね」
「うん、行こう」
カフェに向かう道中で、森のアスレチックがあった。
「アスレチックあるんだ」
「やる?」
「むり、運動音痴だもん。佑こそやれば? ダンスもできるしいけるでしょ」
「ダンスと運動は別物。残念ながら俺も運動音痴」
でも、どんな感じか行ってみたいよね、という話になり、わたしたちはアスレチックへと歩いていく。近づいていくにつれ、人だかりができていたことに気がついた。
「なにかあったのかな」
「どうだろ……」
顔を見合わせながら進んでいくと、コンサートの収録に入っていそうな大きなカメラが目に入った。ということは、なにかの撮影中なのだろうか。
「撮影、ぽいね」
「だね」
誰が来てるんだろ、とぼーっと見つめていると、人垣の間からちらりと覗いた人影に、わたしは息が止まりそうになった。
心臓がドキンと暴れ出す。
あれはーー。
間違いない。あの動き方、背の高さ。
「ーー翔平」
「え?」
思わず立ち止まった。
目を凝らしてじっと見てみれば、そこにいたのは翔平だけじゃなかった。凛斗に和哉、晴太。
ーーMerakのメンバーたち、佑を除く全員がいた。
「……凛斗くん」
隣で、佑が呆然としたようにつぶやいた。やっぱり一番に口にする名前はそれなんだ、りんたすの絆は本物なんだな、と不謹慎なわたしが心の中でつぶやく。
それでも、ここから離れるべきだというのはわかっていた。
佑の方を見たけれど、動く気配も見せずに、その場でじっと彼らのことを見つめている。サングラスをしているせいで、その表情から感情は見てとれない。
「ねえまって、和哉いるんだけど!」
「うわやば! 全員いるじゃん!」
「あれってMerak? 撮影してるね」
「見に行ってみる?」
全員じゃない。あそこに佑はいない。
甲高い女の子たちの声から”全員”という声が聞こえてきて、心の中で反論する。
女の子たちの声にどんどん人が集まってくる。一刻も早く離れた方がいい。またあの花火大会のときみたいに、声をかけられでもしたら。でもそんなのは杞憂なのか、女の子たちは佑になんて目もくれず、すり抜けて行く。
……そうか。これが、透明人間になるということか。
今になってやっとわかった。佑がなりたかったものが。
「じゃあ凛ちゃん行ってくださーい!」
「えー、高いところ苦手なんですけどがんばります」
凛斗らしい適当な意気込みが聞こえて来て、アスレチックへと歩き出す。それを追いかけるように人だかりの一部が動いて行くのを、わたしたちは遠目で眺めた。
「……なんで俺は、あそこにいないんだろ」
その声が落ちて来て、心臓が掴まれたように痛んだ。
聞かないふりをしたかった。でも、聞こえてしまったのだからそうはできない。
ドキン、ドキンとさっきとは違う意味で心臓は速くなる。
戻りたいのかな。
……ちがう、佑は、あそこに戻るべきなんだ。
どれだけ本人が辛い思いをしていたとしても、佑の居場所はMerakで、あそこで、煌びやかなステージで。
こんな女の子たちにすり抜けられるような場所に、佑はいるべきではない。
「……佑」
名前を呼んだ。いくら名前を叫ぼうにも、振り向いてくれることなんてなかったはずの彼は、今ではいともたやすく振り向いてくれる。
「ごめん、……行こっか」
そうして少し困ったように眉を下げて笑う佑に、わたしはうなずく。
一歩先を佑が歩く。わたしは、その背中を見つめながら、ふとあのときと同じだと思った。いまでもまぶたの裏に焼き付いている、あの日、春のツアーのオーラスで、ステージの向こうへと消えて行く佑の姿。
この間はそう思わなかった。
でもいままた、佑の背中は消えそうになっている。
後悔してる?
本当は、Merakにい続けたかった?
そう問いかけてみても、笑顔ではぐらかされて答えは教えてくれないだろう。
「……っ」
なんとなく視線を感じた気がして、振り向いた。遠くにいるはずの翔平と、目があった。
……こっちを見てた? 佑を?
「巴音?」
「あ、ごめん! 今行く」
きっと、気のせいだ。
だって知るはずがないんだから。
いまの翔平たちにとって、佑はメンバーではない。
ーーそれは、本当に?