あぼろんから駅に向かう帰り道、来たときとは打って変わって人の数が倍ほどに増えていた。
「イベントでもあるのか?」
聞かれて人の波に目をやると、カップルや家族連れが多くいて、浴衣を着ている人も見えた。
「夏祭りかな?」
「どこで?」
「それは知らんけど」
「……混みそうだな」
恭平の言葉通り帰路の車内は混雑していた。帰宅ラッシュからズレているはずのこの時間帯にしては、驚くほどの多さだ。
これ以上混み合うと降りるときに困るだろうと考えた二人は、空席はあったが座らず、人の少ない車両の連結付近に居場所を定めた。
「響どこで降りんの?」
「宮台」
「わりと学校に近いんだ」
宮台は学校の最寄り駅から三つ目の駅だ。
「そっからバスで40分だから、距離で言うとかなりある」
湊と兄弟であることを知られていない場所を求めて、自宅から通学の便の悪い高校をわざわざ選んだというのに、バレてしまった今ではただ面倒なだけだ。
「恭平は?」
「俺は学校まで歩いて10分」
「まじ? いいな! あ、だからいつも主のように部室にいるんだ?」
「主って」
二つ目の駅ではそこまで増えなかったが、三つ目でわっと人が増えた。連結部分にいると降りられなくなるかもしれないと考え直し、ドアの方へ向かおうとするも、みな同じ考えだからか、向かうほどに人口密度が上がる。駅につき、また大勢が乗り込んできて、満員電車と言えるレベルにまでなってきた。
痴漢だと騒がれるのも嫌なので、二人は向かい合うようにして立った。混雑してきたせいで今にも触れそうなほどに距離が近い。恭平とは10センチ以上の身長差があるため、響の視界には恭平の肩がある。目の前にいる恭平のことをKyoだと意識しないように心がけて、ただのクラスメイトでバンド仲間なんだと、何度も胸のうちで繰り返した。
「響って彼女いんの?」
「えっ? なに?」
男子高校生としては健全な話題と言えるが、恋愛に興味がないはずだと決めつけていた恭平の口から出たことで、一瞬聞き間違いかと耳を疑った。
「誰か付き合ってる人とか……」
「いるわけないじゃん」
「葉山さんのこと……」
声が小さすぎて聞こえない。
「なに?」
「いや、好きな人とか」
「今はKyoだよ」
「ばっ……」慌てたように顔を逸らす。
好きな人と問われれば、現在ハマっているアーティストだと考える以外に繋げられない響は、話の流れから恋愛という意味で問われていたことに、答えたあとで気がついた。
「今ハマってるのはって意味で……他はなとりも好きだし、ワンオク、ミセスにヒゲダンも、それからバンプも……そういや恭平ってバンプの藤原に似てる」
「は? ……髪型だろ」呆れた声だ。
「意識してんの?」
「してねーよ」
「この目元が……」
その好きなボカロPが目の前にいるのだと、考えないように蓋をしていたつもりの意識が、再び蘇ってきた。
見上げるような角度で向かい合っているため、いつもは前髪で隠れている目元もよく見えて、やはりイケメンだなと惚れ惚れする。
隠れているのもミステリアスな雰囲気が出ていてかっこいいけど、この目がいいんだからもったいないと思い、耳元がキラリと光ったことで、ピアスをしていることに気がついて、似合うなあ、おしゃれだなあとうっとりする。
「じろじろ見るな」
不機嫌そうなその声で、見惚れていたボカロPが反応したことに驚いた。そうだ、相手は友人で、現在一緒に電車を乗っているんだと思い出し、もたげたバカな考えを振り払う。
恥ずかしくなり、俯いた瞬間に驚くことが起きた。いきなり尻を掴まれたのである。まさか痴漢かと頭をよぎってゾッとした。オーバーサイズTシャツにバギーパンツという、男女どちらともとれる服装をした小柄な響は、女性だと勘違いされてもおかしくない。横目で後ろを確認してみたら、手の主は父親と同じ年くらいの禿げたおっさんだった。
睨みつけてやると、おっさんは薄気味悪い笑みを浮かべた。女だと勘違いしたわけではなく、男だと知ったうえでの行為だったようで、それに気がついて全身が粟立った。
逃げるように前に出たら恭平に密着してしまい、驚いたようでビクッと身体を震わせた。
『後ろにいる禿げに痴漢されてるんだ』と目で訴える。
恭平は密着されたことで不快だったのか顔をしかめていたが、理由に気がついたようでハッとした顔になった。直後に腕を掴まれて、無理やりに引っ張られ、人波をかき分けてドアの方へと連れて行かれる。
