「……落ち着いたかな、月也?」
やがて、ようやく泣き止んだ俺から、そっと離れた美里花は、そういって優しげに微笑んだ。
俺は、久々に見た美里花の顔があまりに可憐である事に驚いて、こんな可愛い子に抱き締められて泣いていたのだという事実に、今更ながら自分が恵まれすぎだと思ってしまった。
ただもちろん、今の感動は、決して美里花が可愛い女の子だから感動したわけではない。
美里花の心が、魂が、とんでもなく澄んだ美しいものだったからこそ起こった、一種の奇跡のようなものだ。
俺は、何といえばこの想いが伝わるのかも分からず、ただ、平凡な言葉で感謝を述べる事しか出来なかった。
「ああ……本当に、なんていうか、ありがとう、美里花……」
「いいんだよ。月也が大好きなわたしが、月也の事を大好きだから、やった事だから」
その言葉が嬉しくて、またしても泣きそうになってしまう。
――ああ、俺はいつからこんなに涙もろくなったのだろう……
「月也。さっき伝えた事、覚えてるかな? 月也にはさ、わたしは本当に、自由な心で言葉を紡いでほしいと思ってる。でね、その時に大事だとわたしが思ってるのがさ……」
美里花は、にへらっと笑って、こう続けた。
「……書く対象を、とにかく愛する事なんだ。月也にも、書いている人物や、景色や、物事を、愛して、大好きだと思って、書いてほしいんだ、わたしは」
その美里花の言葉は、深い感動を伴って、俺の心の底まで響いた。
「……本当に……本当にすごいな、お前は……お前は詩だけじゃなくて、こういう形でも、人を深く感動させて、揺り動かす事が出来るんだな……」
俺は、人生で初めて、心の底から他者を深く尊敬する、という心情を味わっていた。
これが、本物。
本物の、尊敬。
その感覚は、ひどく心地よく、自分が真っ当な人間になれたと感じさせるもので――
「月也だってさ、同じだよ」
「……え?」
美里花は、そんな俺に、にこっと笑って、こういうのだ。
「わたしが月也に、どれだけ感動させられたと思ってるの? 月也の言葉に、どれだけ救われたと思ってるの? そんな月也なら、人を感動させる物語が、人を救える物語がきっと書けるって、わたしは信じてる」
その言葉は、穏やかだが力強く、俺の心を深く揺り動かすパワーを持っていた。
「だから月也、お願いだから書いて。また、書いてよ。次こそ、月也だけの最高の物語を、書いてよ……!」
だんだん、美里花の言葉に熱が篭もっていく。
知らず、胸が熱くなるのを感じた。
俺は、深い高揚感と、熱気の中にいた。
書きたい、と思った。
ただ、誰のためでもない、自分だけの、最高の物語を、まず書きたい。
そしてそれを、美里花に読んでもらいたい。
その物語で、美里花の心を揺り動かしたい。
そんな熱い想いが、俺の胸を突き動かそうとしていた。
「……美里花! ありがとう!」
俺は、溢れんばかりの感謝の思いを、美里花に叫んでいく。
「お前のおかげだ! お前のおかげで、俺は、ずっとずっとダメだった小説を、またやりたいと心から思えたよ! 本当に、ありがとう……!」
そういうと、美里花はぱぁっと向日葵が咲いたような笑顔を浮かべた。
「……うん! 良かった……! 本当に、良かった……!」
美里花が、がしっとこちらに倒れこむようにして抱き着いてくる。
俺は、黙って、そんな美里花を受け止めて、抱きしめ返した。
「ああ、嬉しいな! 月也に想いが通じて、嬉しいな! わたし、本当に嬉しいよ! 月也! 本当に、大好き! あはは! あはははは!」
美里花も、いつになくテンションを上げて、ただただ喜んでくれていた。
そんな美里花の様子に、俺も、これで良かった、と心から思った。
そして、美里花の少女らしい細い身体の感触を、抱き締めながら味わい続けるのだった。
この細い身体の女の子が、今起こした奇跡の偉大さを、少女への畏敬の念を、心から感じながら――
*****
それから、美里花に見つめられながら、再び小説を書いてみる事になった。
相変わらず美里花は俺の左肩に頭を乗せて、半ば抱き着くような体勢で、俺の文章を見つめてくれている。
そうしていると、今までとはまるで違う手ごたえがあった。
俺は美里花から、ハートを動かして書くという事を身をもって学んでいた。
