時は流れ、ふたりは晴れて高校生となる。といってもそれぞれ高等部に上がるだけなので、学校の場所も制服もそのままで、進学したといっても大して変わり映えがしない。変化といえば、智がさらに背が伸び、ハルがさらに逞しい体格になったぐらいだろうか。
 長い梅雨に取って代わって入道雲が顔を覗かせ始めた頃、高校に上がって初めての期末試験が終わって、ふたりは解放感に浸っていた。
「夏休み、どこか遊びに行こうよ」
「ええなあ、キャンプでもしよか」
「えっ、いきなりハードル高くない?」
 下校時、夏休みの予定をうきうきと話している間に駅に着き、定期券を準備しようとしていたら。
「永倉くん、ちょっといいかな」
 ふたりが振り返ると、見たことのない少女が頬を赤らめて立っていた。瞬間、「これアカンやつや」とハルはすぐさま勘づき、
「ほな俺先帰っとくな!」
 智を置いて一目散に改札を抜けた。
 こんなこと、当たり前にあるはずなのに、全く想定していなかった。あの少女はきっと、智に告白するのだろう。きちんとテストが終わってからするなんて、空気を読める子だ。あれは確か近くの、智の学校と並んで非常に偏差値が高い女子校の制服だ。頭が良くて顔も可愛かったし胸も大きかったし、智と釣り合いすぎている。
 ……なにひとつ、勝ち目がない。
「泣きそう」
 一人でつく帰路はなんとも言えない寂しさと不安でいっぱいだった。智はなんと返事するのだろう。そもそも一生汚れのないままで、なんて有り得ない話で、多くの人が恋愛し、交際し、セックスする。さらには結婚し、子をもうける人が多数だ。智だってもちろん例外ではないのだ。もしかしたら今日のあの子とそうなるかもしれない。明日からあの子と一緒に帰るからもうハルとは帰れない、なんて言い出すかもしれない。気になる、なんて返事したのか気になりすぎる。どうだったかと電話するのもおかしいか、とハルは思い直し、その夜は早々に無理矢理眠った。次の日になれば、また会えるから。会って、さりげなく探りを入れられるから。だから、さっさと次の日になってほしくて。

「おはよう」
 翌朝の智は柔和な笑みを携えハルに挨拶した。全くもっていつも通りである一方、
「ん、おはよ、う」
 なぜかハルがガチガチに緊張してしまっている有様だ。早速昨日のことを訊きたい、でも怖くて訊けない。
「ね、昨日の」
「んん!」
 相づちにしては大きすぎる声が出てしまい、智の話を遮る形になってしまった。
「ん、ごめん、昨日の何?」
「うん、昨日の話の続きね。夏休み、ほんとにキャンプ行くの?」
「……」
 ああ、そっち。ハルの全身から力が抜けた。
「行こうや。俺毎年家族と行ってるから割となんでも出来るで。手ぶらで行けるキャンプ場もあんねん」
「そうなんだあ! 僕キャンプしたことないからちょっと不安だったんだよね。でも久慈くんと一緒だったら心強いや」
 思いつきで言ってみたキャンプ案が実現の兆しであるが、それよりも昨日のことを何も話そうとしない智にハルは不信感を抱いた。
「き、昨日と言えば、っ」
「うん?」
「あの女の子、何やったん」
 ハルにそう言われて思い出したように、智は「あー、あの子ね」と頷いた。
「付き合って欲しいって言われたんだけど、全然知らない子と付き合えるわけなくない? ビックリしたよー」
 やれやれとかぶりを振る智に、相手の女の子に少しだけ同情してしまうハルだった。
「これから知っていったらええんやん。断ったてこと?」
「もちろんだよ。こっちは全然知らなかったのに向こうはずっとこっちを知ってたとか、怖いよ」
 ふるふると首を振っている智の言葉に、ハルはぎくりとした。ハルだって、初めて声を掛けたあのアジサイの日の、一年ぐらい前からずっと智を見ていたのだから。間違ったアプローチをしていたら、ハルもこんな風に思われてしまったのかもしれない、と思うとぞっとした。まああれだって、決して正しいアプローチだったとは言えないが。
「で、キャンプいつにしよっか」
 屈託なく笑顔を向けてくる智に、人の気も知らないで、とハルは心の中で毒づいた。

 夏休みに入るとキャンプの計画を進めるために、毎日のようにどこかで落ち合った。場所はだいたいがファストフードショップであったが、財布事情が厳しいときはショッピングモールのベンチの時もあった。本やネットで情報を収集しながら、その足で一緒に必要なものを買いにも行った。キャンプそのものもだが、こんなに時間を共有できることが嬉しく、ハルは毎日宙を踏むような心持ちだった。
「じゃあ場所はここに決定だね。キャンプってもっと大げさなイメージがあったけど、意外と近場でもできるんだねえ」
 未知の世界を垣間見たように、智がほう、と息をつきながら本を閉じた。
「せやで。言うてもたら自分らでメシ作って寝るだけや」
「身も蓋もないなあ」
 ケラケラと笑っている智の横で、ハルは自身の発言に青ざめる。
 寝るだけ、って。
 智と夜を共にするということでは――?
 今更としか言いようがないが、すっかりそこのところが頭から抜けていたらしい。途端に脳内大パニックになるハルなど知る由もなく、にこにこと智が尋ねる。
「んで、このキャンプ場、最寄りの駅ってどこになるのかなあ」
「は? チャリやで」
「……え?」