帰宅したあと恭平にLINEを入れた。
[今週は部活に出ないで自主練する]
[わかった]
理由を聞くまでもないと思ったのだろう。恭平からの返信はそれだけだった。
──あんな無様な歌を聞いて、恭平は失望しただろうか?
思い出すだけで頭を抱えたくなる。恭平は自分の歌を認めてくれているのに、あまりの下手さにがっかりしたに違いない。
しかし、響は自分を戒めて奮い立つ以外になかった。
Kyoの曲に一番合っているのは自分の声だという想いは変わらない。自負があるならそれなりの歌唱を見せるべきだ。恭平は下手でもいいと言ってくれていたけれど、それでいいわけがない。あんな無様な歌を聞かせて終わりたくはない。
本音は歌うことがなによりも好きで、ようやく歌うことができたのに、一度失敗したくらいで落ち込むなんてバカげている。ボーカルに選んでくれた恭平の期待に応えないでどうする?
そう自分を叱咤した。
そのあと響は、歌唱力をあげるために、ネットで調べたことを実行し始めた。
腹筋と発声練習はもちろん、恭平に頼んで送ってもらった『ツキカゲ』のオケをイヤホンで聞きながら歌唱法を試行錯誤した。登下校の時間や休み時間も隙間なく『ツキカゲ』を聞いて、頭の中でイメージをした。
ハマったら一直線の性質は、こういうときに存分に発揮されるとばかりに、話しかけられても耳に入らないほど、常に歌のことばかりを考えていた。
とにかく最高のパフォーマンスをすること以外に考えなかった。
ある程度の自信がついた響は、登校して姿を見つけるや否や恭平のもとへ向かい、放課後になったら自宅へ行ってもいいかと聞いた。響の顔つきで予測していたのか、恭平は驚く様子も見せずに承諾してくれた。
放課後になり、二人は恭平のマンションにやってきた。
歩きながら恭平に会話を振られたが、ろくな反応を返せなかった。この一週間の成果をベストの状態で聞かせるために集中していたからだ。
「『ツキカゲ』でいいのか?」
「うん」
言葉少なに対応していたらか、恭平も無口になっていたため、準備をしている間はマウスのクリック音だけが聞こえている。
「……いつでもいいが」
「じゃあ、もう行っちゃおう」
「わかった。ヘッドフォンを」
渡されたので受け取って装着する。
カウント音の後に『ツキカゲ』のイントロが始まった。
高鳴っていた心臓がさらに強くなる。
緊張するな。歌に集中しろ。
響はオケに耳をすませ、余計なことを考えないように努めた。
練習してきたことを繰り返すだけだ。それだけを考えて息を吸い込んだ。
終えて、響はホッと安堵の息を吐いた。
練習通りに歌えたと思う。
恭平の反応を伺うと、ヘッドフォンをつけて、パソコン画面に向かったままだった。
響は立ち上がり、恭平の近くに寄る。
「直すところがあったら言ってくれ。とりあえずこれが、この一週間の成果だ」
また緊張がぶり返してきて、ドキドキしながら恭平の反応を待つ。しかし何も答えない。
これもだめだったんだろうか? もう一度やり直し? それとも根本的にだめ?
