パフュームフラワー

 朝谷こうきは嬉しそうに笑っていた。

「よっちゃん? いや、いや名前か。苗字じゃないのかよ」

 夜倉は目を見開き、言い返す。

「いいの、今からよっちゃんだから。俺のことは朝ちゃんでもいいんだよ」

「嫌ですね、朝谷」

 夜倉は腕まくりをして、髪も濡れたので両手で髪をぐしゃぐしゃにする。

「朝ちゃんでもいいんだよ。よっちゃん」

「それさ、よっちゃんイカみたいだからやめてくれない?」

 夜倉は呼び慣れないあだ名に戸惑いを隠せない。

 友達もいないのであだ名を呼ばれたことがない。

「嫌ですよー」

 そう言いながら、ホースを夜倉に向けてきた。

「やめろよ、かかる! かかる!」

 夜倉はかけられて嫌なはずなのに久々に学校で前髪を上げて、顔を出して、控えめに笑っていた自分がいた。

 バスケが終わるまで彼らは水をかけあった。

 水が身体全体に濡れたので、着替えるために教室に戻った。

 教室には誰もいないので上着だけ予備用で一応ロッカーにあったので身体をタオルで拭き、着替えた。

 少し天パ気味の夜倉ははねている髪を整えているが、整わない。

 競技は強制参加だが、何も言われなかった。

 休んでも問題なかったのか。

 何も言われてこないし、なんでだろう。

 いいかと考えるのを放棄して、次はサッカーと野球が残っている。

 去年と同じだと屋外でサッカーだ。

 参加しようと教室を出ようとした時、誰かがいた気がして、後ろを振り向くと誰もいなかった。

 首を傾げて前を向いて歩き始めた。

 それから、サッカーに参加した。

 幸い、人数が多いので補欠になった。

 そのあとの野球もなぜか……。

 疑問しかなかった。

 当日参加している人は急に体調が悪くなったりしない限り、休めない。

 夜倉は一人考え込んでいた時に、夜倉の担任が声を掛けてきた。

「夜倉。大丈夫か?」

 ジャージ姿の担任は首にタオルを巻き、いつもより三倍の笑顔で微笑み、声を掛けてきた。

「なんですか?」

 夜倉は担任を見据える。

「なんだじゃないだろう。体調悪いんだって。大丈夫か? 頭痛いか。ってか、保健室に行ったか?」

 体調悪いって誰に聞いたのか。

 言ってないし。言うとしたら、誰が。

「先生。体調が悪いって誰に聞きました?」

 担任は目を上にあげてから、口を開いた。

「朝谷だよ。朝谷と仲良かったんだな。自分では言わないだろうからって」

 優しいよな、朝谷と担任は呟いて、夜倉の返答を待っていた。

「……っ…それっていつ言われたんですか?」
 夜倉は下を向いてから担任の顔を見合わせた。

「ああ……、バスケ始まる前かな。そのあと、朝谷どっか行ってそのままバスケには参加しなかったみたいだな。だから、欠席扱いになったみたいだけど。次は参加するって元気に今もバレーやってるぞ。逆に元気過ぎて怖いんだけどな」

 担任はおちゃらけたようにあははと大きい口を開いて腕を組んでいた。

「すいません。俺行きます。失礼します」

 夜倉は担任の横を通り過ぎて、走った。

「おい、走ると具合が悪くなる一方だぞ。夜倉。いきなりどうしたんだ」

 担任は夜倉に叫んだあと、夜倉とは反対方向に歩いて行った。

 体調が悪いってなんでそんなこと言ったんだ。

 夜倉が参加したくないのが分かったからか。

 さっきほど、店員とお客の関係ではなく、友達になった。

 けど、友達になる前にそんなことして、夜倉が嬉しいと思うのか。

 バレーがやっている体育館に向かう。

 着くと、そこは最終予選の試合をしていた。

 試合には朝谷もその中にいた。

 試合を応援している人たちでいっぱいでうちわを持って大声で叫んでたり、行け行けと手を叩いて応援していた。
 学年や年齢関係なく、どちらのチームを応援するというよりもバスケをしている人たちを応援していた。

