一ヶ月はあっという間に過ぎ、とうとう学祭の前日になった。
学祭前の一週間は午前授業で、午後は準備に費やされる。響たちの準備はといえばただ練習をしまくるのみだ。
「Doinelデビューの日じゃん」
今夜とうとうDoinelとして曲をアップする。その期待とライブの不安が混じり合い、恭平と部室で練習をしながら二重に落ち着かない一日を過ごしていた。
「明日だろ」
拍子抜けするほど素っ気ない言葉が返ってきた。恭平は基本的にクールだから仕方がないとはいえ、もう少し興奮するなり緊張した反応を見せて欲しい。
「でも今夜アップするんだろ?」
「するけど、響が先にアップしたから感慨もなにもない」
素っ気ない態度は、もしかしてあの一件のせいだったのかと頭をよぎる。
「ごめん」
「あ、いや、まあ、とにかく」言葉を濁したあと咳払い。「明日こそが本番だ。客なんてろくに来ないかもしれないが、万が一にも動画を撮られるかもしれないから──」
「そんなバカな」
「一応、まともな格好をしてきてくれ」
「え? 制服じゃないの?」
「制服でもいいが、俺は私服を持って行くつもりだ」
「まじ? 早く言ってよ!」
「そういうことで、一緒にデビューを祝うのは明日にしよう」
「なに? デビューを祝うって?」
「いや別に。ただ二人で何か喋ったり……」
「打ち上げ的な?」
「そう! 打ち上げ。ずっと忙しかったから、終わったら打ち上げしよう」
「珍しいことを」
「その日、親父は夜勤だから学祭が終わったら俺ん家に来い」
「……うん」
この一ヶ月は練習に集中していたから、恭平への妙な欲望は抑えられていたはずなのに、今の言葉で一気に蘇ってしまった。
夜に、しかも恭平の家で二人きり。想像するだけで手が汗ばむ。
今夜初投稿して、明日は初ライブで、そんな大事な時に気を散らせるようなことを言わないで欲しい。
そう心の中で恭平を責めつつも、打ち上げで慰め合うことにならないように、最高のパフォーマンスを見せてやると意気込み、より気合いが入ったのだった。
自宅へと帰った響は、リビングに湊がいて腰を抜かしそうになった。
「いつもいきなり過ぎね?」
「母さんには先月から言っておいたぞ。お前が話聞いてねーだけだろ」
そんな話を母から聞いた覚えはない。それどころかここ一ヶ月は、まともに両親と顔を合わせた記憶がなかった。
「音楽に夢中になるのもいいが、家族を召使いのように考えるなよな」
中学高校と自室に鍵をかけて引きこもっていたくせに、なにを言ってやがるのかと、思わず口について出そうになる。
「いつまでいるの?」
「なんだ、その嫌そうな顔は」
「そんな顔してない!」
「帰るのは明日の夕方。オフだから仲間と旅行に行くわけ。こっち方面だったから、実家に顔出すために俺だけ前乗りしてんの。明日迎えが来る」
「ふーん」
響たちの出番は午後の一発目だから、その予定なら見に来ることができる。しかしKawaseの弟だと知られているのに、その当人がやってくるなんて考えるだけでゾッとするため、口が避けても言えない。
「学祭でライブするんだろ? 母さんと行くから」
「はあ? なんで知ってんの?」思わず大きな声が出た。
「母さんから何ヶ月も前に聞いてるよ。めちゃくちゃ楽しみにしてたぜ? 去年教えてくれなかったから今年は絶対に行くって」
親というやつは、なぜ内緒にしているのかその理由を考えないものかと呆れた。
しかし問題は親よりも湊だ。Kawaseだと騒がれでもしたらライブどころではない。
「自分の知名度わかってる?」
