「─────で、本当に昔から引っ込み思案な性格でして、恋愛の方も自分からはいけなくてねえ」


ああ、こんなにも憂鬱な日って他にあるだろうか。

週末土曜日。ついにやって来てしまった強制お見合い当日。渋々待ち合わせ10分前に〇〇ホテルへ到着すると、待ち合わせていた母は開口一番に『ちょっと何そのやる気のない服装は?!』と捲し立てた。その時点から今日の地獄は決まっていたと言っても過言ではない。

昨日遅くまで天海先輩の部屋でゲームをしていたものだから、宣言通り浮腫んだパンパンの顔で起きたのは無理もない話。一人暮らしの最寄りから電車で1時間半揺られてわざわざ地元へ帰ってきたというのに、実の娘になんてことを言うんだ。

まあ、確かに、メイクは適当だし。セミロングの髪はストレートにしただけだし。服装は無難な深緑のトップスに黒いスラックスとパンプス。ギリ仕事着。可もなく不可もなく及第点だと思ったけれど、母から見れば”やる気のない服装”らしい。逆にやる気のある服装ってなんなんだ。


「それを言ったらうちの息子もですよ、ずっと仕事ばっかりしてて! 勉強はできたんですけどねえ」
「いやいや、弁護士さんなんてそうそうなれるものじゃないんですから! 桑原(くわばら)さんなんて引く手数多(あまた)でしょう、本当こんな機会ありがとうございます」
「何を言ってるんですか! こんなに綺麗な娘さんがいて! ねえミミコさん。まだ独身なんてことが信じられないわ」
「はあ……ありがとうございます……」


地元では有名な〇〇ホテル3階、カフェ&レストランの一角にて。29にもなって、目の前でお世辞三昧(いや、うちの母は本気で思っているかもしれないが)を繰り広げる親たちの姿を見るのはいかがなものか。

居た堪れなくなって店内をぐるりと見渡す。ガラス一面で景色がいい。選べるメイン2種と前菜ブッフェ。強制お見合い相手である弁護士の桑原さん─────相手のことはわたしも今日初めて知ったけど─────チョイスらしいけれど、流石だなあ。桑原さんのお母さんを見ても、明らかに高価なバッグにアクセサリー。きっと裕福な家庭なんだろう。

ちなみに、当の本人である桑原 幹人(クワバラ ミキト)さんは、仕事の関係で少々遅れてくるんだとか。先に3人でお店へ入ったけれど、正直居心地が悪すぎる。

ていうか、弁護士とか聞いてないし。そもそもどこのツテでこんな育ちの良さそうな家庭とお見合いすることになったのか甚だ疑問である。


「桑原さん……ミキトさんは、就職してからずっとこちらに?」
「いえ、初めは地元にいたんですけれど、数年前に都内の法律事務所に転職したんです。ミミコさんも都内勤務と聞いてますので、条件はよろしいんじゃないかと思いまして!」
「そう言っていただけて嬉しいわ、ね、ミミコ」
「はあ……」


ニコニコ、嬉しそうに手を合わせる桑原さんのお母様。上品に笑う人だなあ。嫌味もないしステキな方だ。

ちょっとお手洗いに、とうちの母が席を立つ。引き攣った笑顔で見送ったけれど、内心最悪な気持ちになる。初対面の、それもお見合い相手のお母さんという謎の関係値。いきなり2人きりだなんてハードルが高すぎる。


「ミミコさんは、結婚したら仕事はどうするのかしら?」
「えっ?」
「都内のパジャマメーカーに勤めてらっしゃると伺ったものですから。こちらへ帰ってくる予定はあったりします?」
「は、はあ……そうですね、今のところはないですが……」


コトリ。ティーカップをお皿に置いた音がやけに大きく聞こえた。おかしいな、さっきまで素敵に見えていた笑顔が急に違う人種のように見えてくる。うちのお母さんが結婚を焦らせる時と同じような胸騒ぎ。


「ミキトには結婚したら出来ればこっちへ帰ってきてほしいと思ってるんです。だってほら、子供ができたら大変でしょう? 都内で子育てなんて……それに、共働きで子供に寂しい思いをさせるかもしれないし」
「はあ……」
「こっちへ戻ってきたら私たちが子供の世話もできるし、一番いい形になると思うんですよね。ふふ、まあまだ子供なんて先のことかもしれませんけれど。ミミコさんは男の子と女の子、どちらがよろしいです?」


ふふ、と。素敵な笑顔で笑う。うちの母とは違う、綺麗な服装に高価な身なり。きっと悪気なんてないんだろう、だってこの人にとっては”結婚したら女性が男性に住居や仕事を合わせること”も、”結婚したら子供を持つこと”も、当たり前なのだから。

そんな価値観が悪いわけじゃない。否定するわけじゃない。ただ、それは決して誰にとっても”当たり前の価値観”ではないということを、この人はただ知らないだけなのだ。


「え、っと、そうですね、子供……考えたことなかった、ですかね……」
「あら、珍しい。でも、ミミコさん今年で29歳でしょう? 子供を産むならやっぱり早めの方がいいですよ。体力的にも30超えるときつくなりますから」
「ハハ……そうですよねえ」


子供。欲しい人もいれば、欲しくない人もいる。わたしは多分、そのどちらでもない。欲しいと思ったことはないし、絶対に欲しくないと思ったこともない。いいパートナーと出会えれば、その人と対話を通じて決めること。

そもそも、結婚願望がないのに、子供のことなんて真剣に考えられない。まだまだ私は毎晩天海先輩とゲームをしているような子供なんだから。


「仕事も大事だと思いますけど、せっかく綺麗なんですから、やっぱり20代のうちに結婚して子供を産まないと勿体無いですよ」
「あー、ハイ、そうですよね、ハハ……」
「それにほら、こう、言うじゃない? 女の子はクリスマスケーキと同じだって。それこそ、30歳になる前に相手は決めた方がいいと思うのよね」
「ハハ……」
「─────母さん」


あーもう最悪、さっさと帰りたい。

そんなわたしの表情がどうか伝わっていませんように、と願った矢先。突然降ってきた声に顔を上げると、そこにはとても端正な顔立ちをした─────恐らく遅れてきた桑原さんだとは思うが─────男性が立っていた。


「さっきから店外まで声聞こえてましたよ。今時女性にそんな話をするのはハラスメントです」


なんとまともなことを言ってのけるのか。実の母親から視線を外し私をまっすぐ見つめた彼は、少し申し訳なさそうに「遅れてすみません、桑原幹人と申します」と丁寧に頭を下げたのだった─────。