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まさか、こんな展開になるとは予想だにしなかった。
僕は借りてきた猫になって後部座席に座り、彼女の家へ連行されている。おばさんに自宅に寄らないかと誘われたのだ。
その間、興奮冷めやらぬおばさんは矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。
「ほんとうに驚いたわぁ。和也くん、紗栄子さんは元気?」
「あ、はい。僕が高校に入ったら仕事を再開するみたいです」
紗栄子さん、とは僕の母親の名前である。つまり母親同士がママ友の仲なのだ。あの女の子、楠千里は僕の幼馴染だった。名前は確かに記憶の片隅にあった。
「仕事ってなにやっていたのかしら。和也くんが生まれてからは専業主婦だったわよね」
「あっ、はい。簿記の資格を持っているので事務仕事だと思います」
「紗栄子さんは几帳面だから合っているわ。ねえ、もうすぐ受験でしょ? 受験勉強ってしているの?」
「いえ、あんまり……」
「そう、あんまりやらなくてもできるって羨ましいわぁ」
ぜんぜん、そういうわけではない。でも、モチベーションが低空飛行なんですと白状できる流れでもない。
「引っ越ししてからもうだいぶ経つものね。でも、千里が和也くんの学校で歌って、和也くんが千里に気づいて会いに来てくれるなんて、ほんと奇跡的な再会よね。それにふたりともお互いを覚えているなんて!」
「はい、ほんと、偶然ですね……」
つい、奥歯にものが挟まったような返事になってしまう。
最後に彼女とおばさんに会ったのは、八年前、小学二年生頃のはず。僕自身、ふたりを覚えていなかったのは無理もないと思う。けれど、運転席から振り向いたおばさんの笑顔を勘案すると、事実を修正するのは不可能なところまできているようだ。
修正しようにも、僕自身が訪れようと決心した理由を説明できるはずもない。そのままのほうが支障ないだろう。
隣の女の子はさっきから何度も、そろりと指を伸ばして僕に触れると素早く引っ込め、声を殺して悶絶している。紅潮しっぱなしの顔をしていて、内心大騒ぎなのが見てとれた。僕が特別支援学校を訪れたことは、彼女にとっても予想外の驚きだったようだ。
記憶の糸を手繰り寄せると、彼女とは家が近所で幼稚園は同じクラスだった。母親同士の仲が良いため、お互い家を行き来していた仲だ。小学校は別の学校になったけれど、しばらくは交流があったはず。
けれど後に、その家庭は引っ越しをしたと母親から聞かされた。詳しい事情は話してもらえなかったし、幼い自分は詮索するつもりなどなかった。以来、楠家との交流は途絶えていた。
「千里、眼の病気になっちゃったからねぇ……」
おばさんは急にしんみりとした口調になる。今になって引っ越した理由が理解できた。この月ケ先の街には小中高一貫の特別支援学校があるからということらしい。
「そうなんですか……千里さん、残念ですね……」
横からすかさずくちばしを挟まれる。
「さん付けしなくたっていいよ。昔は呼び捨てだったじゃん」
「あれ、そうだったっけ?」
千里さん――いや、千里のほうが僕よりは記憶が確かなようだ。僕のことをどれだけ覚えているのだろうか?
「どんな大人になったか、顔見てみたかったのになぁ。声はだいぶ変わっちゃったね」
「僕はぜんぜん大人じゃないよ。背と声はまあ、大人並だけどさ」
「千里、和也くんは昔の面影そのまんまよ」
「むぅ、面影そのまんまって、イメージが湧くようで湧かないようで、微妙……」
そう言ってまた、指先を僕にそろりと近づけた。
まさか、こんな展開になるとは予想だにしなかった。
僕は借りてきた猫になって後部座席に座り、彼女の家へ連行されている。おばさんに自宅に寄らないかと誘われたのだ。
その間、興奮冷めやらぬおばさんは矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。
「ほんとうに驚いたわぁ。和也くん、紗栄子さんは元気?」
「あ、はい。僕が高校に入ったら仕事を再開するみたいです」
紗栄子さん、とは僕の母親の名前である。つまり母親同士がママ友の仲なのだ。あの女の子、楠千里は僕の幼馴染だった。名前は確かに記憶の片隅にあった。
「仕事ってなにやっていたのかしら。和也くんが生まれてからは専業主婦だったわよね」
「あっ、はい。簿記の資格を持っているので事務仕事だと思います」
「紗栄子さんは几帳面だから合っているわ。ねえ、もうすぐ受験でしょ? 受験勉強ってしているの?」
「いえ、あんまり……」
「そう、あんまりやらなくてもできるって羨ましいわぁ」
ぜんぜん、そういうわけではない。でも、モチベーションが低空飛行なんですと白状できる流れでもない。
「引っ越ししてからもうだいぶ経つものね。でも、千里が和也くんの学校で歌って、和也くんが千里に気づいて会いに来てくれるなんて、ほんと奇跡的な再会よね。それにふたりともお互いを覚えているなんて!」
「はい、ほんと、偶然ですね……」
つい、奥歯にものが挟まったような返事になってしまう。
最後に彼女とおばさんに会ったのは、八年前、小学二年生頃のはず。僕自身、ふたりを覚えていなかったのは無理もないと思う。けれど、運転席から振り向いたおばさんの笑顔を勘案すると、事実を修正するのは不可能なところまできているようだ。
修正しようにも、僕自身が訪れようと決心した理由を説明できるはずもない。そのままのほうが支障ないだろう。
隣の女の子はさっきから何度も、そろりと指を伸ばして僕に触れると素早く引っ込め、声を殺して悶絶している。紅潮しっぱなしの顔をしていて、内心大騒ぎなのが見てとれた。僕が特別支援学校を訪れたことは、彼女にとっても予想外の驚きだったようだ。
記憶の糸を手繰り寄せると、彼女とは家が近所で幼稚園は同じクラスだった。母親同士の仲が良いため、お互い家を行き来していた仲だ。小学校は別の学校になったけれど、しばらくは交流があったはず。
けれど後に、その家庭は引っ越しをしたと母親から聞かされた。詳しい事情は話してもらえなかったし、幼い自分は詮索するつもりなどなかった。以来、楠家との交流は途絶えていた。
「千里、眼の病気になっちゃったからねぇ……」
おばさんは急にしんみりとした口調になる。今になって引っ越した理由が理解できた。この月ケ先の街には小中高一貫の特別支援学校があるからということらしい。
「そうなんですか……千里さん、残念ですね……」
横からすかさずくちばしを挟まれる。
「さん付けしなくたっていいよ。昔は呼び捨てだったじゃん」
「あれ、そうだったっけ?」
千里さん――いや、千里のほうが僕よりは記憶が確かなようだ。僕のことをどれだけ覚えているのだろうか?
「どんな大人になったか、顔見てみたかったのになぁ。声はだいぶ変わっちゃったね」
「僕はぜんぜん大人じゃないよ。背と声はまあ、大人並だけどさ」
「千里、和也くんは昔の面影そのまんまよ」
「むぅ、面影そのまんまって、イメージが湧くようで湧かないようで、微妙……」
そう言ってまた、指先を僕にそろりと近づけた。