「なんで……」

 夜倉は朝谷の気持ちが分からなかった。

 先回りしてこんな夜倉の気持ちを見透かしたようにしてくれるんだ。

 朝谷はシュートを決めて、チームのみんなに囲まれてイエーイと両手を上げて、満面な笑みを浮かべていた。

 眩しい。照り付ける太陽の様に焦げそうだった。

 あの顔を見てるだけで日焼けしそう。

 夜倉と朝谷は本当に友達になっていいのだろうか。

 コットンに香水が沈んで、匂いが広がっているのに自分の鼻で感じているのかいい匂いがしないように感じた。

 影と光じゃ対等じゃない。

 喜んでいる朝谷は誰かにピースをしていた。

 友達はいろんな形がある。

 だからそれは本当の友達じゃない。

 表向きで朝谷にとって夜倉はただの都合のいい道具に過ぎない。

 そうに違いない。

 球技が終わり、ダンスの種目になった。

 ダンスでは高校一年生から順序にダンス発表がある。

 いつもダンスの発表の際は一段と盛り上げる。

 球技だとボールを追いかけて、入れたら歓声があびる。

 だけど、ダンスは違う。

 音楽に合わせて、フリを覚えて踊る。

 クールだったり、ユーモアがあって笑えたりする振り付けもあったり、カッコかわいいダンスがあり、どの学年も目が離せない。

 ダンスは踊っている時だけ、静かにして終わると、拍手喝采になる。

 どの学年も相当なダンスを覚えて、このために練習したのだ。

 俺たちのクラスがもう少しで発表になる。

 夜倉はいつもダンスの時はクラスに迷惑をかけないようにするために、事前にダンスを撮っておいた動画を見て、ひとりで練習をする。

 練習を重ねて重ねて、やっとダンスができるようになった。

 球技は休んでいたが、ダンスは参加しないといけない。

 担任は休んでおけとダンスが始まる前に言われたが、夜倉はやることにした。

 はっきり言って、強制的参加というのが気に入らないが、やるからにはやる。

 やんなくてもやっても誰も見やしないが、折角、練習したのにダンスをやらないのは夜倉にとって頑張って練習したのにやらない手はなかった。

 ダンスは球技同様、人が集まるが一人でリズムを合わせて、周りを見てやれば問題はない。

 球技よりダンスの方が空気的にいい。

 その差は夜倉にも分からないが、なんとかやれる。

「それでは……この学校の恒例。高校1年生からクラスごとで発表していきます。ダンスパフォーマンス。では、お楽しみに」

 司会をした副校長が本物の司会者のように蝶ネクタイをつけて、短い髪もワックスできちんとしていた。

 声とともに片手を広げて、幕が上がった。

「高校一年A組のパフォーマンスをお届けします。テーマは「輪廻」。どうぞ」
 
 副校長が明るくマイク越しで楽しそうに声を続けた。
 
 生徒達も笑って、ステージを目に向ける。

 ステージで踊っている高校一年A組はキレがよくて、クラス一丸になって練習したであろう。

 細かいしぐさも手の使い方もレベルが高かった。

 クラスごとのダンスパフォーマンスが強制参加になった時は、ダンスが踊れない人もいても優しく見守り、踊れなくても頑張ったねとなっていた。

 だが、今はダンスが行事のイベントになり、ダンスのレベルが高くなっていた。

 リズムに乗れない人がいたら、ため息を吐くようになる人が続出した。

 ステージでダンスを踊る人の見る目が厳しい。

 体育館の床に体育すわりをして、ステージを見る。

 ここで見るからでも、おおとなるのだが、自分がやるとなったら話は別だ。

「よっちゃん!」

 夜倉は体育館の床に座り込んでいた。
 
 急に話しかけられて、目を丸くした。

「……なに。驚いて。そんなに、驚いた?」
 
 朝谷は夜倉の背中を両手でバンッと叩いてきて、声をかけてきた。
 
 驚くよ。
 
 朝谷はなぜここにいるんだ。

「なんでここにいるのかって顔してるよね。俺はここからの場所の方が見えるから。それでいいでしょ?」

 朝谷はニコニコと満足そうに夜倉の隣に体育座り、両膝を顔につけて、夜倉の方をまばたきをして見る。

「……そっち、向けよ……」

