雛田先輩が軽くため息をつき、上目遣いで相手をねめつける。
「先に絡んできたのはそっちだろう。さっきから『意識高い』だの『さすが有名な賞を取った未来の大先生は違う』だの、クソうるせぇんだよ」
「それはオマエが図書室で、これみよがしにシナリオ書いてるからだ……っ!」
雛田先輩が座っていただろう席には、山積みの本と筆記用具があった。すべて演劇や脚本関連の書籍だ。
「どうせ落選したボクへのあてつけだろう? オマエみたいなイヤミ野郎の作品が何故受賞したのか、不思議でならないよ」
「何の話だ。……そもそも、おまえ誰だよ」
雛田先輩の言葉に、男子生徒がカッと激昂し、机の上にある先輩のものを手で払い落とした。シャーペンやカラーペン、それと数枚の名刺大のカードがバラバラになって落ちる。
雛田先輩は受け流す態度を変えず、呆れたような顔でそれらを拾う。
けれど、余計に火に油を注いだようだ。
「オマエなんか実力で選ばれたんじゃない! メディア受けする容姿と、単なる七光りだ。雛田芙宇子の孫だから考慮されただけだ!」
(七光り? 孫?)
わたしが疑問に思う間もなく、途端に先輩の目の色が変わった。
拾ったペンを乱暴に置き、ギロリと睨みつける。それはまったく関係ないわたしでも尻込みするほどの迫力で、男子生徒は狼を前にした鹿みたいに竦み上がった。
「……バアさんは関係ない」
短く言い捨てると、男子生徒を見下ろして言った。
「おまえもあの賞に応募してたってわけか。……おまえの作品が落ちた理由、教えてやろうか」
後ずさりをする男子生徒に向かって、雛田先輩は一切の躊躇も容赦も斟酌もなく、言い切った。
「面白くなかったからだよ」
ズキッ――と何故かわたしの胸が痛くなった。
それだけ鋭く、人の心の柔らかい場所を射貫く力を持った言葉だった。
すっかり戦意を失った男子生徒の表情が真っ白になる。
「結果に納得いってないのなら、んなトコでグダグダ言ってる場合か」
男子生徒は言い返せなかった。当然だ。一切の隙もない正論だったから。
男子生徒は何事か呻いて、その場を去った。
周囲の興味は失せ、何事も無かったような静けさが戻った。
「……何をジロジロ見てる」
床に落とされたものをすべて拾い上げた先輩が、ぼけっと突っ立つわたしたちに言った。
その先輩の指先には、シェイクスピアの戯曲本や演劇メソッドの本があった……特に、私物らしいハリウッド映画の脚本の指南書が目を引く。表紙は端っこが破けて付箋だらけで、相当読み込んだのだと見て取れた。
硬直するわたしに代わって、就也が前に出て演劇部からの脚本を渡す。
先輩が眉をひそめて、また突き返されるかと思ったけど、押し問答が面倒だったのか受け取った。
「羽鶴、行こう」
就也がわたしの背中を押してくる。雛田先輩は窓の外に顔を向けていた。
先輩が胸ポケットから万年筆を出した。
わたしが拾った、空色の綺麗な万年筆。
それのキャップを外して填める、外して填める。カチ、カチ、という音が妙に耳に残った。
なんとなく早歩きで廊下を歩き、スマホをいじる就也に、
「本当にびっくりした……怖かった……」
「まあ普通言えないよな。賞に落ちた人に、面白くなかったから、なんてさ」
それはわたしたちで言うと、オーディションに落ちた人に対して『おまえの実力不足だ』と指をさすのと同じだ。
