8.日常は、穏やかなものだ

 日曜日。家族連れで賑わう、市で一番大きなショッピングモールに僕とアンジ、それから天使くんはやってきていた。
 男子高校生がゲームセンターで全力で遊ぶ姿って、傍からはどう見えるのだろう。
 僕はそんなことを気にしながら、クレーンゲームの下矢印をぽんと押す。ガチャンとアームが閉じた後で、ウィンウィンと機械音が鳴って本体が上限まで上がると、ガクンと揺れて、掴んでいたぬいぐるみがボフンと下に落ちてしまった。

「うおあああああ」

 固唾(かたず)を呑んで見守っていた天使くんが、髪の毛をかきむしって悔しがる。

「なんでだ! 確実に今のは持っていけたはずだ! 持ち上げた反動で揺れたぐらいでゆるむアームだなんて、確信的に調整されているに違いない」
「はいはい、そうですそうです」
「なんということだ!」
「だからね、こういうのは、取れないように調整されているのに、取るっていうゲームなの」
「そんなの、自ら百円を投じてカモになるという」
「はいはい。そゆこと」

 僕と天使くんの会話を、アンジは手に持ったシェイクをストローで飲みながら背後で聞いている。
 ファストフード店のバニラシェイク(クーポンで三十円引き)も、クレーンゲームも、全部が初めてという天使くんに、僕は本当に驚いた。そんな高校生が実在するだなんて、衝撃だ(バイクの二人乗りは、初体験でも驚かないけれど)。
 
 中でも天使くんがドハマりしたのは『メダルゲーム』。お金と対価交換したメダルを機械内に投じて、下にジャラジャラと落として、眼前のデジタル画面でイベントが起こって――ジャックポットに当たると一攫千金! みたいに、今まで積み上げていた他の客のメダルも全枚数こちらに落ちてくる。ある程度の資金があれば時間潰しにもってこいのゲームだ。
 僕は、先ほどまでやっていたメダルゲーム機を名残惜しそうに振り返る天使くんへ、持っている情報を話す。

「あのメダルゲームね、もともとゲーム機でプレイするやつなんだよ。強いモンスター狩りに行く」
「元ネタがあるということだな。よし、家でやってみる」
「ゲーム機本体とか、結構高いよ?」
「愚問だな」

 アンジが勧めたバイク用ヘルメットも二万円するのに、あっという間に購入してみせた天使くんは、親からクレジットカードを渡されているらしい。
 そのことは、絶対に三ツ矢たちには言うなよと念を押してある。現金を引っ張れない代わりに物をせびるのは、目に見えている。

「あんまりこう、欲しいものはすぐ買える的なのは、見せない方がいいんだって」
「分かってる」

 興奮気味の天使くんに、忠告は届いているのだろうかと不安になりつつ、僕らはショッピングモールを後にした。
 僕のバイクは父親からお下がりでもらった、シルバーの車体で尖ったライトの大きめスクーターで、タンデムシートが付いている。それと黒いアメリカンなジェットヘルメットは、ぽっちゃりな僕には似合わないけれど、親父の趣味だから仕方がない。天使くんは青いクラシックデザインのジェットヘルメットで、こちらは似合っていた。
 アンジの原付が、僕の後ろを走る。ツーリングも兼ねているので、近道ではなく広くて気持ちの良い海岸線を選んで走った。
 
「ありがとう。こんなに興奮したり声を出したりしたのは、初めてだ」

 天乃家の前で、バイクを下りる。
 充実した表情を見て、僕は連れて行って良かったなと素直に思えた。
 
「いえいえ。体調は大丈夫?」
「心配いらないぞ」
「……なんかあったらすぐメールして。ね」
「もちろんだ。文化祭に備えて、もっと高校生の文化を学びたい。これからもよろしく頼む」
「いや何歳なんだよ、天使くん」
 
 こういう時、基本的にアンジは黙って見守っている。三人になると、途端に喋らなくなるのだなと発見した。
 
「アンジも、バイク出してくれてありがと」

 僕が話を振ると、アンジはヘルメットを脱がないまま首を横に振った。

「あ、そっか。ふたりにガソリン代を払わねば」

 ごそごそと天使くんがカバンをまさぐり、財布を出そうとするので、僕は手を振ってそれを拒否した。

「いいよ。僕も遊んだし」
「しかし」
「俺もいらん。今度なんか奢れ」
「ああ、それいいね。今度ジュースかアイス、奢ってよ」
「もちろんだ!」

 この日から僕ら三人は、なんだかんだ土日を一緒に過ごすことが増えた。いつも天使くんが「あれしたい」「これしたい」と唐突にメッセージを入れるから。
 海に入ったことがないからと砂浜で遊んでみたり、ひたすら天乃家の縁側でゲーム(爆速でス〇ッチを買っていた)したり。
 掃除や洗濯は? と聞いたら、週一でお手伝いさんが来てくれているらしい。セレブだ。
 
 それでも庭は荒れていたので、アンジと僕で草むしりぐらいはやろうかとなった時、さすがに天使くんは複雑な顔をしていた。いつまで住むか分からないのに? と言いたそうなのは分かっていたけれど、虫がブンブン飛んでいたし、防犯上も良くない。ある程度整えたら、家主の顔も明るくなった気がする。
 
 草むしりのギャラ代わりに高級アイスをもらったけれど、アンジも僕も、質より量派。「小さくて濃厚で美味しいのより、大きくて普通に美味しい方がいい」という結論に達したのは面白かった。

 珍しく外出の増えた僕を心配した母親には、軽く事情を説明しておいた。そうしたら、天使くんを家に連れて来なさいと誘ってくれた。
 しきりに遠慮する天使くんに対して、「細い! 食べなさい!」と説教して晩御飯を食べさせる僕の母親をついに「分かりました、エリコさん」と呼び始めたのは面白い。

「エリコさんは、疲れやすくて大変なのに、僕の分まで」
「一人分も二人分も変わらないわよ。毎日でもいいから、食べに来なさい。ね」

 本当は『ふたりめ』も欲しかった母は、天使くんをもう一人の息子に認定したようだ。
 
「ボクは……はい、ありがとうございます」

 かろうじて「もうすぐ死ぬんです」というセリフを飲み込んだに違いない。
 僕には全然実感がない。天使くんは普通に喋って、動いて、具合の悪そうな気配が全くないからだ。
 
「ありがとう。ユキ」
 
 けれども、僕の家を出る時の彼は、必ずそう言う。きっと、これが最後でも良いように。
 あまりにも穏やかで、当たり前で。

 のんびりと毎日を過ごす僕には、全然分からないんだ。
 
「ボクが天使になるためには、誰かを助けないとならないのに。してもらってばかりだな」

 達観したように夜空を見上げる天使くんの横顔には、充実した笑顔が浮かんでいる。
 月明かりで輝いているように見えて、僕は確かにそこに命があることを実感する。

「……いいじゃん別に。文化祭は、頼んだよ」
「もちろんだ」
 
 ――君が死んで天使になる? そんなの、全然、現実味がないよ。