《ちょっと、勝手に決めないでよ! わたし、結婚する気なんてないよ》
《いい歳して何言ってるの、来年にはもう30よ? 20代のうちにいい相手を捕まえておかないと》
《だから、ひとりでも生きていけてるし、結婚するとしても相手は自分で見つけるってば》
《中学校の時仲良かった〇〇ちゃん、最近2人目の子供ができたって。近所の〇〇ちゃんも結婚したよ。アンタより3歳も年下なのに! いい加減孫でも見せて親孝行してちょうだい。お爺ちゃんお婆ちゃんだってもう長くないんだから。それに、家にも全然帰ってこないし。たまには顔見せたらどうなの?》
母からの長文メッセージに面食らう。これは私が何を言ってもダメな時だ。ああ、最悪だ、憂鬱すぎる。
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「─────っていうことがあって! 本当自分勝手すぎるんですよね相変わらず! 結婚結婚ってうるせーんですよ! ありえないと思いませんか!!!」
「ああ今日も推しが尊い生きててくれてありがとう」
「って聞いてるんですか?!?!」
ドン、とビール缶を机に叩きつけると、やれやれとテレビに張り付いていた天海先輩がこちらを振り返った。その目は「ああまた面倒くさいことが始まった」と言わんばかり。
会社から電車で30分、都心から少し離れた〇〇駅徒歩5分の好立地マンション。憧れていた都内1K一人暮らし。数年前実家を出た私には大満足の住み家である。 そんな安住の地〇〇マンション303号室が私の部屋。そして今私がビール片手に項垂れているのはその隣、304号室。
私が慕ってやまない天海先輩の部屋である。
「聞いてるも何も、アンタの恋愛事情なんてどーでもいいんだっつうの。私は今日解禁の新曲MVを最低100回は観るって決めてるんだから、それ食べたらさっさと帰んな?!」
「ウッウッ、そーやって天海先輩まで私を見捨てるんですか!! 自害してやるー!!!」
「ぎゃーやめなさいってば!! 慣れないビールなんて飲むなー!!!」
やいのやいの。暴れ出した私に天海先輩はやれやれと缶ビールを取り上げて、かわりに渋々と冷蔵庫から麦茶を取り出してコポコポとコップに注いでくれた。
10月中旬。地球温暖化が進む日本ではまだまだ冬到来というには早いのに、天海先輩の部屋にはすでに炬燵が用意されている。わたしはそこにぬくぬくと身を沈めて、コンビニで買った野菜スティックとグラタンを食べているところだ。
差し出された麦茶はどの季節でも先輩の冷蔵庫にある常備品。これがうまいのだ。
ちらりと天海先輩を見やる。ノーメイクに緑のジャージと分厚いメガネにヘアバンド。長い黒髪は無造作に後ろでお団子に縛っている。これが大好きな天海先輩の通常装備だ。
あー安心する。天海先輩を見ると、こういう人になりたいと本気で思う。
「天海先輩ー。わたしずーっと先輩の部屋でこうしてご飯食べてたいです」
「別にいつでも来ればいいって何回も言ってんでしょ」
「うう、だってー、世の中みーんな恋愛だの結婚だの、うるせーっつうんですよ! こちとらこの安定した時間が至福の時なんだっつうのー!!」
「ああうるせー! 推し鑑賞を邪魔すんな!」
天海先輩。本名、知らない。年齢、知らない。職業、知らない。知っていることといえば、5人組アイドルグループを育て上げる育成ゲームの『三橋くん』が最推しで、1にも2にも三橋くんのことしか考えていないこと。それから、わたしの隣の部屋、304号室に住んでいること。それだけだ。(まあ、私と先輩がどうしてこんな関係になったのか、話せば長くなるのでそれはまた別の機会にて)(ちなみに年齢は知らないけれど、漫画やアニメの話に若干ジェネギャを感じるので、私より年上なことは確信している)
「天海先輩ー、先輩は私がお見合いして好きでもない相手と結婚してもいいって言うんですか」
「知らねーわ! 勝手にしやがれ!」
「先輩の薄情もの!!」
「だから暴れんなー!!! 慣れないビールなんて飲むから酔うんだよアホが!」
「わーん、じゃあアイス食べましょうよう、わたし今日高いやつふたつ買って冷凍庫入れときましたから!」
「ったく……勝手に人ん家の冷凍庫にぶち込んでるんじゃねーっつうの」
「先輩の好きなチョコチップですよお、食べたいでしょ」
「はーやだやだこれだから稼いでる女は」
「そんなことないですもん」
先輩も私もだいすきなハーゲンダッツ。こんな日には買ったっていいじゃないか。独身29歳なんだから、なんでもない日のちょっとした特別くらい許されよう。お金には特段困っていないのだ。
「そんで、相手はどんなやつなのよ」
アイスに負けてか、渋々と天海先輩が推しMVから目を離した。
「知らないですよう、ていうかそもそも、今どきお見合いってなんなんですかあ、田舎にも程があるー!」
「ミミコは押しに弱いからねえ、強制的なものじゃないと一生恋愛しないんじゃないかって危惧したんでしょ。お母さんもアンタのことよくわかってんね」
「感心してる場合じゃないですよお! わたしほんっとに結婚願望も恋愛願望もないんですから!」
そう、こう見えて(どう見えているかは知らないが)三上美々子は恋愛願望が一切ないのである。
「まあ結婚して孫の顔見せるのも親孝行だからねー」
「うう、他人事だと思って! だいたい私子ども苦手なんですよう、自分の世話さえ上手くできないのに子供なんて育てられるかー!!!」
「ぎゃーやめろ暴れるな!」