「だって、こっちの方がいいし。あっ、ダンス始まるよ!」

 朝谷は夜倉の肩をポンと叩き、高校二年生のダンスステージが始まった。

 次のテーマは「笑い」で、腹を抱えて笑う振りや口を開けて手を添えたり、微笑んだりする振りがあった。

 見ているだけで、笑いたくなるような振り付けで少し口角を上げた。

 ダンスが終わると、朝谷は笑ったーと夜倉を指をさしていた。

「なんだよ!」

「笑うなんてね、中々ないからね〜」

 朝谷は夜倉をからかっている。

 笑って、楽しそうにしている。

 なぜ球技では夜倉が体調悪いなんて言って、休ませたんだ。

 夜倉にそこまでさせるものなんてない。

 朝谷の行動は全く分からなかった。

 当たり前の行動をしているだけと返されそうだが、友達だからなのだろうか。

「…………」

 夜倉は黙って、朝谷が笑ってる姿を目を向ける。

「…次、よっちゃんのクラスでしょ。はい、行ってきて。その次は俺のクラスだし」

 朝谷は体育座りをして膝を抱えたまま、手を振っていた。

 周りの生徒たちはうわ、ウチのクラス大丈夫かな、ダンス間違えないようにしないとなどと不安や楽しさで混じり合っていた。

「よし、次は高校三年生です。高校最後の年。身を納めです。……悲しいですね、グスッ」

「副校長、泣いてるんですか?!」

「副校長〜〜」
  
 後輩の女子生徒は両手を叩いて、ケラケラと笑って叫んでいた。

「泣いてますよ。最後なんですから。そりゃ、泣きますよ」

 副校長はパンツのポケットの中はハンカチを出して、目元にハンカチを拭い、声を出す。

「じゃあ、高校三年生のパフォーマンス始まります。最初のテーマは「輝きと闇」」

 副校長が声を高らかに発して、手を挙げた。

 暗闇からのスポットがあたり、夜倉のクラスメイト達は下を向いてから、音楽に合わせて顔を上げる。

「……ダ、ダン、ダ、ダン………」

 細かい振りをしてから大胆な振り付けで生徒や先生まで釘付けだ。

 夜倉は後ろの方でダンスを踊っていた。

「よっちゃん………」

 朝谷は感嘆していた。

 意外にも夜倉は身長が高くて、腕も長いので見栄えしていた。

 朝谷以外にも、見惚れている人が多数いた。

「ねぇ、ねぇ、あんな人いた?去年見たけどそんなやついなかったし、え?マジであの人かっこいいんだけど……」

どこからか女子がキャーと言って、指をさしていた。
 
 朝谷はムッとしながら、周りを見渡す。

 大体の女子は夜倉に夢中だ。

「え?あんな奴あのクラスにいないよね。なんであんなカッコいいんだ」

 後輩の女子たち、数人で騒いでいた。

 朝谷はそれに対しても、あまりよく思ってなかった。

 夜倉はそれに気づかなく、淡々と覚えたダンスを踊っていた。

 音楽とともにダンスが終わると、拍手と喝采で盛り上がった。

「イェーイ!?フゥー!」

 学年の生徒たちは手を挙げて、声を出していた。

 そんな盛り上がりの中、朝谷は拍手をしなかった。

 ずっと夜倉を見つめて、熱い視線をおくっていた。

「……よっちゃん………」

 そう言ってから、みんなが拍手や声を出している中、立ち上がった。

 朝谷は夜倉が戻ってくる舞台裏の扉で待っていた。

「いや、楽しかった。前より盛り上がったし、前よりみんなダンス上手くなったし、音楽もあの曲で良かったよね」

「そう!あの選曲良かった!」

 夜倉と同じクラスメイトの女子が共感しながらも、そうそうとお互いを指をさしていた。

「ねぇ、夜倉くん」

 夜倉はクラスの女子に肩を叩かれて、名前を呼ばれた。

「…なに?」

 夜倉はクラスの女子に呼ばれて、振り返る。

「夜倉くんって彼女いるの?」

 クラス女子はお団子結びをして、クラスシャツを着て目を光らせていた。

「え?あー、いないけど。それが何?」

 うん?と首を傾げて、夜倉はクラス女子に聞いた。

「いやー、それがね」

 クラス女子は団子頭で前髪を触って、あのねと体をクネクネしていた。

「よっちゃん!」

朝谷は舞台裏まできて、夜倉を呼んだ。

「朝谷」

