(そんな……でも)

 アフレコとは別のことで混乱しかけたけど、わたしは頭を振った。
 まずは、目の前のことに集中しよう。それ以外は考えるな。
 ボールペンで、思いついたことを脚本に書き込む。そうして他の人のアフレコを聴く合間に、少しずつ考えを整えた。
 二十分後、わたしの出番が来た。名前を呼ばれて、薄いメッシュ生地でできた金魚すくいの網みたいなもの――ポップガードに守られたマイクの前に立つ。
 寧音ちゃんと「よろしくお願いします」と言って、シナリオ片手にマイクに臨む。

「行きます、キュー」

 モニターの上のキューランプと呼ばれる四角いランプが赤く灯る。録音開始の合図だ。

「『ジュニパー、どうしても行くの?』」

 寧音ちゃんが先ほどより耳触りの柔らかい声を出した。
 自然体に近い。面倒見のよいキャラクターだからって、無理して大人びた声を出す必要はないのかもしれない。

「『ああ』」

 わたしも『男の子の声』を意識せずに言った。
 わたしがいま演じるのは『男の子』ではない。
『ジュニパー』だ。
 でも素っ気ない口調は、あの先輩をイメージした。

「『ずっと一人だったんでしょう? 寂しくはないの?』」
「——『僕は、一人でいいんだ』」

 そう言った瞬間、

「『嘘だ……』」

 ラベンダーが――寧音ちゃんが言った。シナリオに無いセリフを。
 わたしは驚いたけど、息を呑むのは我慢した。余計な音が入ってはいけない。

「はい、終了です。えー、ラベンダー。いま何故アドリブを入れたのですか?」

 音響監督さんに言われ、寧音ちゃんが頭を下げた。

「も、申し訳ありません!」
「謝らなくていいですよ。理由をお願いします」
「や、なんか……」

 寧音ちゃんはわたしをチラッと見た。

「断るジュニパーが、すごい寂しそうに聞こえたんです。だからつい『嘘でしょう』て思って。……おかしいですね。別に泣きそうな声でもあれへんかったのに」

 シーンと静まり返る。
 緊張と恐怖で頭皮が粟立つ。まさかわたしの演技で他の人に影響があるなんて。

「ではジュニパー、どうして今の演技に行き着いたのか理由を教えてください」

 わたしは落ち着いて、うまく伝わるように言葉を選んだ。

「ジュニパーは意志の強いキャラクターだと思ったからです」
「だったらもっと、拒絶するように言ってもいいのでは?」
「それだと意志の強さよりも頑なさが強くなるような気がして……それに、気を遣ってくれるラベンダーを拒絶するのはなんか違うなって、思いました。だ、だから、本当は『ひとりでいい』わけではないけど、ジュニパーにはジュニパーの考えがあって、『ひとりでいい』と言ったのでは、と……」

 ダメだ。うまくまとめられない。
 謝罪すると、音響監督さんは「分かりました」で終わらせた。
 失敗したかも知れない。

 でも、わたしは思ったのだ。

 人は一面だけじゃないって。
 表面的な言葉だけで受け取るのはダメだって。
 あの怖くて厳しい雛田先輩が、プリントを直してくれた。
「顔がいい」ばっかりだと思っていた織屋先輩は、わたしの落ち込みを見抜いてコーンポタージュをごちそうしてくれた。「ごはんだけは食べなよ」を言葉ではなく態度で示してくれたのだ。

 そして成実。

 一生懸命さの裏にあった悩みや苦しみ。それを見過ごしたからこそ、わたしは成実を傷つけたんだ。
 成実をあそこまで追い詰めたのは、わたしだ。
 香西先輩や就也にだって、きっとわたしには見えない一面があるのだろう。

(就也……)
 あの優しい笑顔と声が浮かんだけれど、すぐに思考の底に沈ませた。