起きたら昼を過ぎていた。目覚めた瞬間に遅刻だと焦って跳ね起きたものの、すぐに土曜日であることを思い出し、枕に頭を戻した。
しかし、もう一度夢の中へ入ろうとした響の頭に、突如として昨夜のことが展開された。
歌録した『ディスコミュニケーション』をニコ動にアップロードしたような気がする。あれは夢の中のことなのか、現実だったのか──
確認しようとベッドから飛び起きて、慌ててスマホを見るが、大量の通知が目に飛び込び、ニコ動のアプリを開くどころではなくなった。
「フォローされました」「リストに追加されました」「いいねされました」「コメントがあります」
これまで見たことのない通知内容と量だった。
頭がフリーズし、理解が追いつかない状態で、LINEの通知もスクロールが必要なほど来ていることに気づき、その中で恭平からのLINEが目に留まった。
[俺を殺す気か]というのの後に[電話にでろ]というのが20通ほど。[本名だって気づいてるのか?]というのと[まさか寝てるんじゃねーよな?]というのが1分前。
北田と弓野はもちろん、ろくに教えていないクラスメイトからもLINEがあり、小中の同級生からのもある。
湊からも[いいじゃん]と一言。
混乱していると、恭平から追いLINEが届いた。
[起きたんなら電話しろ]
既読マークに気がついたようだ。
数十件の着信履歴をスクロールして、恭平に電話をかけた。
『お前、勝手になにやってんだ!』
ワンコールで出たと同時に怒鳴り声が耳をつんざく。
「なにが?」
『バッ! ……家に行ってぶん殴るぞ?』
「いいよ。来なよ」
感想も何もなくいきなり『ぶん殴る』とは面食らい、響はカッとして、恭平の返事を聞かずに通話を切った。
母の呼ぶ声がしたため、ドアを出て階下に声をかける。
「呼んだ?」
「湊から電話が来てるんだけど、響がいるなら代わって欲しいって」
「わかった」
階下へ下りて母と顔を合わせる。
「ご飯食べる?」
受話器を受け取りながら頷いた。
「兄貴?」
『起きたか』
「うん。どうしたの?」
『お前の歌、めちゃくちゃ良かった』
「なんのこと?」
『ニコ動にアップしただろ?』
「なんで知ってんの?」
『Kyoってお前の友達の曲。ボカロでもかっこよかったけど、お前が歌うとレベチだな』
「まじ?」
『ああ。お前は歌が上手いから、ボーカルもやればいいのにってずっと思ってた』
「それは兄貴が……」言おうとして途中でやめた。
今更抗議しても湊は忘れているだろうし、既に歌えるようになったのだから、責める話ではないと判断した。
「でも昨夜アップしたばっかだよ? なんでもう知ってんの?」
『こういう日が来ると思って、ニコ動のお前のアカウントをフォローしてたわけ』
「まじ?」
『ネットに疎いってのも大概だぞ。まぁ、捨て垢だったけど』
「見る専だからいちいち気にしてなかった」
『ありがちだな。てか本名になってたけどいいのか?』
「え?」
スマホを見ようとしたが、手にもポケットにもない。部屋に置いてきてしまったようだ。
『もう手遅れだけど。深夜のテンションで、思わず宣伝しちまったから』
「宣伝?」
『ポストしちまった。俺の弟だって』
その言葉で頭が真っ白になった。
一般人だとしても、兄が弟のことをポストしたら個人情報漏洩だというのに、湊の場合はプロのミュージシャンだ。弟がどんな目に遭うのか、想像できないのだろうかと唖然とした。
「Kawaseの弟だって、これまで散々言われて迷惑してたのに、ネットでも広まるなんて……」
『……わるい。そんなに迷惑してたのか?』
「別に……」
腹の中は文句と罵倒でいっぱいだったが、口にできるはずはなく、素っ気なく答えるのが精一杯だった。
『お前は自慢の弟だし、むしろ俺を超えていくと思ってたから』
