その横穴は、人ひとり通るのがやっとの高さと横幅でした。
真っ暗闇の中、たった一つのランタンだけが頼りです。
クロルを先頭に、ポックル、リリア、キリクの順番で、三人と一匹は団子のようにくっつきながら、ゆっくりと進んで行きました。
「キリク。この穴って、誰がなんのために造ったものなのか知ってる?」
クロルの声が、狭い通路に響きます。
キリクは首を横に振り、
「それがわからないんだ。友だちから聞いた話によると、森の中にはここと似たような穴ぼこがいくつかあるらしくて……母ちゃんに聞いてみても『知らない。けど、危ないから近寄るな』ってさ。アナグマか何かが掘ったものなのかな?」
クロルは「そう」と短く返してから、壁面に目を向けます。
土の削れ方から見るに、これは動物が掘ったものではなく、人が意図的に造ったもののように思えるのですが……そのことは口にしないでおきました。
「それにしてもポックル、あんな高さから落ちても怪我一つしていないなんてスゴイね。さっすが猫!」
リリアにそう言われ、ポックルは得意げに顎を上げます。
「ふふん、まぁニャ。猫サマには怖いものニャどニャいのだ」
それを聞いたクロルが振り返り、意味ありげな視線をポックルに送りますが……
「…………言うニャよ」
ポックルに睨み返されたので、彼が散々怖がっていたことは伏せておくことにしました。
暗くて深いこの穴の中から、果たして抜け出すことができるのか。
考え出すと足が止まってしまいそうだったので、三人と一匹はなるべくおしゃべりをしながら先に進みました。
その中でリリアが、「この街の住み心地はどう?」と、キリクに尋ねました。
「どう、って……普通の街だよ。良く言えば平和、悪く言えば退屈。みんな普通に学校や仕事に行って、家に帰って、ご飯を食べて寝る。その繰り返しさ。その分、有翼人には住み心地が良いと思うけどね。ここでは羽があることの方が当たり前で、それによって傷付けられたり、差別を受けたりすることはないから。他所からの移住者も時々いるよ」
キリクの答えに、リリアは「そっか」と言って、考え込むように俯きました。
その様子を、クロルが無言のまま横目で見つめていると……
「見ろ。アレ」
ポックルが前方を向きながら、声を上げました。
三人もそちらに目を向けます。
「道が……二手に分かれている」
キリクが呟きます。
彼らの目の前で、道が左右に分岐しているのです。
「どっちに進めばいいの……?」
戸惑うリリアの声を聞きながら、クロルは人差し指を舐め、かざします。
どうやら左の方の穴から微かに風が吹いているようです。
と、そこでポックルがクロルの肩にぴょんと飛び乗り、
「……右の方からは、妙ニャにおいがするぞ」
クロルにしか聞こえないように、耳元で言いました。
クロルにはまったくにおいなど感じられませんが、その情報を自分にだけ伝えてきたことの意味を、クロルは考え……
「……左から風を感じる。けど、右の道に出口がある可能性もゼロじゃない。僕とポックルで少し様子を見てくるから、リリアとキリクはここで待っていて」
「えっ?! ってことは僕ら、この真っ暗闇の中で待っていなくちゃいけないの?!」
クロルの言葉に、キリクは声を震わせます。
「君たちが二百かぞえる間に戻ってくるから。何かあったら、大声で呼んで」
不安そうに「でも……」と言いかけるキリクの背中を、リリアがぽんと叩きながら、
「わかった。二百かぞえる。終わってもクロルが戻って来なかったら、大声で呼ぶね」
そう言って、明るい笑顔をクロルに向けます。
それに、クロルも微笑み返し、
「うん。念のため、道が続いていそうか見てくるだけだから。少しだけ、待っていてね」
力強く頷くリリアと、今にも泣き出しそうなキリクを分岐点に残し……
クロルとポックルは、右側の穴の先へと歩き始めました。
「――よっぽどお前のことを信頼しているんだニャ、リリアは」
リリアとキリクの数をかぞえる声が遠ざかった頃、ポックルがぼそっと言いました。
クロルは肩を竦め、答えます。
「そうかなぁ。だとしたら申し訳ないな。こんな嘘つきなのに」
「フン、思ってもいニャいことを」
「思っているよ。僕は本当に最低な人間だ、って」
「……それより、そろそろお前も感じニャいか?」
ポックルが、低い声音でそう言います。
それだけで、クロルにはその意味がわかりました。
「うん。感じるね。何かが……腐敗したにおいだ」
答えながら顔を上げると、その先の景色が少し変わりました。
もぐらの穴のようにただ真っ直ぐだった道が、広い空間で行き止まったのです。
ドーム状に丸く削り取られた天井と壁。
その、円形の地面には……
「ニャんだこれ……すごい数だニャ」
言いながら、ひどい悪臭にポックルが前足で鼻を押さえます。
そこにあったのは、原型がわからないほどに腐り果てた……肉の山でした。
一個一個の大きさは鶏一羽分ほどでしょうか。それがいくつも重なり合い、一つの大きな肉塊と化しています。
クロルは躊躇なくそれに近付き、しゃがみ込んでじっくり観察します。
赤黒く変色した皮膚の至る所から白い骨が覗き、明らかに生き物の亡骸であることが伺えました。
「そんニャに近付いて平気ニャのか? 何の肉かわかったもんじゃ……」