「正直に言ってくれ。だめならだめって言って欲しい。じゃなかったら直すものも直せないし──」
「だめなわけがない!」
いきなり椅子ごと振り向いたので半歩後ずさる。
「直すところなんてない。なんて言えばいいんだ? ……言葉が見つからない」
驚いたことに、恭平は顔を真っ赤にして目を潤ませている。
「それじゃ……」
「最高だ。期待以上だ……」
マウスから手を離し、両手で目元を覆った。
「もう、死んでもいい」
聞いたこともないほど弱々しく、胸を打つような恭平の物言いに、身体中に電流が走ったみたいになった。
「お前といると俺は感動しすぎて死にそうになるんだよ」
肩を震わせている。まるで泣いてでもいるかのように。
そんな恭平の様子を見ていて気がついた。恭平のおかげで歌うことが好きだと自覚したものの、それは自身の満足のためではなかった。
声が好きだと言ってくれて、歌って欲しいと頼んでくれて、曲を響のために書いたと言ってくれた、その想いに応えたくて、恭平のために歌いたいと思うようになっていた。認めて欲しい相手は恭平だけだった。湊でも他の誰でもない。これまでの誰よりも惚れ抜いたアーティストの、Kyoだけが認めてくれたら、もう何も要らないのだと気がついた。
そのKyoがここまで感激してくれたのだから、これ以上のことはない。
満たされた思いで、響は心の底から打ち震えた。
その喜びと満足感で、無意識に恭平に手を伸ばし、抱きしめようと背中に手を回した。
しかし、手が背中に回りきる寸前に、恭平は跳ねたように椅子ごと後退し、すぐ真後ろにあったパソコンデスクに激突した。
その真っ赤な顔を見て、自分がしようとしたことを思い出し、放心状態になった。
感極まり、バンド仲間として抱擁しようとしたのではない。恭平を抱きしめて、その胸に顔をうずめて、愛おしむように触れようとしたのだ。
──まただ。頭から消そうとしても蘇ってくる。
バンド仲間なのだからと打ち消そうとしても、恭平への想いがどうしようもなく募ってくる。
恭平が必要としているのは歌声であり、ギターの腕なのだ。それ以上は求められていないのに。
恭平は慌てたようにパソコン画面に向き直った。
「えっと、『ツキカゲ』もう一回録っておくか? あれで完璧だけど、念の為。つーか、俺がちょっと調整できてなかったから、もう一回録っておきたいし……えーっと、それで、これを……」
早口で話し始めたのを見て、響もハッと意識を目の前に向けて、恭平に合わせようと努める。
「うん。うんうん。やろ。他の曲は練習しなきゃいけないから、『ツキカゲ』を完璧にしよう」
「そういえば学祭の軽音部枠、俺ら二人で演ることにしないか? 北田たちはダンスに集中しててバンドどころじゃないから……」
「そうだね。どうせ俺だってバレちゃったしね」
「ああ。それでこの際『ツキカゲ』と……」
「いいね。全部オリジナルにしちゃう? Kyoの曲を」
「そうだな。そうしよう。二人だからキーボードとアコギで」
「それナイス。アレンジしなきゃだね」
「一応してある」
「まじ?」
会話を進めていたら少しずつだが落ち着いてきた。恭平も同様なのか、声に焦りの色が消えて、徐々にいつも通りの声になっていた。
──そうだ。こうやって二人でバンドのことについて話し合ったり、練習をしていれば、妙な考えは頭から消えてくれる。離れていても振り払えなかったことでも、俺は二つのことに同時に集中できないのだから、一つに夢中になっていれば忘れることができる。
恭平に失望されるような真似だけはしたくない。それが一番恐ろしいことなのだから。余計な片一方は全力で忘れなければならない。
恭平はパソコンを操作して、『ディスコミュニケーション』のアコースティックバージョンを流してくれた。ピアノとエレアコだけのシンプルなアレンジだ。
「めちゃくちゃいいじゃん! かっこいい!」
「ギターんとこ、替えてもいいから」
「いや、キーボードと合ってるからこのままがいい」
「それは嬉しい。かなり考えたから」
「想定してたの?」
「まあ、そう」
それから二人で学祭用の曲を決めて、アレンジを話し合った。
『ツキカゲ』のレコーディングを五回ほどしたあと、恭平がエレアコを貸してくれるというので、二人で部室へ戻り、『ツキカゲ』をジャムった。
『ディスコミュニケーション』は既にアレンジをしてくれていたため、完璧に弾けるように練習をすればいいが、『ツキカゲ』は一からだ。歌唱もアコースティックバージョンにしないといけない。恭平はピアノパートだけならアイデアが既にあったようなので、部室のキーボードで弾いてもらって、自宅でも一人で考えられるようにスマホで録らせてもらった。
「あとどれくらい?」
「学祭までは──一ヶ月?」
「まじか。やばいね」
「まあ響なら大丈夫だろ」
「アコギの練習もあるんだぞ?」
「歌がメインだから、ギターはコード弾きだけでも十分」
そう言われると逆に燃える。二度とそんな言葉は吐かせないとやる気がみなぎってくる。
アコギを鳴らせるのは部室だけだ。貴重な時間を会話で浪費するわけにはいかない。
「もう一回やろ!」
意識するまでもなく演奏に集中し始めた顔を恭平に向けると、ニヤリと片方の口角を上げてそれに応えてくれた。
[今週は部活に出ないで自主練する]
[わかった]
理由を聞くまでもないと思ったのだろう。恭平からの返信はそれだけだった。
──あんな無様な歌を聞いて、恭平は失望しただろうか?
