時刻は午前九時。
列車は、"麗しの街"に到着しました。
駅から真っ直ぐに伸びる、レンガ畳みの大通り。
両脇には綺麗な花が植えられており、隣同士が繋がった造りをした住宅の壁もパレットのように色鮮やかです。
リリアの生まれ育った街に似ていますが、より華やかで明るい雰囲気の街でした。
駅に備え付けられたホースをクレイダーの給水口に差し込み、クロルは列車内での生活に必要な水をタンクに補給します。
「さぁ、水を入れている間に、まずは出張所から行ってみようか」
「水、出しっぱなしで大丈夫なの?」
「うん、自動で止まるから平気」
そう言ってから、客室の入り口に立つリリアに向かって手を差し出します。彼女が安全に階段を降りられるように。
しかしリリアは、ふいっと顔を逸らし、
「私、人間だから。階段くらい自分で降りられる。特別扱いしないで」
そうつっけんどんに言って、足を踏み鳴らしながら階段を降りました。
その反応に、クロルは唖然としました。彼は、何もリリアのことを特別な"天使さま"だと思ってやったわけではありません。大切なお客さまだから、手を差し伸べただけなのです。
(……そっか。彼女はずっと、そういう扱いを受けてきたんだ)
そう考えながら、クロルが羽の生えたリリアの背中を見つめていると、
「……で、その出張所っていうのはどこなの?」
リリアが尋ねるので、クロルは気を取り直し、「こっちだよ」と歩き出しました。
駅から真っ直ぐに伸びる大通りには、色彩豊かな建物がずうっと並んでいました。
一階がお店、二階より上が住居になっているところが多いようで、どの窓にも綺麗な花が飾られています。その一階部分のお店も様々で、服屋に花屋、パン屋にカフェもあります。
リリアはそれを、大きな瞳できょろきょろと忙しなく眺め、
「これが"麗しの街"……私のいた街とは、やっぱりちょっと違うね」
「そうだね。ここは他の街と比べても、特に華やで綺麗な場所だと思うよ」
「うん。花も、街並みも綺麗。それから……」
九時になり、どのお店も店員さんが開店の準備をしています。その様子を見つめながら、
「……あの人たちも、本当に綺麗」
リリアは、心の底から言いました。
どの人を見ても、男性も女性も本当に美しく、まるで物語の世界から抜け出してきたようなのです。
クロルは「そうだね」と同意してから、
「ここに住むには、『美貌測定器』っていう機械の判定で合格にならないといけないらしいんだ」
「『美貌測定器』?」
「容姿の美しさを数値で表すものみたいだよ。合格の基準値を超えていることが、定住の条件なんだって」
「ふーん。美しさって、数値化できるものなんだ」
不思議そうに答えながらリリアが街を眺めると、二人に気付いた街の人たちが、「あら、可愛らしいお客さん!」「この街へようこそ!」などと言いながら手を振ってきます。リリアは少し身を縮こませて、
「み、みんな私のこと、ヘンだって思わないのかな……?」
「大丈夫だよ。むしろ歓迎されているみたい」
クロルは彼女を安心させるように、笑いかけました。
街の人々と挨拶を交わしながら進んでいくと、やがて街の中心部にある"セントラル出張所"に辿り着きました。
重厚な石造りの、真っ白な三階建ての建物です。
案内板に従い、「パスの更新・変更」カウンターへと向かうクロルに、リリアもついていきます。そこですれ違う人々も、老若男女みな美しい容姿をしていました。
クロルは、『ご用の方はまずこちらへ』と書かれたカウンターの、やはり美しい職員の女性に、
「すみません。この子なんですけど、パスの発行をお願いできますか?」
少しだけ背伸びをして言います。
女性は綺麗な笑みを浮かべながら、
「こんにちは。そちらのお嬢さまですね。では、お名前からよろしいですか?」
そう尋ねました。
クロルはすぐに「しまった」と思いましたが、リリアが先に、
「リリアです」
はっきり答えたので、女性はそれをコンピューターに打ち込みました。