唖然を通り越して愕然とした。純真な弟の気持ちをバキバキに折っておきながら、なにを言っているのだろう。
『まあ、俺を利用するくらいの気持ちで頑張れ』
「なに?」
『一緒に音楽界を盛り上げようぜ。兄弟でなんて最高じゃん。……あ、ちょっとごめん。今レコーディング中で。じゃあまたな』
「そうなんだ。がんばって」
『ん。また連絡する』
「うん」
『新曲楽しみにしてっから』
通話が切れた。
湊は自尊心が強いタイプなので、兄弟だからと贔屓をすることは決してない。本心から認めたものでなければ、自身の名前で宣伝など絶対にしない。その湊が、アルグレのKawaseとしてわざわざポストしたのだから、本気で良いものだと判断したのだ。
最初は唖然とし、今更何を言うのだと怒りすら湧いたが、電話を終えたあとにそのことに考え至って、口で褒められたこと以上に胸を打たれた。
じわじわと喜びが湧き上がり、歌を認めてもらいたいと願っていた、小学生の頃の自分が救われたような気分になった。
「響、大丈夫?」
母に声をかけられて、電話機を持ったまま立ちつくしていたことに気づく。
「うん。顔洗ってくる」
「ご飯、用意してあるから」
「ありがと」
洗面所で顔を洗い、トイレを済ませる。
寝起きにいきなり衝撃的なことが起きて整理ができない。
ボーッとしたままダイニングへ戻り、母の用意してくれた食事の前に腰を下ろした。
昨夜の夕食以来何も食べていなかったため、見た瞬間に空腹を自覚した。
スマホがないことに気がついて、取りに行こうかと頭をよぎったものの、あつあつの白ご飯に湯気のたった味噌汁、鼻腔を刺激する焼き鮭と、響好みに焼かれた目玉焼きを前にしたら、先に食欲を満たそうと考え直し、そのまま食事を始めた。
食べ始めたら頭の中がクリアになり、するとみるみる不安に駆られてきた。
湊と恭平に、本名だと指摘されたことが頭をよぎる。ニコ動のアカウント名を思い浮かべようとするが、最初に登録したのは小学生のときで、普段から気にも留めていないため思い出せない。
Youtubeはアップロードしてないはずだと、そこは安堵しつつも落ち着かなくなってきた。
あの怒涛の通知も湊のせいだったと得心がいき、同時に気が重くなる。返信するのも面倒だと思い、学校へ行ったらまた声をかけられるかと考えて、火曜日を迎えるのが怖くなった。
食事を済ませて自室へ戻り、スマホを開いてまずはニコ動を確認した。
確かに本名の『Kawase Hibiki』になっている。改めて深夜のテンションを呪い、頭を抱えた。
続いて湊のポストを探す。
「おすすめ曲『ディスコミュニケーション』/Kyo。歌ってるのはなんと俺の弟。それを度外視してもめちゃくちゃいいから是非」
シンプルな文面だが、ポストを見て改めて喜びが込み上げた。コメントを見ても、好意的なものばかりだった。Kawaseのファンがほとんどのようだが、それでもホッとした。
LINEのほうを開くと通知が爆増していた。
小中の同級生も、高校のクラスメイトも、普段LINEなんて全くしたことがないのに、ここぞとばかりに連絡がきている。ここでもやはり「Kawaseの弟」効果か、と苦笑する。
北田からは[どういうことだよ! お前が歌うのか?]ときていて、弓野から[いっそ学祭は響がボーカルやれば?]と続いている。恭平は──
そこで、電話で会話をしたことをようやく思い出す。
恭平の家は学校の近くだから、そこから電車で三駅とバスで40分。乗り継ぎが上手く行けば、今ごろ到着してもおかしくない。
来るかもしれないと考えたら、途端に汗が吹き出てきた。
目の前で歌って聞かせるどころではない。
黙って録音して、勝手に投稿までしたのだ。しかも本名で、湊がポストで宣伝までしてしまった。
