ご飯を食べ終わり、ホテルに戻れば準備が終わっていたようだ。用意されていたのはダブルベットの部屋で、さすがに兄ちゃんにやりすぎだよと言いたくなった。

 メグルはためらいなく、ベッドにダイビングする。そして、俺の方を振り返って、隣をトントンっと叩いた。

「気持ちいいよ?」

 湧き上がってきた邪な気持ちを抑えながら、少しだけ離れて寝転がる。ふわふわの布団に、厚めの枕。確かに、気持ちいいベッドだ。

 メグルがごろんっと転がって、太ももが触れた。冷たい感触に、涙が出そうになるのを堪える。メグルが本当に、この後消えてしまうことを……まるで俺に伝えてるみたいで、悔しかった。

 真っ白な天井を見上げて、涙を飲み込めば、お腹の上にメグルが頭を乗せてくる。

「二人でお泊まりとかドキドキしちゃうね!」
「ドキドキしちゃう子が、そんな行動取るか!」

 頭をぐりぐりと撫でれば、「えへへ」と声に出しながらメグルは笑う。メグルの重みに、ここにメグルがいることを実感する。そっと手を伸ばせば、メグルはハグだと思ったのか、上に登ってきて俺の腕の中に収まった。

 ぎゅっと抱きしめれば、抱きしめ返される。

「サトルは、あったかいね」
「そうだな」
「心臓バクバクしてるよ?」

 俺の胸に耳を当てて、メグルは小さく呼吸をする。心臓の音に合わせるように、俺の胸を小さく、トントンっと叩く。メグルの小さな手に、眠気が襲ってきた。

「眠くなった?」
「お腹いっぱいになったから、かな」

 うとうととすれば、メグルはますます寝かしつけようと布団を引っ張って俺の上にかける。そして横で、何度も胸をトントンっと叩いた。懐かしい、親に寝かしつけてもらっていた小さい頃の、気持ちを思い出した。

「おやすみ、サトル」

 まだ、寝たくない。話したいことも、見ていたいことも、たくさんあるはずなのに。昨日眠れなかったせいか、あまりにも眠すぎて、抗えない。こんなことなら、昨日ちゃんと寝ておけばよかったのに。

 落ちていく世界の中で、メグルの優しい声だけが、脳に響いていた。

 * * *

 窓からは夜が、入り込んでいる。ハッとしてスマホの時計を見れば、まだ時間は今日だった。でも、メグルがどこにもいない。リュックはあるのに、あの紙袋も、いつも持っているポシェットも。

 カードキーをポケットに突っ込んで、部屋を飛び出す。どこに向かえばいいかなんて、見当もつかなかった。

 外に出て、お昼に訪れた公園に足が向く。どうしてだか、メグルは海にいるような予感がした。そして、正解だったらしい。

 ざぶんっという海の音の前で、メグルはまっすぐに地平線を見つめている。

「風邪引くよ」

 近づいて声を掛ければ、メグルは一瞬息を飲み込んだ。そして、ふふっと笑う。

「起きちゃったんだ」
「起きちゃったね、残念ながら」

 二人でコンクリートの上に腰掛けて、寄せては返す波を見つめる。後少しで、メグルは消えてしまう。それは、あの日に戻るのか、本当に消えてしまうのか。俺には、分かりようがないけど。

 右手を掴めば、ひんやりと冷えた感触に、物悲しさが迫り上がってきた。

「初めて海が見れたの。このまま目に焼き付けたいと思って、気づいたら、ここにいた」
「初めて、だったの?」
「本物の私の記憶はあるよ、海に行った記憶。でも、私は、初めての海」

 しっとりとした声で、ただ、海を見つめたままメグルは呟く。

「私はどこまで行っても、本物の未練でしかないんだぁ。サトルと離れたくないなぁって、このまま時間が止まればいいなぁって願ってしまった、未練なの」

 ぐっと喉を詰まらせて、メグルが言葉にするから。抱きしめたくなった。未練だろうとなんだろうと、俺は目の前のメグルが好きだ。二人の時間が一生止まればいい。メグル一人で消えさせるくらいなら、俺も一緒に消えればいい。

 でも、きっとそうはならない。

 わかってるから、何も答えられなくて、ただ、抱きしめた。

「サトルはいっつも、あったかいね」
「そうだな」

 俺の影だけが、伸びて、メグルの足元には何もない。今まで、当たり前のことに気づけなかった。それでも、そんなことどうでもよかった。

「でもね、サトルが覚えててくれたこと、嬉しかったの。いつも、思い出してって必死に記憶をなぞって、今のサトルは前のサトルじゃないから無理かって諦めてた」
「待たせて、ごめん」
「謝らせたいわけじゃないんだよなぁ」

 震える声に、抱き寄せる力を強めた。メグルのループは、これで終わってしまうんだろうか。メグルは、どちらの方が幸せだったんだろう。俺が思い出さないまま、何度も、メグルのことを知らない俺と出会いを繰り返す。その方が幸せだった?

「サトルと出会えて、覚えててくれて、本当の恋人みたいになって、幸せだったよ」
「これからも、幸せになれるよ」
「またそんな、奇跡を願ってるの?」

 メグルは、小さく笑って涙を一粒、砂浜に溢れ落とした。メグルが眠ってるなら、俺が起こす。童話の王子様にはきっとなれないけど、メグルともう一度会えるならなんだってできるから。

「あとちょっとかぁ。楽しい夏休みだったね」
「メグルは、終わらない方が良かった?」
「さぁ、どっちだろうね」

 星が瞬いて、あまりの眩しさに視界がぼやけた。メグルが消えてしまうことに、痛む胸を押さえつけて、気づかないふりをする。

「ね、サトルは楽しかった?」
「めっちゃ、楽しかったよ」
「したっけさ、忘れないよね」
「忘れるわけないべ」

 当たり前だ。メグルは俺の中で一生で一度の恋人だから。俺の未来で隣に居るのも、メグルだ。何をしても、メグルがいない未来を俺は覆す。

「そろそろ、時間かな。夏休みだけでも、幸せだったよ」

 ぽつり、とこぼすように呟いてメグルが立ち上がる。海にそのまま入っていってしまう気がして、右手を引っ張った。よろめくメグルを抱きとめれば、頬がぶつかりそうなくらい近づく。