お店の片隅のソファーと椅子とテーブルがある区画で、マスターさんとスバルさん、コヨルさんが一通り近況報告や雑談をしながらお茶を飲んで穏やかに過ごす。ぼくはコヨルさんにおやつをもらって食べながら、その話に聞き耳を立てていた。どうやらスバルさんとマスターさんは、昔からの知り合いのようだ。
 話が一区切りした段階でスバルさんがふかふかの白いソファーに腰掛けたまま伸びをして、やりますかとばかりに気合いを入れ直した。
 マスターさんは、小さく頷いてスバルさんの向かいの椅子で足を組み替え座り直して、コヨルさんは商談の始まる気配を察して邪魔をしないようにか、お店のお掃除や開店準備に勤しんでいた。
 ぼくはマスターさんの膝に乗りながら、改めて正面の男を見る。

「……」

 背が高いと思っていたマスターさんよりもさらに大きなスバルさんは、顔を覆い隠す黒いフードを取るとさらさらの綺麗な金色の髪をしていた。
 それはぼくの瞳とそっくりで、お月さまの色にも似ていて、思わず眩しく感じてしまう。
 襟足が少し長くて、そこにリボンでもしてくれたら先程のコヨルさんみたいに飛びかかるのにと視線を向ける。
 すると髪の間から揺れる銀色のピアスが見え隠れして、うずうずとしてしまった。
 お店では気をつけるように注意されたばかりだから、我慢したけれど。

「……いやー、それにしてもさ、こよるちゃんよく働くね」
「うん。お客様への接し方も素晴らしいからね、いつも助かってる」
「へー……夜永くんって生活力ないし、マジでいつか野垂れ死んでないか心配になるけど、こよるちゃん居てくれるなら安心だわ」
「……きみは僕の保護者かな? どっちかというと、スバルのがどこほっつき歩いてるのか謎だし、どっかの国で野垂れ死んでそうだけど……」
「ははっ、確かに。でも不定期とはいえこうして顔出してるんだからさ、安心してよ」
「ん……迷子になったら意地でも店に来て」
「ガチ迷子になったら普通目的地には辿り着けないんだよなこれが……」
「……だから、迷うなってこと」
「ふ……はいはい、わかったよ」

 穏やかに言葉を交わす二人に、聞きたいことはたくさんあった。二人の関係も、スバルさんが普段どこで何をしているのかも、何故彼が雨の夜にしか現れないのかも。
 けれど、今は言葉が通じるようになる『星座の物語』を飲んでいなくて正解だと感じた。
 コヨルさんが席を外しているように、部外者が口を挟むことではない気がしたのだ。

「……」

 ぼくはまだ、居候の身だ。弱った野良猫は冬を越せないから、このお店に住まわせて貰っているだけ。
 死ぬ前にリョウヤくんに一目会いたい、そこためにここでその時を待っているだけの、部外者。

 そう考えると、少しだけ寂しくなる。命を救われた上優しくしてくれて、温かな時間を共に過ごしてくれるマスターさんとコヨルさん。ぼくと同じように夜に迷う人たちが立ち寄り、たくさんの迷いや涙が笑顔に変わる不思議な場所。
 お客さんが居ない時にはのんびり深夜のティータイムをしたり、薬のことを教えて貰ったり、静かに読書をする横顔を眺めたり、そんな穏やかで居心地のいいこの空間が、ぼくは大好きだった。

「さて、とりあえずそっちがいつもの仕入れと……それから、こっちが今日の目玉、夜永くんにだから見せるとっておきだよ」
「……?」

 ぼんやりと考えている間に、スバルさんは商談を開始していたらしい。机の上に開け放たれたトランクの中には、見たこともない花や葉っぱ、それから不思議な色をした液体の入った小瓶や、薬の材料とは思えない綺麗な宝石のような塊がぎっしり詰め込まれていた。
 それらを値踏みするように手にとって確認していたマスターさんも、不思議そうに首を傾げ、スバルさんの手元を見た。

「じゃーん!」

 スバルさんの手のひらの上、黒い布に包まれた何かが、もぞもぞと動くのが見えた。そして彼がそっと包みを開くと、中からキラキラと光る小さなものが飛び出したのだ。
 ぼくは驚いてその場で大きく跳ねる。

「!?」
「これは……?」

 マスターさんも一瞬驚いたようにしたけれど、どちらかというとぼくのジャンプに驚いたみたいで二度見されてしまった。ちょっと恥ずかしい。

「光る、蝶々……?」
「お、夜永くんには蝶々に見えるのか」
「……? 違うのかい?」
「こいつはさ、見る人によって姿を変えるんだ」

 そう言ってスバルさんは、いろんな色に揺らめく綺麗な色をしているそれを目で追う。そして光の粉を軌跡のように散らし飛び回るその不思議な小鳥を人差し指の背に乗せて、そっと微笑む。
 その光る生き物は、ぼくには昼間窓の外でよく見かける雀に似て見えた。

