――"有翼人"。

 二百年前の戦争の後、突然変異で生まれたと云われる新人類。
 遠い昔の時代に信じられていた『天使』にも似た、白い羽を持つ人々。
 この少女は、まさにその"有翼人"であると、クロルは瞬時に理解しました。

 一方、脅かすつもりで羽を見せた少女は、クロルのぽかんとした反応に唇を尖らせ、

「ちょっと。これを見ても何とも思わないの?」

 つまらなそうに、そう尋ねました。
 するとクロルは、

「えっ? あ、ああ。うん。だって……」

 ……と、少し口ごもり、

「……実は、君みたいに背中に羽が生えている人に、会ったことがあるんだ。だから、そんなに珍しく感じないんだよ」

 両の手のひらを見せながら、そう答えました。
 その言葉に、少女は目を丸くして、

「……私以外にも、羽が生えている人がいるの?」
「うん。会ったのは、ずっと前だけどね。いろんな街を廻っていれば、君もいつか会えるかもしれない」

 その返答に、嬉しそうに口元を緩めました。

「そうなんだ……知らなかった。街の外の人はみんな、これを見たらどんな反応をするのかなって思っていたけど……案外平気なのね。えと、あなたの名前は?」
「クロル、だよ」
「クロル」

 少女は確かめるように、言い直しました。
 真っ直ぐに向けられる青い瞳に吸い込まれるようで、クロルは思わず視線を逸らします。

「と、ところで君は、あの街を離れてしまって大丈夫だったの? 街の人たちはみんな、君を引き止めていたみたいだったけれど……」
「…………」

 クロルの問いに、彼女は俯き、口を閉ざします。
 簡単には説明できない。そんな様子に見えました。何か複雑な事情があるのかもしれません。
 だから、

「……ねぇ、君」

 クロルは明るい声を心がけつつ、つなぎのポケットに手を入れて、

「お腹空いてない? りんご、食べる?」

 おまけでもらった一つを取り出して、微笑みながら、そう尋ねました。


 ♢ ♢ ♢ ♢


 ――ゆっくりと語り出した少女の話は、こうでした。

 彼女のいた街は、『"共通の何か"を信仰することで調和を保つ』というルールを持つ街でした。
 彼女は背中に羽を持って生まれたことで街の信仰対象になってしまい、人ではなく「天使」として扱われてきたそうです。
 
 天使さまを崇めれば幸せになれる、天国に行ける……街の住民全員が、それを信じて疑いません。彼女を産んだ母親さえも、彼女の信者でした。
 身の回りの世話は何でも信者たちがしてくれ、不自由はありません。
 けれど、彼女は決して自由ではありませんでした。「神聖な身体と心が穢れるから」と屋敷に閉じ込められ、外へ出ることは一切許されなかったからです。

 でも……年に一度、自分の誕生日だけは。
 聖誕祭と称したお祭りが催され、外に出ることができました。
 そこで一年前、見たのです。
 駅に停車する、クレイダーという名の片道列車を――


 ♢ ♢ ♢ ♢


 列車の一両目、運転席でありクロルの住まいでもある車両は、実に質素です。
 カセットコンロが一つあるだけのキッチンと、窓の横の簡易ベッド。その隣には小さな本棚が置かれ、数冊の本がまばらに並んでいます。
 ベッドと反対側の窓際に置かれた丸いテーブルに今、クロルと少女は向かい合って座っていました。

「――ねぇ、クレイダーは毎日街から街へ移動しているんだよね? ってことは、ちょうど一年前の今日、あそこに乗っていたのはあなただったの?」

 少女のその問いに、クロルは静かに首を振ります。

「ううん、それは違うよ。クレイダーはそれぞれの街に一日半、日を跨いで停車するんだ。だから一つの列車が全ての街を一周するのには二年かかる。僕は運転手になってもうすぐ二年だけど……この街を訪れたのは、今回が初めてなんだ」

 と、クロルは窓の外を流れゆく風景を見ながら、そう説明しました。少女もそちらをちらりと一瞥します。

「そっか……そういうものなんだね。私、一年前にこの列車を見るまで存在すら知らなかった。周りの人間――信者たちに聞いても、外のことは絶対に教えてくれない。だから、書庫の本を片っ端から読み漁って調べたの。もちろん、隠れてね。そうして初めて知った。この世界のこと。たくさんある街のこと。そして、クレイダーのことを」
「外のこと、なんにも知らされてなかったんだね」
「うん。それで決めたの。クレイダーに乗ろうって。違う街へ行こうって。そして――」

