自宅に帰って、スマホのボイスレコーダーに向かって喋ってみた。
「あー、今は……2時46分」
キモくなってすぐさま消去した。
少し考えてから、Kyoの『ゼロ・カウント』を歌って録音してみる。
録ったのを再生し、また「キモ」と思って消去。
しかし何度も試すうちに楽しくなってきて、やめられなくなった。歌唱はギターとはまた違った面白さがある。どう歌おうかと考えて、言葉の発音を変えてみたり、リズムをずらしたり、抑揚を作ったり、自分の声に合わせてあれこれと試してみたくなる。
歌って録音して、聞いては替えてと試していたらどんどんと夢中になり、夕飯を済ませたあとも再開し、母に近所迷惑だと叱られるまで歌い続けた。
それでもまだ物足りない響は、翌朝早くに起きて、いつぞやに練習していた河原へと行ってみた。その日は部室へも行こうとせず、河原のあとはカラオケボックスへ赴き、ギターも弾かずに一日中歌い続けた。
響は一度始めると夢中になってしまう。やり始めたらとことんやらずには気がすまなくなる。
『ゼロ・カウント』をある程度形にすると、次は『ツキカゲ』『ディスコミュニケーション』と、Kyoの曲を次々に練習していった。
そんな日々を過ごしているうちに、一週間も部室に顔を出していなかったことに気がついた。同時に、恭平からLINEも何も連絡がなかったことにも気づき、自分のことは棚に上げて恭平に不満を覚えた。
あんなに情熱的に、まるで愛の告白でもするかのように『歌ってくれないか』と頼んできたのに、一度断られただけで諦めるのか。一年のときからほぼ毎日部室に来ていた響が、一週間も顔を出していないことを、なんとも思わないのだろうか。
そう考え始めると悶々としてきて、立ち去る寸前に交わした会話が、現実味を帯びて感じられた。
『そんなにボーカルが必要なら、葉山さんとか別の人にしろよ』
『……わかった』
その言葉通り、香里奈とバンドを組むことになったのではないか。自分のことはどうでもよくなったのではないか。
響は落ち着かなくなり、一瞬間ぶりに部室に行ってみることにした。
行くと、恭平が一人でギターを弾いているところだった。
「よお、ギブソンじゃん」
「よお」
ギターケースを机の上に置いて中身を取り出し、チューニングのために音を出す。
普段なら挨拶をしたあとも、どちらともなく会話を始めて話題が転がるのだが、今日は互いに押し黙ったままだ。
響は抱えた不満や疑問を手に、恭平に詰め寄りたい気持ちでいっぱいだったが、いざ恭平を前にすると怖気づいてしまって、とてもそんな真似はできない。
なんとかして、いつも通りに振る舞おうと試みる。
「そういや学祭の曲はどうなった? 『ダンスホール』まじで演るの?」
「さあ。北田たちと会ってないから」
「まじ? じゃあずっと恭平一人だったわけ?」
「えっ?」驚いたような声。
「何? 一年でも来てた?」
ガチャリとドアノブが回る音。
振り向くと、ドアを開けたのは香里奈だった。
「河瀬くんじゃん。一週間ぶり」
なぜ香里奈が、と訝しむ。
「北田たちはいないよ」
「知ってるよ。さっきまで一緒だったんだから。北田たちは下手くそだから基礎練させることにした」
「基礎練? どこでやってんの?」
ギターとボーカルが軽音部の部室以外でどこで練習すると言うのか、と疑問が頭に浮かぶ。
「第二体育館」
「は? なんで?」
「なんでって、ダンスするなら第二しかないし」
「ダンス?」
「あれ、恭平伝えてないの?」香里奈が斜め横を向く。
「恭平って呼ぶな」
「いいじゃん! それでなかったらKyoって呼ぶよ? そっちの方が嫌でしょ?」
響はまさかと耳を疑った。Kyoと呼んだということは、ボカロPであることを教えた以外に考えられない。
ニヤニヤとした香里奈が響と目を合わせる。
「河瀬くん、知ってたんでしょ? 嘘ついたな」
「なんのことだよ」
「Kyoと組むことになったの」
「うそだろ?」
思わず大声が出る。もしかしたらと案じてはいたものの、恭平は以前に、香里奈とは組むつもりはないと断言していたから、心のどこかでは実際に組むことにはならないだろうと信じていた。
「私の歌を気に入ってくれて」
恭平を見る。興味がないとでも言うような顔でギターを鳴らしている。
