翌朝、家のインターホンを鳴らす音で目が覚めた。
まさか、と思った。
てっきり携帯で連絡してくれた所を下に会いに行く流れだと思っていたが、まさかあいつがインターホンを鳴らすほどの考え無しだったとは……
しかも来るのが早い。
いつも出発する時間より、30分か40分ほど早いぞ。
まずいと思った。
父親はもう家を出ているはずだが、下にはまだ仕事に出発する前の母親がいるだろう。
そうなると……
俺は着の身着のまま、下に急いだ。
「こんにちは! 月也くんを迎えに来ました!」
いきなり女の子が、それも美里花のような絶世の美少女が現れて、母親は目を丸くしていた。
「あらまあ……月也の……お友達かしら?」
「はじめまして、西野美里花といいます。えっと、月也はだいたい友達以上恋人みま……」
美里花が愚かな返事をしようとしているのを慌てて止める。
「友達、友達なんだ! 最近仲良くしてもらってて、家が結構近いから、一緒に登校しようって話になって」
「へぇ……月也にこんな可愛らしい友達がいたとはね……あとで詳しく聞かせてほしいわね」
母親はそういって、俺ににっこりと微笑んだ。怖い……
「それにしてもあんた、そんなパジャマで下に来て、こんな可愛い子の目の前に出るなんて、だらしない。さっさと着替えて、顔洗ってらっしゃい」
それは母親の言う通りだったので、俺は急いで上に上がり、制服に着替えて顔を洗った。
下に戻ると、美里花はリビングに上がる流れになったらしく、美里花がダイニングテーブルの一席に座ってニコニコとしていた。
「月也のお母さん、優しいね!」
「……そうか」
俺は少しげんなりとしながらも、テーブルの上に用意されていた朝食を、隣に座る美里花と雑談しながら平らげた。
「それじゃ、お母さん行くから。美里花ちゃんを、ちゃんと気を付けてエスコートするのよ」
いつの間にか距離を縮めていたらしく、母親は美里花を名前で呼んでいた。
「はいはい、いってらっしゃい」
「いってきまーす」
母親はドタバタと去っていった。
「……いいなぁ。あんなお母さんが、わたしも欲しかったよ」
美里花は心の底から羨ましいといった様子で、去っていった母親のいた場所をじっと見つめていた。
俺はなんといっていいのか困って、なんとなく隣にあった美里花の頭をぽんぽんとタッチする。
「んっ……」
美里花は少し照れながらも、嬉しそうな表情でこっちを見つめてくれた。気恥ずかしい行動だったが、美里花の意識が反れたのなら、まあ良かっただろう。
「さて……まだちょっと早いけど、学校行くか?」
「うん、行きたい」
「分かった。鞄取ってくるから、ちょっと待ってろ」
「うん」
それから俺たちは、通学の時いつも歩いている道を、二人で歩いていった。
「手、つないで……」
俺は正直目立つのが恥ずかしくて手までは繋ぎたくはなかったが、そうお願いされては繋がないわけにもいかなかった。
俺たち二人は、手を仲良くつないで、恋人そのものといった様子で、登校していく。
途中、駅からの道と合流してからは、他の生徒の姿もちらほらと見受けられる。
俺と美里花が二人で手を繋ぎながら楽しそうにしているのはどうも目立つようで、結構な注目を浴びているように感じた。
「……そうだ月也。わたし、月也の部屋にも遊びに行きたいな。今朝は部屋には行けなかったし」
「……どうしてだ?」
「月也がこんな部屋に住んでるんだなってのを知りたいし……月也が小説書いてる所とかも、見てみたいかも」
その言葉に、俺はこれまで忘れた事にしていた小説の事を思いだし、きゅっと胸が締め付けられるような痛みを感じた。
「部屋に来るのはいいけど……小説は期待しないでくれ」
「そう? 良く分かんないけど、分かった」
美里花はあくまで明るい調子を崩さず、そんな返事をした。
それから先は、また元の雑談に戻る。
最近テレビでこんな番組を見たとか、ネットニュースでこんな事を言ってたけど本当か、とか、学校のこの科目が難しいとか、本当にたわいもない話ばかりしていた。