「仁美ならまだしも、俺の顔なんて誰も知らねーよ。帽子と伊達メガネかければ気づかれん」
信じられず、眉根をひそめた。
「疑ってんな? まあ、明日見とけよ。誰も気づかねーから」
そのすぐあとに、珍しく父も早く帰宅してきたので、久しぶりに家族全員で食卓を囲んだ。
夕食を終えて最後の練習とばかりに自室へ向かい、エレアコ片手に歌っていると、湊が入ってきた。
「ノックしろよ」
「したって聞こえねーだろ?」
湊の前では練習しづらい。よりにもよってなぜ今夜帰宅したのだろうと、胸の内で舌打ちをした。
「なんだよ。弾かねーのかよ」
「プロを前にして弾けるかよ」
「なにそれ? 差別的発言!」
「何バカなこと言ってんの?」
「お前は上手いよ。アレンジはまだまだだが、純粋な演奏力で言えば俺に匹敵する……いや、正直俺より上手いかも」
「嘘つけ!」
「本当だ。それに歌も……お前は忘れてるかもしれないけど、ガキの頃、お前に『二度と俺の歌を歌うな』って言ってしまったことがある。あれも同じだ。嫉妬して思わず言っちまった」
「え……下手だからじゃないの?」
「俺が一度でも下手なんて言ったか?」
聞かれて考えてみた。
──下手だとは言ってなかったかもしれない。
「ギターも俺より遅く始めたのに、上達は早いしセンスもあってムカついてたところに、俺の曲を簡単に歌いこなして、しかもそれがめちゃくちゃ良くて……弟だぞ? しかも小学生の。腹立つだろ?」
響は唖然として、口を開けたまま硬直した。
自慢の兄であり心から尊敬していた湊が、嫉妬なんかの感情で小学生の弟の自尊心を貶めるなど、考えつきもしなかった。恭平と親しくなる以前だったら冷静に聞くことができず、受け止めきれなかったかもしれない。
「なに驚いた顔してんだ。恥ずいだろ? 黒歴史だ。プロになれなかったら一生言えなかったかもしれん」
驚きすぎて逆に呆れてきた。
湊のプライドの高さは重々承知していたが、さすがにここまでとは思わなかった。
「打ち明けてすっきりした。だからもう安心してお前の歌もギターも聞けるから、弾いてもいいぞ」
「そう言われて、わかりましたって弾けるかよ」
「弾けよ。どうせ明日聞くんだ」
「もう今夜は終わりだ。これからやることがあるから」
そろそろDoinel初投稿の時間だった。これ以上湊の相手をしている暇はない。
響はアコギをスタンドに置いて、兄を尻目にデスクチェアに座って背中を向けた。出ていけよ、という無言の圧力である。
「ふうん」
湊は後ろから響のスマホを覗き込んできて、一向に出ていこうとしない。
「失礼だぞ?」
振り向いて怒鳴ると、はいはい、と湊は片手をあげて部屋を出ていった。
弟のことをなんだと思っているのかと脱力した。勝手に嫉妬して傷を負わせておいて、今度は手のひらを返したように応援してくれている。
それでも、今さらとはいえ弟に対して素直に謝罪したのだ。プライドの高い湊にとっては相当な努力を要したことだろう。それを思うと、ライブの前日に話してもらえてよかったのかもしれない。ひとつの懸念もなくライブに臨むことができるからだ。
湊のおかげでギターに出会い、音楽を好きになれた。授業で歌うだけでなく、バンドで歌う喜びを知ることができた。そう考えると、湊には感謝以外に思うことはないのかもしれない。
22時に投稿して、同時にチャンネル名も『Doinel/Kyo』に変えると言っていた。
──あと三分。
デスクチェアの上で正座をして、電波時計を見ながらカウントした。
3・2・1・0!
