街道はやがて、海から離れて内陸へと入る。長閑な田園風景を抜けてしばらく進めば、小高い丘を背にした場所に、堀と築地(ついじ)が巡らされた館が見えた。周囲の民家よりも敷地が広大なので裕福な者の住まいと思われるが、権力者の邸宅にしては質素堅実だ。塀の上から覗く主殿らしき家屋の屋根は茅葺きで、その背後に広がる竹藪は、庭園として整えられたものではなく自然そのままの小山であった。

鬼頭(きとう)の館だ」

 真均(まさひと)に教えられなければ、それが東国武者らを束ねる棟梁の住まいであるとは到底思えなかっただろう。

 門が開き、(うまや)の前で下馬すると、奈古女(なこめ)は真均と並び主殿側へと向かう。池の一つもない素朴な前庭の砂を踏んだ時、空気がざわりと揺れた。

「戻ったか」

 低い声と同時に部屋から縁側へと出てきたのは、蘇芳色(すおういろ)直垂(ひたたれ)を纏う壮年の男であった。烏帽子(えぼし)から覗く横髪が、日の光に透かされて赤みを帯びた。この国には珍しい髪色が印象的だ。

「父上」

 鬼頭東一(とういち)真均の父。すると赤髪の彼が、鬼頭の大殿(おおどの)ということか。砂に膝を突こうとした真均を手で制し、大殿は抑揚に乏しい声で言った。

「遅かったな。巫女は無事招けたらしいが、何にそう時間をかけた」
「申し訳ございません。私の不手際です。……父上、彼女は奈古女。巫頭(かんなぎがしら)の許しを得て、本日から鬼頭の巫女となりました」

 長旅から戻ったばかりの息子の言葉に労いもなく、淡泊に頷いた大殿の視線が奈古女を射抜く。

 その眉間には深い皺が刻まれているが、不満を露わにしているのではないらしい。どうやら、長年険しい表情を続けてきたものだから、常に縦線が入ってしまうのだと見える。害意はなさそうだとはいえ、鬼と戦う男の眼光は鋭く、奈古女は萎縮しながら頭を下げた。

 大殿は静かに敬意の礼を受け止める。やがて興味を失ったのか、それともそのようなものは最初から持ち合わせていなかったのか、脇に控えた若者に何事かを命じると、奥へと戻って行った。

 蘇芳色の背中が完全に去るのを見送ると、真均は僅かに肩の力を抜き、半蔀(はじとみ)が落とした影の中に立つ若者に歩み寄った。

清高(きよたか)。館内は変わりないか」
「はい、何ら。ですが和香(わか)様が此度のことを聞きつけて昨日から奥に滞在しておられます。今は大奥様とご一緒に、東一様をお待ちです」

 和香、という名を耳にした途端、真均は苦いものを嚙み潰したかのような顔をしたが、すぐに取り繕った。

「わかった。後で向かう。清高、奈古女に館を案内してくれるか」
「承知いたしました」

 若者は柔和に言って、奈古女に微笑みかける。

「清高です。幼少期より、若殿にお仕えしております。気軽に清高とお呼びください」
「あの、奈古女と申します……」

 一声発するだけで空気が張り詰めるような鬼頭父子とは似つかない優しげな口調に好感を覚え、若者の顔を見上げる。開いた半蔀が作り出す影を受け、胸より上が判然としない。

 そのことに気づいたのか、彼は一歩前へと踏み出し、陽光の下に全身をさらした。

 露わになった清高の面立ちは声音に違わず温厚そうだ。武者の家人なのだから日差しを浴びることは多いはずだが、肌はまるで日焼けを知らぬように白く、対照的に濃く凛々しい眉が印象深い。そして何よりも、目を引くそれに、奈古女は思わず息を呑む。

 言葉を失い驚愕に目を見開く奈古女の視線を追い、清高は咎める顔一つせず、左手を持ち上げ己の前髪の生え際を撫でた。

「ああ、これですか」

 長い指先が撫でるのは、一本の小さな黒い突起物。これは。

「鬼の角ですよ。驚かれたでしょう。私は純鬼の生まれなのです」