僕の寿命を全て、結姫に渡してほしい。

 僕は消えて、そもそもいなかったことにしてほしい。

 その願いを聞いたカササギは、顎に手を当てながら店内の瓶を眺めてる。

 どうなんだ……。

 この余命契約を結んで、本当の意味で結姫を助けてもらえるのか?

 「空知さん。あなたの提示する取引――いえ、お願いの前に、一つ問いましょう」

 「……はい」

 「私が取引の条件として定めた〝対価〟は、何だと思われますか?」

 「それは結姫の〝輝く笑顔と生き方〟です」

 そのはずだ。

 そうでなければ、この一年間で取引を打ち切られないわけがない。

 「――赤点ギリギリ、ですねぇ……」

 「……ぇ」

 「お試し期間、と私は申し上げましたよね? お試し期間で、たった一年の余命譲渡の対価だから、〝輝く笑顔と生き方〟のみで妥協して差し上げたのですよ」

 「そんな……」

 命の取引の対価として、充分じゃなかったのか?

 「結姫の弾ける笑顔は、ここに並ぶ瓶にも負けない美しさだったじゃないですか!」

 「ほう、そう思われますか?」

 「思います。失うはずだった命を、大切に懸命に……。やれなかったことに挑む生き方は輝いてたはずです!」

 「ええ。だから赤点ギリギリでも取引を継続したのですよ? 空知さんは、そこで思考停止なさって終わりですか? 他には思いつきませんか?」

 他に思いつかないかと言われても、結姫の一年以上に輝かしいものは思いつかない。

 カササギが望むのは、もっと他にあるのか?

 瓶を眺めて考えても、分からない。冷や汗が吹き出てくる……。

 「ふむ、お分かりになりませんか?」

 「……分かりません。教えてくれませんか? 必ず、用意します」

 だから結姫に、僕の余命を全て(ささ)げさせてほしい。

 そして結姫や皆の記憶から、僕を消してほしいんだ。

 僕なりに覚悟を込めた言葉のはずだった。

 だけどカササギは――

 「――これだから、依存で生きておられる方は……」

 溜息交じりに、そう呟いた。

 「……依存、ですか?」

 「いえいえ、これまた私としたことが……。ヒントがすぎましたねぇ」

 ヒント……。

 カササギは、明確な答えを教えてくれる程に優しくも甘くもない、か。

 前回と同じように、ヒントはやるから自分で考えろってことなんだろうな……。

 しばらく僕なんか無視していたカササギは、その手に小さな光が一つだけ閉じ込められた瓶を抱えた。

 他に陳列された瓶は、どれも沢山の星々が明滅しながら煌めいてる。

 まるで夜空に浮かぶ天の川のようにさえ映る。

 それに比べて、カササギが今抱えてる瓶の中身は……。

 まるで弱々しいLED電球が一つだけ、ポンと封じ込められてるようだ。

 何というか、味気ない。

 それどころか寂しそうにも感じて、あまり見ていたくない。

 「違いを、ご理解されましたか?」

 「何となく、ですが……。僕の人生は味気なくて、見応えがないってことですか?」

 「私は風情ある輝きが好みでしてねぇ。この棚に並んでる光……つまるところ人生は、揺らめきながらも煌めいております。つい見守り応援したくなってしまいませんか?」

 消えそうで消えず、一つの大きな輝きが弱まれば他の灯りが導くように、煌めきを取り戻していく。

 そこに魅力的な何かを感じるのは、僕にも伝わる。

 「さてさて、お話を戻しましょうか。空知さんの願い。それは(すなわ)ち――何もかもを諦め、有効に死んで楽になりたい。要は、そういうことでしょうか?」

 「……似てるかもしれませんが、違います」

 「おやおや? どこが違うと(おっしゃ)るのでしょうか?」

 挑発するような声音だ。

 そう思われても仕方がないけど……。

 「諦め、死んで楽になる。そうではなくて……。せめて最期ぐらい大切な人の役に立って消えたいと――」

 「――大切な人? ふふっ」

 「僕は何か、おかしなことを言いましたか?」

 「いえいえ。あなたはご両親が大切な子息を愛したやり方を、なぞっているだけ。だから履き違えている。それを笑ってしまうのは無礼でしたね。お()び申し上げます」

 母さんや父さんが愛したやり方を、か。妙に、しっくりきてしまうな……。

 人は――誰かに愛されたようにしか愛せないって言葉があった。

 だったら無意識で、愛情表現が似てしまうのも無理はない。

 「僕が歪みきっているのは自覚してます。だから、どうしたら結姫のためになるのか。僕なりに精一杯考えて命を――」

 「――あなたは生きる意味も理由も分からない。だから最も美しく輝いている者へ全てを投げ渡し(おのれ)の犯した罪も清算せず消えて終わりたいと願ってる。愚かにも相手の真の希望や望みを尋ねもせず、対話や思考も放棄して身勝手に。何か違いますか?」