だが、そんな日常的な会話も、相手が美里花であればそれだけで本当に楽しかった。
美里花の話し方が、美里花の感じ方が、すべていちいち魅力的で、輝いて見えたのだ。
「……学校、着いたね」
「……ああ」
俺と美里花は、このままでは目立つと分かっていても、手の感触が名残惜しくて、なかなか繋いだ手を離せずにいた。
結局、俺たちは手を繋いだまま校門を越え、玄関まで入っていく。
その間は、明らかに注目を浴びて噂されていると分かる、居心地の悪さがあった。
靴箱は遠くにあるので、そこでようやく俺たちは手を離し、いったん別れる。
だが靴を履き終えると、再び階段の下で集合し、手を繋いで俺たちの教室がある3階まで登っていくのだった。
それだけならまだ良かった。
美里花は、驚くべき事に、俺の教室の中まで入ってきた。
そしてそのまま、俺の席のすぐ横に陣取る。
「へぇー、ここが月也の今の席なんだ。窓際の後ろの方で、なんか主人公の席っぽいね!」
美里花はそんな感じで明るく話しているが、正直俺は気が気じゃなかった。
まだ時間は早めなので全員が揃っているわけではないが、クラスの中には既に人影がそれなりにある。
その人影達は、明らかのクラスの中に突如侵入して楽しそうにしている美少女に、興味津々の様子だった。
しかもその美少女は、クラスではいつもろくに友達もおらず、一人で本を読んだりしている陰キャ少年の所で騒いでいるのだ。
これが注目を集めずに、いったい何が注目を集めるというのか。
俺は穴があったら入りたい気持ちで一杯だった。
「あ、月也の机の中、小説いっぱい入ってるね。わたしにも1冊貸してよ。月也が好きな本、読みたいんだ」
普段であれば快く貸す所だが、今は状況が悪すぎる。
「美里花……本は貸すから、いったん教室に帰ってくれないか? めちゃくちゃ目立ってるんだが」
「え、そうなの?」
美里花は俺と話すのに夢中で全然周囲の様子に気づいていなかったようだが、あたりを振り返って、冷や汗をかいたようだった。
「う、うん、そうだね……あ、これ貸してくれるの? ありがと! それじゃあね」
そういって、美里花は素早く教室から逃げ出していく。まさに、脱兎のごとく、といった感じだった。
しーんと、教室が静まる。それくらい、みな俺たちの様子を注視していたのだ。
「東雲くん、いまの、1組の西野さんよね? 二人は仲良かったんだ?」
教室の中で、俺と面識がある数少ない存在である前の席の女子が、珍しく向こうから話しかけてくる。
この女子は、俺が1年の頃一時期所属していた文芸部で一緒だったから、顔はよく覚えている。
名前は……なんだったか……
「あ、ああ……ちょっと前に知り合ってな。友達になったんだ」
「へぇ? 友達っていうよりは、もうほぼ恋人って感じに見えたけど」
「……いやいや、あんな可愛い子と俺みたいなのが恋人になれるわけないだろ」
「ふーん、そっか、やっぱ可愛いとは思ってるんだね」
――や、やばいぞ、この流れは……
話しているうちに、どんどん墓穴を掘っている気がした俺は、いったん逃げ出す事にした。
「ちょっと購買で買い物してくるから、いったん行くわ。それじゃあな」
「あ、ちょっと……」
ふぅ、危ない所だった。
適当に購買でジュースでも買って帰ろうと、俺はゆっくり時間をかけて廊下を歩き、その途中、美里花の2年1組を通りすぎる。
ふと教室の中を見ると、美里花は俺が渡したライトノベルをブックカバーをつけて読んでいた。
なんだかニコニコとしていて、とても楽しそうにしている。
そんな様子に、俺は当初、安心したような嬉しさを感じた。
だが、美里花はふと本を閉じると、窓の外を眺めて、はぁっとため息をついた。
その表情は、どこか空しさに満ちていて、とても哀しげに見えるものだった。
俺は、なぜか見てはいけないものを見たような気持ちがして、そっとその場を去ってしまう。
――美里花は、いったい何を考えているのだろう?
――最近の楽しそうにしているあいつは、本当に、楽しいと思えているのだろうか?