「朝谷くん。あ、夜倉くんと友達なんだ。意外! えーいいね。朝谷くんもさうちらのクラスの打ち上げ来る?ってか、来てよ。朝谷くん」

 クラスの女子は朝谷の腕を絡ませて、朝谷の近くまで来て、笑みを浮かべていた。

「あー、どうしようかな」

「夜倉くんもクラスの打ち上げ行くでしょ」

 クラスの女子は朝谷から離れて、夜倉の方へ手を握った。

「ゴメン。俺ら行くところあるから。それから、俺ら友達じゃないから。じゃあ」

 クラスの女子が夜倉の手を握っていたので、朝谷は夜倉の方に近寄り、右手で強引に離した。

「え? あ、えーーーーー」

 クラス女子は大きい声で、驚いたせいか腰を下ろした。

「ちょっと…朝谷!」

 夜倉は右手に朝谷の右手があったので、舞台裏の奥の方に行き、バァと音がしながらも手を離した。

「…………」

 朝谷は下を向いて、黙っていた。

「なに、黙ってんの。朝谷」

 夜倉の声と同時に朝谷は顔を上げた。

「よっちゃんさ。あの女に話して触られたりしてよかった?」

 朝谷は唇を噛んで、眉を下げていた。

「なにが?」

 朝谷が考えている意図が分からなく、聞き返す。

 舞台裏の奥には誰もいないので、静み返った室内は二人の声が響き渡る。

「……よっちゃん。分からないんだ。あの女が話しかけた意味やクラスの打ち上げに声を掛けられたこと」

「…それはクラスでやるダンスが終わったから話しかけたし、打ち上げにも参加しようって言ってくれたんでしょ。それ以外に何もないよ」

 立ち尽くしたまま夜倉は朝谷と向き合い、目を見据える。

「よっちゃんは分かってない。あの女はよっちゃんのことを異性として見てるし、気になる存在だからああいう風に声をかけたんだよ。よっちゃんはダンスで踊ってる姿がめっちゃくちゃカッコよかったからよっちゃんと仲良くしたい人がたくさんできる。よっちゃんにとってはいいことだよ。でも、あの女だけはダメ。ってか、そういう風に見ないでほしい」

朝谷は早口で一生懸命に夜倉に伝えようとしていた。

その言葉に夜倉は目を見開いた。

「…どういうことだよ……意味が分からない。朝谷は友達になりたいって言ったけど。本当は違うんだよな。表向きの友達なんだろ。分かってんだよ、俺だって。友達になりたいって言うほど、そうじゃない。ただ、俺よりはいいよなって他人と比べる。そう思ってるんでしょ。朝谷も」

 夜倉は本心を口にしてしまった。

 今日、友達になろうと言ったそばから、これだ。

 ああと頭を抱えた夜倉は朝谷の目を見る。

 目は心の窓とも言われている。

 見てもなにを考えているのかは分からないが、これは嫌なんだなあとか嬉しんだなとかの感情は分かる。

「よっちゃん。そんなこと思ってたの。俺……一度もそんなこと思ってないよ。本当に友達になりたいって思った。でも、今日、よっちゃんのダンスを見て、こう思ったんだ。ああ、俺、よっちゃんとの友達の感情よりもこの人が欲しい、友達以上になりたいって。だから、俺よっちゃんのこと好きだと思う」

 朝谷は夜倉の方に目を向けて、近寄る。

「…それは俺のこと好きってこと? それは恋人として」

 好きとか人から言われたことがない。

 夜倉は朝谷の言葉に戸惑った。

 目を泳がせて、夜倉は朝谷に言葉をかける。

「朝谷は男が好きなのか?」

 恋人としての好きという感情が分からない。

 好きはいろんな形がある。

「……好きになるのは女子とは限らない。好きなものは好きだから。それだけじゃわがまま?」

 夜倉の右手を握り返す。

 何回も何回も握り返して、ごつくて指にまめができていて、運動している手だった。

「…わがままではない。朝谷が感じていることを俺に伝えてくれただけでいい。今の俺の気持ちは……」

「待って!今言わないで。分かってる。よっちゃんの気持ちは」

朝谷はストップと右手を夜倉の顔の前に出してきた。

「いや…だって……」

 返事をしようとしていた夜倉は朝谷に止められるとは思わなくて、しどろもどろした。

「振るってもう顔に書いてるし。前髪あってもなくてもよっちゃんが言いたいことはなんとなくわかる。
だから、告白の返事はなし。俺が言いたかっただけ。はい、この話は終了」