恭平の反応が読めず不安に駆られ、今更ながらパニックになってきた。
しかし、もう一度夢の中へ入ろうとした響の頭に、突如として昨夜のことが展開された。
歌録した『ディスコミュニケーション』をニコ動にアップロードしたような気がする。あれは夢の中のことなのか、現実だったのか──
確認しようとベッドから飛び起きて、慌ててスマホを見るが、大量の通知が目に飛び込び、ニコ動のアプリを開くどころではなくなった。
「フォローされました」「リストに追加されました」「いいねされました」「コメントがあります」
これまで見たことのない通知内容と量だった。
頭がフリーズし、理解が追いつかない状態で、LINEの通知もスクロールが必要なほど来ていることに気づき、その中で恭平からのLINEが目に留まった。
[俺を殺す気か]というのの後に[電話にでろ]というのが20通ほど。[本名だって気づいてるのか?]というのと[まさか寝てるんじゃねーよな?]というのが1分前。
北田と弓野はもちろん、ろくに教えていないクラスメイトからもLINEがあり、小中の同級生からのもある。
湊からも[いいじゃん]と一言。
混乱していると、恭平から追いLINEが届いた。
[起きたんなら電話しろ]
既読マークに気がついたようだ。
数十件の着信履歴をスクロールして、恭平に電話をかけた。
『お前、勝手になにやってんだ!』
ワンコールで出たと同時に怒鳴り声が耳をつんざく。
「なにが?」
『バッ! ……家に行ってぶん殴るぞ?』
「いいよ。来なよ」
感想も何もなくいきなり『ぶん殴る』とは面食らい、響はカッとして、恭平の返事を聞かずに通話を切った。
母の呼ぶ声がしたため、ドアを出て階下に声をかける。
「呼んだ?」
「湊から電話が来てるんだけど、響がいるなら代わって欲しいって」
「わかった」
階下へ下りて母と顔を合わせる。
「ご飯食べる?」
受話器を受け取りながら頷いた。
「兄貴?」
『起きたか』
「うん。どうしたの?」
『お前の歌、めちゃくちゃ良かった』
「なんのこと?」
『ニコ動にアップしただろ?』
「なんで知ってんの?」
『Kyoってお前の友達の曲。ボカロでもかっこよかったけど、お前が歌うとレベチだな』
「まじ?」
『ああ。お前は歌が上手いから、ボーカルもやればいいのにってずっと思ってた』
「それは兄貴が……」言おうとして途中でやめた。
今更抗議しても湊は忘れているだろうし、既に歌えるようになったのだから、責める話ではないと判断した。
「でも昨夜アップしたばっかだよ? なんでもう知ってんの?」
『こういう日が来ると思って、ニコ動のお前のアカウントをフォローしてたわけ』
「まじ?」
『ネットに疎いってのも大概だぞ。まぁ、捨て垢だったけど』
「見る専だからいちいち気にしてなかった」
『ありがちだな。てか本名になってたけどいいのか?』
「え?」
スマホを見ようとしたが、手にもポケットにもない。部屋に置いてきてしまったようだ。
『もう手遅れだけど。深夜のテンションで、思わず宣伝しちまったから』
「宣伝?」
『ポストしちまった。俺の弟だって』
その言葉で頭が真っ白になった。
一般人だとしても、兄が弟のことをポストしたら個人情報漏洩だというのに、湊の場合はプロのミュージシャンだ。弟がどんな目に遭うのか、想像できないのだろうかと唖然とした。
「Kawaseの弟だって、これまで散々言われて迷惑してたのに、ネットでも広まるなんて……」
『……わるい。そんなに迷惑してたのか?』
「別に……」
腹の中は文句と罵倒でいっぱいだったが、口にできるはずはなく、素っ気なく答えるのが精一杯だった。
『お前は自慢の弟だし、むしろ俺を超えていくと思ってたから』
唖然を通り越して愕然とした。純真な弟の気持ちをバキバキに折っておきながら、なにを言っているのだろう。