こたつの机を倒す勢いで暴れた私を天海先輩が慌てて止める。うう、先輩、ごめんなさい。迷惑かけたいわけじゃなかったんです。
私はそのまま机に頬っぺたをくっつけて項垂れる。お母さん、私のこと全然わかってないんだもん、美味しくないビールを飲みたくもなるよ。
「せんぱあい……女って、結局結婚しなきゃいけないんですかあ」
「誰もそんなこと言ってないでしょーが」
「子供だって、産むのが当たり前なんですかあ?」
「選択できる時代なんだから自分で決めればいいのよそんなこと、いちいち悩むんじゃねえっつうの」
「うっ先輩ダイスキッ」
「ぎゃっ引っ付くな帰れ!!」
天海先輩。何も知らないけれど、私は仕事が好きだし、仕事終わりにこうして先輩と過ごす時間がいちばん好きだったりするんです。みんなの当たり前にはなれないけれど、こういうのって、やっぱり理解されないんでしょうか。
◇
「三上さん、次の企画メイン担当でお願いできる?」
「えっ! は、はい!」
ミーティングの終盤、グループリーダーに名指しされてびくりと肩を震わせると、まさかの言葉が落ちてきた。
そこそこ有名な都内のパジャマメーカー。男女問わず使える幅広いラインナップを広げる我が社は、創業時のパジャマ一択に止まらず、今や寝具や睡眠雑貨まで手掛けるアパレル兼雑貨メーカーの一流企業だ。おしゃれな本社ビルは港区の駅前に構えていて、入社して6年も経つけれど、田舎育ちの私は未だにこの空間にそわそわする。
社会人6年目。やっとメイン企画の仕事が舞い込んできた。
総合職で入社して、初めは現場の直営店スタッフ、それから売り込み営業、なんとか去年希望していた商品企画部に配属になって、何度か新商品企画のサブ担当をさせてもらって。そして今回、初めてメイン担当を任された。
6年目といえど、そこそこ歴史があり社員数も多いうちの会社じゃ20代はまだまだ新人扱い。初めてのチャンスに胸を躍らせるのも無理はない。だって私はうちの会社のパジャマが大大大好きなのだ。
「次の企画はバレンタインテーマの新作パジャマね。タイトなスケジュールになるけど、2月発売に間に合うように。再来週までに何個か企画書作ってくれる?」
「はい、勿論です!」
「一応グループのみんなもひと案くらいは考えてきて。採用されたテーマで今回は三上にメイン担当やってもらいます。じゃ、来週よろしく」
グループリーダーが颯爽と会議室を出ていくのを見て、私は胸が踊る気持ちでパソコンを抱えた。バレンタインテーマ、なんて素敵な企画! 絶対に成功させてやる!
◇
そしてわたしは今日も今日とて天海先輩の部屋にいる。304号室、インターホンを押せばいつだって嫌そうな顔をした天海先輩が扉を開けてくれるのだ。(本当は嫌じゃないくせに!)
「せんぱーい、今日はクッキングジョイやりましょうよう、最近流行ってるやつ買ったんです」
「なにそのダッサイ名前のゲームは」
「協力して店の厨房から配膳までやるゲームですよお、これがめちゃくちゃ面白いんですから!」
私はそそくさと先輩の部屋のテレビにゲームを繋いで準備に取り掛かる。コンビニで唐揚げとシーザーサラダ、それからミックスナッツを買ったので今日も最高な晩酌が約束された。
ちなみに、私はお酒がそこそこ好き(かと言って強いわけではない)なのでよく飲むけれど、実は天海先輩はアルコールが一滴足りとも飲めないらしい。そういうわけで、先輩はいつも冷蔵庫にだいすきな麦茶を常備しているのだ。
「ミミコ、あんたはほんっとに変なゲーム見つけるのが得意ねー」
「変なって言わないでくださいよう、先輩もこれが好きなくせにー」
私と天海先輩には特段特別な何かがあるわけではない。共通点といえば、お互いゲームが好きなことくらいだ。
年齢も違うし職業も違う。隣の部屋の住人というだけで、初めはたまたま玄関を出た瞬間出会ったり、かと思えばゴミ捨て場で会ったり、はたまた近くのコンビニで出会ったり。そんな偶然が何度か合って、なんやかんや仲良くなって現在の関係に至るというわけだ。
天海先輩は推し活に夢中だし、私はこう見えても仕事が大好き。人生の重きを恋愛や結婚に置いていないところが似た者同士で心地がいいんだと思う。
「先輩、なんとなんと、わたし初めて新作パジャマ企画のメイン担当になったんですー」
ピコピコ。ゲーム機を動かしながら名前を設定する。アマミ、と、ミミコ。そういえば、天海先輩の本名は未だ知らない。1番初めに一緒にやったゲームで、先輩が自分のキャラの名前を『天海』にしていたから、それからずっとわたしは『天海先輩』と呼んでいる。
「へー、凄いじゃん。ミミコ新しいモノ好きだし新企画とか向いてんじゃない? 頑張んなー」
「へへ、先輩はそう言ってくれると思ったー!」
予想通りの答えが返ってきてにまにましてしまう。天海先輩は良くも悪くもお世辞や思ってもいないことは一切口に出さないタイプ。だからこそ信頼できるし慕っている。
「先輩は、って。みんな思うんじゃないの」
「そんなことないですよう、私押しに弱いし人見知りだし、人から舐められることも多いし……」
「ま、押しに弱いのと人から舐められやすいのは否定しないけど」
「くう、それもわかってますけどー! でもでも、だからこそ、地元の友だちとか、こんな私が都会で仕事して、きっと馬鹿にしてるんですよう」
ピコピコ。やっとゲームのトライアルが始まって、私たちのキャラクターが厨房へと入り簡単な操作説明を受けていく。可愛らしい絵柄のハンバーガーが出来上がるとすぐにお客に配膳しなくてはならないらしい。協力プレイだ。
