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 あの日、羽田を飛び立ってトルコで降りたナターシャは、ロシアへは行かずにイスタンブールにとどまっていた。
 ヘッドハンティング専門の会社に勤める大学時代の友人、アイラの自宅に居候させてもらっていたのだ。
 
 トルコ人であるアイラが勤める会社は、サーチ型と言われる独自ルートで人材を探し出すサービスを強みとして持ち、研究者へのアプローチでは業界トップレベルと言われているらしい。
 ロシア語が堪能な彼女はロシア人研究者の引き抜きを担当している。
 何故ロシア人かというと、欧米では年収1億円以上を担保しないと転職しないレベルの人材がその半分以下の金額で引き抜けるからだ。
 それだけではない。
 今回のウクライナ侵攻によってロシアが孤立し、欧米との共同研究が打ち切られるという危機感を持つロシア人研究者が増えていることも追い風となっている。
 自らのキャリアを考えると、ロシアにいても未来はないと思うのは当然で、今まで以上に引き抜きやすくなっているのだ。
 
 そもそもソ連邦崩壊後の研究環境は悪化している。
 その結果、ロシアの科学技術力は年々低下の一途をたどっており、国際社会の中での存在感は著しく低いものとなっている。
 例えば、研究開発費は360億ドル程度で、アメリカの十分の一以下、日本の四分の一以下となっており、対GDP比でみても1.1パーセントとかなり低い。
 先進国のレベルから大きく離されているのが現状なのだ。
 しかも、研究開発費の三分の二が政府からの支出であり、産業界からの支出額は極めて低い。
 それは、基幹産業が石油やガス、石炭などのエネルギー分野であり、研究開発主導型の産業ではないことが大きな要因となっている。
 そのこともあってか、研究者の数自体が極めて少ない。
 37万人ほどしかいないのだ。
 それだけでなく、年齢分布が(いびつ)であることも大きな問題となっている。
 全研究者に占める50代以上の割合が45パーセントとかなり高いのだ。
 25パーセント程度のアメリカと比べればその差は歴然(れきぜん)だ。
 その結果、科学論文数の世界シェアは年々低下している。
 アメリカの十分の一以下、日本の三分の一程度と存在感は希薄だ。
 唯一気を吐いている分野が物理学で過去に8人のノーベル賞受賞者を輩出しているが、それも2010年を最後に途絶えてしまっている。
 ロシアの科学技術レベルは目を覆いたくなるほどの状態になっているのだ。