「響ー? お友達! 南波くんよ」
母の声が聞こえた。本当に来たのだと身体を震わせ、逃げ出さなかったことを後悔しつつも、平静を装って、階下に声をかける。
「上がってもらって」
「自分で迎えなさいよ」
それは無理な注文だと心の中で抗議した。電話での会話を思い出してから五分と経たずに到着したので、未だパニック状態なのだ。
デスクチェアに座って、スマホを見ている振りを決め込むことにした。
開いているドアが小さくノックされる。
「開いてるよ」
振り向かずに言うと、いつもと同じトーンの声が返ってきた。
「見りゃわかる。入るぞ」
「まじで殴りに来たわけ?」
そんなわけはないと思いつつも、緊張から声が震えてしまう。
「なんであんなことをした?」
「なにが?」
「黙秘すんな!」
肩に手をかけて椅子の向きをクルリと変えられたため、恭平の顔が視界に飛び込んだ。青ざめてかすかに震えている。
そんなに怒っているのかと、ますます怯む。
「……恭平が聞いてくれないから」
「だからってニコ動に投稿するか?」
「それは……」
「断りもなく……いや、断る必要はないが、でも……」
「そんなに怒ること? だって、使ってもいいオケだろ?」
「そういう問題じゃない」
「じゃあ、気に入らなかった?」
「気に入るわけないだろ!」
感電したようにショックを受けた。
自分でも満足のいく完成度だったし、湊もコメントも、みな好意的に受け止めてくれた。
勝手にしたことは怒られても仕方がないと覚悟をしていたものの、歌そのものは恭平も評価してくれるだろうと思っていた。声が好きだと言ってくれて、歌って欲しいとまで言った張本人なのだから。
しかし実際に歌を聞いてみたら気に入らなかったのだ。恭平に聞かせるために歌唱法を試行錯誤して、レコーディングまでして、喜んでくれると期待して──バカだった。恥ずかしいことをした。
まるであのときと同じだと、小学生の頃のことを繋げて思い出した。湊に続いて恭平からも拒否されるとは。それも、湊以上に惚れ込んだ相手からだ。もう立ち直れないと思って絶望した。
「それは悪かったな!」
椅子を机の方へ向け直した。今にも泣きそうな顔を見られたくなかったからだ。
「削除するよ。悪かったよ。もう二度とあんなことしない。二度と歌わない!」
スマホを手に取り、ニコ動のアプリを開く。削除メニューを探していたとき、恭平にその手を押さえられた。
「消すな」
「だって気に入らないんだろ?」
上ずった声になってしまう。
「投稿して欲しくなかった」
「だから削除するって」
スマホを取られまいとして力をかけたら、逆に奪われた。
「そういうことじゃなくて、俺以外に聞いて欲しくなかった。響が初めて俺の曲を歌ってくれたオケ……誰にも聞いて欲しくなかった」
恭平の表情を伺おうとするが、ぐにゃぐにゃしてよくわからない。
「自分でも勝手だってわかってるけど……泣くなよ」
泣いているつもりはなかった。堪えているつもりだった。言われて頬をつたう液体の感触を自覚した。
「どういう意味だよ」
声も涙声になってしまっている。
「泣くなって」
「泣いてな──」
拭おうとしたら、恭平にいきなり抱きしめられた。
「天性の声持っていて、歌の才能もあって努力家で、ギターも上手い。それに優しくて、思いやりもあって、熱心で情熱的で──そんな響の最初のオケを、自分だけのものにしたかった。誰にも聞かせたくなかった。それが理由なだけで、お前の歌は最高だった」
気に入らないと言われたショックから、180度真逆のことを言われて驚いて、違う意味でも涙が出てきた。
大好きなアーティストから認められ、褒めちぎられて泣くなというほうが無理だ。
響はホッとして、認められた喜びを噛み締めた。
恭平に抱きしめられていることも、Kyoに触れたいと求めていた願いが同時に叶ったのだと考えて、感極まり、応えるために背中に手を回した。
そのとき、耳元が熱くなり、息がかかったのかと思った。耳から首へついばむような感触が這い、全身がゾクゾクとする。息ではない。
──なぜ?