23歳。新卒のタイミングで上京して、ひとり暮らしをはじめた。そこそこ有名なパジャマメーカー。田舎で育った引っ込み思案の私がいきなりキラキラした世界に飛び込んだこと、周りはよく思わなかったと思う。
それに、今年29のアラサー女が未だ結婚していないだけではとどまらず、彼氏さえいないときたら、地元で”売れ残り”のレッテルを貼られて馬鹿にされているのはわかりきったこと。というか、実際に帰るたびに子供を連れた友人たちから完全に見下された目線で言われるのだ。
『それで、ミミはいつ結婚するの?』と。
女性も結婚年齢が上がって時代は変わったと言うけれど、それは都会での話。地元に帰れば25〜27が結婚ラッシュ。29にもなれば子供の1人や2人いたっておかしくない。勿論それが人生の正解であり、幸せの代名詞であるという考えは否定しない。
けれど、彼女たちと私では、人生において重要視していることが、根本的に違うのだ。
都会に出て、有名企業の総合職として就職して、20代で結婚や出産まで強いられるのなんてまっぴらごめんだ。というか、私にはそこまでバイタリティもなければ、結婚願望もない。
中学校で、高校で、大学で、あんなに仲の良かった友人たちは、私とは全く別の人生のステージを歩んでる。それは悪いことではないけれど、わたしのように仕事が大好きで恋愛は二の次だという考えは、見下されるようなことではない、と思う。
「ふーん、ま、いいんじゃない。人生なんて人それぞれだし、干渉するほうがアホくさいっしょ」
「人間って噂話が大好きなんですよう、地元に帰ってお見合いなんてしたら、それこそどこかで変な噂が立てられそうだし」
「気にすんな気にすんな、あんたがモテないことなんて学生時代からわかりきってることでしょーに」
「ちょっと!! わたしがモテるかモテないかはこの話に関係ないですから!!」
「まあ私だったら、お見合いする時間があるなら三橋クンの過去ライブDVDを全部見返すけどねー」
「うう、天海先輩、流石ブレないですね!! この三橋オタクッ!!」
「三橋オタクって響きで飯が3杯いけるわ」
三橋くんのアクスタやらポスターやら、ありとあらゆるグッズで彩られた天海先輩の部屋は所謂オタク部屋というやつなのかも。私に推しはいないから共感はできないけれど、ひとつのものにこれだけ熱量を注げるってすごいことだよなあ。
「天海先輩、先輩のそーゆーところがだいすきなんですー!」
「おいちょっと引っ付くな! てか早くバーガー作れアホ!!! ゲームオーバーになるだろうが!」
ゲーム機を放って先輩に抱きつこうとすると、心底嫌そうな顔でわたしを避ける天海先輩。そんなに嫌がらなくたっていいのに! 本当にゲームオーバーになってしまって慌てて体制を整えると、天海先輩が「もう一回やるぞバカ!」とリプレイ。嫌がっていたくせに新作ゲームに夢中な先輩、かわいいとこあるよねえ。
「天海先輩ーわたし次の企画まで夜な夜な企画書練るつもりなので、暫くゲームと飲酒を自粛しますー」
「おーがんばれがんばれ、出世して金稼いで焼肉でもいくぞー」
「それ完全にわたしの奢り目的じゃないですかあ!」
「あったりまえよ、あーんたいつもここに入り浸ってんだから焼肉ぐらい奢りなさいっつうの」
ピコピコ。ゲーム再開。今度はきちんと横並び。先輩のコタツは名残惜しいけれど、企画書ができるまではお預けだ。
同じマンションに住んでいるけれど、先輩がどんな仕事をしていてどれくらい稼ぎがあるのかはわからない。わたしは一応有名企業の総合職として毎日必死に働いているので、同年代と比べれば比較的金銭的余裕がある方だと思う。
「ちえ、ちょっとは寂しがるかなあって思ったのにー」
「バカ、こっちは土曜から三橋くんの同人誌作成で忙しいんだっつうの、ちょーどいいわ」
「えー!! わたし、先輩に夜食ねだりに来る予定だったのにー!!」
「私がつくるのなんていつも握り飯だけだろーが」
「そーですよう、そのおにぎりがだいすきっていつも言ってんでしょーが!」
「ったく、ほんとアンタって変人」
「へへ、具材は焼きタラコとシャケでお願いします!」
ばーか、そんな暇じゃないっつうの。そう呟く先輩はゲームから目を離さないけれど、その表情は少しだけ嬉しそうだ。
少し塩気がつよくて、人の拳より大きいおにぎりは、天海先輩が気が向いた時だけつくってくれるわたしのだいすきな夜食だ。焼きタラコに紅鮭、おかかにツナマヨ、塩昆布に蜂蜜梅干し。具材はその時々だけれど、歪な形をしたその大きなおにぎりが、私はなぜだか時々無性に恋しくなってしまう。
「あ、そーだ先輩、私の例のお見合い、明日ですよお、土曜日」
「あーそうだったそうだった、じゃーこんなとこで酒飲んでる場合じゃないでしょーが。早く帰んな」
「いやですいやです、もー明日浮腫んでパンパンの顔で行ってやるんですからあー!」
「あーはいはい好きにしな」
ぐびっとひとくちレモンサワーを飲み込んで、天海先輩とクッキングジョイに専念する。あーあ、明日憂鬱だなあ。相手には申し訳ないけれど、会って直接謝ろう。『いまは彼氏を作ったり結婚したりする余裕がないんです』と。
だって私は、毎日仕事を頑張って、天海先輩とゲームをしたりアニメを見たりする時間が何より好きなのだ。
◇
「─────で、本当に昔から引っ込み思案な性格でして、恋愛の方も自分からはいけなくてねえ」