 彼女は、にこっと柔らかに笑って、

「――この羽を取って、"普通の人間"になれる方法を探すの」

 そう、明るい声で言いました。
 クロルは口を閉ざし、考えます。

 背中から生えた羽を、取る。
 確かに外科医が手術をすれば可能かもしれません。しかし、それには莫大な費用がかかるでしょう。失血死するリスクもあります。
 彼女は、そのことを知っているでしょうか。知らなかったとして、それを今伝えるべきなのか……クロルはすぐに答えを出すことができませんでした。

 クロルが悩んでいる間に、再び少女が口を開きます。

「だから、また外に出られる一年後――つまり今日、決行することにした。失敗したらどうなるかわからないから、念には念を入れて準備をしてきたんだ」
「そっか……きっとものすごく不安だったよね」
「うん。正直、怖かった。失敗したらどうなるんだろう、って。けど、それ以上に……成功したとして、街の外の人たちにどんな反応をされるのか、それが一番怖かった。だから……よかった。最初に出会えたあなたが、私を人として扱ってくれて」

 伏し目がちに、少女はそう言いました。
 クロルはすぐに首を振ります。

「当たり前だよ。僕はクレイダーの運転手だから、いろんな街と、そこでの暮らしを見てきたんだ。この世界の人々はみな、それぞれ違った個性や考え方を持っている。だから羽が生えていることも、僕にとっては一つの個性に過ぎないんだ」

 クロルの言葉に、少女は大きな目をさらに大きく見開きます。そして、

「嗚呼……やっぱり私、あの街を出て来てよかった」

 本当に嬉しそうな、満面の笑みを浮かべて言いました。
 それから、クロルの顔を覗き込むように身を乗り出して、

「ところで、クロルはなんで子どもなのに運転手をしているの? 家族は? どこか決まった街には住まないの?」

 矢継ぎ早に、そう問いかけました。
 クロルは思わず身体を引いて、

「ぼ、僕のことはいいから、君の話をもっと聞かせてよ。お客さんが乗ってくることなんて久しぶりなんだ。例えば――好きなものの話、とか」
「好きな、もの……」

 そう聞かれて少女は考え込み、視線を泳がせます。
 やがて、

「――あ」

 窓の外の、流れる景色を指さして立ち上がりました。
 つられてクロルも立ち、一緒に窓の外を見ると……線路に沿って咲いている、真っ白な花の群生が見えました。

「あれは……百合の花、だね」
「私……あの花が好き」
「へぇ、そうなんだ。綺麗な花だよね」

 クロルが同意しますが、少女は静かに窓の外を見つめたまま、

「――あの花はね、私を産んだ人が毎年、誕生日にくれたの」

 ぽつりと、そう言いました。

「……お母さん、てこと?」
「そんな風に呼んだことないけどね。でも、あの人から花をもらえると……何故か心がくすぐったくなって、少し苦しくなった」

 その寂しげな横顔に、クロルは何も返すことができませんでした。
 沈黙している間にも列車が進み、百合の花の群生はだんだんと離れていきます。


「…………今年は、もらえなかったな……」


 それは、列車のガタゴトという音にかき消されそうなくらいの、小さな小さな声でした。
 クロルは、こんな時、何と言葉をかけるべきなのかわかりませんでした。
 だから、百合の花を眺めながら懸命に考え……
 そして、

「……そうだ。君の名前」

 何かをひらめいたようなその声に、少女はクロルの方を見ます。

「リリア――ってどうかな。百合の花、って意味だよ」
「……リリア……?」

 首を傾げながら、少女が繰り返します。
 その反応に、クロルは手のひらを見せながら、

「ああ、いきなりごめんね。でも、いつまでも『君』のままじゃ寂しいからさ。それに……」

 目を細め、優しく微笑んで、

「……君って、百合の花みたいに綺麗だから」

 少しの勇気を胸に、そう伝えました。
 少女はほんのり頬を赤らめ、顔を逸らします。

「じゃ……じゃあ、それにする。……うん。私は、リリア……私の名前は、リリア」

 確かめるように、言い聞かせるように、彼女は何度も何度もその名を口にします。
 そしてひとしきり繰り返した後、再びクロルの方を向いて、

「……うん。私、今日からリリアになる!」
「よかった。君にぴったりの、素敵な名前だと思うよ。――それじゃあ、リリア」

 ちょうどその時、キッチンでオーブンが「チン」と鳴りました。
 クロルは鍋つかみを手にはめてから、その中身を取り出し、


「――あらためて、お誕生日おめでとう、リリア。そして、外の世界へようこそ」


 急ごしらえで不恰好になってしまった焼きりんごを一つ、彼女に差し出しました。
 
 

 ――そういえば、リリアは今日でいくつになったの?
 ――十三歳だよ。
 ――ほんと? じゃあ、同い年だね!