翌日、俺は両親と栞を呼び、卓を囲わせた。既に不機嫌な母さんは鷹のような視線で俺を睨み、机に肘をついている。打って変わって父さんは場を落ち着かせるために終始にこやかに笑う。

「蓮、久しぶりね。夕食に顔も出さずに何をしていたのかしら?」

 笑顔だが目が笑っていない。氷のような冷たい声に背筋が凍る。

「その話も含めて諸々話をするつもり。何から言ったらいいか分かんないんだけど、まずこちら、綾波 栞さん。お付き合いさせてもらってる子」

 俺が手で示すと、母さんは目を見開いて父さんと俺を交互に見る。今まで色恋沙汰と無縁だったので、驚かれても仕方ない。栞は「初めまして」と軽く挨拶をする。本題はここから。

「父さん、母さん、早速だけど……俺たち結婚する」

 理由はあれど、結婚報告。まずは単刀直入に結婚する旨を話す。二人とも疑問符を浮かべているが、先に我に戻ったのは母さんだった。

「何を言っているの? 学生婚が悪いとは言わないわ。でも、そんな急に……ねぇ?」

 父さんはコクコクと同調する。まずは説明。反論を聞くのは後だ。

「理由も話すよ。栞は肺線維症って病気で、もうあと三ヶ月ぐらいしか生きられないって宣告されているんだ」

 俺の言葉を聞いて、二人の視線が栞を射抜く。面識が多い分、父さんは困惑を隠しきれていない。

 良くも悪くも、少なからず栞に同情しているはず。自分たちの息子と同じ年齢で死に直面した人を前に、何も思わないなんて不可能。悪いがそこにつけ込む。手段なんて選んでちゃ栞を救えない。

「でさ、生体移植っていう生きてる人から移植する手術があるんだけど、俺はそれで栞を助けたい。そのためには婚姻関係が大前提なんだ。俺は断られても結婚するし手術も受ける。その上で承諾が欲しい」

 十八歳から親の許可なしで結婚できる。だから、結婚《《報告》》でしかない。ここからはアドリブ。できることなら、合意を得た上で手術を受けたい。

 母さんは「今から私が話すわよ」と言うように息を吸う。

「言いたいことは分かったわ。でも、それって蓮の肺を彼女に上げるってことよね? 申し訳ないけど、蓮が傷つくなら反対よ」

 痛い言葉が母さんの口から出てきて、手を強く握る。落ち着け、もう学んだだろ。声を荒らげたっていいことなんて一つもないし、母さんを逆撫でするべきじゃない。俺はいつもの調子で理由を問う。

「どうして?」

「理由はいろいろあるけれど、蓮は受験生でしょ。そんな大切な時期に恋愛ならまだしも、結婚に手術。リハビリなんかも必要になるわよね。己の子の人生を左右する時期に、他人を助けてあげる義理はないわ」

 栞の前できっぱりとそう告げる。母さんのそれは冷たさであり、俺への優しさでもある。俺を思ってくれるから、亀裂が生まれてしまう。言葉に詰まっていると、追い討ちと言わんばかりに理由を付け足す。

「蓮の身体に無害ってこともないわよね。親として、子供に不必要な傷を負わせることは許せないわ」

「母さんの言うとおり、無害ってわけじゃない。合併症の危険もあるし、肺活量も二割ぐらい低下するらしい。でも治療もできるから害って言えるほどでもないと思う」

 躊躇わずに反論する。昨日から徹夜で調べている。危険性もデメリットも成功率も。実際、ドナーに大きな影響を与える手術はほとんど無い。

 即答した甲斐あってか、母さんは首を捻る。

「手術をしたからといって、何十年も生きられるわけではないでないわよね。私は彼女の数年より、蓮の将来の方が大切よ」

 面と向かってここまで言われるとは思っていなかった。栞がどう思っているかなんて二の次で、ただひたすらに俺を思って自分の意見を通そうとする。

「俺の将来は後からでもどうにだってできる……と思う。甘い考えかもしれないけど、栞を助けるのは今しかできないんだ」

 言い訳じみた意見。母さんの気迫と言葉の重みに押されてる。

「そう……でも、蓮が傷つくのを許可することはできないわ。私は蓮がどれだけ彼女を想っているかは分からないわ。けれど、蓮も私がどれだけ自分の子を想っているか分かってないでしょ?」

 そう言って、「お互い様よ」と付け足す。母さんの言う通りで反論は出てこない。俺から嫌われるのも覚悟の上で、俺のために強い言葉を使って否定するんだ。

 栞への想いがそれに届いてないなんて思わないけれど、真っ向から戦えるほど自信があるわけでもなかった。

「母親が一番嫌なことは我が子が傷つくことよ」

 母さんの言葉が腹の奥に落ちる。栞を助けるとかそれ以前の問題。言葉の重みが違うなって感じる。今の母さんを納得されられるほどの言葉なんて言える気がしない。無言に耐えきれず、負けを認めようとした時、不意に栞が立ち上がる。

