長い国境線を有しているロシアと中国の関係は複雑だった。
 互いに領有権を主張しては武力衝突を繰り返すということが続いていたのだ。
 最初の頃は軍事力に圧倒的な差があったことからロシアに分があったが、中国はそれを覆すためにアメリカに接近した。
 それは80年代のことであり、それによってロシアを牽制(けんせい)できるようになった。
 その後しばらくその状態が続いたが、ゴルバチョフの時代になると変化が訪れる。
 国境交渉が再開されたのだ。
 91年には中ソ国境協定を締結して東部国境をほぼ画定するまでになり、更にエリツィンの時代になると西部国境が画定されることになる。
 その結果、積み残されたのは3つの島の帰属だけとなった。
 しかしこれもプーチンが電撃的に解決する。
 それは超大国を目指す中国との係争の芽を早期に摘んでおきたいという思惑によるものだった。
 その後は適度な距離を保ち続けたが、中国の巨大化とロシアの停滞が立場を逆転させる。
 中国のGDPがロシアの10倍以上になったばかりではなく、一人当たりのGDPでさえも抜かれてしまったのだ。
 かつては兄貴分だったロシアも弟分に成り下がるしかなかった。
 しかし、ロシアがそのことを認めることはなく、対等な立場を強調し続けた。
 それに対して中国も敢えて異を唱えなかった。
 共通の敵がいたからだ。
 アメリカをリーダーとする自由主義国家群だ。
 欧米との対立が両国を結び付ける接着剤となったのは間違いない。
 それは、『自由主義連合』対『専制主義連合』であり、言い換えれば、『民主主義連合』対『独裁者連合』ということになる。
 新たな冷戦の始まりが静かに告げられたのだ。