対象を愛する心をもって文章を書くという事を学んでいた。
そういった事を意識していると、なぜだか分からないが無心で文章が書けた。
いつもみたいに、ここはこうした方がいいんじゃないかとか、これはダメなんじゃないかとか、ああした方が理論に沿っているとか、そういう余計な思考が一切発生しない。
にもかかわらず、出来上がった文章は、今まで書いていたものよりずっと美しく、感情の動きが伝わるもので、読んで自分でも満足がいくものになっていくのだ。
「うんうん、いい感じだね!」
美里花も、俺の文章を読んで、無邪気に喜んでくれていた。
それがまた、とっても嬉しかった。
俺たちはそのまま親が帰ってくる時間になるまで、二人で密着しながら、俺の綴る文章を一緒に見つめ続けるのだった。
翌日の朝。
俺は迎えに来た美里花と一緒に、再び学校に向かっていた。
俺たちは、二人そろって手を繋いで、学校までの道のりをゆっくりと味わうように歩いていく。
「なんか本当、手つなぐのって、いいな。なんていうか、繋がってる感じがするっていうか。こうしてる間は、寂しくないっていうかさ」
美里花はそういって、キラキラとした笑顔で俺の方を見つめた。その頬は少し赤くなっていて、しゃべりながらキュッと強めに手を握ってくる仕草に、俺の心臓までキュっと掴まれたような感覚がした。
俺は必死に鼓動を抑えようとしながら、なんとか美里花に返事をする。
「……そうだな。なんていうか、いいよな」
「えへへ、月也もそう思ってくれてるんだ。嬉しいな」
さらに美里花の手を握る力が強くなり、俺の心臓はもはや鷲摑み状態だ。
そんな甘酸っぱい状態を維持したまま、俺たちは校門を通り、下駄箱で靴を履き替える。
それから名残を惜しみながら俺の教室の前で別れて、教室の席につく。
――にやっ、と自然と笑みがこぼれるのを感じる。
俺は、今が人生の絶頂だと感じていた。
長らく悩み続けていた小説の問題も解決の兆しが見えた。
もちろん、編集には期日に間に合わない事を謝らなければいけなかった。それは依然課題として残っているが、俺はそれも、今ならなんとか乗り越えられる気がしていた。
何より、美里花という、心の底から尊敬できる、素晴らしい少女が俺についてくれていると言ってくれた。
あいつは確かに不安定な所があるし、自分勝手な所もあるし、気を抜けばいなくなってしまうのではないかと思わせる、そんな気まぐれな猫みたいな少女だ。
――だが。
――彼女は俺を救ってくれた。
俺には、それだけで十分すぎるほどだった。
俺は既に、一生をかけて美里花にお礼をしていかなければいけないなと思い詰めるほどには、美里花に深く感謝していた。
俺にとって、美里花は救いの女神そのものだった。
俺は本当に、美里花を神格視しはじめていたかもしれない。
――だからこそ、俺は気づけなかった。
美里花という少女が、極めて不安定な所のある、弱さを持った少女であるという事を、甘く見積もってしまっていた。
その日の放課後。
二人で仲良く帰っている間、
「月也、カラオケ行こう」
という美里花の一声で、そのままカラオケに立ち寄る事になった。
「いいけど、俺、ろくに歌えないぞ?」
「いいよ。わたしが歌うから。月也は聞いててよ」
そんなもんかと思いつつ、俺はろくに行った事もないカラオケ店に入る事になった。
すでに会員登録済みらしい美里花が、受付で代表して部屋の番号が書かれた台紙を受け取る。
二人で個室に入り、俺はドリンクバーで飲み物を取りに一度立ち上がる事になった。
美里花はウーロン茶がいいとの事だったので、2杯のウーロン茶をとりあえず持って帰る。
すると――
――美里花が、歌っていた。
10年ほど前に流行った有名なアーティストの、透き通るような雰囲気の曲だ。
美里花の歌は、驚くほど上手かった。
なにせまず、美里花は声質が抜群に良い。
大袈裟でなく、聞いているだけで男が惚れてしまいそうなくらい、可憐な声をしているのだ。
だが、それだけでなく、歌唱力も一流である事が、今初めて分かった。
いや、一流なんてもんじゃないかもしれない。
――これ、プロとかと比べられる次元なんじゃないか……
――初めてこんなの生で聞いたぞ……