「一番初めに私がやらなきゃいけないことなのに、今更でごめんなさい。傷つけるのも、彼の将来に関わるのも分かってます。けれど、それでも一緒に生きたいんです。苦しいくらい好きなんです。どうか、私にもう少しだけ、彼の隣にいさせてください。お願いします」

 深々と頭を下げ、泣きそうな声で訴える。切実な願いに母さんは口を閉じる。素直で透き通った物言い。この場の誰も、否定なんてできなかった。

「栞ちゃん、顔を上げて。俺も一ついいかな。俺も概ね玲さんと同じ意見。蓮にとって大切な時期だと思うし、蓮が傷つく必要もないと思う」

 今まで無言を貫いてきた父さんが口を開いたかと思えば、栞を座らせて正論を言う。その口調は子供の我儘を諭すよう。

「でも、玲さんと違うところがあるとしたら、俺は蓮の手術に賛成だ」

 全員が驚いた視線で父さんを見つめる。そんな俺たちが面白かったのか、失笑した後、理由を話してくれた。

「俺は栞ちゃんと面識が多いっていうのもあるけど、高校生のときの恋愛ってどうしても引きずるからさ。高校生時代に恋してた子に何もできなかったんだ。玲さんと会うまで後悔してた。だからさ、蓮には自分がしたいようにしてほしい」

 そうしておどけたように笑う。父さんの小説に高校生が登場しないのは、思い返したくなかったからだと言う。日常の出来事を小説に入れ込む父さんらしい理由だ。

 だから、修学旅行に行かなかったのも、受験生なのに学校を休んだのも許してくれたのか。

「それに、これは蓮の我儘だ。親としてって言うなら、聞いてあげるべきじゃないかな?」

 父さんはそう言って母さんを挑発する。俺たちは口を挟むことすら憚られた。

「我儘を聞くのも大切だけど、子供に道を示すのも親の役目よ」

「玲さんは蓮の我儘を聞いたことある?」

 間髪入れない父さんの攻めに、母さんは一瞬だけ言葉を詰まらせる。形勢逆転。けれど、母さんはそれでも折れない。

「それでも、蓮が傷ついていい理由にはならないわ」

「蓮には助ける覚悟があって、助ける意味だってある。なら、理由としては十分じゃない? 俺たちの我儘で別居婚を受け入れてもらってるんだ。お願いの一つも聞けなきゃ、それこそ親としてなんて言えなくなる」

 父さんが優しい口調で「まだ何かある?」と尋ねる。まだ子供だけど、まだ子供だから我儘が許されることもあるんだと気づく。ずっと近くにいた人は、俺の弱さも見てくれていた。

「今、別居の話は関係ないわ」

「じゃあ、蓮の大学の話も関係ないね。これはもともと二人の結婚と手術の話だ」

 完全に母さんが丸め込まれた。父さんが否定側に回っていたら、絶対に説得できなかったと思う。俺じゃ手も足も出なかった母さんが手玉に取られる姿はちょっとしたホラーである。

 母さんが反論できないことが分かると、父さんは口を開く。

「とまあ、こんな感じで言ってみたけど、母さんの言い分はもっともだ。大学受験も大切だしね。だから、俺たちは二人の結婚、手術を認める。その代わり、蓮は玲さんの希望する大学を受ける。それでいい?」

 見事な折衷案。妥協も打算も許さないと語っている。手術が終われば勉強地獄だな……。

 それはそうとしても、今日の目標は達成。その後は生体移植について説明して、理解を得てもらった。成果としては十分以上。



「母さん怒りすぎなんだよ。長いって……」

 栞を駅まで送る途中、赤紫色の空を見上げながら愚痴を溢す。父さんに討論で負けたのが悔しいのか、鬱憤を晴らすようにグチグチ言われた。それを見て終始苦笑いしている父さんにも腹が立つ。

「生体ドナーが二十歳からって知った時は激怒してましたね。でも、それぐらい子供思いなんですよ。やっぱり……ちょっと羨ましいです」

 寂しそうな顔をしながら、それを紛らわすみたいに手を繋いでくる。

「まっ、結婚したら優しくしてくれるよ」

「ふふっ、そうだと嬉しいです。なんてったって『お前と結婚したいでやんす。親にも報告したいのじゃ』ですもんね」

「言ってない、言ってない。一生覚えとくって嘘じゃん。もう忘れてるにょん」

「語尾気持ち悪っ!」

 笑い声で咳を隠して、ツッコミを入れてくれる。駅に着くと、彼女は「またね」と手を上げる。

 小さくなる背中を眺めながら、俺は手をポケットに突っ込むにょん。