「Kyoの再生回数見た? 3万いくよ。かなりきてるよね。組むなら今がチャンスじゃん。アルグレみたいに高校で投稿始めたらデビューも遠くないかも」
響はその言葉で気がついた。恭平は湊のファンだ。湊がボカロPからアルグレになったように、女性ボーカルを立ててバンドを組むのは当然のことかもしれないと。
「『ゼロ・カウント』のギターは河瀬くんなんでしょ? せっかくだからベース探したら?」
そこまで話す仲なのか。恭平のことを名前で呼ぶのも自分だけだと思っていた。恭平にとって、自分は特別な存在ではないのだ。
その考えが頭を支配し、恭平の顔を見ることが嫌になってきた。
「俺は今のバンドでいい。探すならドラムだ」
この二人と同じ空間にいたくない。そう思って部室を出ていった。
響は怒りに駆られながら、その怒りがどこから来ている感情なのかはわからなかった。
恭平から、ゾクゾクするほど声が好きだと言われて、その声で歌って欲しいと頼まれて、ギターをレコーディングしてくれたこと以上に嬉しかった。
湊に下手だと断じられ、自尊心を折られ、歌えなくなった響の心に、それ以来初めて照らした光だった。
──そこまで言ってくれるのなら、歌ってみたい。
そう考え始めていた。
Kyoの曲は、自分のために作られたのではと考えてしまうほど、今まで聞いてきた全ての曲の中で最も歌いやすく、自分の声に合っていると感じていた。それを作った本人に歌って欲しいと言われては、奮い立たずにはいられない。
最初は失望されるかもしれないと不安になり拒否したが、一週間もの間練習を重ねて、悪くはないかもしれないと、少しづつ自信を取り戻し始めていた。
そして、久しぶりに思い切り歌に集中して、響は思い知った。
──ギターを弾く以上に歌うことが好きだ。
歌う意欲が起きてきたのに、たった一週間の間に恭平は別のボーカルに鞍替えした。しかもそれが香里奈だったということが、堪らなく不快だった。まるで城田のように自信に満ち、美しく、独自にアレンジまでする努力家で、プロレベルの歌唱力を持っている。そんな香里奈を選んだことが許しがたかった。
香里奈よりも自分の方がKyoの曲を歌いこなせるはずだ。
そんな想いが無自覚にも、心の底で燃え上がり始めていた。
「あー、今は……2時46分」
キモくなってすぐさま消去した。
少し考えてから、Kyoの『ゼロ・カウント』を歌って録音してみる。
録ったのを再生し、また「キモ」と思って消去。
しかし何度も試すうちに楽しくなってきて、やめられなくなった。歌唱はギターとはまた違った面白さがある。どう歌おうかと考えて、言葉の発音を変えてみたり、リズムをずらしたり、抑揚を作ったり、自分の声に合わせてあれこれと試してみたくなる。
歌って録音して、聞いては替えてと試していたらどんどんと夢中になり、夕飯を済ませたあとも再開し、母に近所迷惑だと叱られるまで歌い続けた。
それでもまだ物足りない響は、翌朝早くに起きて、いつぞやに練習していた河原へと行ってみた。その日は部室へも行こうとせず、河原のあとはカラオケボックスへ赴き、ギターも弾かずに一日中歌い続けた。
響は一度始めると夢中になってしまう。やり始めたらとことんやらずには気がすまなくなる。
『ゼロ・カウント』をある程度形にすると、次は『ツキカゲ』『ディスコミュニケーション』と、Kyoの曲を次々に練習していった。
そんな日々を過ごしているうちに、一週間も部室に顔を出していなかったことに気がついた。同時に、恭平からLINEも何も連絡がなかったことにも気づき、自分のことは棚に上げて恭平に不満を覚えた。
あんなに情熱的に、まるで愛の告白でもするかのように『歌ってくれないか』と頼んできたのに、一度断られただけで諦めるのか。一年のときからほぼ毎日部室に来ていた響が、一週間も顔を出していないことを、なんとも思わないのだろうか。
そう考え始めると悶々としてきて、立ち去る寸前に交わした会話が、現実味を帯びて感じられた。
『そんなにボーカルが必要なら、葉山さんとか別の人にしろよ』
『……わかった』
その言葉通り、香里奈とバンドを組むことになったのではないか。自分のことはどうでもよくなったのではないか。
響は落ち着かなくなり、一瞬間ぶりに部室に行ってみることにした。
行くと、恭平が一人でギターを弾いているところだった。
「よお、ギブソンじゃん」
