それから、部屋だけはたくさんあるこの家の空いている部屋のうち2つが五花の部屋と五花の父親の部屋に決まり、二人は引っ越し作業を進めていった。

 僕は五花の作業を手伝ってほしいと母親に依頼されたので、何の因果か彼女の勉強道具を出して机に並べるなどしている。

 五花はその後ろで何やら段ボール箱を開けてごそごそとやっており、どうやら小物の類を小物入れに整理して入れているようだった。

 部屋の中は二人っきり。

 父親と母親の作業している部屋はここからは遠く、僕たちが何をしようと二人には悟られない状態だ。

 僕はそのシチュエーションに、もう別れた彼女といるだけのはずなのに、なんだかドキドキとしてしまっていたが――

「たっくん、さっきから保健体育の教科書をじっと持ったまま、何をしているのですか? わたしに保健体育を教わりたいというメッセージですか? だとしたら笑えますね」

 気づけば五花の事ばかり考えていた僕は、恥ずかしい事に保健体育の教科書を持ったままフリーズしてしまっていた。

 思わずかぁっと顔が熱くなるのを感じる。

「いや、これは違くて! ただぼうっとしていただけで! 他意はないから! 本当に!」

 焦ったように僕が言うと、五花は我慢できないとばかりに大笑いしはじめた。

「あはは! ははははは! たっくん面白すぎますって! いくらなんでも焦り過ぎですよ。本当、変わってないなぁ……」

 五花は、僕との日々を懐かしんでいるかのような様子で、そんな言葉を口から漏らす。

「悪かったな、変わってなくて。大体別れて半年くらいじゃ、そんなに人間変わらないもんだろうに」

「そうですかね? 意外とその半年の間に、好きだったあの子は大人の階段を登っていたりするものかもしれませんよ? ――たとえば、わたしが彼氏の誰かとしちゃうとか……」

 その短い言葉で、僕の心には激流が吹き荒れた。

 五花が彼氏としちゃう。

 僕が出来なかった、あんな事やこんな事を。

 そんなの、そんなの……

「あはは! その様子だと、まだわたしに未練あるんですね? なんだか可愛いなぁ。ねぇ、わたしたち、また付き合いませんか? 一つ屋根の下で暮らすんだったら、前は出来なかったあんな事やこんな事が、簡単に出来ちゃうかも……なーんて♪」

 流石の僕も、その言葉が僕の尊厳を冒涜する意図で発されている事くらいは分かった。

「ふざけるなよ。キミとは二度と付き合わない。僕はそう決めたんだ。僕はもっとまともな、僕の事を尊重してくれて、お互いに優しく想い合えるような女の子と、ゆっくり距離を縮めて、それから付き合うんだ。あんな、悪夢みたいな恋愛、もうこりごりなんだよ……」

「へぇ? そのわりには……」

 五花が突然、着ていたTシャツを脱ぎ捨て、上は水色のブラジャー一枚になってしまう。

 僕の視線は半ば強制的に動かされて、彼女の胸元の膨らみ、谷間に釘付けになってしまった。そこに僕の意思は一切関係していないかのように感じた。なにせまずその本人が抜群に可愛い。そしてその可愛い女の子が、他では到底見られないほど蠱惑的なボディラインをしているのだ。

 そんな事を感じていると、きつめのジーンズを着ていたので股間にみしりと痛みが走る。そこまでの生理的反応が、彼女がちょっとした気まぐれを起こすだけで、あっという間に僕に強制的に引き起こされてしまう。僕はそれを、純粋に屈辱だと感じた。

「なんだか妹を見る目とはちょっぴり違った目つきをしているみたいですね? というかそのジーンズ、わたしの前では着ない方がいいんじゃないですか? 痛そうで笑えます」

 五花には全てお見通しのようだった。まあ、さんざん僕で遊んできた彼女なのだ。それも当然だろう。

「ねぇ」

 五花はそのまま、僕の方へとにじり寄ってきて、そのまま僕がいる壁際の壁を手で押すようにして、僕をその腕で抱き締めようとしているかのような格好になる。

「実はわたし、これでもたっくんの事、特別な男の子だと思ってるんですよ? わたし、たっくんと付き合ってから、たっくんでしかオナニーできなくて困ってるんです。なんでなんでしょう? たっくんのその、わたしの奥の奥まで見通してくるような目を見てると、お腹の中が熱くなって、思わずたっくんに身体を捧げたくなっちゃうんですよね。わたし、おかしいですかね? これも一種の恋という奴なんでしょうか? ねぇたっくん、何か言ってくださいよ?」

 至近距離まで来た半裸の五花の身体からは、桃とココナッツを混ぜたようないい香りがした。フェロモンという奴は人類には存在しないという学説を昔何かのテレビで見た事があったけども、そんなのは真っ赤な嘘っぱちだと僕は思った。その匂いを嗅いで、五花のとんでもない告白を聞いた僕は、ジーンズが破れてしまうんじゃないかと思ってしまう程度には、猿のごとく興奮してしまっていたのだから。

「い、五花……その……僕は……今でもキミの事を……」

 僕が超えてはいけないと定めたラインを超えて、彼女に真実の想いを話してしまいそうになったその時……

「卓、五花ちゃんの部屋の方はどうかしらぁ? ちょっとそっち行ってもいいぃ?」

 突然、僕の母親の声がして、僕はハッと正気に返った。

「五花、まずいって……」

 五花は落ち着いてにこりと笑うと、さっと後ろに跳ねるようにジャンプして、脱ぎ捨てたTシャツを着なおした。そのセクシーな仕草に、またしても興奮してしまっていた僕だったが、今から母親が来るとあっては、そんな様子はお首にも出すわけにはいかない。

「たっくん。同棲生活、楽しめそうですね」

 五花はそう小声でいって、外見だけなら天使のようなその相貌で、まばゆい笑みを浮かべた。だが僕にはその笑みは、タチの悪い悪魔に目をつけられたようにしか感じられなかった。