七夕の夜、僕にとっての織姫は死の瀬戸際にいた。
 
 先天性の不治の病と闘い続けてきた彼女が、夜空の星になるらしい。
 
 逃れられない最期であり絶対に受け入れられない未来が――遂にきてしまった。
 
 「(せい)くん……。どこ?」

 「()()……。ここだよ」

 「どこ、なの? もう、見えなくなっちゃった……。そっかぁ、私、死んじゃうんだね……」

 ベッドに横たわり発する(かす)れた弱々しい声音に、胸がギュッと締めつけられる。
 
 無機質な病室、鼻をつく薬品のツンとした香り、命の危険をビービー 伝える機械音。

 小動物みたいに明るく(はつ)(らつ)とした結姫には、何もかもが相応(ふさわ)しくないよ。

 ()(くう)を見つめる彼女の顔を(のぞ)き込み、手を握っても、弱々しい力しか返ってこない。

 ブルブル震える僕の手が、彼女を揺り起こしてほしい……。

 「僕は、ここにいるよ? ねぇ、結姫……。こっちだよ、どこを見てるの?」

 「惺くんと一緒の高校、通いたかったなぁ……」

 微笑む結姫の瞳は(うる)んでるけど――それでも、決して涙は流さない。

 自分が最期を迎えるというのに、結姫は約束を守ろうとしてるんだ。

 幼い頃から

 『涙を流したら、弱さも(あふ)れ出しちゃう。それに周りも嫌な空気にさせちゃうでしょ? そんなの絶対に嫌! 私は最期まで私らしくいるからね!』
 
 と語ってた。

 この世でたった一人、大切な君の言葉が……。

 痛々しいまでのプラス思考と強さが、胸を痛い程に締めつけてくる。

 弱音なんて、いくらでも吐いていいのに。まだ結姫は、中学生じゃないか……っ。

 一応は僕が一個先輩なのにさ……。何て無力なんだろうね。情けない、辛いよ。

 普段から役に立たない僕なんだから、せめて弱音ぐらい聞かせてほしい……。

 「結姫……。結姫? ねぇ、結姫!?」

 「…………」

 彼女の手を握っても、反応がない。

 物心ついた頃から結姫が中学三年生になる今まで、ずっと一緒にいたけど……。

 初めてだね、君が僕を無視するのなんてさ。

 「僕と同じ高校に入るんだって、結姫は言ってたでしょ? こんなところで僕なんかを一人にしないでよ。(あきら)めるのは、僕の役割で……。結姫には、似合わないよ?」

 「残念ですが……。もう時間の問題です。奇跡を起こせるよう、我々医療スタッフも全力を注ぎます」

 「…………」

 お医者さんの言葉に、何も返せない。

 それは僕だけじゃなくて、結姫のお父さんやお母さんも同じみたいだ。

 ただ泣きながら、結姫の身体に寄り添うばかり。

 メガネが曇ったのかな。目の前が(にじ)んで……。

 そっか――僕は、泣いてるのか。

 視界を滲ませる涙が(こぼ)れないよう、上を向いて病室を出る。

 唯一無二の 大切な人が、苦しそうに息をして目も開けられない姿なんて……。

 僕には、もう見ていられない。

 生まれてから十五年間。

 最期の最後まで、ずっと病気と闘い続ける結姫とは大違いの弱さだ。

 「死ぬなら、僕を連れていってよ。神様でも、天使でも、悪魔でも何でもいいからさ……。何となく生きてる僕なんかより、彼女を助けてよ……っ!」

 結姫が存在しない地上で、もう僕は生きていたくない。

 お願いだ。お願いだよ。

 誰でもいいから……。天使でも悪魔でも構わないからさ……。

 結姫を――助けてください。

 (いん)(うつ)とする僕を常に導き続けてくれた結姫の笑顔が、勝手に思い浮かぶ……。

 『(おさな)()(じみ)みなんだから、辛いなら私を頼ってね!  一緒に楽しく生きる未来を探そうよ!』

 ああ……。結姫の言葉が、今でも耳に響く。

 (はじ)けるような笑顔が、鮮明な動画みたく脳に流れてくるよ。

 僕を導いてくれてた結姫の声が、もう聞けないのか? 本当に?