驚きっぱなしで、放心状態で美里花の歌を聞き終えた俺は、歌い終えた美里花に、さっそく質問する。
「途中からだけど、すげぇ良かったよ。でもお前、いくらなんでも歌上手すぎないか?」
「わたしさ、一時期から詩が読めなくなったって言ったじゃん? そのあとしばらくしてからさ、代わりの趣味として、ヒトカラに行ってたんだ。結構な頻度で行ってたから、自然と歌も上手くなったよね」
美里花の返事は、なるほどと思える物だった。
それにしても、才能の塊だとは思ったが。
美里花の意外な一面に驚きながら、その後も何曲か可愛らしくも力強い歌声を楽しんだ俺だったが――
「月也、一緒に歌おうよ」
と合唱を求められ、ついにマイクを手に取る事になった。
「あっははははっ! 月也、めっちゃ歌下手!」
少し前に流行った深夜アニメのOPを歌い終わった後、美里花に爆笑されてしまった。
「うるせぇな! 陰キャはカラオケとか行かないんだよ!」
「あははっ! そうなんだ! でも、一緒に歌えて楽しかったよ! ありがとね、付き合ってくれて」
その後は自然と美里花が密着して座ってきて、至近距離で会話を交わす。
「わたしさ、歌を唄っている間って、詩を詠んでる時に近い感じがするんだよね。なんていうか、自分を解放してる感じっていうのかな……詩を詠めない絶望の気持ちを、歌う力に変えて、なんとか生き残ってたんだよね、わたしは。ま、それもやっぱ、しょせん身代わりっていうか、時間稼ぎに過ぎないんだけど……」
「美里花……」
俺は何と言っていいのか分からず、ただ、美里花の俺の膝の上に置かれた手に、そっと手のひらを重ねる事しか出来なかった。
「……ありがとね、月也。元気出たよ」
美里花はそういって、また明るく歌いだしたが……
それから、俺たちがカラオケ店を出てしばらくした後――
美里花と別れて家につき、ベッドの上に寝ころんだ所で、一つのメッセージが届く。
「助けて、月也。死にたいよ。死にたい」
前触れもなく届いた突然の内容に――
俺は、美里花という少女の抱える闇を、まだ全然理解できていないのだと、ようやく気付いたのだった――
やがて、ようやく泣き止んだ俺から、そっと離れた美里花は、そういって優しげに微笑んだ。
俺は、久々に見た美里花の顔があまりに可憐である事に驚いて、こんな可愛い子に抱き締められて泣いていたのだという事実に、今更ながら自分が恵まれすぎだと思ってしまった。
ただもちろん、今の感動は、決して美里花が可愛い女の子だから感動したわけではない。
美里花の心が、魂が、とんでもなく澄んだ美しいものだったからこそ起こった、一種の奇跡のようなものだ。
俺は、何といえばこの想いが伝わるのかも分からず、ただ、平凡な言葉で感謝を述べる事しか出来なかった。
「ああ……本当に、なんていうか、ありがとう、美里花……」
「いいんだよ。月也が大好きなわたしが、月也の事を大好きだから、やった事だから」
その言葉が嬉しくて、またしても泣きそうになってしまう。
――ああ、俺はいつからこんなに涙もろくなったのだろう……
「月也。さっき伝えた事、覚えてるかな? 月也にはさ、わたしは本当に、自由な心で言葉を紡いでほしいと思ってる。でね、その時に大事だとわたしが思ってるのがさ……」
美里花は、にへらっと笑って、こう続けた。
「……書く対象を、とにかく愛する事なんだ。月也にも、書いている人物や、景色や、物事を、愛して、大好きだと思って、書いてほしいんだ、わたしは」
その美里花の言葉は、深い感動を伴って、俺の心の底まで響いた。
「……本当に……本当にすごいな、お前は……お前は詩だけじゃなくて、こういう形でも、人を深く感動させて、揺り動かす事が出来るんだな……」
俺は、人生で初めて、心の底から他者を深く尊敬する、という心情を味わっていた。
これが、本物。
本物の、尊敬。
その感覚は、ひどく心地よく、自分が真っ当な人間になれたと感じさせるもので――
「月也だってさ、同じだよ」
「……え?」
美里花は、そんな俺に、にこっと笑って、こういうのだ。
「わたしが月也に、どれだけ感動させられたと思ってるの? 月也の言葉に、どれだけ救われたと思ってるの? そんな月也なら、人を感動させる物語が、人を救える物語がきっと書けるって、わたしは信じてる」