ああ、こんなにも憂鬱な日って他にあるだろうか。
週末土曜日。ついにやって来てしまった強制お見合い当日。渋々待ち合わせ10分前に〇〇ホテルへ到着すると、待ち合わせていた母は開口一番に『ちょっと何そのやる気のない服装は?!』と捲し立てた。その時点から今日の地獄は決まっていたと言っても過言ではない。
昨日遅くまで天海先輩の部屋でゲームをしていたものだから、宣言通り浮腫んだパンパンの顔で起きたのは無理もない話。一人暮らしの最寄りから電車で1時間半揺られてわざわざ地元へ帰ってきたというのに、実の娘になんてことを言うんだ。
まあ、確かに、メイクは適当だし。セミロングの髪はストレートにしただけだし。服装は無難な深緑のトップスに黒いスラックスとパンプス。ギリ仕事着。可もなく不可もなく及第点だと思ったけれど、母から見れば”やる気のない服装”らしい。逆にやる気のある服装ってなんなんだ。
「それを言ったらうちの息子もですよ、ずっと仕事ばっかりしてて! 勉強はできたんですけどねえ」
「いやいや、弁護士さんなんてそうそうなれるものじゃないんですから! 桑原さんなんて引く手数多でしょう、本当こんな機会ありがとうございます」
「何を言ってるんですか! こんなに綺麗な娘さんがいて! ねえミミコさん。まだ独身なんてことが信じられないわ」
「はあ……ありがとうございます……」
地元では有名な〇〇ホテル3階、カフェ&レストランの一角にて。29にもなって、目の前でお世辞三昧(いや、うちの母は本気で思っているかもしれないが)を繰り広げる親たちの姿を見るのはいかがなものか。
居た堪れなくなって店内をぐるりと見渡す。ガラス一面で景色がいい。選べるメイン2種と前菜ブッフェ。強制お見合い相手である弁護士の桑原さん─────相手のことはわたしも今日初めて知ったけど─────チョイスらしいけれど、流石だなあ。桑原さんのお母さんを見ても、明らかに高価なバッグにアクセサリー。きっと裕福な家庭なんだろう。
ちなみに、当の本人である桑原 幹人さんは、仕事の関係で少々遅れてくるんだとか。先に3人でお店へ入ったけれど、正直居心地が悪すぎる。
ていうか、弁護士とか聞いてないし。そもそもどこのツテでこんな育ちの良さそうな家庭とお見合いすることになったのか甚だ疑問である。
「桑原さん……ミキトさんは、就職してからずっとこちらに?」
「いえ、初めは地元にいたんですけれど、数年前に都内の法律事務所に転職したんです。ミミコさんも都内勤務と聞いてますので、条件はよろしいんじゃないかと思いまして!」
「そう言っていただけて嬉しいわ、ね、ミミコ」
「はあ……」
ニコニコ、嬉しそうに手を合わせる桑原さんのお母様。上品に笑う人だなあ。嫌味もないしステキな方だ。
ちょっとお手洗いに、とうちの母が席を立つ。引き攣った笑顔で見送ったけれど、内心最悪な気持ちになる。初対面の、それもお見合い相手のお母さんという謎の関係値。いきなり2人きりだなんてハードルが高すぎる。
「ミミコさんは、結婚したら仕事はどうするのかしら?」
「えっ?」
「都内のパジャマメーカーに勤めてらっしゃると伺ったものですから。こちらへ帰ってくる予定はあったりします?」
「は、はあ……そうですね、今のところはないですが……」
コトリ。ティーカップをお皿に置いた音がやけに大きく聞こえた。おかしいな、さっきまで素敵に見えていた笑顔が急に違う人種のように見えてくる。うちのお母さんが結婚を焦らせる時と同じような胸騒ぎ。
「ミキトには結婚したら出来ればこっちへ帰ってきてほしいと思ってるんです。だってほら、子供ができたら大変でしょう? 都内で子育てなんて……それに、共働きで子供に寂しい思いをさせるかもしれないし」
「はあ……」
「こっちへ戻ってきたら私たちが子供の世話もできるし、一番いい形になると思うんですよね。ふふ、まあまだ子供なんて先のことかもしれませんけれど。ミミコさんは男の子と女の子、どちらがよろしいです?」
ふふ、と。素敵な笑顔で笑う。うちの母とは違う、綺麗な服装に高価な身なり。きっと悪気なんてないんだろう、だってこの人にとっては”結婚したら女性が男性に住居や仕事を合わせること”も、”結婚したら子供を持つこと”も、当たり前なのだから。
そんな価値観が悪いわけじゃない。否定するわけじゃない。ただ、それは決して誰にとっても”当たり前の価値観”ではないということを、この人はただ知らないだけなのだ。
「え、っと、そうですね、子供……考えたことなかった、ですかね……」
「あら、珍しい。でも、ミミコさん今年で29歳でしょう? 子供を産むならやっぱり早めの方がいいですよ。体力的にも30超えるときつくなりますから」
「ハハ……そうですよねえ」
子供。欲しい人もいれば、欲しくない人もいる。わたしは多分、そのどちらでもない。欲しいと思ったことはないし、絶対に欲しくないと思ったこともない。いいパートナーと出会えれば、その人と対話を通じて決めること。
そもそも、結婚願望がないのに、子供のことなんて真剣に考えられない。まだまだ私は毎晩天海先輩とゲームをしているような子供なんだから。
「仕事も大事だと思いますけど、せっかく綺麗なんですから、やっぱり20代のうちに結婚して子供を産まないと勿体無いですよ」
「あー、ハイ、そうですよね、ハハ……」
「それにほら、こう、言うじゃない? 女の子はクリスマスケーキと同じだって。それこそ、30歳になる前に相手は決めた方がいいと思うのよね」