ドアを背にして立たされ、すぐ目の前で守るようにして立ってくれた。密集度が半端じゃないため、ほぼ恭平に密着していると言っていいほどの距離だが、押し潰さないようにドアに手をかけて踏ん張ってくれている。
背中への圧力がひどいのか、恭平はつらそうに顔を歪めた。
「ごめん。てか恭平の駅の降り口ってこっち?」
恭平は学校のある駅だから、と考えて、逆側であることに気づく。
「ごめん! あんなの平気だから、もう少し向こうに行こう」
「ここでいい」
「俺は次だからこのまま降りれるけど、恭平あっちまで行ける?」
恭平を動かそうと手をかけるがびくともしない。というよりもほとんど密着している状態なので、まともに力が入らない。
「恭平!」
「ちょっと黙れ」
苛々とした声に驚いて顔を見上げる。汗だらだらで、歯を食いしばるようにしている。
「つらそうじゃん。元のところに戻ろう?」
しかし反応がない。
聞こえていないのかもしれないと考え、背伸びをして、恭平の耳元で言った。
「恭平の降りる駅は反対なんだろ?」
「……いい加減黙れ」
そのとき電車が減速し始めて、軽くだがガクンと揺れた。
背伸びをしていた響はバランスを崩してしまい、恭平の方へ倒れかかってしまう。
それをとっさに支えようとしてくれたのか、恭平が腕で抱きとめてくれた。
そのまま頭を抱えるように抱き寄せられ、背の低い響は恭平の肩甲骨あたりに顔がうずまり、息ができなくなるほどに密着した。
恭平の体温が顔に伝わり、心臓の鼓動が身体を伝ってくる。それが伝染したかのように、響の鼓動も早くなっていく。
吐いた息が耳元にかかり、長い前髪がこめかみあたりにわさわさと触れて、恭平との距離の近さを生々しいほどに感じた。
──これではまるで、抱きしめられているみたいじゃないか。
そう頭に浮かび、身体が熱くなった。
「恭平……」
「呼ぶな」
その声とともに手の力が強くなり、さらに押し付けられる。
ただ支えてくれているだけだと考えても、抱きしめられているとしか思えずパニックになった。
電車が完全に停車してドアが開いたとき、膨張した圧力が噴出するように外へ押し出され、その勢いに負けて転びそうになったのを、恭平が手を掴んで支えてくれた。
降車する人の波が押し寄せてきて、掴まれていた手をパッと放される。
あの人の多さでは密着するのは仕方がない。それに転びそうになったのを支えてくれただけだ。
そう考えても恭平の体温や耳元での息遣い、抱き寄せられるようにして身体に押し付けられた、その感触が未だに生々しく残っていて動悸が収まらない。
ドアが閉まり、電車が出発したあとも、しばらくそのまま呆然としていた。
乗客が改札口に吸い込まれたあとの、しんと静まり返ったホームを見て、響はハッとなる。
呆然自失としている場合ではない。
恭平の姿を探す。ベンチに腰を下ろしていた姿を見つけて、側へ駆け寄った。
「ごめん。俺のせいで」
「別に。すぐに次がくる」
目も合わせない。怒っているのだろうかと不安に駆られる。
「次も混んでるかも……」
恭平が電車を逃してしまったことが、自分のせいだと申し訳なくなり、どうにかできないものかと考える。
「こっからまたバスに乗らなきゃいけないけど、家に来ない? 父さんに送ってもらえばいい」
恭平は驚いたように顔をあげて、合わせた視線をすぐに逸らした。
「……そんなのいいよ。何本か見送れば空いたやつが来るだろ」
「でも、何時間も待つかも」
「そんなに待たねーよ」
恭平の言う通りだと思った。しかし、言い出したからには引くに引けない。
「このあと予定あんの?」
「ないけど」
「じゃあいいじゃん! 夕飯も食べていけばいい」
「なおさら行けるかよ」
「俺のせいだし」
「響のせいじゃない」
冷静になってきた響は、すっかり友人モードに切り替わっていて、素直に承諾しない恭平に対して、引けないどころか頑なになってきた。どうにかして連れ帰ってやると意欲を燃やし、考えた挙句に思いつく。
「兄貴の機材とか興味ない?」
そう誘いをかけてみたら、恭平の険しかった表情がふと緩んだ。
「好きに使っていいって言われてるから、部屋に入れるよ」
試しに腕を取ってみると、抵抗は見せず素直に立ち上がり、大人しくバス停へと連れ立ってくれた。
