学祭の曲は結局、Earl Gressiveの『魔術師』とOfficial髭男dismの『Pretender』そしてVaundyの『ホムンクルス』に決定した。三曲でいいのかと聞くと、北田は「俺は何曲でもいいけど」と言ったが、弓野が「それ以上できねーよ」と言うのでその三曲になった。

 決定したものの、ちょうどテストの時期が来て、部活動も停止になったため、夏休み前は個々に練習し、夏休みに入ったら本格的に合わせ始めることになった。

 その日はテストの最終日で、午前で下校となる日だった。
 響はテストが終わった開放感から、数日まともに弾いていなかったギターをアンプに繋いで思い切り弾きたくなり、持ってきてはいなかったが、部室に古いのが転がっていたはずだと思いついて、生徒が続々と帰宅していく中、部室へと向かった。
 卒業生が新入部員の練習用にと、何本か置いていったものがある。それを探そうとしていたら、真新しいギターケースが目に留まった。
 誰かの持ち物だろうか?と考える。
 しかしテスト前二週間は、大会が近いなどの切羽詰まった理由がない限り部活動は禁止で、鍵も教務室に保管されている。今日は顧問から直接借り受けてきたし、停止前に鍵をかけたのも響だ。そのとき、こんなものはなかったはずだった。
 もしかしたら、先生が卒業生からの寄贈品かなにかを置いていったのかもしれない。
 そう考えて、響はギターケースを開けた。
 エピフォンのエレアコ──エレクトロニック・アコースティック・ギターだ。
 手にとって鳴らしてみる。いい音だ。
 椅子に座って、チューニングをする。エピフォンなら、と考えて、なとりの『Overdose』を弾き始めた。
 イントロを弾き始めたら自然と声が出て、いつしか歌も口ずさんでいた。

 なとりを弾くならアコギに限る。
 響はアコギを持っていない。湊が自宅にいた頃はたまに借りて弾かせてもらっていたが、引っ越してしまってからは手にしておらず、久しぶりのことだった。

 そのとき、いきなりドアの開く音がした。
 響は飛び上がるようにして演奏を止め、椅子から立ち上がった。

 まさか歌声を聞かれていないよな?
 動揺していることが悟られないように、平静を装う。
「なんだ恭平か」
 恭平はスタスタと部室に入ってきて、見渡すように視線をあちこちに向けている。
「響一人?」
「えっ? うん、見りゃわかるっしょ」
「今、歌ってた?」
「えっ? 何が?」ドキリとする。
「歌声が……」
 恭平がおかしいな?というように首をひねったのを見て、身体中からドッと汗が噴き出る。
「これ、流しながら弾いてたから」
 震える手でスマホを素早く操作して、『Overdose』を流した。
 恭平はスマホと響の顔を探るように交互に見たあと、響が手にしていたエレアコのところで目を留めた。
「それ、俺の」
 跳ねるように立ち上がり、慌ててエレアコを持って恭平に歩み寄る。
「あ、ごめん! 卒業生からの寄贈品だと思って」
 受け取った恭平は、未だに納得がいかないというような顔をしていたが、椅子に座ってエレアコを鳴らすといつもの表情に戻った。どうやら誤魔化せたようだ。
「さすがチューニング完璧」
「あ、えっと、なんで恭平が……その、エレアコなんて」
「ああ、今日はこれを録る。家だと響くから」
 エレキギターと違って、エレアコは母体がアコギだから音が大きい。なるほど、と納得したが、している場合ではない。
「ギターも弾けんの?」
 恭平はちらりと一瞥しただけで何も答えず、エレアコを弾き始めた。

 おいおい、と冷や汗が出る。響ほどのレベルではないものの、軽音部の誰よりも上手い。
 リフから入ってコードに移る。アコギ独特の旋律とメロディが心地よく、聴いているだけで映像が浮かんできそうな曲だった。
 月夜の下、静かな海の波の音……誰か大切な人と一緒にいて、幸せなはずなのに幸せ過ぎて不安で、一秒でも離れたくないというような──
 演奏技術に感心すると同時に、いい曲だと惚れ惚れとして、自分でも弾いてみたくなってきた。