浮かんだ疑問は、その感触でかき消される。頭が熱くなり、何も考えられなくなる。
腕にさらに力がかかり、抱きしめている今のこの現実を確かめているかのように、さらに深く抱き寄せられる。
恭平の鼓動がドクドクと聞こえて、響も全身が心臓になったかのように早鐘を打った。
顔を上げると恭平の首元が見えた。
白くほっそりとして、スベスベとした肌が目の前に見える。
──もっと近づきたい。
背中に回していた手を離し、恭平の首元に滑らせる。強烈に触れたい欲望が高ぶり、耳元から頭を抱えるようにして、こちらに引き寄せようとした。
その瞬間、恭平はハッと身体を強張らせ、いきなり離れて後ずさった。
「帰る」
俯いたままそう言って、目も合わせずに駆け出ていった。
呆然と見送っていた響は、「お邪魔しました」と階下から聞こえた直後にその場に座り込んだ。開いたままのドアを見つめることしかできなかった。
心臓はバクバクと身体中に鳴り響き、驚くほど大きな音で鼓動していた。
母の声が聞こえた。本当に来たのだと身体を震わせ、逃げ出さなかったことを後悔しつつも、平静を装って、階下に声をかける。
「上がってもらって」
「自分で迎えなさいよ」
それは無理な注文だと心の中で抗議した。電話での会話を思い出してから五分と経たずに到着したので、未だパニック状態なのだ。
デスクチェアに座って、スマホを見ている振りを決め込むことにした。
開いているドアが小さくノックされる。
「開いてるよ」
振り向かずに言うと、いつもと同じトーンの声が返ってきた。
「見りゃわかる。入るぞ」
「まじで殴りに来たわけ?」
そんなわけはないと思いつつも、緊張から声が震えてしまう。
「なんであんなことをした?」
「なにが?」
「黙秘すんな!」
肩に手をかけて椅子の向きをクルリと変えられたため、恭平の顔が視界に飛び込んだ。青ざめてかすかに震えている。
そんなに怒っているのかと、ますます怯む。
「……恭平が聞いてくれないから」
「だからってニコ動に投稿するか?」
「それは……」
「断りもなく……いや、断る必要はないが、でも……」
「そんなに怒ること? だって、使ってもいいオケだろ?」
「そういう問題じゃない」
「じゃあ、気に入らなかった?」
「気に入るわけないだろ!」
感電したようにショックを受けた。
自分でも満足のいく完成度だったし、湊もコメントも、みな好意的に受け止めてくれた。
勝手にしたことは怒られても仕方がないと覚悟をしていたものの、歌そのものは恭平も評価してくれるだろうと思っていた。声が好きだと言ってくれて、歌って欲しいとまで言った張本人なのだから。
しかし実際に歌を聞いてみたら気に入らなかったのだ。恭平に聞かせるために歌唱法を試行錯誤して、レコーディングまでして、喜んでくれると期待して──バカだった。恥ずかしいことをした。
まるであのときと同じだと、小学生の頃のことを繋げて思い出した。湊に続いて恭平からも拒否されるとは。それも、湊以上に惚れ込んだ相手からだ。もう立ち直れないと思って絶望した。
「それは悪かったな!」
椅子を机の方へ向け直した。今にも泣きそうな顔を見られたくなかったからだ。
「削除するよ。悪かったよ。もう二度とあんなことしない。二度と歌わない!」
スマホを手に取り、ニコ動のアプリを開く。削除メニューを探していたとき、恭平にその手を押さえられた。
「消すな」
「だって気に入らないんだろ?」
上ずった声になってしまう。
「投稿して欲しくなかった」
「だから削除するって」
スマホを取られまいとして力をかけたら、逆に奪われた。
「そういうことじゃなくて、俺以外に聞いて欲しくなかった。響が初めて俺の曲を歌ってくれたオケ……誰にも聞いて欲しくなかった」
恭平の表情を伺おうとするが、ぐにゃぐにゃしてよくわからない。
「自分でも勝手だってわかってるけど……泣くなよ」
泣いているつもりはなかった。堪えているつもりだった。言われて頬をつたう液体の感触を自覚した。
「どういう意味だよ」
声も涙声になってしまっている。
「泣くなって」
「泣いてな──」
拭おうとしたら、恭平にいきなり抱きしめられた。
「天性の声持っていて、歌の才能もあって努力家で、ギターも上手い。それに優しくて、思いやりもあって、熱心で情熱的で──そんな響の最初のオケを、自分だけのものにしたかった。誰にも聞かせたくなかった。それが理由なだけで、お前の歌は最高だった」
気に入らないと言われたショックから、180度真逆のことを言われて驚いて、違う意味でも涙が出てきた。
大好きなアーティストから認められ、褒めちぎられて泣くなというほうが無理だ。
響はホッとして、認められた喜びを噛み締めた。
恭平に抱きしめられていることも、Kyoに触れたいと求めていた願いが同時に叶ったのだと考えて、感極まり、応えるために背中に手を回した。
そのとき、耳元が熱くなり、息がかかったのかと思った。耳から首へついばむような感触が這い、全身がゾクゾクとする。息ではない。
──なぜ?
浮かんだ疑問は、その感触でかき消される。頭が熱くなり、何も考えられなくなる。
腕にさらに力がかかり、抱きしめている今のこの現実を確かめているかのように、さらに深く抱き寄せられる。
恭平の鼓動がドクドクと聞こえて、響も全身が心臓になったかのように早鐘を打った。
顔を上げると恭平の首元が見えた。
白くほっそりとして、スベスベとした肌が目の前に見える。
──もっと近づきたい。
背中に回していた手を離し、恭平の首元に滑らせる。強烈に触れたい欲望が高ぶり、耳元から頭を抱えるようにして、こちらに引き寄せようとした。
その瞬間、恭平はハッと身体を強張らせ、いきなり離れて後ずさった。
「帰る」
俯いたままそう言って、目も合わせずに駆け出ていった。
呆然と見送っていた響は、「お邪魔しました」と階下から聞こえた直後にその場に座り込んだ。開いたままのドアを見つめることしかできなかった。
心臓はバクバクと身体中に鳴り響き、驚くほど大きな音で鼓動していた。