「ヒトだよ」
はっきりと言い放たれたクロルの言葉に、ポックルが「え?」と聞き返します。
クロルは、なおも顔色一つ変えずに、
「厳密に言えば、赤ん坊の肉。つまり、死体だ」
と、落ち着いた声で言いました。
「ニャ……何でそんニャものがここに……!?」
「よく見て。これ」
動揺するポックルに、クロルが足元にある死体を一つひとつ指差しながら、
「どれも羽がない。これも、これも、これも……たぶん羽を持たずに生まれたから、生後すぐに処分されたんだ」
「処分? 一体誰がそんニャことを……」
「さぁ。産んだ母親かもしれないし、取り上げた病院かもしれない。おそらく有翼人同士の子どもの中にも一定数、羽を持たずに生まれてくる子がいるんだろう。リリアの母親には羽がなかったらしい。なら、逆も然りだ」
「けど……羽がニャいからって、ニャにも殺すことは……」
「やだなぁ、ポックル――何を言っているの?」
クロルは軽い冗談を諌めるかのように、ポックルの方を振り返ります。
「ここは"有翼人の街"だよ? 羽のない人間はいらないんだ。それに、羽がないままこの街で生き長らえたところで、酷い扱いを受けるだけ。この街には、羽のない人間に虐げられ、逃げてきた人たちがたくさんいるだろうからね。だから殺す。簡単な話さ」
「……お前は、こんニャ恐ろしい街にリリアを住まわせるつもりでいるのか?」
「恐ろしい? 他と変わらないじゃないか。同じ容姿や、同じ考えの者同士で群れていたい。自分と違うものは排除する。傷付かないために。争わないために。これまで見てきたどの街もそうだった。それが、この世界だよ。それが……僕たち、人間なんだよ」
そう言って……クロルは、諦めたように笑いました。
そして、
「……傷付くことのない、素晴らしい街じゃないか。だから、僕は…………」
……と、そこまで言いかけたところで。
「クロルーっ! ポックルーっ!!」
穴の向こうから、リリアとキリクの呼ぶ声が聞こえてきました。どうやら二百秒をかぞえ終えたようです。
「……いけない、少し喋り過ぎちゃったね。戻ろう。でも、よかった。ここにこんな処分場があるということは、人が出入りできる場所があるってことだから……」
「クロル」
リリアたちの元へ戻ろうと歩き始めるクロルを、ポックルが後ろから呼び止めます。
「……お前も、もっと自由に生きればいい」
そのポックルの言葉に、しかしクロルは自嘲気味に笑って、
「……それができていたら、こんな風にはなっていないよ」
振り向かないまま、そう返しました。
「――お待たせ。ごめんね、二百秒過ぎてしまって」
リリアとキリクの元へ戻ると、二人のほっとした顔がランタンに照らされました。
「もーっ、心配したよ!」
「ごめん、リリア。でも、収穫があったよ。行き止まりだったけど、比較的新しい足跡があるのを見つけたんだ。きっと外へ通じる道があって、人が出入りしているに違いない。左の道を進めば、外へ出られるかも」
クロルの報告に、リリアとキリクは明るい表情を浮かべました。
嘘ではない、しかし全てを語っているわけでもないその言葉に、ポックルは何も言いませんでした。
気を取り直し、三人と一匹は左側の道を歩き出します。
進むに連れて道幅も天井も、徐々に広く、高くなってゆきました。空気の流れも、確かに感じられます。
この先に、出口がある。誰もがそう確信して、歩を進めました。
そうして、十分ほど歩いたでしょうか。
突然、その道が途切れました。
三人と一匹が行き着いたのは、円柱状の空間……つまり、彼らが落ちたあの穴と同じような場所だったのです。
どこかへ通じる扉や、地表へ上がれそうなロープはありません。頭上には穴が空いているのか、それとも何かで塞がれているのか、ランタンの光量では確認できませんでした。
「嘘でしょ……結局、行き止まりなの?」
キリクが青ざめた顔をして辺りを見回しますが、出口らしいものは見当たりません。
「クロル……どうしよう……」
リリアも不安げな声で、縋るように言います。
クロルはランタンを掲げながら、果ての見えない天井部分をゆっくりと観察しました。
そして一度、その灯りを消しました。突然視界が真っ暗になり、キリクたちは「ひゃっ!」と声を上げます。
「何?! まさか、ランタンが壊れちゃったの?!」
キリクがいよいよパニックを起こしかけながら訴えますが、クロルは「上を見て」とだけ返します。
キリクも、リリアも、ポックルも、言われるがままに頭上を見上げると……
「……あ!」
真っ暗な天井の一部分。そこに、丸く象られた光の筋が差しているのが見て取れます。
それはまるで、マンホールの隙間から日の光が漏れているかのようでした。
「たぶん、この穴への出入り口だ。時間的にはもう日が暮れているから……恐らくあれは人工の光。向こうに呼びかければ誰かいて、気付いてくれるかもしれない」
クロルのその言葉を聞くなり、キリクとリリア、それにポックルまでもが「おーい!」と大声で叫び始めました。
僕は、私はここにいると、一生懸命に叫びました。
すると、光が漏れていた蓋がギィッ、と開いて、
「……やだ! 坊やたち、ここで何しているの?!」
白衣を着た年配の女性が顔を出し、驚いたようにこちらを見下ろしました。