小学五年生の永倉智(ながくらさとる)は綺麗なものが好きだ。
 普段は品行方正、先のことまでよく考えて動く慎重派の彼であるが、こと美しいものに関しては別だった。綺麗だな、と彼の美的センサーが反応したが最後、後先考えず脇目も振らずに飛んでいってしまう。
 この日もそうだった。

 梅雨により連日の雨模様。下校時、智がふと空を見上げると、幸い雨は止んでいた。しかしどんよりとした灰色の雲は健在で、いつ降り出してもおかしくない空模様だ。
「やんでいるうちに急いで帰ろう」
 長靴をボコンボコンと鳴らしながら、早足で家路を急いだ。早足で歩いても、長靴はなかなか進まなく、気ばかり急いた。
「確かこっちの方が近道だったはず」
 人通りが少ないため普段は通らない道に一歩足を踏み入れた途端、智は目を見開いた。
「わぁ……!」
 眼前に広がるは、一面のあじさい。
 一目散に駆け寄っていって、がくや花びらを丹念に観察した。そのうち葉っぱの上にちょこんと鎮座するカタツムリを発見、にっこりと微笑みかける。
 そんなことをもう何十分続けていただろう、かなり前から雨が再び降り出していることに、智は気づいていない。株によって開花の時期がずれていることや、同じ株の中でも色味がグラデーションのようになっていることなど、智にとって興味を引かれることばかりで、夢中になってあじさいを鑑賞していた。そんなとき、突然視界が暗くなった。
「びしょ濡れやないか! 風邪引くやろ!」
 振り返ると、全く知らない少年が立っていた。年格好は智と同じぐらいだろうか、顔が真っ赤なのは日焼けしているからなのか。見知らぬ少年からいきなり怒られたわけだが、自分の背中が濡れるのもお構いなしで智を傘に入れている彼に、智は礼を言わなければと思った。
「ありがとう」
 カタツムリにしたのと同じように、にっこり笑って礼を言うと、少年のぴかぴかの頬はますます赤くなり、トマトのようになった。
「傘持ってるから大丈夫だよ」
 智がそう言うと、ようやく少年は傘を自分のためにさした。
「い、一緒に帰らへん……?」
 さきほどの威勢はどこへやら、俯き唇を尖らせながら蚊の鳴くような声で言う少年を見て、智はまた笑った。
「いいよ!」
 小雨の中、黄色の傘と紺色の傘が、寄り添いながらあじさいの中をゆっくりと進んでいった。
 そんなあじさいが引き寄せた、ふたりの出会いだった。