教室ではあまり恭平に話しかけない。いつもスマホを片手にイヤホンをしているため、話しかけづらいという理由が一つ。二人の会話は音楽談義が主なので、休み時間に軽くするよりは、部室で楽器を片手に盛り上がったほうが楽しいからという理由もあるからだ。
 しかし今日は違う。一刻も早く誤解を解いておきたい。
 一番親しいと感じている友人に、秘密を言いふらしているなんて勘違いされたままでは落ち着かない。

 そう考えて、朝一番に話しかけるつもりだったのだが、思い悩み過ぎて眠れず、朝寝坊をしてしまった。
 ホームルームの開始ギリギリに登校したら、なんと恭平は欠席だった。なんだよ、と拍子抜けをした。

 今日は夏休み前最後の登校日だ。だからと言って何か変化があるわけでもない響は、終業ベルが鳴り、さあ部室へと、向かおうとしたタイミングで弓野に声をかけられた。
「よお。響!」
「なに? 部活行く?」
「いや、今日はパス」
 今日もだろ? そう思ったが、臆病な響がそんな不満を口にできるはずがない。
「俺らこれからガスト行くんだけど、響も行こうぜ。そのあとまたカラオケ」
 響はムッとした。遊ぶ暇はあるのに部活に出る時間はないのかと。
「行かない」
「香里奈が来るぜ」
 それで釣られるとでも思われているのなら心外だ。むしろ行く気は萎えるというのに。
「行かないって。じゃ、明日また部室で」
 響は反応を待たずに教室を後にした。

 部室に到着し、ドアの庇の上から鍵を取り出して開けて入室する。当然ながら誰もいない。
 他のメンバーはまだしも、恭平の不在は珍しいことだから、なんだか物寂しさがある。
 響は昼食用の弁当箱を机の上に置いて、スマホを取り出した。
 恭平に謝らなければ。夏休みに入る前に誤解を解いておきたい。どうやって切り出そうか──と考え始める。
 ストレートに謝るべきだなと入力しかけて、いや、やっぱり本当に誤解しているのかを確認してから、と迷う。
 考えがまとまらなくなり、先に空腹を満たすことにした。
 食べ終えると今度は頭が回らず、いつもの癖でギターを手に弾き始めてしまう。

 昨夜は朝と同様、Kyoの『ツキカゲ』を練習していた。途中でギターソロが入るところが難しく、よくこんなリフを考えられるなと関心しながら、絶対に弾きこなしてやると意欲を燃やしている曲だった。

 いい曲を書くなと惚れ惚れとしながら練習していて、ふと誤解されたことを思い出し、その発端となったこと──香里奈がKyoにハマっていることを同時に思い出す。
 もしかしたら、二人はバンドを組むことになるかもしれない。
 恭平の曲は歌っていて気持ちのいい曲だから、香里奈はさぞかし嬉しいだろう。もし自分だったら光栄だと感激するし、歌い手としての技量を最大限に発揮できると奮起するだろう。
 普段からも、自分だったらこう歌う、とギターを弾きながら口ずさんでいるものだから、弾いていると自然に歌いたくなってくる。
 湊の曲よりもツボど真ん中であることと、響の声質に合っていて歌いやすいことから、まるで自分のために書かれた曲なのではと思えたりもして、やりがいを感じられるだろうと、妄想が逸れ、もしも自分と恭平とが二人で組んだら、と頭に浮かんできて慌てて振り払う。ボーカル志望でもないし、恭平の前で歌ったことなどないのだから、そんなことあり得るはずがない。
 なにより歌が下手なのに何を言っているのだと自らを叱咤した。
 歌いたいという欲求がまだしつこく残っているのだなと、自分を憐れみ始めたら、途端に気分が落ち込んだ。

 それを打ち消そうと次々にKyoの曲を弾きまくり、演奏に没頭することした。

 夢中になり、陰鬱な気分もどこへやら、演奏に集中していく。音の世界に没入し、弾き終えて一息ついたときもまだ興奮状態だった。ふと気配を感じてドアの方へ振り向くと、驚いたことに恭平が立っていた。

