――明くる日の朝。
 窓の外には、雲一つない青空が広がっていました。

 クロルは、普段よりも遅い時間に起きました。
 身支度を整え、部屋を出ると、隣の部屋のドアが同時に開きました。出てきたのは、「ふぁあ」と大きなあくびをするリリアです。クロルは思わず笑みをこぼしながら、「おはよう」と言いました。

 そのままポックルの部屋へ向かうと、彼は既に朝食を終え、毛繕いをしているところでした。
 お手伝いさんの一人がクロルとリリアに向けて、

「我々も今から朝食を摂りますので、お二人もご一緒にいかがですか?」

 と声をかけてくれたので、二人は一階の食堂へと移動しました。



「――なんだかすみません。昨日からご馳走になってばかりで」

 いただきますをしてから、向かいに座る三人の女性――ポックルのお手伝いさんたちに、あらためてクロルが言います。
 
 お手伝いさんは皆、黒のワンピースに白いエプロン、頭にはフリルのついたキャップ、という同じ格好をしています。長い黒髪と褐色の肌、エメラルドグリーンの瞳を持つ、よく似た三人でした。

 その内の一人、懐中時計のようなものを首から下げた女性が、にこりと笑って答えます。

「とんでもありません。あなた方は、ポックル様の大事なお客様ですから。それに、あの方がお客様をお泊めするなど滅多にないことなので、我々も嬉しく思っているのです。ポックル様と仲良くしてくださり、ありがとうございます。本人に代わってお礼を申し上げます」

 そう言って、丁寧に頭を下げました。
 その言葉に「いえいえ」と手を振ってから、クロルはずっと気になっていたことを聞いてみました。

「あの……不躾な質問なのですが、あなた方とポックル……さんは、どんな関係なのですか?」

 その問いに、三人のお手伝いさんは嫌な顔をするどころか微笑んで答えます。

「我々は、かつてこの街を治めていたステュアート家の末裔です。代々、領主猫であるポックル様の家系に仕えさせていただいております。私が長女のアンナ、こちらが次女のエリカ、その隣が三女のデイジーです」

 紹介を受けながら、エリカさん、デイジーさんがそれぞれ会釈をします。「姉妹だったんだ」と驚くリリアに対し、クロルはやっぱり、と思いました。アンナさんが続けます。

「母は数年前に他界し、父はセントラル勤めでなかなか帰らないので、私たち三人でポックル様のお世話をしております。他の街の人からすればおかしな風習かもしれませんが、猫にお仕えすることは私たちにとって当たり前のこと。ポックル様がお生まれになったのは二年前ですが、その前はポックル様の亡くなったお父様にお仕えしておりました」
「なるほど。では本当に、猫であるポックルさんがこの街を取り仕切っているのですね?」

 クロルの質問に三姉妹は顔を見合わせて、くすりと笑います。

「確かにポックル様は、街の猫たちから絶大な信頼を集めるボス猫です。公的にもこの街の領主なので、行政についてもご意見を伺うのですが……」
「あのお方、(まつりごと)にはまったくご興味がなくて。先代とは大違い」
「結局、我々三人が街の管理をしているのが実状ですね」

 デイジーさん、エリカさん、アンナさんが順番にそう答えました。さらにアンナさんが、

「街を取り仕切ることができなくても良いのです。ポックル様は、いてくださるだけで充分。この"猫の街"の象徴のような存在なのですから」

 と、柔らかな笑顔で言いました。
 リリアが「象徴……」と呟く横で、クロルは「お話いただきありがとうございます」と微笑み返しました。



 * * * *



「――どう思った?」

 朝食を終え、クロルに割り当てられた客室に入るなり、リリアがそう切り出しました。

「さっきのアンナさんたちの話?」

 ベッドに腰掛けながら、クロルが返します。

「そう。なんか、想像していたのと違くて……」

 上手く言葉が見つからない様子のリリアですが、彼女が言わんとしていることはクロルにもわかっていました。

「うん。ポックルとの感覚に差があるみたいだね。確かに、始まりは猫への過剰な干渉から始まった風習かもしれない。けど、ここで生まれ育った人たちにとっては、猫のお世話はごく当たり前のことで、自由を奪っているつもりなんてないんだ」
「そうなの。だからポックル、本当にこのまま黙って街を出てしまっていいのかなって。話せば分かり合えるんじゃないかなって思って……」
「僕もそう思いたい。けど……例えばリリアが同じように、他所から来た人に『話せばわかるはず』と言われて、君のいた街を出て行くのを考え直したりしたと思う?」