絶対にできないし、したくない。
雛田先輩は別世界の住人どころか、生き物としての種類が異なるような気さえする……
「へえ、すごいな。羽鶴、これ見て」
就也のスマホ画面には、テレビ夕陽のシナリオ新人賞のサイトが表示されていた。
受賞作品の粗筋と、授賞式の様子を写した画像、雛田先輩の略歴があった。
「雛田先輩、脚本家の雛田芙宇子の孫なんだって。主に映画やドラマで活躍した」
「へえ……」
といっても、わたしはアニメ以外の脚本家さんにはあまり詳しくない。血は争えないんだな、という感想しか浮かばなかった。
授賞式の写真が表示される。芸能界にいる華やかな人たちに囲まれて、きっちりしたスーツを着た雛田先輩がいた。
「すごいな。雛田先輩、あの帝都チカヤと並んでもまったく見劣りしてない。姿の良さもだけど、人前に出るのが堂に入ってるな」
声優以外の芸能人にも明るくないけど、人気アイドルと肩を並べても遜色ないことがどれだけすごいのかは分かる。
なんでこんな人がいるんだろう。
本当に『選ばれた』側の人って、ああいうのを言うんだろう。
わたしは単なる紛い物だ。何かの間違いでオーディションに受かっただけの。
そう成実に言いたかった。
「SNSでも、めちゃくちゃ話題になってたんだな。まあ脚本家が高校生でしかもあんなイケメンなら当然か。仮にさっき怒鳴ってた人の作品と雛田先輩の作品が同じクオリティなら、まず間違いなく雛田先輩が通るだろうね」
「脚本家なのに……外見が優れているとか関係あるの?」
「まあ作品に顔写真はつかないけど、もし何かの理由で作者の顔が知れたら、より優れた方が選ばれるだろうね。声優とおんなじ。声も実力も同程度なら、決め手は外見になる。それはその方が価値が高いからだ」
なんか……嫌だな、そんなの。
顔やスタイルですべて決められるみたいだ。
人前に出たくないから声優に、作家に、と考えて志す人は少なくない。なのに結局は見た目を重視されるのだから皮肉な話だ。
「現在は作家ですら目を引く要素……タレント性を求められる時代だからね。昔みたいに、作品だけで勝負ってわけにはいかないんだ」
就也が苦笑いをする。
……就也なら、外見はきっと問題ないんだろうな。
階段の踊り場にある大きな鏡の前を通る時、わたしは目をそらしながら、そんな風に考えた。
「先に絡んできたのはそっちだろう。さっきから『意識高い』だの『さすが有名な賞を取った未来の大先生は違う』だの、クソうるせぇんだよ」
「それはオマエが図書室で、これみよがしにシナリオ書いてるからだ……っ!」
雛田先輩が座っていただろう席には、山積みの本と筆記用具があった。すべて演劇や脚本関連の書籍だ。
「どうせ落選したボクへのあてつけだろう? オマエみたいなイヤミ野郎の作品が何故受賞したのか、不思議でならないよ」
「何の話だ。……そもそも、おまえ誰だよ」
雛田先輩の言葉に、男子生徒がカッと激昂し、机の上にある先輩のものを手で払い落とした。シャーペンやカラーペン、それと数枚の名刺大のカードがバラバラになって落ちる。
雛田先輩は受け流す態度を変えず、呆れたような顔でそれらを拾う。
けれど、余計に火に油を注いだようだ。
「オマエなんか実力で選ばれたんじゃない! メディア受けする容姿と、単なる七光りだ。雛田芙宇子の孫だから考慮されただけだ!」
(七光り? 孫?)