「ハハ……」
「─────母さん」
あーもう最悪、さっさと帰りたい。
そんなわたしの表情がどうか伝わっていませんように、と願った矢先。突然降ってきた声に顔を上げると、そこにはとても端正な顔立ちをした─────恐らく遅れてきた桑原さんだとは思うが─────男性が立っていた。
「さっきから店外まで声聞こえてましたよ。今時女性にそんな話をするのはハラスメントです」
なんとまともなことを言ってのけるのか。実の母親から視線を外し私をまっすぐ見つめた彼は、少し申し訳なさそうに「遅れてすみません、桑原幹人と申します」と丁寧に頭を下げたのだった─────。
◇
「さっきはすみません、母が失礼なことを言ったかもしれません」
「いやいやいや! 全然そんなこと……」
うん、失礼なことではない。別にうちの母親世代だったら当たり前のように持っている価値観だ。むしろ私の方がマイノリティ側。
桑原幹人さん。15分遅れでやってきた彼は深々と頭を下げて、「折角なので2人で話しませんか」とレストランの個室へ移動させてくれた。母親2人は先ほどの窓際席。声は聞こえないだろう。
目の前に座った彼を見る。
育ちの良さそうな端正な顔立ちだ。黒髪センター分けに高そうなスーツと腕時計。身長はきっと180近いだろう。これで職業弁護士なんて神様はちょっとひとりに与えすぎなのでは? と思うくらい。
「ここ、地元に帰ってくるとよく来るんです。休日でも意外と人がいなくて穴場なんですよね」
「はあ、素敵なところですよね」
運ばれてきたメイン(わたしはポークのマスタード添えを選んだよ⭐︎)を頬張ると確かに美味しい。これは天海先輩にも是非食べさせたい。いつもジャージ姿の先輩がこんなおしゃれなところにいる場面は想像つかないけれど。
「普段のお仕事は何をされて?」
「あー、えっとパジャマメーカーの商品企画で……」
「へえ! 凄いですね。じゃあ新作とかもミミコさんが?」
「そうですね、まだメイン担当はこれからですけど……新作のサブ担当は何度かやらせてもらって、コンセプトやデザインはチームでイチから考えたり」
「わ、大変そう。0からものを作ることがいちばん難しいですよね」
「そうなんです、新作ってどこかに正解があるわけじゃないし、誰かの真似もできないし……でもその代わり、自分にしかできないものを作ってやろうっていうやり甲斐はすごくあって! あとは、完成した時の達成感とか、お客さんの喜ぶ顔が見れた時とか、すごく嬉しくて……」
話していてハッとする。しまった、こんなに長々話すべきじゃなかった。
「す、すみません。話すぎました……」
「いや、素敵な話が聞けて僕も嬉しいです。仕事を頑張っている女性はみんな素敵ですよ」
「はあ……」
「……ミミコさんは結婚願望とかありますか?」
「ぐっ、あー、えっーと」
料理のおいしさと仕事の話に夢中になっていて、今日の本題を忘れるところだった。そういえば今日は強制お見合い。そろそろきちんと話をしなくては。
「って、すみません、話早すぎましたかね?」
「いやいや……えーっと、ちなみに桑原さんは……」
「ミキトでいいですよ」
「じゃあミキトさんは……結婚願望あるんですか?」
「僕は……」
じっとわたしの顔を見つめるミキトさん。私も負けじと見つめ返すと、瞬間顔をボボっと赤くして目を逸らされた。
んん? なんだこの反応は?
「ぼ、僕の話は置いておいて! み、ミミコさんは好きなタイプとか……ありますか?」
「好きなタイプ? うーんと……」
ぐるりと思考を巡らせる。久しく恋愛というものをしてきていないので、自分のタイプさえまともに把握していない。天海先輩だったらこういう時、真っ先に”三橋くん”と答えるんだろうなあ。推しがいるって便利だ。
そういえば、三橋くんが所属しているアイドルグループ(あくまでゲーム内二次元の話だが)は5人組。天海先輩にミミコは誰がタイプなんだって聞かれたことがあったっけ。あの時は確か……。
「えーっと、身長が高くて黒髪で頭がいい人ですかね!」
そう、いちばん身長が高くて秀才キャラの”三条くん”を選んだんだった! 天海先輩の推し活がこんな時に役に立つとは。ありがとう先輩。
ふとミキトさんを見ると、ボボボ、と効果音がつくのではないかというぐらいわかりやすく顔を赤くしていた。え、なんで? どうした?
「そ、それは、いやでもそんなはず……いや……」
「えーっと?」
「いや、まさかミミコさんの好きなタイプが僕なわけ……いやでも特徴が全て当てはまって……うっ」
ゴニョゴニョと訳のわからないことを呟いているミキトさんの声はよく聞こえない。さっきまでかなりスマートで大人な人だと思っていたけれど、よくわからない人だ。
「それで、ミキトさんの好きなタイプは?」
「ば、僕ですか?」
「はい。私だけ答えさせるなんてずるいですよ」
「そ、そうですよね、僕のタイプは……仕事を頑張ってて……」
「ほお」
「髪はセミロングくらいのストレートで、茶髪で色白……」
うーんと、あれ? どこかで聞いたことあるな……。
鏡に映った自分の容姿を思い返す。茶髪セミロングのストレート。細身で顔立ちは良くも悪くもあっさり塩顔。の割にメイクはいつも適当で薄化粧。身長162センチ、服装はいつも無難なシンプルコーデ。爪だけは唯一毎月ネイル課金。でも長いのは苦手なので短めに。
「細身で顔立ちはあっさりしていてメイクが薄くて……」
うん、あれ? いや、どこにでもいる、か?