「ちなみに俺には、かわいい女の子の妖精に見えてるよ」
「……へえ、面白いな……こよるさん、ちょっと」
「はぁい、お呼びですか?」
「きみにはあれ、何に見える?」

 棚の中の小瓶を取り出し丁寧に拭いていたコヨルさんが、マスターさんに呼ばれてひょこりと顔を出す。
 すぐにスバルさんの指先の輝きに目を奪われたのか、彼女の大きな瞳にキラキラが反射して、星空のように見えた。

「まあ、綺麗ですね……! わたしにはキラキラのくらげさんに見えます!」
「くらげか……なら飛ぶ姿は泳いでいるように見えるのかな」
「はは、全員違うみたいだね」
「……それで、これは何なんだ?」
「これはね、『オーロラと流れ星の子供』なんだ」
「……オーロラと流れ星の、子供?」

 コヨルさんが思わずおうむ返しのように聞き返すと、スバルさんの指先から小鳥、あるいは妖精や蝶々やくらげが離れ、店の中を見て回るように飛び回る。ぼくはその動きが気になって、そわそわとしながら目で追った。

「うん。オーロラってさ、夜空を覆うカーテンみたいで綺麗じゃん? その奥で輝く星は変わらないのに、皆オーロラに夢中で気付かない」
「まあ、それは確かに……」
「そんな切なく美しい凍える夜に、誰にも知られないまま燃え尽きて流れる星の命。最後の力を振り絞って……流れ星自ら願うんだ、誰かにこの光を、生きた証を見届けて欲しい……ってね」
「……そうして生まれたのが、『これ』なのかい?」
「そ。オーロラが夜空で揺らめきながらその願いを包んで、星の煌めきの欠片を宿した命の名残は、こうして願いを叶える流れ星の側面を持って『見る人によって姿を変える』効果を持つ。……つまりこれを材料にして薬を作れば、使用者が姿を変えることも可能だと思うんだよね」
「……望む姿を見せられる変身薬ってことか、すごいな、魔法みたいだ」
「日頃から魔法みたいな薬作っといて何を今さら」
「……このくらげさん、お薬のために殺しちゃうんですか?」
「あー……殺すって言っても、これは命であって命じゃないから……残像や蜃気楼みたいなものだよ」

 星の願いで生まれたキラキラと美しく舞うその奇跡のような小鳥は、薬の材料にされてしまうのか。
 そんな憐憫と名残惜しさについ目で追っていると、ふとその小鳥がある小瓶に止まろうとするのに気付いた。

「あ……っ!」

 それは、コヨルさんがマスターさんに呼ばれるまで拭いていて、棚から出しっぱなしにしていた小瓶。
 その重力なんてなさそうな身軽さでも、小鳥が乗れば当然のように小瓶は傾く。

「……シャハルちゃん!?」

 咄嗟だった。瓶が落ちて割れないようにと慌ててその下に駆け込んで、僕は強かに頭をぶつける。
 するとぼくの頭がクッションになったのか、小瓶は割れず、ころころと床を転がっていった。

「まあ、大丈夫ですか!? ごめんなさい、わたしがちゃんと片付けなかったせいで……」
「いや、僕のせいだよ。仕事をしてくれてるこよるさんを呼んだから……」
「いやいや、俺が放し飼い? にしたせいだし、マジごめんね」
「ううん、へいき……ぼくが勝手に、思わず飛び出しただけだし……」

 ヒリヒリと痛む頭をみんなが順番に撫でてくれる。心配される喜びと、手のひらの心地好さと、みんながそれぞれ自分が悪いと謝る光景がなんだか面白くて、ぼくはつい笑ってしまう。

「……それにしてもネコちゃんすごいじゃん、薬守ろうとしたんだ?」
「ふふ、さすがうちの従業員だろう? 彼にも望みがあるから無理強いは出来ないけれど……気持ち的には冬の間の居候じゃなく、立派なうちの子だしね」
「そうですね、シャハルちゃんは、お薬の大切さもちゃんとわかるお利口さんですから。だからわたし、いつもシャハルちゃんにお薬のこと教えてるんですよ。……いつか、わたしの代わりに店番をしてくれるかもしれませんし」
「二人とも……」

 さっきまでぼんやりとした不安に占拠されていた心が、一気にぽかぽかとする。
 またいつか『リョウヤくんに一目会いたい』っていう願いを、諦めたわけじゃない。それでもぼくは、まだここに居てもいいのかもしれない。そんな風に思えた。

 オーロラと流れ星の子も、流れ星らしく願いを叶えたよとでも言いたげな様子で、優雅に羽を揺らしていた。


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