その言葉は、穏やかだが力強く、俺の心を深く揺り動かすパワーを持っていた。
「だから月也、お願いだから書いて。また、書いてよ。次こそ、月也だけの最高の物語を、書いてよ……!」
だんだん、美里花の言葉に熱が篭もっていく。
知らず、胸が熱くなるのを感じた。
俺は、深い高揚感と、熱気の中にいた。
書きたい、と思った。
ただ、誰のためでもない、自分だけの、最高の物語を、まず書きたい。
そしてそれを、美里花に読んでもらいたい。
その物語で、美里花の心を揺り動かしたい。
そんな熱い想いが、俺の胸を突き動かそうとしていた。
「……美里花! ありがとう!」
俺は、溢れんばかりの感謝の思いを、美里花に叫んでいく。
「お前のおかげだ! お前のおかげで、俺は、ずっとずっとダメだった小説を、またやりたいと心から思えたよ! 本当に、ありがとう……!」
そういうと、美里花はぱぁっと向日葵が咲いたような笑顔を浮かべた。
「……うん! 良かった……! 本当に、良かった……!」
美里花が、がしっとこちらに倒れこむようにして抱き着いてくる。
俺は、黙って、そんな美里花を受け止めて、抱きしめ返した。
「ああ、嬉しいな! 月也に想いが通じて、嬉しいな! わたし、本当に嬉しいよ! 月也! 本当に、大好き! あはは! あはははは!」
美里花も、いつになくテンションを上げて、ただただ喜んでくれていた。
そんな美里花の様子に、俺も、これで良かった、と心から思った。
そして、美里花の少女らしい細い身体の感触を、抱き締めながら味わい続けるのだった。
この細い身体の女の子が、今起こした奇跡の偉大さを、少女への畏敬の念を、心から感じながら――
*****
それから、美里花に見つめられながら、再び小説を書いてみる事になった。
相変わらず美里花は俺の左肩に頭を乗せて、半ば抱き着くような体勢で、俺の文章を見つめてくれている。
そうしていると、今までとはまるで違う手ごたえがあった。
俺は美里花から、ハートを動かして書くという事を身をもって学んでいた。
対象を愛する心をもって文章を書くという事を学んでいた。
そういった事を意識していると、なぜだか分からないが無心で文章が書けた。
いつもみたいに、ここはこうした方がいいんじゃないかとか、これはダメなんじゃないかとか、ああした方が理論に沿っているとか、そういう余計な思考が一切発生しない。
にもかかわらず、出来上がった文章は、今まで書いていたものよりずっと美しく、感情の動きが伝わるもので、読んで自分でも満足がいくものになっていくのだ。
「うんうん、いい感じだね!」
美里花も、俺の文章を読んで、無邪気に喜んでくれていた。
それがまた、とっても嬉しかった。
俺たちはそのまま親が帰ってくる時間になるまで、二人で密着しながら、俺の綴る文章を一緒に見つめ続けるのだった。
翌日の朝。
俺は迎えに来た美里花と一緒に、再び学校に向かっていた。
俺たちは、二人そろって手を繋いで、学校までの道のりをゆっくりと味わうように歩いていく。
「なんか本当、手つなぐのって、いいな。なんていうか、繋がってる感じがするっていうか。こうしてる間は、寂しくないっていうかさ」
美里花はそういって、キラキラとした笑顔で俺の方を見つめた。その頬は少し赤くなっていて、しゃべりながらキュッと強めに手を握ってくる仕草に、俺の心臓までキュっと掴まれたような感覚がした。
俺は必死に鼓動を抑えようとしながら、なんとか美里花に返事をする。
「……そうだな。なんていうか、いいよな」
「えへへ、月也もそう思ってくれてるんだ。嬉しいな」
さらに美里花の手を握る力が強くなり、俺の心臓はもはや鷲摑み状態だ。
そんな甘酸っぱい状態を維持したまま、俺たちは校門を通り、下駄箱で靴を履き替える。
それから名残を惜しみながら俺の教室の前で別れて、教室の席につく。
――にやっ、と自然と笑みがこぼれるのを感じる。
俺は、今が人生の絶頂だと感じていた。
長らく悩み続けていた小説の問題も解決の兆しが見えた。
もちろん、編集には期日に間に合わない事を謝らなければいけなかった。それは依然課題として残っているが、俺はそれも、今ならなんとか乗り越えられる気がしていた。