「身長160センチくらいでシンプルな服装がとても似合う……あとはつま先まですごく綺麗な……」
ばちりとミキトさんと目が合う。
間違いない。これは確実に、わたし、口説かれている─────。
「それって私のことですよね?」
「アイドル リリカのような子がタイプなんです!」
………ん?
お互い目をパチクリさせて見つめ合う。
わたしの言葉とミキトさんの言葉はほぼ同時に放たれて、お互いうまく聞き取れなかったようだ。いや、聞き取れなかったことにしたいだけかも。
待って、穴があったら入りたい。
「アイドル リリカ……?」
「はい! 今大ブーム中のアイドル育成ゲーム『あいうぉんちゅ!』のメンバー、スドウリリカ、通常リリちゃんが僕の最推し、もといタイプでして─────ミミコさんに容姿がそっくりなんです!」
きらきらと目を輝かせ、顔を赤くしながら早口でそう捲し立てるミキトさんにはもう私のことは見えていないようだ。
うん。既視感がある。
こいつ、天海先輩と同じ─────二次元ドルヲタだ。
◇
「ぎゃはははっ、ナニ? ミミコあんた、そのリリちゃんに顔が似てるからお見合い相手に呼ばれたってわけ?!」
「ちょっと! 笑いすぎですよお!?」
日曜日、午後21時30分。土曜のお見合い次の日、私はまた天海先輩の部屋へとやってきていた。
「てゆーか、うまい話すぎんのよねえ、地元一緒で弁護士で高身長好青年、そーんな好物件がわざわざミミコとお見合いなんて、なんかあると思ったわ」
「ひ、ヒドイ、私だってモテることあるんですからね!!」
「あーハイハイ、リリちゃんはおとなしくうちで麦茶でも飲んでなー」
「くうっ……」
ミキトさんが言っていたリリカ、通称“リリちゃん”は、なんと天海先輩最推し”三橋くん”が登場する男性アイドル育成ゲーム「あいらぶゆ!」の派生バージョン、「あいうぉんちゅ!」の人気キャラクターなんだとか。つまり女性アイドル育成ゲーム推しキャラのビジュアルに、たまたま私が似ていただけってわけで。
くう、期待していたわけじゃないけれど、なんか悔しい気持ちになるのは私だけ?
「はは、てかソイツおもろいじゃん、しかも“らぶゆーシリーズ”が推しなんて見る目あるわ」
三橋くんやリリちゃんが出てくるアイドルゲームを総称してらぶゆーシリーズと言うらしい。初めて知った。ていうかシリーズ物だったんだ。
「あーもう! みんな人のこと馬鹿にして!!」
お母さんは早く結婚しろってうるさいし、ミキトさんのお母さんは子供がどうとか私の意見なんて丸無視だし。挙句の果てにミキトさん本人は、多少いい人なのかと思いきや────実は推しキャラのビジュアルが似ていたから私をお見合い相手に選んだという失礼極まりない二次元オタク。なんなんだ、なんで何もしてない私がこんな目に────。
「ま、いいじゃん、こーいうのも人生経験ってやつ」
「こんな人生経験積みたくないですっ!!」
「あーハイハイ、そんな怒るなって、ほら、あんたの好きな焼きタラコ」
「えっ」
私が麦茶を飲んで暴れていると、キッチンにいた天海先輩が戻ってきて、こたつの上にことりとお皿を置いた。その上には、まだ湯気がでるぐらいの温かいおにぎりがふたつ並んでいる。
「……せんぱあい、これ、拳より大きいですよお」
「バーカ、出血大サービスだろうがよ!」
わたしの拳よりも大きくて、海苔でまん丸にまかれた歪なおにぎりを手に取って、一口ぱくりと頬張る。熱々のお米、きっとわたしが来る時間に合わせてわざわざ炊いてくれたんだろう。つるつるのお米の粒からじゅわりと甘みがしみる。それから、塩気がつよくて少ししょっぱい。でもこれがいい。天海先輩の不恰好な、それでも世界一おいしいおにぎりの優しさに、なんだか泣きそうになったりして。
「先輩、相変わらず塩気、つよいですー」
「ああん? 文句言うなら食うんじゃないよ」
「うう、先輩のおにぎりが、世界一おいしいですよおー」
うわーん。子供みたいに言うわたしに天海先輩はやれやれと肩を落とす。呆れた顔をしているけれど、わたし、いたって真面目に言ってますからね、先輩。
「てゆーか、先輩はさっきからナニ食べてるんですか」
「あん? 三橋くん新曲MVお祝いケーキだよ!」
「ええっ?! 新曲MVが出たの一週間前ですよね?!」
「はあ?! そんなの関係あるかあ! いい? こーいうのはね、いつ食べるかじゃなくて気持ちなのよ!」
「……天海先輩ってクリスマスケーキも大晦日とかに食べそうですね」
「そりゃあんた、クリスマスケーキをいつ食べようがこっちの勝手でしょーが!」
「図星じゃないですか!!」
「うるさいなー、そんな細かいことはどうでもいいんだっつうの」
「あっ! わたしのおにぎりとったー!!」
ふたつあったうちのひとつを、天海先輩が勝手にお皿からとって頬張った。さっきまでケーキを食べていた口でおにぎりを頬張るなんて、信じられない。
「わたしが作ったんだからアンタのものじゃないっつうの」
「うう、もう一個食べたかったのにい」
「……梅干しならあるけど」
「わーん先輩だいすきっ」
やれやれと、片手でおにぎりを頬張りながら立ち上がった先輩がキッチンへ向かう。きっともうひとつ作ってくれるつもりなんだろう。なんだかんだ天海先輩って面倒見がいい。
「ま、今日も世界平和で何よりよ」
「……うーん、でもやっぱケーキとおにぎりは合わないと思います!」
「アンタ、せっかく私が綺麗にまとめようとしたのに……」
「あと、やっぱり梅干しより紅鮭がいいですー!」
「ミミコ、あんたやっぱさっさと帰れ!!」
「ぎゃっ天海先輩がおこったー!!」
そんなわけで、今日も今日とて、明日も明日とて、わたしは普通の女の子みたいに恋愛や結婚にはまだまだ程遠いところにいるけれど、きっと変わらず天海先輩との日常は続いていくのである。天海先輩の言葉を借りるなら、そう、これがきっと世界平和。
【第1話 米とケーキは合いません! 完】
醤油に辣油派、はたまた何もつけない派?