「イベントでもあるのか?」
聞かれて人の波に目をやると、カップルや家族連れが多くいて、浴衣を着ている人も見えた。
「夏祭りかな?」
「どこで?」
「それは知らんけど」
「……混みそうだな」
恭平の言葉通り帰路の車内は混雑していた。帰宅ラッシュからズレているはずのこの時間帯にしては、驚くほどの多さだ。
これ以上混み合うと降りるときに困るだろうと考えた二人は、空席はあったが座らず、人の少ない車両の連結付近に居場所を定めた。
「響どこで降りんの?」
「宮台」
「わりと学校に近いんだ」
宮台は学校の最寄り駅から三つ目の駅だ。
「そっからバスで40分だから、距離で言うとかなりある」
湊と兄弟であることを知られていない場所を求めて、自宅から通学の便の悪い高校をわざわざ選んだというのに、バレてしまった今ではただ面倒なだけだ。
「恭平は?」
「俺は学校まで歩いて10分」
「まじ? いいな! あ、だからいつも主のように部室にいるんだ?」
「主って」
二つ目の駅ではそこまで増えなかったが、三つ目でわっと人が増えた。連結部分にいると降りられなくなるかもしれないと考え直し、ドアの方へ向かおうとするも、みな同じ考えだからか、向かうほどに人口密度が上がる。駅につき、また大勢が乗り込んできて、満員電車と言えるレベルにまでなってきた。
痴漢だと騒がれるのも嫌なので、二人は向かい合うようにして立った。混雑してきたせいで今にも触れそうなほどに距離が近い。恭平とは10センチ以上の身長差があるため、響の視界には恭平の肩がある。目の前にいる恭平のことをKyoだと意識しないように心がけて、ただのクラスメイトでバンド仲間なんだと、何度も胸のうちで繰り返した。
「響って彼女いんの?」
「えっ? なに?」
男子高校生としては健全な話題と言えるが、恋愛に興味がないはずだと決めつけていた恭平の口から出たことで、一瞬聞き間違いかと耳を疑った。
「誰か付き合ってる人とか……」
「いるわけないじゃん」
「葉山さんのこと……」
声が小さすぎて聞こえない。
「なに?」
「いや、好きな人とか」
「今はKyoだよ」
「ばっ……」慌てたように顔を逸らす。
好きな人と問われれば、現在ハマっているアーティストだと考える以外に繋げられない響は、話の流れから恋愛という意味で問われていたことに、答えたあとで気がついた。
「今ハマってるのはって意味で……他はなとりも好きだし、ワンオク、ミセスにヒゲダンも、それからバンプも……そういや恭平ってバンプの藤原に似てる」
「は? ……髪型だろ」呆れた声だ。
「意識してんの?」
「してねーよ」
「この目元が……」
その好きなボカロPが目の前にいるのだと、考えないように蓋をしていたつもりの意識が、再び蘇ってきた。
見上げるような角度で向かい合っているため、いつもは前髪で隠れている目元もよく見えて、やはりイケメンだなと惚れ惚れする。
隠れているのもミステリアスな雰囲気が出ていてかっこいいけど、この目がいいんだからもったいないと思い、耳元がキラリと光ったことで、ピアスをしていることに気がついて、似合うなあ、おしゃれだなあとうっとりする。
「じろじろ見るな」
不機嫌そうなその声で、見惚れていたボカロPが反応したことに驚いた。そうだ、相手は友人で、現在一緒に電車を乗っているんだと思い出し、もたげたバカな考えを振り払う。
恥ずかしくなり、俯いた瞬間に驚くことが起きた。いきなり尻を掴まれたのである。まさか痴漢かと頭をよぎってゾッとした。オーバーサイズTシャツにバギーパンツという、男女どちらともとれる服装をした小柄な響は、女性だと勘違いされてもおかしくない。横目で後ろを確認してみたら、手の主は父親と同じ年くらいの禿げたおっさんだった。
睨みつけてやると、おっさんは薄気味悪い笑みを浮かべた。女だと勘違いしたわけではなく、男だと知ったうえでの行為だったようで、それに気がついて全身が粟立った。
逃げるように前に出たら恭平に密着してしまい、驚いたようでビクッと身体を震わせた。
『後ろにいる禿げに痴漢されてるんだ』と目で訴える。
恭平は密着されたことで不快だったのか顔をしかめていたが、理由に気がついたようでハッとした顔になった。直後に腕を掴まれて、無理やりに引っ張られ、人波をかき分けてドアの方へと連れて行かれる。