『まあ、俺を利用するくらいの気持ちで頑張れ』
「なに?」
『一緒に音楽界を盛り上げようぜ。兄弟でなんて最高じゃん。……あ、ちょっとごめん。今レコーディング中で。じゃあまたな』
「そうなんだ。がんばって」
『ん。また連絡する』
「うん」
『新曲楽しみにしてっから』
通話が切れた。
湊は自尊心が強いタイプなので、兄弟だからと贔屓をすることは決してない。本心から認めたものでなければ、自身の名前で宣伝など絶対にしない。その湊が、アルグレのKawaseとしてわざわざポストしたのだから、本気で良いものだと判断したのだ。
最初は唖然とし、今更何を言うのだと怒りすら湧いたが、電話を終えたあとにそのことに考え至って、口で褒められたこと以上に胸を打たれた。
じわじわと喜びが湧き上がり、歌を認めてもらいたいと願っていた、小学生の頃の自分が救われたような気分になった。
「響、大丈夫?」
母に声をかけられて、電話機を持ったまま立ちつくしていたことに気づく。
「うん。顔洗ってくる」
「ご飯、用意してあるから」
「ありがと」
洗面所で顔を洗い、トイレを済ませる。
寝起きにいきなり衝撃的なことが起きて整理ができない。
ボーッとしたままダイニングへ戻り、母の用意してくれた食事の前に腰を下ろした。
昨夜の夕食以来何も食べていなかったため、見た瞬間に空腹を自覚した。
スマホがないことに気がついて、取りに行こうかと頭をよぎったものの、あつあつの白ご飯に湯気のたった味噌汁、鼻腔を刺激する焼き鮭と、響好みに焼かれた目玉焼きを前にしたら、先に食欲を満たそうと考え直し、そのまま食事を始めた。
食べ始めたら頭の中がクリアになり、するとみるみる不安に駆られてきた。
湊と恭平に、本名だと指摘されたことが頭をよぎる。ニコ動のアカウント名を思い浮かべようとするが、最初に登録したのは小学生のときで、普段から気にも留めていないため思い出せない。
Youtubeはアップロードしてないはずだと、そこは安堵しつつも落ち着かなくなってきた。
あの怒涛の通知も湊のせいだったと得心がいき、同時に気が重くなる。返信するのも面倒だと思い、学校へ行ったらまた声をかけられるかと考えて、火曜日を迎えるのが怖くなった。
食事を済ませて自室へ戻り、スマホを開いてまずはニコ動を確認した。
確かに本名の『Kawase Hibiki』になっている。改めて深夜のテンションを呪い、頭を抱えた。
続いて湊のポストを探す。
「おすすめ曲『ディスコミュニケーション』/Kyo。歌ってるのはなんと俺の弟。それを度外視してもめちゃくちゃいいから是非」
シンプルな文面だが、ポストを見て改めて喜びが込み上げた。コメントを見ても、好意的なものばかりだった。Kawaseのファンがほとんどのようだが、それでもホッとした。
LINEのほうを開くと通知が爆増していた。
小中の同級生も、高校のクラスメイトも、普段LINEなんて全くしたことがないのに、ここぞとばかりに連絡がきている。ここでもやはり「Kawaseの弟」効果か、と苦笑する。
北田からは[どういうことだよ! お前が歌うのか?]ときていて、弓野から[いっそ学祭は響がボーカルやれば?]と続いている。恭平は──
そこで、電話で会話をしたことをようやく思い出す。
恭平の家は学校の近くだから、そこから電車で三駅とバスで40分。乗り継ぎが上手く行けば、今ごろ到着してもおかしくない。
来るかもしれないと考えたら、途端に汗が吹き出てきた。
目の前で歌って聞かせるどころではない。
黙って録音して、勝手に投稿までしたのだ。しかも本名で、湊がポストで宣伝までしてしまった。
恭平の反応が読めず不安に駆られ、今更ながらパニックになってきた。