 現実に迫ってることを考えると、身体の力が抜けてくる……。

 ずっと心を支えてくれた結姫のために何もできない自分を、消したくなる。

 「はは……。僕が情けないことを言ったら、また怒られるんだろうな」

 死にたいわけじゃない。

 だけど幼馴染みとして大好きでたまらない結姫が助かるなら、死んでもいい。

 いっそ――僕の寿命を全部渡して、元々いなかったことになってしまえれば……。

 結姫の笑顔を曇らせることなく、皆が幸せになれるはずなのに。

 僕は、『あなたが死にたいと思い適当に生きた一日は、誰かが本気で生きたくて仕方がなかった一日だ』という言葉を耳にしたことがある。

 それなら……あげるのに。

 生きる意味も理由も見つけられない――僕の寿命をさ。

 何でそんな都合のいい医療技術とかは発展してないんだろうな……。

 ふらふらとスタッフステーションの前を歩いていると

 「(いち)(かわ)結姫ちゃん……。もう、()たないんだって」

 「そう……。やりたいことが沢山(たくさん)ある年齢なのに、可哀想(かわいそう)ね」

 彼女についてスタッフの交わす会話が耳に入った。

 「それこそ……。奇跡を起こす、あの怪談みたいなのが起きないとね」

 「止めてくださいよ。その得たいの知れない怪談、夜勤中めっちゃ怖いんですから」

 「悩んで疲れ、人生に絶望してると……急に扉が開き異世界に――」

 「――先輩、嫌がらせですか!?」

 何が病院の怪談だ。

 人が死にそうな時に、くだらないオカルト話で談笑して……っ。

 たまらず病院の外へ出た瞬間、小雨が肌に ポツポツと当たる。

 夏場の汗と湿度のベタつく感覚で、少しだけ冷静に戻れた気がした。

 遠くからは(にぎ)やかな祭りの音が聞こえる。

 関東三大七夕祭りといわれる、埼玉県(さいたまけん)()(やま)()(いる)()(がわ)七夕まつりの音だ。

 楽しそうな音楽や人々の声、祭りという響きが……。何もかもを失おうとしてる僕からすると、(すご)く腹が立つ。

 いや、これは悔しいというべきかな。

 結姫や僕は、こんな不幸なのに……。

 天を仰ぐと、暗い雨雲の切れ間から(しん)()くさい病院と対極な光景が目に入った。

 「天の川か……。いいよね、織姫と彦星はさ。一年に一回は確実に会えるんだから。……僕は結姫と、もう二度と会えなくなるのに」

 もうすぐ結姫は、天の川を形作る星々の一つに加わるんだろう。

 僕では手の届かない、見上げるだけの空で。ずっと同じ場所に(たたず)んでいくのか。

 それは『全力で生きたい』と願い努力してた結姫が、絶対に望まないことのはずだ。

 何で……。死んでも構わないと思って生きてる 僕より、先に亡くなるんだ。

 連れてく人を間違ってるよ、神様。

 「命を奪うなら、僕のを奪うべきでしょ。皆の期待を裏切り続けて見放された僕なら悲しむ人もいないのに……。何で、何で死ぬのが僕じゃないんだよ!? おかしいだろ、そんなの!?」

 悔しさに耐えきれない。

 不条理を認められない。

 思わず目をギュッと閉じ、病院前の庭園に生えている大木へ(こぶし)を打ちつけると――
 「――輝けるものが何一つない。まるで闇夜のような客人よ。ようこそ、私の店へ」
 「……ぇ?」

 目を開ければ、アンティーク調な部屋の中で立っていた。

 両脇へ並ぶ棚に、ズラッと並んでる(びん)は何だ?

 まるで星々の(きら)めく宇宙みたいなものが、瓶の中に閉じ込められてる。

 その最奥、木製のレジ台 のような場所には――顔の上半分を白い仮面で覆う、黒い(えん)()(ふく)の怪しい男がいて……。この空間全体、現実感がない。

 僕は、遂におかしくなってしまったのか? そうか、それしかない。

 「私の名前は、カササギ。趣味のコレクションを兼ね、とある店を営んでおる者です」

 「……店って、そんなのは、どうでもいい」

 「おやおや? 本当に、そうでしょうか? 現状、名前負けも(はなは)だしい(そら)()(ゆう)(せい)さん」

 何で僕の名前を知ってるのか。

 そんなことを問う気力すら湧かない。

 「そもそも闇のような絶望を抱き、執念や(おん)(ねん)にも至る程に(ほっ)するものがなければ、この店への扉は開かれないのですがねぇ?」

 (うつむ)くと、木製の床にポタポタと()みが滲むのが見えた。

 彼女を想い落ちた、僕の涙か……。

 「私は人生の美しさを封じた瓶を求めております。取引という手法でねぇ。空知さん。あなたが求めておられるものは、何でしょうか?」

 こんな無駄話をしている間にも、彼女は……。

 きっと今頃は、もう――この世にいないはずだ。

 ここに並ぶ瓶の中身みたく、夜空に輝く星になってるだろう。

 それなら

 「……僕には、欲しいものなんて何もない」

 もう生きることに、意味も理由も感じない。

 ツカツカと床を踏み鳴らす音が次第に大きくなり、俯く視界に革靴が映る。
 そして

 「私の店では対価次第で何でも売り買いしますよ。――〝命の輝き〟の取引なども、ね」

 耳元で(ささや)かれた言葉が、脳内に何度も響く。
 命の輝き……。

 つまりは――消えかけてる結姫の命も、買うことができる?

 カササギという男が放った言葉に(かす)かな希望を見出して、顔を持ち上げた。

 半月のように口元を(ゆが)め微笑む表情。

 仮面の奥では、怪しい光を放つ眼光が僕を見据えていた――。
 生きる意味とか理由について考えだしたのは、いつからだろう?