◇
時は進み12月中旬─────
「なんとなんと、明日このわたし、三上美々子初メイン担当のバレンタイン企画、ビジュアル撮影なんですよお!」
「へー、すごいじゃん、芸能人くるの」
「そーなんですそーなんです! なんとあの人気女優、中村舞ちゃんが広告モデルに決まりまして!」
「へー、よかったじゃん」
「ちょっと、聞いてるんですか!!」
ピコピコ、私が一昨日持ってきた新作ゲームに夢中な天海先輩は、こちらを見向きもせずテレビに夢中になっている。残業後の午後21時半、今日も今日とてわたしは304号室の天海先輩の部屋にいる。
『天海せんぱあい! 通りました! 企画!』と、バレンタインテーマの新作パジャマ企画書を鼻高々に見せたのは1ヶ月以上前の話。初めてのメイン担当は大忙しで、この1ヶ月は本当に怒涛の日々だった。仕事の合間を縫って天海先輩の元へやってくると、先輩は塩っぱいおにぎりだったり具沢山の味噌汁だったり、簡単な夜食を用意してくれたりして。口では早く帰れという癖に、天海先輩のそういう面倒見がいいところが大好きだ。
「……ていうか先輩って年中その格好してますケド、それ以外の服待ってます?!」
「ああん? うるせーな、こっち集中しろ!」
今日も今日とて私が持ってきた謎の新作ゲーム。今日はバトルものなので天海先輩の好きそうなやつ。
天海先輩。ノーメイクに緑のジャージと分厚いメガネにヘアバンド。長い黒髪は無造作に後ろでお団子に縛っている。大好きな天海先輩の通常装備。見飽きたその姿に安心感を覚えるけれど、一体天海先輩って何者なのだろう。(今まで疑問に思わなかったのもおかしな話であるけれど)
私が仕事から帰ってくる時間にはいつもこの姿で家にいて、私が仕事に行く時間にはまだ布団の中ですやすやと眠っている。土日はどんな時間に行っても三橋くんのDVD鑑賞やオンラインお話会参加等、推し活に励んでいるし。
あれ? なんだか今まで気にしていなかったけれど、天海先輩ってもしかして─────ニートなのでは?!
「あーー負けた負けた、やり直しだこんなの!」
「天海先輩……」
「ん?」
私はゲームのコントローラーを手から離し、ガシッと天海先輩の両手を掴んだ。
「困ったらいつでも言ってくださいね! あの、ごはんとか、わたしいつでも奢りますから!!」
「……なんか目キラキラさせてるけどアンタまた変な勘違いしてない?」
「うっ、いいんですいいんです、自分から言いにくいことってあると思いますから! あっでも家賃が払えてるってことは実家からの仕送り……?! うーんそうなると意外と実家が太いタイプの……」
「はいはいはいはい、いーから続きやんぞ続き」
ぺいっと私を引き剥がし、やれやれと肩をすくめる天海先輩。ここの家賃と光熱費が払えているということは、特段金銭的に問題はなさそうだけれど……。人生何があるかわからないもの。もし天海先輩に何かあったら、私が一生守ろう!
「ミミコミミコ、アンタしょーもないこと考えてないで自分の飯ぐらい自分で作れるようになれよー」
「ぎゃっ、わたしが家事苦手なことを何故知ってるんですか!」
「見ればわかるだろうがよ」
くそう、天海先輩に弱みを握られてしまった。
「そーいえばアンタ、あのリリちゃんオタクとは最近どーなのよ?」
「どうなのも何も、あいつほんっっとにしつこくて……」
そう、リリちゃんオタクこと私のお見合い相手、桑原幹人さんは、あのお見合いの日からどうやら私のことをひどく気に入ってしまったらしく、1日に1回必ずメッセージが送られてくるようになってしまった。
「ぎゃははっ、懲りないねえリリちゃんオタク」
「笑い事じゃないですよ! こいつ紳士なのかただのオタクなのか本当、長文メッセで何度も誘ってきて……」
「いいじゃんいいじゃん、そのうちラブのひとつでも起きるかもよ?」
「起きてたまるかー!!!」
ぎゃははは、天海先輩が笑いながらゲームを再開させたのでわたしもやれやれとコントローラーを持ち直す。
あ、そういえば明日は三橋くんが登場するゲーム「あいらぶゆ!」のコンビニコラボ初日だ。店舗限定クリアファイルを求めて明日は珍しく1日都内のコンビニを駆け回ると言っていた。天海先輩って外に出る時もこの緑ジャージなのかな。ゴミ捨てとか近くのコンビニに行くときは迷わずこの格好だけど。
「先輩、明日わたし港区限定の三橋くんファイル買っておきましょうか? 地域ごとにデザイン違うんですよね、アレ」
「み、ミミコ……アンタ神様ッ?!」
「ちょうどお昼あたりは撮影で日テレスタジオ付近にいるんですよお、その代わり明日、仕事終わったら合流して何か食べに行きませんか?」
「おー、珍しいじゃん。いいよ、ミミコの奢りね」
「ちえ、年下に奢らせるなんて!」
「稼いでるんだからケチケチすんな」
やった。何気に天海先輩と外でご飯を食べるのは初めてだ。ここでウーバー◯ーツを頼むことはしばしばあるけれど。
つまり、初めて天海先輩のよそ行きコーデが見られるというわけで─────わたしはどきどきわくわくしながら、再びコントローラーを持つ手に力を入れたのだった。
◇
「本日はよろしくお願いします!」