「……やっぱ響は凄いわ」
 恭平の言葉に一瞬きょとんとなる。
 未だ余韻が冷めやらず、陶酔状態だった響は、頭に浮かんだ言葉をそのまま口にした。
「凄いのはKyoだよ」
 恭平が部室に入ってくる。その姿を目で追いながら、いつも恭平にしているように、弾き終えたばかりの曲への思いを語りたくなりウズウズとしてきた。
「Kyoの曲マジで好きなんだ」
 恭平はかすかに肩を震わせ、ドラムへ向かっていた足が止まる。
 今熱中している『ツキカゲ』のリフ部分の凄さも話したかったし、その他にも最近気が付いたことを伝えたくてたまらなくなり、また以前のように本人であることを忘れ、Kyoの魅力を語り始めた。
 恭平は歩みを止めたまま硬直し、目元は前髪で隠れていて見えないが、口はぽかんと言った形に開いている。
 それを見て、なぜ反応しないのだろうか?と思い浮かび、またやってしまった、と途中で気がついた。
「ごめん。何言ってんだ、俺。本人に向かってまた……まじでキモすぎるな。うざいかもしれないけど、こういう話をする相手が恭平しかいないから……」
 言い訳をしようとして、ついて出た言葉を慌てて止めた。
 ファンとして夢中ですと言うだけでなく、友人としても君しかいないというようなことを口走ってしまった。これでは二重に告白しているようなものじゃないか。事実ではあるものの、まるで恋を打ち明けたような恥ずかしさが襲ってきて、顔から火が出そうになる。

 恭平はドラムではなくベースケースの側へ歩み寄り、開けて中身を取り出した。
「キモくなんかない。恥ずいけど」
 ベースを取り出してアンプに繋ぐ。その様子を吸い寄せられるように目で追った。
「俺も響のギターがめちゃくちゃ好きだ。適当にジャムるリフはかっこいいし、テクも半端ない。俺には真似できないレベルだと尊敬している。ファンって言えるくらい……」
 そう言ってエフェクターを調整すると、言葉を続ける代わりにとベースを弾き始めた。
 たった今響が弾き終えた『露光』だ。

 鼻の奥がツンとして、視界が歪んできた。
 ──俺に合わせて、らしくないようなことをわざわざ言うなんて。
 そう考えて胸を打たれた。

 響も合わせて弾き始める。
 Kyoの曲を本人と二人で演奏している。その事実にも感動して胸がいっぱいになった。

「ありがとう。嬉しすぎる。まじでキモいこと言ってんのに、一緒に弾いてくれて……」
「それはこっちの台詞だ。響に弾いてもらえると嬉しい。それに、キモいとか言うのやめろ。あそこまで言われて喜ばないクリエイターはいないし、お前がキモいなら俺もかなりキモい」
 珍しくも饒舌に語り、心遣いを見せた恭平に、再び胸が熱くなる。しかしこれ以上言うと、互いに褒めあい続けてさらに気持ちの悪いことになる、と考えて押し留めた。
「うん、わかった。もう一回何か演ろ」
「ああ。じゃあ『ツキカゲ』」
 またKyoの曲を本人と弾けるのか!と思って心が踊る。上手いと言ってもらえたのだから、それを見せてやろうと奮起した。

 弾き始めてテンションが上がっていった二人は、次々とKyoの曲を弾き、全ての曲を演奏してしまった。

 弾き終えた満足感とともに感動の余韻に浸っていたとき、昨夜から悩み続けていたことを思い出す。
「俺がバラしたと思った?」
「何が?」
 恭平は、何のことかわからないという顔を向けてきた。
「俺は何も言ってない。Kyoのことは誰にも言わないよ」
「ああ」思い出したような声をあげる。
「響がバラしたなんて思ってない」
「じゃあ何で帰ったんだよ」
「……用事を思い出して」
 嘘だと思った。しかし、誤解されていないのなら気にすることでもないと忘れることにして、一番気になっていたことを、この流れで聞いてみることにした。
「葉山さんの曲を聞いてどう思った?」
「は?」
「ボーカルやりたいみたいじゃん」
「響とだろ? 俺は言われてない」
「いやいや、俺はボカロPじゃないし。それに『歌が聴きたい』って、あれ葉山さんのことだったんじゃないのか?」
「んなわけねーだろ」
 思い込んでいたため面食らった。ということは特定の相手がいたわけではなく、単に歌を聞きたかっただけだったのだろうか。
「でも歌上手いじゃん」
「普通じゃね?」
「あれが普通? どんな耳してんの? あれは相当なレベルだよ」
「まぁ、北田と比べればな」
「一緒に組めばいいじゃん」
「なんでそうなる? 関係ないだろ」
「だって、曲書いているんならバンド組みたくならない?」
「……まあ、それはそうだが」
 恭平は言い淀む。
「だったらいいじゃん」
「だからって、葉山さんにはボカロPであることを伝えたくないし、組む気もない」
 響はハッと思いつく。恭平はこだわりの強いヤツだった。あのレベルでも納得できないのか、それとも声質に不満でもあるのか。
「まあ、響が組んでやったら解決するんじゃないか?」
「は? だからなんで俺が──」
 にやりとした表情を見て、冗談を言ってこの話を終わらせたいのだと気がついた。