恭平はあのまま自宅へ帰ってしまったようで、部室どころか教室にすら現れなかった。
 放課後になり、響も部室に寄らずに帰宅した。どうせ誰も来ないだろうと思ったからだが、それとは別に、湊の部屋でレコーディングをするつもりだった。
 マイクなどの機材も揃っているし、ギターのレコーディングを手伝ってもいたので、ボーカル録りも、Google様の助けを借りればできるだろうと考えた。
 あの様子ではいつまでも聞いてくれそうにない。聞いてもらうためにはどうすればいいのかと頭をひねり、録音した歌を聞かせればいいと思いついたのだ。

 歌をレコーディングするためには、楽曲のオケが必要だ。歌い手用にと、ボカロ部分を抜いたカラオケバージョンが投稿されている場合は少なくないものの、Kyoは基本的には出さないスタンスなのか、『ディスコミュニケーション』しかアップされていない。とは言えKyoの楽曲の中でも一番好きな曲で自信もあったから、響にとってはむしろ幸いだった。
 歌録りは近所迷惑になるから、やるにしても21時前後までだ。だらだらとすることはできない。Google様を見ながらテキパキと準備を進め、早速取り掛かった。

 歌いこんでいたはずが、実際にオケと合わせて聞いてみると違和感ばかりで、なかなか思うように納得できない。
 何度か試してみても一向に気に入らず、他の歌い手はどのように歌いこなしているのかが気になり始めた。【歌ってみた】を聞いてみようかと頭をよぎったものの、聞いたら落ち込むか、変に自信をつけても困ると思ってギリギリ耐えた。
 『全て響のために書いた曲だ』と言ってくれた恭平の言葉を思い出し、他人を気にかけず、自力で考えるべきだと奮い立った。 

 響は恭平に対して、宅録をしているなどとはおくびにもださないようにした。意外にもバレることなく普段通りに接することができたのは、恭平のほうも多忙だったからだ。
 香里奈は本気でプロを目指しているようで、すぐに二曲目をと恭平に頼み込んだらしく、学祭で披露すればそれも宣伝になるからと言って、恭平を急がせていたようだった。
 北田たちもダンスに集中しているのか夏休みが明けても現れないし、響は一人で黙々と宅録する日々を過ごした。

 9月も半ばになったころ、ようやく納得のいくものが録れた。甘い部分はあるかもしれないが、現時点なら十分だろう。
 完成したそのときは金曜の夜で、月曜も祝日の三連休前夜だった。恭平にデータを送るか、火曜日まで待つか、と悩みながらニコ動を見ていたら、ふと【歌ってみた】が目に留まった。
 完成したのだから、他人の歌声を聞いても影響されることはあるまい。凹んだとしても、これが精一杯だと言えるほど努力したのだから受け止められる。そう考えて、タグ検索をかけた。
 少しずつ知名度が上がっているためか、『ディスコミュニケーション』の歌録は1曲2曲ではなかった。

 玉石混交の世界で、カラオケレベルのものから、目を見張るレベルのものまであり、様々な歌い手による歌唱を聞くことが面白く、夢中になった。
 夜中になってもやめられず、結局全てを聞き終えてしまったあと、結論として出たのは「俺の歌が一番だな」と、漲る自信だった。
 一人のファンとして第三者目線で聞いても、曲調に声がぴったりと合っているし、ピッチもベストの音域で、完全に歌いこなしている。何十と聞き比べたあとに、改めて自分の歌唱を聞いてみたら、驚くほど良いものとして感じられた。

 真夜中という時間帯には魔物が潜んでいる。朝になれば後悔から頭を抱えてしまうようなことでも思わずしてしまう。判断力のメーターが狂ってしまう時間帯だ。
 過集中による疲れか、いきなり漲り始めた自信のせいか、響の頭にも普段なら絶対にしないようなことが思い浮かんだ。

 ──俺も投稿してみよう。

 恭平に聞かせるためには手っ取り早い。というよりも、「Kyoの曲を一番歌いこなせるのは俺だ」と、声高に叫びたくなった。他の歌い手の歌唱を聞いていたら、自分の歌唱を聞かせてやりたくなったのだ。

 『ディスコミュニケーション』のオケには好きに使ってくださいと明記されている。
 少なくない人数が既に投稿しているのだから、真夜中のこんな時間に、しかも初投稿では誰の目にも留まらないだろうと、そんな軽い気持ちでアップロードをした。

 しばらく熱中していたことが無事に終わり、それを世に放ったという満足感を覚えた途端に、響は睡魔に襲われた。判断力が低下していた頭ではそれに抵抗できず、投稿した事実を顧みようともせず、心地よい疲労を抱えてベッドへと潜り込んだ。