 朝谷は体育館に戻るために歩き出した。

 夜倉は返事をしなかったが、心の隙間に穴が開いていたのが少し塞がったような気がした。

「よっちゃん!行くよ!次のダンス見ようよ」

 夜倉は朝谷の言葉に押されて、夜倉は朝谷に駆け寄る。

「あ、うん…」

 朝谷の告白は夜倉にもそう言ってくれる人がいることに驚いた。

 だけど、本当の夜倉を見たら、朝谷はなんて思うだろうか。

 夜倉は目を閉じて、少し嬉しさがあった想いを取り消した。

 朝谷に言われた好きは受け止める。

 返事をしないままは申し訳ないが、夜倉は気持ちが追い付かなかった。

 この嬉しさの感情を消したい気持ちと裏腹にこの気持ちを理解したい想いがある。

 消す……消したい……嬉しい……少し嬉しい……消す…嬉しい

の感情が混ざって、夜倉はまばたきをして咳ばらいをして何事もなかったように体育館へと戻り、現実に戻る。



 大運動会が終わった後、猛暑が続いた。

 コンクリートから逆行して、暑さが倍になる関東よりもいい。

 だが、三〇度超えると、もう学校に通うすら億劫になる。

 地下に入ると、外の暑さが吹き飛んだ。

 東西線の荒井行きに乗り込む。

 いつも通りの日常であるが、やはり暑いと額にある汗を小さめタオルで拭く。

 前髪が邪魔くさいが、バイト以外に前髪を上げられない。

 人の匂いがする一方、かすかに匂うせっけんの香りがしてくる。

 夏になると、汗の匂いを取ろうとして、匂いがするスプレーを脇や髪などにかけている。

 その匂いが気持ち悪くてしょうがない。

 年がら年中、匂いはするが特にひどいのが夏。冬に入ると、人の籠った匂いがするが夏ほどではない。

 夏を乗り越えれば、一年間生きていける。

 だが、夏の時期が長いのだ。

 長すぎて、夜倉の匂いレーダーが最高潮になると頭が痛くなる、吐き気がするのだ。

 最悪、三日休むこともある。

 今日はまだいいほうだ。

「薬師堂、薬師堂~」

 滑舌がいいアナウンスが流れる。

 夜倉は降りて、いつもの足取りで学校へと向かう。

「暑い……」

 外の暑さは異常だ。

 男性でも日傘がないと身体がもたない。

 学校まで行くまで夜倉は晴雨専用の傘をさすようになった。

 傘は人避けにもなるし、周りが誰だかわからない方が自分の心の中が居心地よい。
「ふぅ…」

 小さい声でため息をついて、息を整える。

 教室に行くまでめんどくさいな。

 その前に、自動販売機で冷たいものを買って、自分の心の中の冷えと身体の暑さを冷ますように何かを飲みたかった。

「どれにしようかな」

 自動販売機の目の前で夜倉は選んでいた。

 うーん。暑いし冷たいものが飲みたいが、温かいものも少しだけ飲みたい。

 そうなると、HOTはお茶しかない。あとはCOLD。

 COLDはお茶や炭酸水・ジュースといろんな種類がある。

 冷たいものもほしいし、温かいものも欲しいと二つ買うか。

「これとこれ」

 夜倉は飲みたいドリンクを決まったので、ボタンを押そうとした。

 その瞬間、誰かの手がボタンに触れた。

 なんだと思い、顔を後ろに向けるとそこには朝谷がいた。

「朝谷…。お前、なに押した?」

 夜倉は目を細めて怪訝そうに見つめる。

「見てみればいいじゃない」

 朝谷は両肩を上げて、さぁと両手を広げて言っていた。

 夜倉は膝を曲げて、ドリンクを取る。

 そのドリンクは炭酸水だった。

 夜倉が選ぼうとしたのは温かいお茶と冷たい水だった。

 よりにもよって、炭酸水。

 夜倉の後ろにいる朝谷の方に振り向いて、目で訴える。