画面に『ツキカゲ』が現れた。
急いでYouTubeに切り替える。こちらにも同じ動画がアップされていた。
流してみると、自分の声が聞こえてきた。
『ディスコミュニケーション』のときとは違う。今度は自分たちのオリジナル楽曲としてアップしたものだ。
何度も聞いて耳にタコができているほどだが、何度聞いても良かった。恭平の曲はかっこいいし、自分の声もこれ以上ないくらいにハマっている。感無量だ。
嬉しくて何度も繰り返し聞いていたら、明日の準備をしなければいけないと思い立ったときには一時間半も経っていた。私服を用意しなければならない。慌ててクローゼットを引っ掻き回した。
なんとか選び終えるとホッとして、緊張感が緩んだタイミングで電池が切れたかのように眠りに落ちた。
学祭前の一週間は午前授業で、午後は準備に費やされる。響たちの準備はといえばただ練習をしまくるのみだ。
「Doinelデビューの日じゃん」
今夜とうとうDoinelとして曲をアップする。その期待とライブの不安が混じり合い、恭平と部室で練習をしながら二重に落ち着かない一日を過ごしていた。
「明日だろ」
拍子抜けするほど素っ気ない言葉が返ってきた。恭平は基本的にクールだから仕方がないとはいえ、もう少し興奮するなり緊張した反応を見せて欲しい。
「でも今夜アップするんだろ?」
「するけど、響が先にアップしたから感慨もなにもない」
素っ気ない態度は、もしかしてあの一件のせいだったのかと頭をよぎる。
「ごめん」
「あ、いや、まあ、とにかく」言葉を濁したあと咳払い。「明日こそが本番だ。客なんてろくに来ないかもしれないが、万が一にも動画を撮られるかもしれないから──」
「そんなバカな」
「一応、まともな格好をしてきてくれ」
「え? 制服じゃないの?」
「制服でもいいが、俺は私服を持って行くつもりだ」
「まじ? 早く言ってよ!」
「そういうことで、一緒にデビューを祝うのは明日にしよう」
「なに? デビューを祝うって?」
「いや別に。ただ二人で何か喋ったり……」
「打ち上げ的な?」
「そう! 打ち上げ。ずっと忙しかったから、終わったら打ち上げしよう」
「珍しいことを」
「その日、親父は夜勤だから学祭が終わったら俺ん家に来い」
「……うん」
この一ヶ月は練習に集中していたから、恭平への妙な欲望は抑えられていたはずなのに、今の言葉で一気に蘇ってしまった。
夜に、しかも恭平の家で二人きり。想像するだけで手が汗ばむ。
今夜初投稿して、明日は初ライブで、そんな大事な時に気を散らせるようなことを言わないで欲しい。
そう心の中で恭平を責めつつも、打ち上げで慰め合うことにならないように、最高のパフォーマンスを見せてやると意気込み、より気合いが入ったのだった。
自宅へと帰った響は、リビングに湊がいて腰を抜かしそうになった。
「いつもいきなり過ぎね?」
「母さんには先月から言っておいたぞ。お前が話聞いてねーだけだろ」
そんな話を母から聞いた覚えはない。それどころかここ一ヶ月は、まともに両親と顔を合わせた記憶がなかった。
「音楽に夢中になるのもいいが、家族を召使いのように考えるなよな」
中学高校と自室に鍵をかけて引きこもっていたくせに、なにを言ってやがるのかと、思わず口について出そうになる。
「いつまでいるの?」
「なんだ、その嫌そうな顔は」
「そんな顔してない!」
「帰るのは明日の夕方。オフだから仲間と旅行に行くわけ。こっち方面だったから、実家に顔出すために俺だけ前乗りしてんの。明日迎えが来る」
「ふーん」
響たちの出番は午後の一発目だから、その予定なら見に来ることができる。しかしKawaseの弟だと知られているのに、その当人がやってくるなんて考えるだけでゾッとするため、口が避けても言えない。
「学祭でライブするんだろ? 母さんと行くから」
「はあ? なんで知ってんの?」思わず大きな声が出た。
「母さんから何ヶ月も前に聞いてるよ。めちゃくちゃ楽しみにしてたぜ? 去年教えてくれなかったから今年は絶対に行くって」
親というやつは、なぜ内緒にしているのかその理由を考えないものかと呆れた。
しかし問題は親よりも湊だ。Kawaseだと騒がれでもしたらライブどころではない。
「自分の知名度わかってる?」
