「先々週の日曜日、プロの声優さん……いえ、先輩方の技術を目にして、初めてアフレコをしました。ずっと震えてました。先輩方が偉大すぎて、声優の世界の果てしなさが少しだけ見えて……怖いと思うこともありました。でもそれ以上に、なんかこう、わーっとなって、ひゃーっとなって、かーっとなって、今に至ります。……えと、分かりますか?」
「分っかんねぇよ!」
雛田先輩が床に置いた鞄をパンと叩く。
「パイセン、考えるな感じろですよ!」
「つまり、とんでもなく感動したんだね。今までの小山内さんを塗り替えるほど、強く深く」
香西先輩の翻訳に助けられた。
「――はい」
レッスンの最中は、追いかけるだけで精一杯だった。
なのに最後のアフレコで、ジュニパーに初めて触れて、ジュニパーとしてしゃべって――出来はきっと良くないのだろうけど、とにかくわたしは、
楽しかったのだ。
もっとあの感覚を味わいたいと、望んでしまうくらいに。
そしてあの日から、四字熟語で言うと『一念発起』の状態が続いている。
帰宅するや否や、今まで養成所でもらった課題を見直した。
昔読んだ声優になるための本を読み直し、積ん読だった本も読んだ。動画サイトで声優に関する動画も見始めた。
しばらくして、アニメの見方が変わった。分析的に見るようになって、「ああ、ここはこういう状況でこういう背景と心境があるからこういう言い方になるんだな」みたいな感じ方になった。
漫画も映画も、インプットの面が強くなる。そうすると今まで何でもなかった表現がすごく心に刺さって、感動することが多くなる。
世界の見え方が、少し変わった。
十二色しかないと思ってきたのに、実は二五六色くらいあることに気づいた、ような。
つまり、今のわたしは、燃料を大量投入された暴走列車状態だ。
美容に気を遣うのも、雛田先輩を引っ張り出すのもその一環……なわけだけど。いまいち効果が出ているのか分からない。
早く養成所の日になればいい。
志倉先生に質問したいことが山ほどあるし、他の人たちに聞きたいことがある。それに他の人の演技も見たい。
「……その様子じゃ、あの友達のことは吹っ切れたようだな」
雛田先輩が尋ねた。
成実のことは、今でもつらい。
けれど、そのことを考える余裕がない――というのが正直な感想だ。
自分がすごく薄情な人間に思える。
けれど、時間が無いのだ。次のアロサカのレッスン日まで一ヶ月もない。
「今は前だけ見てたい……って感じです」
正直に言うと、雛田先輩は「そうか」とだけ答えた。
次は何をしようかと考えていると、講堂の出入り口が騒がしい。
「お、来た来た」
織屋先輩がそう言うと同時に、数人の生徒が入ってきた。
「二年の……先輩方!? 板山部長も」
背後で香西先輩が「おっ」と感心した声を漏らし、雛田先輩が「げっ」と嫌がる声が聞こえた。
「はづるんの頑張りを話したら、見てみたいってさ。それに卒業式公演もあるし」
「あ!」
すっかり忘れていた。卒業式公演のこと。
雛田先輩が周囲を一瞥して、
「丁度いい。おまえ、あいつらの前で設定つき外郎売をもう一度やってみろ」
「! は、はい!」
「ただし、さっき言った点は改善しろよ。俺のアドバイスを無駄にするな」
「はい! ……その前に、タオルとってきていいですか?」
返事の代わりに雛田先輩が手をひらひらさせる。
素速く立ち上がって、隅に置いたトートバッグの元に行くと、中を探る手が止まった。
タオルがない。
ここに入れたはずのタオルがない。
冷たい指先でうなじを撫でられたような感覚がした。鳥肌が立つのを抑えられなかった。
けれど、
「よろしくお願いします!」
騒ぐことはしなかった。わたしは動揺を抑え込んで、六人に増えた先輩たちの前に立った。
「分っかんねぇよ!」
雛田先輩が床に置いた鞄をパンと叩く。
「パイセン、考えるな感じろですよ!」
「つまり、とんでもなく感動したんだね。今までの小山内さんを塗り替えるほど、強く深く」
香西先輩の翻訳に助けられた。
「――はい」
レッスンの最中は、追いかけるだけで精一杯だった。
なのに最後のアフレコで、ジュニパーに初めて触れて、ジュニパーとしてしゃべって――出来はきっと良くないのだろうけど、とにかくわたしは、
楽しかったのだ。
もっとあの感覚を味わいたいと、望んでしまうくらいに。
そしてあの日から、四字熟語で言うと『一念発起』の状態が続いている。
帰宅するや否や、今まで養成所でもらった課題を見直した。
昔読んだ声優になるための本を読み直し、積ん読だった本も読んだ。動画サイトで声優に関する動画も見始めた。
しばらくして、アニメの見方が変わった。分析的に見るようになって、「ああ、ここはこういう状況でこういう背景と心境があるからこういう言い方になるんだな」みたいな感じ方になった。
漫画も映画も、インプットの面が強くなる。そうすると今まで何でもなかった表現がすごく心に刺さって、感動することが多くなる。
世界の見え方が、少し変わった。
十二色しかないと思ってきたのに、実は二五六色くらいあることに気づいた、ような。
つまり、今のわたしは、燃料を大量投入された暴走列車状態だ。
美容に気を遣うのも、雛田先輩を引っ張り出すのもその一環……なわけだけど。いまいち効果が出ているのか分からない。
早く養成所の日になればいい。
志倉先生に質問したいことが山ほどあるし、他の人たちに聞きたいことがある。それに他の人の演技も見たい。
「……その様子じゃ、あの友達のことは吹っ切れたようだな」
雛田先輩が尋ねた。
成実のことは、今でもつらい。
けれど、そのことを考える余裕がない――というのが正直な感想だ。
自分がすごく薄情な人間に思える。
けれど、時間が無いのだ。次のアロサカのレッスン日まで一ヶ月もない。
「今は前だけ見てたい……って感じです」
正直に言うと、雛田先輩は「そうか」とだけ答えた。
次は何をしようかと考えていると、講堂の出入り口が騒がしい。
「お、来た来た」
織屋先輩がそう言うと同時に、数人の生徒が入ってきた。
「二年の……先輩方!? 板山部長も」
背後で香西先輩が「おっ」と感心した声を漏らし、雛田先輩が「げっ」と嫌がる声が聞こえた。
「はづるんの頑張りを話したら、見てみたいってさ。それに卒業式公演もあるし」
「あ!」
すっかり忘れていた。卒業式公演のこと。
雛田先輩が周囲を一瞥して、
「丁度いい。おまえ、あいつらの前で設定つき外郎売をもう一度やってみろ」
「! は、はい!」
「ただし、さっき言った点は改善しろよ。俺のアドバイスを無駄にするな」
「はい! ……その前に、タオルとってきていいですか?」
返事の代わりに雛田先輩が手をひらひらさせる。
素速く立ち上がって、隅に置いたトートバッグの元に行くと、中を探る手が止まった。
タオルがない。
ここに入れたはずのタオルがない。
冷たい指先でうなじを撫でられたような感覚がした。鳥肌が立つのを抑えられなかった。
けれど、
「よろしくお願いします!」
騒ぐことはしなかった。わたしは動揺を抑え込んで、六人に増えた先輩たちの前に立った。