そんな疑問が心の奥底に生まれ、それがだんだん比重を大きくしていくのを感じながら――
まさか、と思った。
てっきり携帯で連絡してくれた所を下に会いに行く流れだと思っていたが、まさかあいつがインターホンを鳴らすほどの考え無しだったとは……
しかも来るのが早い。
いつも出発する時間より、30分か40分ほど早いぞ。
まずいと思った。
父親はもう家を出ているはずだが、下にはまだ仕事に出発する前の母親がいるだろう。
そうなると……
俺は着の身着のまま、下に急いだ。
「こんにちは! 月也くんを迎えに来ました!」
いきなり女の子が、それも美里花のような絶世の美少女が現れて、母親は目を丸くしていた。
「あらまあ……月也の……お友達かしら?」
「はじめまして、西野美里花といいます。えっと、月也はだいたい友達以上恋人みま……」
美里花が愚かな返事をしようとしているのを慌てて止める。
「友達、友達なんだ! 最近仲良くしてもらってて、家が結構近いから、一緒に登校しようって話になって」
「へぇ……月也にこんな可愛らしい友達がいたとはね……あとで詳しく聞かせてほしいわね」
母親はそういって、俺ににっこりと微笑んだ。怖い……
「それにしてもあんた、そんなパジャマで下に来て、こんな可愛い子の目の前に出るなんて、だらしない。さっさと着替えて、顔洗ってらっしゃい」
それは母親の言う通りだったので、俺は急いで上に上がり、制服に着替えて顔を洗った。
下に戻ると、美里花はリビングに上がる流れになったらしく、美里花がダイニングテーブルの一席に座ってニコニコとしていた。
「月也のお母さん、優しいね!」
「……そうか」
俺は少しげんなりとしながらも、テーブルの上に用意されていた朝食を、隣に座る美里花と雑談しながら平らげた。
「それじゃ、お母さん行くから。美里花ちゃんを、ちゃんと気を付けてエスコートするのよ」
いつの間にか距離を縮めていたらしく、母親は美里花を名前で呼んでいた。
「はいはい、いってらっしゃい」
「いってきまーす」
母親はドタバタと去っていった。
「……いいなぁ。あんなお母さんが、わたしも欲しかったよ」
美里花は心の底から羨ましいといった様子で、去っていった母親のいた場所をじっと見つめていた。
俺はなんといっていいのか困って、なんとなく隣にあった美里花の頭をぽんぽんとタッチする。
「んっ……」
美里花は少し照れながらも、嬉しそうな表情でこっちを見つめてくれた。気恥ずかしい行動だったが、美里花の意識が反れたのなら、まあ良かっただろう。
「さて……まだちょっと早いけど、学校行くか?」
「うん、行きたい」
「分かった。鞄取ってくるから、ちょっと待ってろ」
「うん」
それから俺たちは、通学の時いつも歩いている道を、二人で歩いていった。
「手、つないで……」
俺は正直目立つのが恥ずかしくて手までは繋ぎたくはなかったが、そうお願いされては繋がないわけにもいかなかった。
俺たち二人は、手を仲良くつないで、恋人そのものといった様子で、登校していく。
途中、駅からの道と合流してからは、他の生徒の姿もちらほらと見受けられる。
俺と美里花が二人で手を繋ぎながら楽しそうにしているのはどうも目立つようで、結構な注目を浴びているように感じた。
「……そうだ月也。わたし、月也の部屋にも遊びに行きたいな。今朝は部屋には行けなかったし」
「……どうしてだ?」
「月也がこんな部屋に住んでるんだなってのを知りたいし……月也が小説書いてる所とかも、見てみたいかも」
その言葉に、俺はこれまで忘れた事にしていた小説の事を思いだし、きゅっと胸が締め付けられるような痛みを感じた。
「部屋に来るのはいいけど……小説は期待しないでくれ」
「そう? 良く分かんないけど、分かった」
美里花はあくまで明るい調子を崩さず、そんな返事をした。
それから先は、また元の雑談に戻る。
最近テレビでこんな番組を見たとか、ネットニュースでこんな事を言ってたけど本当か、とか、学校のこの科目が難しいとか、本当にたわいもない話ばかりしていた。