 少なくとも小学校に入ったばかりの頃は、まだ生きる意味も理由も考えずに済んだ。

 『俺と(りん)()ちゃんが警察、結姫ちゃんと優惺がドロボーな! 制限時間は十分で!』

 『優惺くん! 結姫を私に捕まえさせないでよ?』

 『お、言ったね!? 凛奈、私を捕まえられるなら捕まえてみなよ!』

 そうだ。

 幼馴染み四人と、こうして遊んでる時間が()やしだったんだ。

 (たか)(はし)(てる)(あき)()々(さ)()凛奈。

 学校も家も近いから、物心がついた頃には一緒に遊んでいて気が付けばいつも四人でいた。

 消えたいなんて思うことも、少なかった。

 家庭ではともかく、学校での時間が楽しくて……。救いだったからだと思う。

 『ぎゃぁあああ、凛奈に捕まった! 鬼、悪魔、凛奈! 惺くん助けて! 脱獄脱獄!』

 『はいはい、結姫は無理して走っちゃダメなんでしょ? 大人しく(ろう)()に入って』

 『凛奈ぁ~! 私を病人扱いしないでよ!』

 『だから全力で捕まえたでしょ? (よう)(しゃ)なくさ』

 泥棒と警察に分かれた鬼ごっこ。

 身体の悪かった結姫は体力もなくて、いつも真っ先に捕まってた。

 警察役の凛奈ちゃんに連れられた結姫は、牢屋に入れられる。

 そんな結姫を、校庭の木の(そば)から見守りながら――

 『――ん? 今、木が揺れた? あの葉っぱの間にある服、優惺か!?』

 『え、(うそ)! 優惺くん見つけた!? 今日は絶対、捕まえてやる!』

 『惺くん、逃げきって!』

 視線を上げ木に向かい走る輝明と凛奈ちゃん。

 そんな二人の様子を笑いながら見つめる僕は――

 『――え、服だけ引っかかってる!? 優惺、上着を残して逃げた!?』

 『嘘!? じゃあ優惺くん本体はどこ!?』

 木に登って捕まえようとしていた二人の叫び声を尻目に、物陰から飛び出た。

 『結姫、タッチ! よし、脱獄だ!』

 『惺くん、迎えに来てくれるって信じてたよ!』

 牢屋代わりにしたサッカーゴールの中で立っていた結姫の手を取る。

 『マジか、結姫ちゃんにまで逃げられた! 反対側に回り込んでるとか忍者かよ!』

 『悔しい! また優惺くんにやられた!』

 ああ……。懐かしいな。

 二度と戻ってこない、皆との楽しい日々。

 どうして狂ったんだろうと思い返せば……当然だったなと諦めに至る。

 あれは、小学校の四年生ぐらいだったかな……。

 狭山市に近い(ところ)(ざわ)(こう)(くう)(こう)(えん)に親子四組で遊びに行った時にも、徴候はあった。

 日本の航空発祥の地とかで、航空機の展示とかスポーツ場、小川で自然と触れ合えるとか。もの凄く広くて色々なものがあると聞いて、胸をときめかせた。

 アスレチックとかで遊びたいねと、四人で話してたっけな。

 だけど実際には……そうはならなかったんだ。

 当日、両親は僕の手を引き合いながら

 『優惺、まずはフライトシミュレーターに乗るんだ。そこで航空機に興味を持ってから詳細を勉強しよう。最後に操縦席へ座れば、さらに学べるだろう 』

 『あなた、何を言ってるの? 航空機の操縦なんて優惺の将来の役に立たないじゃない。 優惺、管制塔へ行くわよ。実際に英語で交信してた音声も聞けるらしいわ。優惺なら聞き取れるわね?』

 『お前は、また! 興味関心と理屈を学ばせなければ思考能力も育たないだろう!? 』

 『優惺が立派な大人になるのを邪魔してるのは、そっちでしょう! あなたの教育は間違ってるのよ! 実用性とか理論的根拠が乏しいものに優惺を促さないでよ !』

 大声で(けん)()をしている姿に、皆は 顔が引きつってた。

 代々続く一族経営企業の社長をしてる父さん。

 東京の大きな病院で研究もしてた、優秀な看護師の母さん。

 今なら分かるけど……。

 悪気はなく、一人息子の僕に期待して教育熱心だったんだと思う。

 『おじさん、おばさん! 惺くんは私たちと遊ぶ約束があるの。だから』

 『結姫ちゃん。悪いけど、これは家庭の問題だ』

 『そうよ。うちの教育だから、口出しをしないで遊ぶといいわ。身体に気を付けてね?』

 『でも、でも……。惺くんは遊びたいって、言ってたんだもん!』

 結姫が涙ぐみながら、僕の目を見る。

 そんな結姫を連れ戻そうとしてる両親にも、結姫は必死に抵抗してたな。