「……っ……うっ……」
「あーもう、いつまで泣いてんだよ」
担がれたまま泣いている僕に、男は面倒臭そうにため息をついた。
「ほれ、着いたぞ。自分で歩け」
今度はそっと降ろされ、地面に足を付ける。
見上げると、目の前には、
「……クレイダー……?」
ガイドブックの中と、窓の向こうでしか見たことのなかった片道列車が、そこにあった。
白く塗装されたボディと大きな窓。一両目の側面には『九十九号』と書かれたプレートが光っている。
男は段差を上り、後ろの車両に入っていく。
その様を、僕がじっと見上げていると、
「……おい、お前も乗るんだよ」
「え?」
振り返りながら呆れ気味で言われ、僕は躊躇いから、羽織ったままのコートをぎゅっと握った。
男は「はぁ」とため息をつき、
「察しが悪いな。お前は母親に棄てられたんだ。これに乗って、この街を出るんだよ」
頭ではわかっていたことを、あらためてはっきりと言われ、胸がズキンと痛む。
「……ああもう、泣くなって! ほら、乗るぞ!」
男は頭をガリガリと掻いてから、僕の腕を掴んで引き寄せた。
すると、その拍子に、羽織っていたコートが駅のホームに落ちた。
「あ……!」
僕はそれを拾おうと手を伸ばす。
しかし、男がぐいっと反対の手を引いて、
「おい。……そんなもの、どうする」
そう、問いかけてくる。
「……そんなものがこれから、お前を護ってくれるのか?」
僕は……伸ばした手を静かに下ろし。
男に連れられて、クレイダーに乗り込んだ。
「――適当に座ってろ」
ぶっきらぼうに言われ、僕は車内を見回した。
後ろの車両は客室になっているらしく、左右に大きな窓と、そのすぐ脇に二段ベッドが置かれていた。
ベッドに膝を立て、街と反対側の窓を覗き込むと、この世界の中心と言われる湖が見えた。
「うわぁ……」
それは、想像よりもずっと大きかった。太陽の光を受け、湖面がキラキラと輝いている。あまりの美しさに、僕はしばらく無心で眺め続けた。
ふと、男が進んで行った方を見ると、ドアがあった。
その先をそろりと覗き込むと、左にトイレ、右にシャワー室がある。車両と車両の間にはこうした水回りの設備があるらしい。
さらに奥には一両目のドアがあって、男はそこにいた。
運転席と部屋が合わさったような、不思議な空間だった。
正面の大きな窓――フロントガラスからは、ずっと先まで続く線路が見える。窓の下にはレバーやボタンが並んだ運転席があって、その手前、右側には簡易的なキッチンとベッド、左側には二人がけの丸テーブルが置かれていた。
男は運転席の機械の前に立ち、腕時計を見てからボタンを一つ押す。すると背後からぷしゅーっという音がし、僕はびくっと身体を震わせた。どうやら二両目のドアが閉まったらしい。
それから男は、機械の真ん中あたりにあるレバーをゆっくりと引く。それに合わせるように、列車がガタンと揺れた。
「…………?!」
車輪が線路の上をゴロリと転がる感覚。
このまま発車するようだ。
心の準備をする暇も与えられず、僕は慌てて二両目に戻り、左側の窓――街の景色が見える方にへばり付いた。
窓の外には、駅のホームに置いてきた母さんのコートが見える。
けれどそれは、街の風景と一緒にどんどん後ろへ流れていき……あっという間に見えなくなってしまった。
僕を棄てた母さん。
臆病で、嘘つきな母さん。
今までの出来事が、なんだか他人事のように感じられて。
そもそもあの人は、本当に母親だったのだろうか? とか、あの部屋で過ごした十一年間ってなんだったのだろう? とか。
故郷の街のはずなのに、初めて見るその風景をぼうっと眺めながら、知らないうちにまた涙を流していた。
「…………おい」
男が、こちらに声をかけてくる。
僕はまた怒られそうな気がして、涙を拭って振り返る。
しかし男は、予想よりもずっと穏やかな声で、
「……腹減ってないか? 飯、あるぞ」
帽子を取りながら、そう言うので……
僕はゆっくりと、そちらに向き直った。
* * * *
「――名乗るのが遅れたが、俺はリヒトだ。お前はクロル、だな」
一両目の二人がけのテーブルで。
男――リヒトと名乗るその人が、コーヒーを啜ってからそう切り出した。
僕は、冷蔵庫から出してもらったサンドイッチを頬張りながら頷く。二日ぶりの食事だったので、食べている最中にもお腹がさらに鳴った。
「こうなった経緯を簡単に説明すると……というか、お前も何かしら知っているから家を抜け出したんだよな? まったく、夜通し探したんだぞ? 眠らせている間に引き取るって話だったのによ……まぁいい。とにかく、お前の母ちゃんは訳あってあの家に住めなくなった。引っ越しなんかしたら隠していたお前の存在がバレちまうから、古い馴染みである俺に連絡をよこして、引き取るように依頼してきたってわけだ」
やはりそうか。
そう思ったけれど、簡単に「わかりました」と飲み込めるわけもなく、僕はサンドイッチの咀嚼を止め、俯いた。
リヒトさんは、困ったように頭を掻く。
「あー……理解はできても納得はできない、ってか? まぁ、そうだよなぁ。お前、生まれてからずっと母親と家の中にいたんだもんな。それが急に、説明もなしにこんな目に合って……」
と、腕を組み眉間に皺を寄せ、暫し天井を仰いでから、
「……とはいえ、考えたってしょうがない。こうなった以上、受け入れるしかないな」
などと、さっぱりした声音で言った。
どうやら僕に共感することを諦めたらしい。
「……リヒト、さんは」
この時、生まれて初めて母親以外の人間に話しかけたので、その声は思っていたよりも小さく、低いものになってしまった。
それでも僕は、気を取り直し、
「リヒトさんは……母さんとは、どういう、知り合いなんですか?」
振り絞るように発した僕の声を、リヒトさんはコーヒーを啜りながら聞く。
「昔の同僚だ。セントラル、ってわかるか? 俺とお前の母ちゃんは昔、セントラルに勤めていたんだよ」
僕が「わからない」という視線を向けると、リヒトさんは「要するに……」とコーヒーカップをテーブルに置き、順を追って説明してくれた。