だが、そんな日常的な会話も、相手が美里花であればそれだけで本当に楽しかった。
美里花の話し方が、美里花の感じ方が、すべていちいち魅力的で、輝いて見えたのだ。
「……学校、着いたね」
「……ああ」
俺と美里花は、このままでは目立つと分かっていても、手の感触が名残惜しくて、なかなか繋いだ手を離せずにいた。
結局、俺たちは手を繋いだまま校門を越え、玄関まで入っていく。
その間は、明らかに注目を浴びて噂されていると分かる、居心地の悪さがあった。
靴箱は遠くにあるので、そこでようやく俺たちは手を離し、いったん別れる。
だが靴を履き終えると、再び階段の下で集合し、手を繋いで俺たちの教室がある3階まで登っていくのだった。
それだけならまだ良かった。
美里花は、驚くべき事に、俺の教室の中まで入ってきた。
そしてそのまま、俺の席のすぐ横に陣取る。
「へぇー、ここが月也の今の席なんだ。窓際の後ろの方で、なんか主人公の席っぽいね!」
美里花はそんな感じで明るく話しているが、正直俺は気が気じゃなかった。
まだ時間は早めなので全員が揃っているわけではないが、クラスの中には既に人影がそれなりにある。
その人影達は、明らかのクラスの中に突如侵入して楽しそうにしている美少女に、興味津々の様子だった。
しかもその美少女は、クラスではいつもろくに友達もおらず、一人で本を読んだりしている陰キャ少年の所で騒いでいるのだ。
これが注目を集めずに、いったい何が注目を集めるというのか。
俺は穴があったら入りたい気持ちで一杯だった。
「あ、月也の机の中、小説いっぱい入ってるね。わたしにも1冊貸してよ。月也が好きな本、読みたいんだ」
普段であれば快く貸す所だが、今は状況が悪すぎる。
「美里花……本は貸すから、いったん教室に帰ってくれないか? めちゃくちゃ目立ってるんだが」
「え、そうなの?」
美里花は俺と話すのに夢中で全然周囲の様子に気づいていなかったようだが、あたりを振り返って、冷や汗をかいたようだった。
「う、うん、そうだね……あ、これ貸してくれるの? ありがと! それじゃあね」
そういって、美里花は素早く教室から逃げ出していく。まさに、脱兎のごとく、といった感じだった。
しーんと、教室が静まる。それくらい、みな俺たちの様子を注視していたのだ。
「東雲くん、いまの、1組の西野さんよね? 二人は仲良かったんだ?」
教室の中で、俺と面識がある数少ない存在である前の席の女子が、珍しく向こうから話しかけてくる。
この女子は、俺が1年の頃一時期所属していた文芸部で一緒だったから、顔はよく覚えている。
名前は……なんだったか……
「あ、ああ……ちょっと前に知り合ってな。友達になったんだ」
「へぇ? 友達っていうよりは、もうほぼ恋人って感じに見えたけど」
「……いやいや、あんな可愛い子と俺みたいなのが恋人になれるわけないだろ」
「ふーん、そっか、やっぱ可愛いとは思ってるんだね」
――や、やばいぞ、この流れは……
話しているうちに、どんどん墓穴を掘っている気がした俺は、いったん逃げ出す事にした。
「ちょっと購買で買い物してくるから、いったん行くわ。それじゃあな」
「あ、ちょっと……」
ふぅ、危ない所だった。
適当に購買でジュースでも買って帰ろうと、俺はゆっくり時間をかけて廊下を歩き、その途中、美里花の2年1組を通りすぎる。
ふと教室の中を見ると、美里花は俺が渡したライトノベルをブックカバーをつけて読んでいた。
なんだかニコニコとしていて、とても楽しそうにしている。
そんな様子に、俺は当初、安心したような嬉しさを感じた。
だが、美里花はふと本を閉じると、窓の外を眺めて、はぁっとため息をついた。
その表情は、どこか空しさに満ちていて、とても哀しげに見えるものだった。
俺は、なぜか見てはいけないものを見たような気持ちがして、そっとその場を去ってしまう。
――美里花は、いったい何を考えているのだろう?
――最近の楽しそうにしているあいつは、本当に、楽しいと思えているのだろうか?
そんな疑問が心の奥底に生まれ、それがだんだん比重を大きくしていくのを感じながら――