何より、美里花という、心の底から尊敬できる、素晴らしい少女が俺についてくれていると言ってくれた。
あいつは確かに不安定な所があるし、自分勝手な所もあるし、気を抜けばいなくなってしまうのではないかと思わせる、そんな気まぐれな猫みたいな少女だ。
――だが。
――彼女は俺を救ってくれた。
俺には、それだけで十分すぎるほどだった。
俺は既に、一生をかけて美里花にお礼をしていかなければいけないなと思い詰めるほどには、美里花に深く感謝していた。
俺にとって、美里花は救いの女神そのものだった。
俺は本当に、美里花を神格視しはじめていたかもしれない。
――だからこそ、俺は気づけなかった。
美里花という少女が、極めて不安定な所のある、弱さを持った少女であるという事を、甘く見積もってしまっていた。
その日の放課後。
二人で仲良く帰っている間、
「月也、カラオケ行こう」
という美里花の一声で、そのままカラオケに立ち寄る事になった。
「いいけど、俺、ろくに歌えないぞ?」
「いいよ。わたしが歌うから。月也は聞いててよ」
そんなもんかと思いつつ、俺はろくに行った事もないカラオケ店に入る事になった。
すでに会員登録済みらしい美里花が、受付で代表して部屋の番号が書かれた台紙を受け取る。
二人で個室に入り、俺はドリンクバーで飲み物を取りに一度立ち上がる事になった。
美里花はウーロン茶がいいとの事だったので、2杯のウーロン茶をとりあえず持って帰る。
すると――
――美里花が、歌っていた。
10年ほど前に流行った有名なアーティストの、透き通るような雰囲気の曲だ。
美里花の歌は、驚くほど上手かった。
なにせまず、美里花は声質が抜群に良い。
大袈裟でなく、聞いているだけで男が惚れてしまいそうなくらい、可憐な声をしているのだ。
だが、それだけでなく、歌唱力も一流である事が、今初めて分かった。
いや、一流なんてもんじゃないかもしれない。
――これ、プロとかと比べられる次元なんじゃないか……
――初めてこんなの生で聞いたぞ……
驚きっぱなしで、放心状態で美里花の歌を聞き終えた俺は、歌い終えた美里花に、さっそく質問する。
「途中からだけど、すげぇ良かったよ。でもお前、いくらなんでも歌上手すぎないか?」
「わたしさ、一時期から詩が読めなくなったって言ったじゃん? そのあとしばらくしてからさ、代わりの趣味として、ヒトカラに行ってたんだ。結構な頻度で行ってたから、自然と歌も上手くなったよね」
美里花の返事は、なるほどと思える物だった。
それにしても、才能の塊だとは思ったが。
美里花の意外な一面に驚きながら、その後も何曲か可愛らしくも力強い歌声を楽しんだ俺だったが――
「月也、一緒に歌おうよ」
と合唱を求められ、ついにマイクを手に取る事になった。
「あっははははっ! 月也、めっちゃ歌下手!」
少し前に流行った深夜アニメのOPを歌い終わった後、美里花に爆笑されてしまった。
「うるせぇな! 陰キャはカラオケとか行かないんだよ!」
「あははっ! そうなんだ! でも、一緒に歌えて楽しかったよ! ありがとね、付き合ってくれて」
その後は自然と美里花が密着して座ってきて、至近距離で会話を交わす。
「わたしさ、歌を唄っている間って、詩を詠んでる時に近い感じがするんだよね。なんていうか、自分を解放してる感じっていうのかな……詩を詠めない絶望の気持ちを、歌う力に変えて、なんとか生き残ってたんだよね、わたしは。ま、それもやっぱ、しょせん身代わりっていうか、時間稼ぎに過ぎないんだけど……」
「美里花……」
俺は何と言っていいのか分からず、ただ、美里花の俺の膝の上に置かれた手に、そっと手のひらを重ねる事しか出来なかった。
「……ありがとね、月也。元気出たよ」
美里花はそういって、また明るく歌いだしたが……
それから、俺たちがカラオケ店を出てしばらくした後――
美里花と別れて家につき、ベッドの上に寝ころんだ所で、一つのメッセージが届く。
「助けて、月也。死にたいよ。死にたい」
前触れもなく届いた突然の内容に――
俺は、美里花という少女の抱える闇を、まだ全然理解できていないのだと、ようやく気付いたのだった――