 クロルに言われ、リリアは「うーん……」と天井を見つめ考えます。そして、

「思わない」
「あはは、だよね」
「でも、ポックルの場合は家に閉じ込められているわけではないし、この街にいてもある程度自由に生きられるんじゃないかな……」
「……じゃあ、聞くだけ聞いてみる?」

 そう言われ、リリアは力強く「うん!」と頷きました。
 



「――断る」

 開口一番、ポックルはそう切り捨てました。
 リリアが「えぇー」と不満げな声を上げ、クロルは「やっぱり」、と目を伏せます。

(ニャに)を今更。昨日教えただろう? ニンゲンどもは甲斐甲斐しく世話するフリをして、おれたち猫を支配したいだけニャんだ。この首輪が(ニャに)よりの証拠。『この街を出る』ニャんて打ち明けようものなら、どんニャ仕打ちを受けるかわかったモンじゃニャい」

 ポックルはそっぽを向いてそう言います。
 それでもリリアは諦めきれない様子で、

「で、でも、アンナさんたちも意地悪でやっているわけじゃないし、本気で話し合えば……」
「本気? 精神論で解決できるニャらとっくにそうしている。向こうにとっちゃ所詮、愛玩動物の戯言。有無を言わさず閉じ込められるのがオチニャ」
「でも……」

 その後も、リリアとポックルの話は平行線のままなので、見兼ねたクロルが口を開きます。

「ねぇ、ポックル」
「ニャんだ」
「……この街を出たら、もう出来立ての美味しいごはんは食べられない。お気に入りのおもちゃで遊べない。君の匂いが染み付いた、世界で一番安心できるベッドで眠れない。それはもう、いいんだよね」
「……当たり前だニャ」
「他の街には、君みたいに言葉を話せる猫はいない。だからみんな、君のことを奇異の目で見るだろう。心無い言葉に傷付けられるかもしれないし、悪意のある人間に利用されるかもしれない。それでも、この街を……みんなが君を慕ってくれているこの街を、出て行くんだね?」

 クロルの質問に、ポックルは……

「――お前は、(ニャに)か勘違いをしていニャいか?」

 これまでにないくらい低い声音で、淡々と答えました。

「おれはお前らと会話できるが、ニンゲンではニャい。猫だ。お前らとはそもそもの価値観や感覚が違う。群れに受け入れてもらいたい、順応したい……それはニンゲンの感覚だろう? 猫はそうじゃニャい。自分で住処を決め、自分で縄張(ニャわば)りを手に入れる。群れがニャくても自分を見失(みうしニャ)わニャい。それが猫だ。他の街で誰かと(ニャ)れ合うつもりニャんて、毛頭ニャいニャ」

 その言葉を、クロルはしっかりと受け止め、静かに頷きます。

「……うん。君の言う通りだよ。僕が間違っていた。ごめんね」
「いや、気にするニャ。おれ達がニンゲンの言葉を(はニャ)せてしまうばっかりに、同族のようニャ感覚にニャってしまうんだろう。わかってくれればそれでいいニャ」

 ポックルもさっぱりとした口調で、そう返します。
 そのしっぽをじっと見つめながら、リリアは今のポックルの言葉を、頭の中で何度も繰り返していました。

「じゃあ、予定通りに行動するよ。と言っても、出発時間までまだ五時間以上ある。それまでに……」

 クロルは腕時計を見てから、リリアとポックルに向かって、

「一つ、やっておきたいことがあるんだ。念には念を入れて、ね」