某有名スタジオにて。バレンタインテーマの新企画担当を任されて早2ヶ月。やっと形になったパジャマが上がってきて、今日は広告ビジュアル撮影。1月末発売と思うとかなりギリギリのスケジュールだ。
モデルを務めてくれるのは今若者に大人気の若手女優、中村舞ちゃんだ。
「あ、三上さん! 撮影前に中村さんに挨拶できるから控室行こう!」
「ええっ、私なんかがいいんですか?!」
「当たり前でしょ、今回のメイン企画担当なんだから」
「ううっ、ありがとうございます!」
広告宣伝部の若月さん(30代のシゴデキ先輩だ)から声をかけられて、おそるおそる着いていく。企画のサブ担当をしている時から、広告撮影のために芸能人に会うことはしばしば会ったけれど、自身がメインで挨拶するのは初めてだ。
「失礼しますー。中村さん、準備中すみません! 今回のバレンタインパジャマ、弊社企画メイン担当の三上がご挨拶したくて、少しよろしいですか?」
コンコン、と。中村舞ちゃんの控室をノックすると、すぐにその扉は開かれた。
「あ! た、大変お世話になっております、わたし今回企画を担当させて頂いた─────」
「三上ミミコさんですよねっ?! わたし、企画書読ませてもらったんです!」
「えっ?」
差し出した名刺ごとガッと両手を掴まれて、下げていた頭を思わずあげる。するとそこには、満面の笑みで目をキラキラさせる美少女─────こと大人気女優、中村舞ちゃんがいた。
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「今回お仕事のお話頂いた時、私すっごく嬉しくって! だって、私もともと『ange night』のパジャマが大好きなんです! 新作が出るたびにチェックしてて……」
撮影までまだ時間があるからと、中村舞ちゃんの圧に負けて、わたしと若月さんは控室に入れてもらい、なぜか一緒にお茶をしばいている。
机を挟んだ先、目をキラキラさせて話す中村舞ちゃんは、今回のバレンタインテーマである新作パジャマシリーズ、『for i』を身に纏っていて。
大手パジャマメーカーでも、同じ会社の中にブランドというのはいくつもあるもの。そんな数多のブランドの中でも、わたしが今担当しているのは、20代女性をターゲットにした人気ブランド『ange night』だ。女の子を天使に例えたモコモコ素材のシリーズが不動の人気を博している。季節毎に出す新作は、毎回テーマを変えることで売り上げを伸ばしていて。社内でも有数の人気ブランドで、パジャマブランドとはいえかなり多くの女性ファンを獲得しているのは誇らしい話。
中村舞ちゃんは確か今年で24歳。アンジュナイトのブランドターゲットそのものだ。普段から愛用してくれているのも納得がいく。
「アンジュナイトのパジャマ、勿論今までも大好きだったんですけど……今回の新作、特に大好きなんです! 三上さんが企画されたんですよね?」
「あ、はい、そうです……!」
「今までは、なんていうかこう、やっぱり彼ありきというか、相手ありきというか……夜も可愛く見られたい、みたいなイメージが多かったと思うんですけど、」
中村舞ちゃんがばさりと机の上に資料を広げる。今回のビジュアル撮影の為のコンセプト説明資料はもちろん、何故かわたしが各所に提出した企画書まで。
「いいですよね、今回のテーマ。バレンタインだから毎年彼向けなものが出るのに、”自分へのご褒美バレンタイン”─────いつも頑張ってる自分にバレンタイン、今の時代にすっごく合ってる!」
─────今回の新作シリーズ名、『for i』
好きな人にチョコレートを渡すバレンタインという特別な日。それは、異性相手ではなく、同性相手でもなく、自分自身へのプレゼントだっていい。
「仕事柄甘いモノも簡単に食べられないし、かと言って誰かバレンタインを渡せるような相手がいるわけでもないし、バレンタインなんて毎年蚊帳の外だったんですけど……この企画を見て、いつも頑張ってる自分へのご褒美でもいいんだと思ったら、なんだかすごく嬉しくて!」
中村舞ちゃんのキラキラした瞳に思わずぐっと吸い込まれそうになる。
伝わった。伝わってる。わたしの込めた気持ち。
わたしもそう。毎日仕事を頑張って、天海先輩とゲームをして、そんな大したことのない日常だけれど、”自分へのご褒美”なら、私だってバレンタインに参加できる。
「三上、よかったね。初メイン担当、頑張った甲斐があったじゃん」
コソッと隣の若月さんが私に伝える。企画サブ担当だった時からアンジュナイトの広告宣伝は若月さんがメイン担当してくれているから、私の頑張りをずっと見てくれていたひとりだ。こんなに嬉しいことってない。
「─────って、話すぎちゃって! そろそろ準備しなきゃ! 時間押してますよね!」
「あ、本当ですね。私達も長居しちゃってすみません」
「ていうか、今日ヘアメイクさん来るの遅いな……もうあと撮影まで30分しかないのに─────」
プルル、中村舞ちゃんの声を遮って私の携帯が鳴った。着信は珍しく天海先輩だ。
わたしは2人に片手でごめんなさいとポーズをして控え室を出る。天海先輩からかけてくるなんて滅多にないけど、多分三橋くんの限定クリアファイルの件だろう。