 弾き終えて、拍手の代わりに言葉をかけた。
「驚いた。ギターまで弾けるとは。しかもめちゃくちゃ上手いし」
「響に聴かせるレベルじゃないが」
 照れくさいのか、恭平は視線を合わせずにエレアコをいじっている。
「何言ってんの。めちゃくちゃよかった。今の誰の曲?」
「……俺の曲」
 聞こえないほどの声量で呟いて、立ち上がってアコギを机の上に置いた。
 なんだって? 今なんて言った?
 口をパクパクさせるだけで、言葉として出てこない。
 驚いて固まっている響の横を、平然と通り過ぎた恭平は、いつもとは違うアルミケースを持ち出して、セッティングを始めた。
 響は理解が追いつかず、呆然として、恭平の行動を目で追うしかできない。
 そんな響を尻目に、恭平はエレアコをアンプに繋いで鳴らし、横の机に置いたパソコンを操作し始めた。
「今のは、恭平の曲ってこと?」
 混乱した響の声は、ギターの音でかき消された。
「歌だけはできないからボカロだけど」
 そう言って、再び同じ曲を弾き始めた。

 響は驚き、圧倒され、感動して打ち震えた。
 曲を作っている? 恭平が? こんなかっこいい曲を?
 凄すぎる。兄貴と同じ……いや、それ以上だ。こだわりなのか、性分なのか、一人でバンドのほとんどを演奏してしまうなんて。
 などと驚いていたが、恭平の曲は好みのど真ん中だったこともあり、演奏を聞くのに夢中になってきて、驚くどころではなくなった。

 しばらく酔いしれるように聞いていて、ピンとくる。
「これ、もしかしてこの間録ってたドラムの曲?」
 恭平はすぐには答えず、最後まで弾き終えたあと、おもむろに口を開いた。
「そう。最近はなるべく生音を使ってるから」
「え……最近はって、他にも何曲かあるの?」
「まあ」
 恭平は視線を合わせない。表情は不機嫌そうなほどで、ぶすっと口元を結び、これ以上話したくないとばかりに再びレコーディングを開始した。

 他にも曲かあるなら是非とも聞いてみたい。ドラムとギターだけでもツボだなのだから、完成した楽曲はどれほどのものかと、演奏に聞き入りながら、ウズウズとした気持ちが高まっていた。

 一段落したのか、恭平がギターの手を止め、椅子の背もたれに身体を落ち着けたのを見計らい、今がタイミングだと捉えて近づいた。
「ニコ動とかYouTubeに投稿してる?」
 恭平はわずかに肩を震わせ、視線を壁に向けたまま静止した。
 じりじりと期待して、恭平の口元が言葉になるのを見守る。
「──してる」
 思わず歓喜の笑みがこぼれる。ここまで凝ったことをしておいて、自己満足で終わるはずがないだろうと思っていた。
「まじ? アカウント教えて!」
「なんでだよ」
 恭平は視線を下げ、再びエレアコをいじり始める。
「なんでって、聞きたいからに決まってるだろ?」
「……大したことない」
「大したことあるよ! めちゃくちゃかっこいいじゃん!  教えろよ! てか、なんで隠してたんだよ?」
「……響だって隠していただろ?」
「何が? ……えっ?」
 アルグレのKawaseと兄弟だったということを言っているのだろうか?と思い当たる。
「いやそれは、だって……俺のことじゃないし」
「お前のことだろ?」
「そんなことより、全世界に向けて投稿してるんだから、クラスメイトに教えるくらいいいだろ?」
「……リアルの知り合いに知られたくない」
「なんでだよ」
 そう答えたものの、恭平のその気持ちは理解できるものだった。
 自分で曲も作っていないやつに、面と向かってわかったように批評されたくはない。ネット越しならスルーできても、リアル相手だと逃げることはできないし面倒だ。
 響も湊のことで散々言われた覚えがあったため、気持ちはわかる。しかし──

「頼む! 誰にも言わないから。お願い! 聞いてみたい。さっきの曲もめちゃくちゃツボだったんだ。他のも聞いてみたい。頼む!」
 精一杯真剣に頼み込むと、恭平は逸らしていた視線をこちらに戻した。
 探るような目を向け、数秒ほど見つめ合う。
 やがて恭平は観念したように息を吐いた。
「Kyo」
「えっ?」きょう?
「アルファベットだ」
 早速スマホを取り出してニコ動のアプリを──
「今ここで検索するな」
 すぐさま聞きたかったのに怒鳴られたので、「じゃ、また来週!」と言って、ここではない(・・・・・)場所へ向かうために部室を後にした。