「よお」
ギターケースを机の上に置いて中身を取り出し、チューニングのために音を出す。
普段なら挨拶をしたあとも、どちらともなく会話を始めて話題が転がるのだが、今日は互いに押し黙ったままだ。
響は抱えた不満や疑問を手に、恭平に詰め寄りたい気持ちでいっぱいだったが、いざ恭平を前にすると怖気づいてしまって、とてもそんな真似はできない。
なんとかして、いつも通りに振る舞おうと試みる。
「そういや学祭の曲はどうなった? 『ダンスホール』まじで演るの?」
「さあ。北田たちと会ってないから」
「まじ? じゃあずっと恭平一人だったわけ?」
「えっ?」驚いたような声。
「何? 一年でも来てた?」
ガチャリとドアノブが回る音。
振り向くと、ドアを開けたのは香里奈だった。
「河瀬くんじゃん。一週間ぶり」
なぜ香里奈が、と訝しむ。
「北田たちはいないよ」
「知ってるよ。さっきまで一緒だったんだから。北田たちは下手くそだから基礎練させることにした」
「基礎練? どこでやってんの?」
ギターとボーカルが軽音部の部室以外でどこで練習すると言うのか、と疑問が頭に浮かぶ。
「第二体育館」
「は? なんで?」
「なんでって、ダンスするなら第二しかないし」
「ダンス?」
「あれ、恭平伝えてないの?」香里奈が斜め横を向く。
「恭平って呼ぶな」
「いいじゃん! それでなかったらKyoって呼ぶよ? そっちの方が嫌でしょ?」
響はまさかと耳を疑った。Kyoと呼んだということは、ボカロPであることを教えた以外に考えられない。
ニヤニヤとした香里奈が響と目を合わせる。
「河瀬くん、知ってたんでしょ? 嘘ついたな」
「なんのことだよ」
「Kyoと組むことになったの」
「うそだろ?」
思わず大声が出る。もしかしたらと案じてはいたものの、恭平は以前に、香里奈とは組むつもりはないと断言していたから、心のどこかでは実際に組むことにはならないだろうと信じていた。
「私の歌を気に入ってくれて」
恭平を見る。興味がないとでも言うような顔でギターを鳴らしている。
「Kyoの再生回数見た? 3万いくよ。かなりきてるよね。組むなら今がチャンスじゃん。アルグレみたいに高校で投稿始めたらデビューも遠くないかも」
響はその言葉で気がついた。恭平は湊のファンだ。湊がボカロPからアルグレになったように、女性ボーカルを立ててバンドを組むのは当然のことかもしれないと。
「『ゼロ・カウント』のギターは河瀬くんなんでしょ? せっかくだからベース探したら?」
そこまで話す仲なのか。恭平のことを名前で呼ぶのも自分だけだと思っていた。恭平にとって、自分は特別な存在ではないのだ。
その考えが頭を支配し、恭平の顔を見ることが嫌になってきた。
「俺は今のバンドでいい。探すならドラムだ」
この二人と同じ空間にいたくない。そう思って部室を出ていった。
響は怒りに駆られながら、その怒りがどこから来ている感情なのかはわからなかった。
恭平から、ゾクゾクするほど声が好きだと言われて、その声で歌って欲しいと頼まれて、ギターをレコーディングしてくれたこと以上に嬉しかった。
湊に下手だと断じられ、自尊心を折られ、歌えなくなった響の心に、それ以来初めて照らした光だった。
──そこまで言ってくれるのなら、歌ってみたい。
そう考え始めていた。
Kyoの曲は、自分のために作られたのではと考えてしまうほど、今まで聞いてきた全ての曲の中で最も歌いやすく、自分の声に合っていると感じていた。それを作った本人に歌って欲しいと言われては、奮い立たずにはいられない。
最初は失望されるかもしれないと不安になり拒否したが、一週間もの間練習を重ねて、悪くはないかもしれないと、少しづつ自信を取り戻し始めていた。
そして、久しぶりに思い切り歌に集中して、響は思い知った。
──ギターを弾く以上に歌うことが好きだ。
歌う意欲が起きてきたのに、たった一週間の間に恭平は別のボーカルに鞍替えした。しかもそれが香里奈だったということが、堪らなく不快だった。まるで城田のように自信に満ち、美しく、独自にアレンジまでする努力家で、プロレベルの歌唱力を持っている。そんな香里奈を選んだことが許しがたかった。
香里奈よりも自分の方がKyoの曲を歌いこなせるはずだ。
そんな想いが無自覚にも、心の底で燃え上がり始めていた。