「俺、冷たい水買おうとしたんだけど、なんで炭酸水にした?」

 がっくりした肩を必死に上げて、夜倉は朝谷に問いかける。

 自分の買いたいものくらい買わせてくれ。

「え? だって俺が飲みたかったから」

 朝谷は偽りなく、新しい水を取り替えたように目が瑞々しかった。

 いや、飲みたいなら自分のお金で買えよ。

 そう心の中で突っ込んで、夜倉の返答を待っているのか見ていた。

「じゃあ、あげるよ。俺、違うの買うから」

 そう言ってから胸ポケットにある小銭入れを夜倉が出す。

「俺が勝手に買ったのに言うことそれだけなんだね」

 朝谷はニコニコと笑っていた。

 夜倉になんて言ってほしかったんだ。

「別に。もう買ったこといちいち言っても仕方ないしね。じゃあ、俺行くよ。俺といると変に思われるだろう。ほら」

 夜倉は買いたかった温かいお茶と冷たい水を二つ買い、去ろうとした。

「なんでそんなに決めつけるの? 決めつけることでよっちゃんがいいことあるの」

 朝谷は真顔で夜倉に言う。

 なんでそんなこと聞くんだ。

「決めつけてないよ。でも、事実でしょ。周りの人にはそう見えてる。俺とお前の世界線が違うって分かるだろう」

 夜倉は怒ったような気にしていないようなあいまいな返答をした。

 決めつけとか…してないし。

 あんな奴に言われたくない。

 夜倉とお前では違うんだ。

 あいつは夜倉にとって、表面的な友達だけだろう。

 恋愛の好きな感情があっても、今の関係を続けるのなら今の俺たちはどういう関係なんだ。

 前にも朝谷に表向きの友達と言ったが、そうじゃなきゃ、なんの意味の友達なのだろうか。

 友達以上恋人未満の関係で朝谷はいいのか。

 夜倉は教室に入り、鞄を机に置き、一息ため息をつく。

 目をつぶり、呼吸を整える。

 朝谷は夜倉の心の中まで侵入してくる。

 やめてくれ。夜倉は香水の中でしか生きられない。

 現実世界は今のままでいい。

 香水の世界で生きていたいんだ、俺は。

 机に突っ伏して、教室内にいるクラスメイトの声をかき消すように両耳を両手で塞いだ。

 この時・この場所を消して、まっ白の色を思い浮かべて何もなかったことにする。

 そう、元々砂浜で貝殻もないところ。

 呼吸を整える。

 授業が終わり、あっという間に昼休みになった。

「……ふぅ、ご飯食べるか」

 夜倉は昼食はいつも食堂だ。
 食堂のすみっこに座り、窓から見える松の木が校長先生よりも寿命が長い松の木を見て、二五〇円の栄養満点セットをひとりで食べるのが日課。

 たまに昼越が来て食べることもあるが、友達の方を優先していいと伝えてからは一人で食べている。

 学校では一人で過ごすことが多いので、周りが一人で食べる人がいなくても別に何も思わなくなった。

「相変わらず、変わらないな。見るだけで癒される」

 一人でテーブルに肘をついて、松の木をにんまりと夜倉は微笑んだ。

「なに見てるの?」

 松の木から目を離して、声がする方へ顔を向ける。

 なんだ、一人でご飯食べてたのに誰だよと思ったら、トレーを持った朝谷がいた。

 夜倉は無視した。

 向かい直して箸を持ち、ご飯を一口食べる。

「無視しないでくださいよ」

 朝谷はトレーをテーブルに置き、夜倉の右隣に座ってきた。

 なんで隣に座った?

 いやいや、座らなくていいから。

 夜倉は座ってきた朝谷をちらりと黒目で見てから、何事もなかったようにおかずを口に入れる。

「ここで食べてもいいかな」

 朝谷は問いかけてくるが、もう座ってるし夜倉に聞かなくてももう行動を起こしているじゃないか。