……けれど。

 水曜日は部活の日じゃないけど、織屋先輩を通して講堂に呼ばれた。
 板山部長が招集をかけたらしい。珍しいを通り越して、初めてのことだ。

「ええっと。金曜日は二年生の都合が悪いと言うことで、一度卒業公演についてミーティングをします」

 板山部長が口火を切る。
 織屋先輩に連行されたのか、雛田先輩と香西先輩もいる。

「突然どうした。やる気を見せてきて」

 雛田先輩が腕組みをしたまま言った。
 つっけんどんな物言いは変わらない。けれど板山部長は、照れたように頭を掻いた。

「いや、小山内さんの練習を見たら……一年生の子がひとりででも頑張ってるのに、と思っちゃいまして」

 え? わたし?

「触発されたって言うのかな。一年に一回だし、せっかく演劇部に入ったし」

 予想外の動機に、わたしはアワアワした。
 たぶん板山部長に負けないくらい頬が赤くなっている。でも正直に言うと、嬉しい。

「……すごいな、羽鶴」

 隣に座る就也の褒め言葉が頭上に落ちた。見上げると、

(就也……?)

 就也は笑っていた。口元だけは。

「羽鶴、ごめん! オレ、家の用事あるの忘れてた! 詳細は後で送ってくれるか?」

 そう頼む就也の声は明るかった。声だけは。
 けれどその両目は、まっくろなビー玉みたいだ。
 返事すらできずにいると、就也は板山部長や先輩方に断って早退した。

「――主人公なんだけど、小山内さんに頼んでも大丈夫かな?」
「えっ。あ、はい!」

 慌てて返事をする。
 台本の読み合わせをすることになり、わたしは薄い脚本と演技ノートを用意しようとトートバッグに手を入れた。

「――!?」

 無かった。
 さっきまで手元にあった、演技ノートが。

「小山内さん、どうしたの?」

 香西先輩の問いに答える間もなく、わたしは「すみません、失礼します!」とだけ言って、講堂を出た。
 運動場を全速力で横切る間、心は祈りに近い願いでいっぱいだった。

 お願いだから返して。
 あのノートだけは。

「おい!」

 背後で雛田先輩の声がした。なんで追いかけてくるの!

「来ないでください!」

 と叫んだけど、先輩が了承するワケがない。
 わたしは必死に『彼』の姿を探した。
 下駄箱を見ると靴はあった。まだ校内にいる。どこにいるんだろう。

 ……教室!
 きっと教室だ。前のプリントもそうだった。
 他人の物を盗んだ身で、他の教室や特別教室には行きづらいだろう。慣れ親しんだ自分の教室か、トイレだ。
 半泣きで階段を駆け上がり、そして。

「――就也ぁ!」

 静まり返った無人の教室に、就也がいた。

 その手にはわたしの演技ノートがあり――そして。
 あの黒丸の影がいた。
 けれどそれは、雛田先輩が到着すると同時に消えた。

「……返して。お願いだから、返して」

 手を合わせて懇願する。
 就也は無表情だ。宇宙人みたいで、言葉が通じる感じがしない。

「おまえだったのか、こいつのものを盗んでたのは。あの女子じゃなくて」

 雛田先輩が尋ねる。

「そうですよ」

 就也の声は、瞳は、今まで見たことがないほど暗くて深くて、がらんどうだ。

「なんで就也が……? いつも応援してくれたのに……」

 何故、なんて。
 訊かなくても分かる。
 就也も心の底ではわたしの合格を、

「羽鶴が、……ジュニパーになったから」
「へ……?」
「オーディションに合格しただけなら、別に許すよ。奇跡ってあるものだし。でもジュニパーはダメだ。オレはずっと、ジュニパーになりたかったのに」
「どういうこと……?」

 アロサカのアニメは、今回のプロジェクトのために作られたオリジナルのはずだ。
 なのに何故、就也はジュニパーを知っているんだろう。

「違う。元ネタがあるんだ。海外のマイナーな古い児童文学だ。……そんなことも知らなかったのか?」

 底なしの侮蔑を込めて、就也がわたしをねめつける。ゾクリと悪寒が走った。