思い出すだけで頭を抱えたくなる。恭平は自分の歌を認めてくれているのに、あまりの下手さにがっかりしたに違いない。
しかし、響は自分を戒めて奮い立つ以外になかった。
Kyoの曲に一番合っているのは自分の声だという想いは変わらない。自負があるならそれなりの歌唱を見せるべきだ。恭平は下手でもいいと言ってくれていたけれど、それでいいわけがない。あんな無様な歌を聞かせて終わりたくはない。
本音は歌うことがなによりも好きで、ようやく歌うことができたのに、一度失敗したくらいで落ち込むなんてバカげている。ボーカルに選んでくれた恭平の期待に応えないでどうする?
そう自分を叱咤した。
そのあと響は、歌唱力をあげるために、ネットで調べたことを実行し始めた。
腹筋と発声練習はもちろん、恭平に頼んで送ってもらった『ツキカゲ』のオケをイヤホンで聞きながら歌唱法を試行錯誤した。登下校の時間や休み時間も隙間なく『ツキカゲ』を聞いて、頭の中でイメージをした。
ハマったら一直線の性質は、こういうときに存分に発揮されるとばかりに、話しかけられても耳に入らないほど、常に歌のことばかりを考えていた。
とにかく最高のパフォーマンスをすること以外に考えなかった。
ある程度の自信がついた響は、登校して姿を見つけるや否や恭平のもとへ向かい、放課後になったら自宅へ行ってもいいかと聞いた。響の顔つきで予測していたのか、恭平は驚く様子も見せずに承諾してくれた。
放課後になり、二人は恭平のマンションにやってきた。
歩きながら恭平に会話を振られたが、ろくな反応を返せなかった。この一週間の成果をベストの状態で聞かせるために集中していたからだ。
「『ツキカゲ』でいいのか?」
「うん」
言葉少なに対応していたらか、恭平も無口になっていたため、準備をしている間はマウスのクリック音だけが聞こえている。
「……いつでもいいが」
「じゃあ、もう行っちゃおう」
「わかった。ヘッドフォンを」
渡されたので受け取って装着する。
カウント音の後に『ツキカゲ』のイントロが始まった。
高鳴っていた心臓がさらに強くなる。
緊張するな。歌に集中しろ。
響はオケに耳をすませ、余計なことを考えないように努めた。
練習してきたことを繰り返すだけだ。それだけを考えて息を吸い込んだ。
終えて、響はホッと安堵の息を吐いた。
練習通りに歌えたと思う。
恭平の反応を伺うと、ヘッドフォンをつけて、パソコン画面に向かったままだった。
響は立ち上がり、恭平の近くに寄る。
「直すところがあったら言ってくれ。とりあえずこれが、この一週間の成果だ」
また緊張がぶり返してきて、ドキドキしながら恭平の反応を待つ。しかし何も答えない。
これもだめだったんだろうか? もう一度やり直し? それとも根本的にだめ?