ドアを背にして立たされ、すぐ目の前で守るようにして立ってくれた。密集度が半端じゃないため、ほぼ恭平に密着していると言っていいほどの距離だが、押し潰さないようにドアに手をかけて踏ん張ってくれている。
背中への圧力がひどいのか、恭平はつらそうに顔を歪めた。
「ごめん。てか恭平の駅の降り口ってこっち?」
恭平は学校のある駅だから、と考えて、逆側であることに気づく。
「ごめん! あんなの平気だから、もう少し向こうに行こう」
「ここでいい」
「俺は次だからこのまま降りれるけど、恭平あっちまで行ける?」
恭平を動かそうと手をかけるがびくともしない。というよりもほとんど密着している状態なので、まともに力が入らない。
「恭平!」
「ちょっと黙れ」
苛々とした声に驚いて顔を見上げる。汗だらだらで、歯を食いしばるようにしている。
「つらそうじゃん。元のところに戻ろう?」
しかし反応がない。
聞こえていないのかもしれないと考え、背伸びをして、恭平の耳元で言った。
「恭平の降りる駅は反対なんだろ?」
「……いい加減黙れ」
そのとき電車が減速し始めて、軽くだがガクンと揺れた。
背伸びをしていた響はバランスを崩してしまい、恭平の方へ倒れかかってしまう。
それをとっさに支えようとしてくれたのか、恭平が腕で抱きとめてくれた。
そのまま頭を抱えるように抱き寄せられ、背の低い響は恭平の肩甲骨あたりに顔がうずまり、息ができなくなるほどに密着した。
恭平の体温が顔に伝わり、心臓の鼓動が身体を伝ってくる。それが伝染したかのように、響の鼓動も早くなっていく。
吐いた息が耳元にかかり、長い前髪がこめかみあたりにわさわさと触れて、恭平との距離の近さを生々しいほどに感じた。
──これではまるで、抱きしめられているみたいじゃないか。
そう頭に浮かび、身体が熱くなった。
「恭平……」
「呼ぶな」
その声とともに手の力が強くなり、さらに押し付けられる。
ただ支えてくれているだけだと考えても、抱きしめられているとしか思えずパニックになった。
電車が完全に停車してドアが開いたとき、膨張した圧力が噴出するように外へ押し出され、その勢いに負けて転びそうになったのを、恭平が手を掴んで支えてくれた。
降車する人の波が押し寄せてきて、掴まれていた手をパッと放される。
あの人の多さでは密着するのは仕方がない。それに転びそうになったのを支えてくれただけだ。
そう考えても恭平の体温や耳元での息遣い、抱き寄せられるようにして身体に押し付けられた、その感触が未だに生々しく残っていて動悸が収まらない。
ドアが閉まり、電車が出発したあとも、しばらくそのまま呆然としていた。
乗客が改札口に吸い込まれたあとの、しんと静まり返ったホームを見て、響はハッとなる。
呆然自失としている場合ではない。
恭平の姿を探す。ベンチに腰を下ろしていた姿を見つけて、側へ駆け寄った。
「ごめん。俺のせいで」
「別に。すぐに次がくる」
目も合わせない。怒っているのだろうかと不安に駆られる。
「次も混んでるかも……」
恭平が電車を逃してしまったことが、自分のせいだと申し訳なくなり、どうにかできないものかと考える。
「こっからまたバスに乗らなきゃいけないけど、家に来ない? 父さんに送ってもらえばいい」
恭平は驚いたように顔をあげて、合わせた視線をすぐに逸らした。
「……そんなのいいよ。何本か見送れば空いたやつが来るだろ」
「でも、何時間も待つかも」
「そんなに待たねーよ」
恭平の言う通りだと思った。しかし、言い出したからには引くに引けない。
「このあと予定あんの?」
「ないけど」
「じゃあいいじゃん! 夕飯も食べていけばいい」
「なおさら行けるかよ」
「俺のせいだし」
「響のせいじゃない」
冷静になってきた響は、すっかり友人モードに切り替わっていて、素直に承諾しない恭平に対して、引けないどころか頑なになってきた。どうにかして連れ帰ってやると意欲を燃やし、考えた挙句に思いつく。
「兄貴の機材とか興味ない?」
そう誘いをかけてみたら、恭平の険しかった表情がふと緩んだ。
「好きに使っていいって言われてるから、部屋に入れるよ」
試しに腕を取ってみると、抵抗は見せず素直に立ち上がり、大人しくバス停へと連れ立ってくれた。