「仁美ならまだしも、俺の顔なんて誰も知らねーよ。帽子と伊達メガネかければ気づかれん」
信じられず、眉根をひそめた。
「疑ってんな? まあ、明日見とけよ。誰も気づかねーから」
そのすぐあとに、珍しく父も早く帰宅してきたので、久しぶりに家族全員で食卓を囲んだ。
夕食を終えて最後の練習とばかりに自室へ向かい、エレアコ片手に歌っていると、湊が入ってきた。
「ノックしろよ」
「したって聞こえねーだろ?」
湊の前では練習しづらい。よりにもよってなぜ今夜帰宅したのだろうと、胸の内で舌打ちをした。
「なんだよ。弾かねーのかよ」
「プロを前にして弾けるかよ」
「なにそれ? 差別的発言!」
「何バカなこと言ってんの?」
「お前は上手いよ。アレンジはまだまだだが、純粋な演奏力で言えば俺に匹敵する……いや、正直俺より上手いかも」
「嘘つけ!」
「本当だ。それに歌も……お前は忘れてるかもしれないけど、ガキの頃、お前に『二度と俺の歌を歌うな』って言ってしまったことがある。あれも同じだ。嫉妬して思わず言っちまった」
「え……下手だからじゃないの?」
「俺が一度でも下手なんて言ったか?」
聞かれて考えてみた。
──下手だとは言ってなかったかもしれない。
「ギターも俺より遅く始めたのに、上達は早いしセンスもあってムカついてたところに、俺の曲を簡単に歌いこなして、しかもそれがめちゃくちゃ良くて……弟だぞ? しかも小学生の。腹立つだろ?」
響は唖然として、口を開けたまま硬直した。
自慢の兄であり心から尊敬していた湊が、嫉妬なんかの感情で小学生の弟の自尊心を貶めるなど、考えつきもしなかった。恭平と親しくなる以前だったら冷静に聞くことができず、受け止めきれなかったかもしれない。
「なに驚いた顔してんだ。恥ずいだろ? 黒歴史だ。プロになれなかったら一生言えなかったかもしれん」
驚きすぎて逆に呆れてきた。
湊のプライドの高さは重々承知していたが、さすがにここまでとは思わなかった。
「打ち明けてすっきりした。だからもう安心してお前の歌もギターも聞けるから、弾いてもいいぞ」
「そう言われて、わかりましたって弾けるかよ」
「弾けよ。どうせ明日聞くんだ」
「もう今夜は終わりだ。これからやることがあるから」
そろそろDoinel初投稿の時間だった。これ以上湊の相手をしている暇はない。
響はアコギをスタンドに置いて、兄を尻目にデスクチェアに座って背中を向けた。出ていけよ、という無言の圧力である。
「ふうん」
湊は後ろから響のスマホを覗き込んできて、一向に出ていこうとしない。
「失礼だぞ?」
振り向いて怒鳴ると、はいはい、と湊は片手をあげて部屋を出ていった。
弟のことをなんだと思っているのかと脱力した。勝手に嫉妬して傷を負わせておいて、今度は手のひらを返したように応援してくれている。
それでも、今さらとはいえ弟に対して素直に謝罪したのだ。プライドの高い湊にとっては相当な努力を要したことだろう。それを思うと、ライブの前日に話してもらえてよかったのかもしれない。ひとつの懸念もなくライブに臨むことができるからだ。
湊のおかげでギターに出会い、音楽を好きになれた。授業で歌うだけでなく、バンドで歌う喜びを知ることができた。そう考えると、湊には感謝以外に思うことはないのかもしれない。
22時に投稿して、同時にチャンネル名も『Doinel/Kyo』に変えると言っていた。
──あと三分。
デスクチェアの上で正座をして、電波時計を見ながらカウントした。
3・2・1・0!
画面に『ツキカゲ』が現れた。
急いでYouTubeに切り替える。こちらにも同じ動画がアップされていた。
流してみると、自分の声が聞こえてきた。
『ディスコミュニケーション』のときとは違う。今度は自分たちのオリジナル楽曲としてアップしたものだ。
何度も聞いて耳にタコができているほどだが、何度聞いても良かった。恭平の曲はかっこいいし、自分の声もこれ以上ないくらいにハマっている。感無量だ。
嬉しくて何度も繰り返し聞いていたら、明日の準備をしなければいけないと思い立ったときには一時間半も経っていた。私服を用意しなければならない。慌ててクローゼットを引っ掻き回した。
なんとか選び終えるとホッとして、緊張感が緩んだタイミングで電池が切れたかのように眠りに落ちた。