「正直に言ってくれ。だめならだめって言って欲しい。じゃなかったら直すものも直せないし──」
「だめなわけがない!」
いきなり椅子ごと振り向いたので半歩後ずさる。
「直すところなんてない。なんて言えばいいんだ? ……言葉が見つからない」
驚いたことに、恭平は顔を真っ赤にして目を潤ませている。
「それじゃ……」
「最高だ。期待以上だ……」
マウスから手を離し、両手で目元を覆った。
「もう、死んでもいい」
聞いたこともないほど弱々しく、胸を打つような恭平の物言いに、身体中に電流が走ったみたいになった。
「お前といると俺は感動しすぎて死にそうになるんだよ」
肩を震わせている。まるで泣いてでもいるかのように。
そんな恭平の様子を見ていて気がついた。恭平のおかげで歌うことが好きだと自覚したものの、それは自身の満足のためではなかった。
声が好きだと言ってくれて、歌って欲しいと頼んでくれて、曲を響のために書いたと言ってくれた、その想いに応えたくて、恭平のために歌いたいと思うようになっていた。認めて欲しい相手は恭平だけだった。湊でも他の誰でもない。これまでの誰よりも惚れ抜いたアーティストの、Kyoだけが認めてくれたら、もう何も要らないのだと気がついた。
そのKyoがここまで感激してくれたのだから、これ以上のことはない。
満たされた思いで、響は心の底から打ち震えた。
その喜びと満足感で、無意識に恭平に手を伸ばし、抱きしめようと背中に手を回した。
しかし、手が背中に回りきる寸前に、恭平は跳ねたように椅子ごと後退し、すぐ真後ろにあったパソコンデスクに激突した。
その真っ赤な顔を見て、自分がしようとしたことを思い出し、放心状態になった。
感極まり、バンド仲間として抱擁しようとしたのではない。恭平を抱きしめて、その胸に顔をうずめて、愛おしむように触れようとしたのだ。
──まただ。頭から消そうとしても蘇ってくる。
バンド仲間なのだからと打ち消そうとしても、恭平への想いがどうしようもなく募ってくる。
恭平が必要としているのは歌声であり、ギターの腕なのだ。それ以上は求められていないのに。
恭平は慌てたようにパソコン画面に向き直った。
「えっと、『ツキカゲ』もう一回録っておくか? あれで完璧だけど、念の為。つーか、俺がちょっと調整できてなかったから、もう一回録っておきたいし……えーっと、それで、これを……」
早口で話し始めたのを見て、響もハッと意識を目の前に向けて、恭平に合わせようと努める。
「うん。うんうん。やろ。他の曲は練習しなきゃいけないから、『ツキカゲ』を完璧にしよう」
「そういえば学祭の軽音部枠、俺ら二人で演ることにしないか? 北田たちはダンスに集中しててバンドどころじゃないから……」
「そうだね。どうせ俺だってバレちゃったしね」
「ああ。それでこの際『ツキカゲ』と……」
「いいね。全部オリジナルにしちゃう? Kyoの曲を」
「そうだな。そうしよう。二人だからキーボードとアコギで」
「それナイス。アレンジしなきゃだね」
「一応してある」
「まじ?」
会話を進めていたら少しずつだが落ち着いてきた。恭平も同様なのか、声に焦りの色が消えて、徐々にいつも通りの声になっていた。
──そうだ。こうやって二人でバンドのことについて話し合ったり、練習をしていれば、妙な考えは頭から消えてくれる。離れていても振り払えなかったことでも、俺は二つのことに同時に集中できないのだから、一つに夢中になっていれば忘れることができる。
恭平に失望されるような真似だけはしたくない。それが一番恐ろしいことなのだから。余計な片一方は全力で忘れなければならない。
恭平はパソコンを操作して、『ディスコミュニケーション』のアコースティックバージョンを流してくれた。ピアノとエレアコだけのシンプルなアレンジだ。
「めちゃくちゃいいじゃん! かっこいい!」
「ギターんとこ、替えてもいいから」
「いや、キーボードと合ってるからこのままがいい」
「それは嬉しい。かなり考えたから」
「想定してたの?」
「まあ、そう」
それから二人で学祭用の曲を決めて、アレンジを話し合った。
『ツキカゲ』のレコーディングを五回ほどしたあと、恭平がエレアコを貸してくれるというので、二人で部室へ戻り、『ツキカゲ』をジャムった。
『ディスコミュニケーション』は既にアレンジをしてくれていたため、完璧に弾けるように練習をすればいいが、『ツキカゲ』は一からだ。歌唱もアコースティックバージョンにしないといけない。恭平はピアノパートだけならアイデアが既にあったようなので、部室のキーボードで弾いてもらって、自宅でも一人で考えられるようにスマホで録らせてもらった。
「あとどれくらい?」
「学祭までは──一ヶ月?」
「まじか。やばいね」
「まあ響なら大丈夫だろ」
「アコギの練習もあるんだぞ?」
「歌がメインだから、ギターはコード弾きだけでも十分」
そう言われると逆に燃える。二度とそんな言葉は吐かせないとやる気がみなぎってくる。
アコギを鳴らせるのは部室だけだ。貴重な時間を会話で浪費するわけにはいかない。
「もう一回やろ!」
意識するまでもなく演奏に集中し始めた顔を恭平に向けると、ニヤリと片方の口角を上げてそれに応えてくれた。