「リリアさん、ですね。では次に、生年月日とご住所をお願いします」
「住所? 今はまだありません。生年月日ならわかります」
「あら、ひょっとして新しく住む街をお探し中ですか? でしたら、前に住んでいらしたところの住所でも結構ですよ」
「それもわかりません」
リリアの返答に、カウンターの女性が「うーん」と困った表情を浮かべます。
いけない、と思ったクロルが、さらに背伸びをして、
「この子、隣の"信じる街"から来たんですけど……彼女自身が"信仰の対象"として扱われてきたんです。だから、名前も住所も教えられていないみたいで……」
と、女性に耳打ちをしました。
女性はそれで全てを察したようで、
「わかりました。では、生年月日だけで結構ですので、教えていただけますか?」
そう尋ね、リリアはそれに答えました。
女性はそれを打ち込むと、薄くて透明な板をリリアに向け、
「次に、こちらに手のひらを掲げていただけますか?」
そう言うので、リリアはおとなしくそれに応じます。
すると、透明な板が一瞬だけ青く光りました。不思議そうに見つめるリリアに職員の女性はにこりと笑い、「少々お待ちください」と告げると、カウンターの奥へ姿を消しました。
「……大丈夫かな?」
「うん、たぶんね」
心配そうに言うリリアを、クロルはカウンターの正面にあるソファに招きます。
二人がそこへ腰掛けて待っていると、程なくして職員の女性が戻ってきました。
「お待たせいたしました。確認が取れましたので、パスを再発行させていただきます」
「再発行……ってことは、一度発行されたことがあったんですか?」
クロルの問いに、女性は手元の書類に目を落としながら、
「履歴を確認したところ、お生まれになった一週間後に届けがあって発行されていますね。その時、お名前もご登録いただいているのですが……お伝えしましょうか?」
そう聞かれ、リリアは身体を強張らせました。
それはきっと、リリアを産んだ人――お母さんがつけた名前だ。
クロルはそう思いましたが、口にはしません。
リリアも同じことを考えているはずだからです。
そして、しばらくの沈黙の後、
「――いいえ、必要ありません」
リリアは、はっきりと答えました。
職員の女性は優しく微笑んで、
「かしこまりました。では、この申請書を二番カウンターまでお持ちください。その後、新しいパスをお渡しいたします」
クロルは「ありがとうございます」と申請書を受け取り、会釈をしてから隣のカウンターへ移動します。リリアも軽く頭を下げ、それについていきました。
二番カウンターで書類を提出して、またしばらく待っていると、一番奥の三番カウンターから声をかけられ、リリアのパスが渡されました。
銀色の、薄い金属のようなカードでした。クロルから「はい」と手渡され、リリアが受け取ると、その瞬間にカードが虹色に輝きます。
「わぁ……何これ」
「持ち主の静脈に反応しているんだよ。リリアにしか使えないようになっているんだ。この色になっている時だけ使えるよ」
「すごーい!」
大きく見開いた彼女の目に虹色の光が反射して、キラキラ輝いています。
「さあ、これで買い物ができるよ。さっき職員さんに聞いたら結構な金額が入っているみたいだから、いろんなものが買えるはずだよ」
「そう、なんだ……知らなかった」
「きっと誰かが、何かあった時のために、用意してくれていたんだね」
クロルの言葉にリリアは、少し視線を落として沈黙します。
彼女が何を考えているのか、クロルにはなんとなくわかりました。
「……よし。じゃあ早速、買い物に行こうか。何から買いたい?」
クロルは明るい声で言いました。
それにリリアもぱっと顔を上げて、
「服! それから、かばんも! クロルが背負ってるリュックを見て、いいなって思ったの。これからは、自分の物は自分で持って出かけられるからね!」
「いいね。それじゃあ、行こうか」
二人は笑顔を浮かべながら、足早に出張所を後にしました。