 「…………」

 返す言葉もないってのは、このことか……。

 指摘されて、やっと自分が『愚か』と言われた意味を理解できた気がする。

 結姫が笑うことや楽しむことに尽くしてきたけど、様子が変だと不審に思われた。

 告白してくれた結姫に、身勝手に輝明を薦めた。

 他にも結姫のためと言いながら、 彼女を避けて七夕を迎えたり……。

 確かに、僕は身勝手だった。

 結姫のような気配りや心配りが、欠けていたと思う。

 だけどカササギのことを話したら結姫に嫌な思いをさせるかもしれないのに、どう対話しろっていうのか。一体、どうするのが正解だったんだよ……。

 「少しでも現状を認められたようで、安心いたしましたよ。危うく、お引き取りを願うところでした」

 知らず知らずのうちに、取引交渉を打ち切られるところだったのか。

 危なかった……。

 「非常に重い命の取引を行う上で、私にも自ら定めているルールがございます」

 「ルール、ですか?」

 「ええ。残念ですが、ここで全寿命の譲渡はいたしかねます。それでは、空知さんから手数料代わりの対価を(ちょう)(だい)できませんからねぇ。よもや、その手数料支払いすらも大切な人へ押しつけると?」

 「……いえ、そんなつもりはありません。手数料代わりの対価を支払う前提で、最大何年の余命を結姫に渡せますか?」

 尋ねるとカササギは、人差し指を一本立てた。

 「残る余命を全て渡して――一年だけ残すという条件ですねぇ。空知さんの余命は、残り一年。来年の七夕までに私の求める対価を支払えれば、契約完了手続きと参りましょう。途中で打ち切りの場合は、ご想像にお任せいたします。よろしいですか?」

 僕の余命が、残り一年になるのか。

 あと一年で寿命を迎えるが構わないかという、普通なら恐れるような選択の提示。

 それでも僕は、この瞬間に最期を迎えることを覚悟して交渉に来たんだ。

 「それでもいいです」

 「後悔なさらないですね?」

 念押しのように聞いてくるな……。

 生きる意味や理由が分からない者。あと愚か者だって僕を表現してたんだから……。

 僕の出す答えなんて、分かりきってるだろうに。

 「カササギも、人の生き方が好きで監視してたなら分かるでしょう? 結姫が望みを叶えて、受験に合格して、高校へ入学して……。あんな笑顔を可能な限り延ばせるなら、それでいいに決まってるじゃないですか」

 「ふむ……」

 カササギは僕の人生が封じ込められてるという瓶を、(てのひら)に乗せじっくり眺めてる。

 「――いいでしょう。残り一年の余命契約、取引成立です」

 「ぇ……」

 瓶へと視線を向けたまま、カササギは確かに言った。

 言った……よね?

 これで、これで結姫は助かる。助かるんだ!

 歓喜に震えてる僕へ視線を移し、カササギは溜息を吐いた。

 「さて、このまま帰しても結果は目に見えておりますねぇ。ふむ。それでは私から、もう少しだけヒントを差し上げましょう」

 ヒント? 対価のか?

 そうだった。支払い不可として突如、契約を打ち切りにされる場合もあるんだ。

 結姫が苦しむ姿なんて、もう二度と見たくない。

 一言一句を聞き逃さないと集中した僕に向かい、カササギは――

 「――冷静かつ客観的に現在の周囲、そして己を大切に見つめ直すとよいでしょう。そして私の好みは人の生き様。人生とは、自分一人で歩むものではございません。私が求めるのは、ここに並べられた瓶の中身のような関係でございます!」

 僕の頭を撫でてから、両手を羽ばたくように広げ陳列された瓶を示す。

 まるでダンスでも踊ってるかのように優雅で、胡散臭さが滲み出してる。

 「これだけヒントを差し上げても改善がないなら支払い能力なしと判断いたします。空知さんの寿命は頂戴した上で、余命の譲渡もいたしません。その取引内容でも、よいですか?」

 「……分かりました。それで、結姫が救えるなら」

 「……はぁ。これは期待薄ですかねぇ。しかし追い込まれたが故にこそ、というケースもありますか。打ち切りではなく一年後、契約完了の手続きでお会いできるのを祈っておりますよ」

 明らかにテンションが下がった声から、僕には期待をしてない――いや、期待に応えられないのだろうという感情が伝わってくる。

 一年後に、僕は死ぬ。

 もし途中で対価を払えないと判断されれば、結姫まで死ぬ。

 そんなの認められるか。

 絶対に対価を見つけて、結姫に渡した余命を定着させてみせる。

 絶対に、絶対にだ!