わたしが疑問に思う間もなく、途端に先輩の目の色が変わった。
拾ったペンを乱暴に置き、ギロリと睨みつける。それはまったく関係ないわたしでも尻込みするほどの迫力で、男子生徒は狼を前にした鹿みたいに竦み上がった。
「……バアさんは関係ない」
短く言い捨てると、男子生徒を見下ろして言った。
「おまえもあの賞に応募してたってわけか。……おまえの作品が落ちた理由、教えてやろうか」
後ずさりをする男子生徒に向かって、雛田先輩は一切の躊躇も容赦も斟酌もなく、言い切った。
「面白くなかったからだよ」
ズキッ――と何故かわたしの胸が痛くなった。
それだけ鋭く、人の心の柔らかい場所を射貫く力を持った言葉だった。
すっかり戦意を失った男子生徒の表情が真っ白になる。
「結果に納得いってないのなら、んなトコでグダグダ言ってる場合か」
男子生徒は言い返せなかった。当然だ。一切の隙もない正論だったから。
男子生徒は何事か呻いて、その場を去った。
周囲の興味は失せ、何事も無かったような静けさが戻った。
「……何をジロジロ見てる」
床に落とされたものをすべて拾い上げた先輩が、ぼけっと突っ立つわたしたちに言った。
その先輩の指先には、シェイクスピアの戯曲本や演劇メソッドの本があった……特に、私物らしいハリウッド映画の脚本の指南書が目を引く。表紙は端っこが破けて付箋だらけで、相当読み込んだのだと見て取れた。
硬直するわたしに代わって、就也が前に出て演劇部からの脚本を渡す。
先輩が眉をひそめて、また突き返されるかと思ったけど、押し問答が面倒だったのか受け取った。
「羽鶴、行こう」
就也がわたしの背中を押してくる。雛田先輩は窓の外に顔を向けていた。
先輩が胸ポケットから万年筆を出した。
わたしが拾った、空色の綺麗な万年筆。
それのキャップを外して填める、外して填める。カチ、カチ、という音が妙に耳に残った。
なんとなく早歩きで廊下を歩き、スマホをいじる就也に、
「本当にびっくりした……怖かった……」
「まあ普通言えないよな。賞に落ちた人に、面白くなかったから、なんてさ」
それはわたしたちで言うと、オーディションに落ちた人に対して『おまえの実力不足だ』と指をさすのと同じだ。
絶対にできないし、したくない。
雛田先輩は別世界の住人どころか、生き物としての種類が異なるような気さえする……
「へえ、すごいな。羽鶴、これ見て」
就也のスマホ画面には、テレビ夕陽のシナリオ新人賞のサイトが表示されていた。
受賞作品の粗筋と、授賞式の様子を写した画像、雛田先輩の略歴があった。
「雛田先輩、脚本家の雛田芙宇子の孫なんだって。主に映画やドラマで活躍した」
「へえ……」
といっても、わたしはアニメ以外の脚本家さんにはあまり詳しくない。血は争えないんだな、という感想しか浮かばなかった。
授賞式の写真が表示される。芸能界にいる華やかな人たちに囲まれて、きっちりしたスーツを着た雛田先輩がいた。
「すごいな。雛田先輩、あの帝都チカヤと並んでもまったく見劣りしてない。姿の良さもだけど、人前に出るのが堂に入ってるな」
声優以外の芸能人にも明るくないけど、人気アイドルと肩を並べても遜色ないことがどれだけすごいのかは分かる。
なんでこんな人がいるんだろう。
本当に『選ばれた』側の人って、ああいうのを言うんだろう。
わたしは単なる紛い物だ。何かの間違いでオーディションに受かっただけの。
そう成実に言いたかった。
「SNSでも、めちゃくちゃ話題になってたんだな。まあ脚本家が高校生でしかもあんなイケメンなら当然か。仮にさっき怒鳴ってた人の作品と雛田先輩の作品が同じクオリティなら、まず間違いなく雛田先輩が通るだろうね」
「脚本家なのに……外見が優れているとか関係あるの?」
「まあ作品に顔写真はつかないけど、もし何かの理由で作者の顔が知れたら、より優れた方が選ばれるだろうね。声優とおんなじ。声も実力も同程度なら、決め手は外見になる。それはその方が価値が高いからだ」
なんか……嫌だな、そんなの。
顔やスタイルですべて決められるみたいだ。
人前に出たくないから声優に、作家に、と考えて志す人は少なくない。なのに結局は見た目を重視されるのだから皮肉な話だ。
「現在は作家ですら目を引く要素……タレント性を求められる時代だからね。昔みたいに、作品だけで勝負ってわけにはいかないんだ」
就也が苦笑いをする。
……就也なら、外見はきっと問題ないんだろうな。
階段の踊り場にある大きな鏡の前を通る時、わたしは目をそらしながら、そんな風に考えた。