──柚月、元気か?
 ──ちゃんと飯、食ってるか?
 ──って、知ってる。食ってるよな。
 ──公武さんからメールをもらった。写真つきだった。おにぎりの写真。
 ──めちゃくちゃうまそうでしょ。おれもいますぐそっちへいって、柚月のおにぎりを食いたくなった。この前のおにぎり、めちゃうまだったもんなあ。
 ──そこの避難所とここの避難所ってどんだけ離れているのかな。チャリはパンクしたままだから歩きだとどれくらい時間がかかるかな。
 ──なーんてさ、うそうそ。いかないから安心して。おれの方は、まだマズくてさ。いまここで両親のそばを離れたら、今度こそ関係を修復できなくなる。
 ──避難所にいれば人目もあるから変なことをいってこない。この間に少しでもおれの気持ちを伝えなくちゃって思うんだけど、これがさ──。
 ──実はさ。おれ、両親にまくしたてられているとき、頭の中が真っ白になるんだ。身体もこわばって声もうまく出なくなって、反論なんてとてもできない。返事だってさ。反射的にしているだけでさ。
 ──そこから「自分の気持ちを伝える」までになるのって、はるかすぎる道のりだよ。
 ──油断するとあっという間にくじけそうだ。もういっそ、関係修復なんて無茶でしょって叫びたくなる。
 ──それでもいいかなとも思うけどさ。じゃあ、どうやってこれから生きていくのかとか思うとさ。きついしさ。

   *

 そこまで読んで、うん、そうだね、と柚月は画面から視線をそらす。

 高校生。未成年。

 義務教育は終えたけれど、だからって覚悟もなく社会へ出るのはとても難しい。
 親と折り合いが悪い。だから家を出る。
 そのあとは? どこで暮らすの? 公武さんがいうような保護施設があるかもしれない。どういう手続きをすればいいの? 働くならどうすればいいの? しかもいまは災害時。いつもより難しいだろう。
 ほうっと息をはく。わたしたちは本当にまだ子どもなんだなあ……。
 ふと公武の言葉を思い出す。

 ──力になります。全力で支えます──。

 鼻先が熱くなる。
 そういってくれる人がいて、陽翔くんはどんなに心強かったかな。
 目尻に浮いた涙をぬぐって視線を画面へ戻すと、『愚痴がいいたくてメッセージを送ったわけじゃないんだ』と続いていた。キリッと顔を引きしめたカニのイラストスタンプが続いている。

 ──公武さん、もうなんなの?
 ──おれのほうが本当にもうさ、泣きそうなんですけど。

 なんのこと? と首をかしげる。

 ──おれの気持ちはめちゃくちゃわかってくれているのに。どうしてあの人、自分の気持ちをまーったくわかってないの。自分の気持ちっていうか……柚月の気持ちっつうか。

 ドキッとする。わたしの気持ち? 

 ──こんなこと、おれに書かせんなよってもんだけどさ。

 な、な、なんの話?

 ──……あの人、いまだにおれと柚月の仲を気遣うんだぜ? 

 へ? と気持ちの芯がヒヤリとする。

 ──あの人の気持ちなんて、あの海の日の出来事だけで十分すぎるくらいわかったのに。それでもあの人は『君がここにいたらいいのに』とか『柚月さんの隣にいるのが僕ですみません』とか書いてくるんだよ。ばかかっていうの。

 いくつか鼻息をあらくするカニのイラストスタンプが続いていた。それから──。

 ──柚月。
 ──がんばれよ。

 さらに続くメッセージを見てハッとする。

 ──公武さん、柚月がいないと、きっと駄目になる。
 ──あの人の一生懸命ってさ。危ないところがあるだろ? 
 ──真っ直ぐすぎて怖いくらいだ。いうこともやることも正しいからさ。誰も止められないしさ。
 ──けどさ。……正しいことってさ。だからこそ、鼻につくとかいって邪魔されたり傷つけられること、多いだろ?

 あ、と眉が揺れる。
 それは──うん。この避難所でもなんどか受けた。続く文面を読んで、さらに身につまされる。

 ──正しいことをやっているって思いがあるから、なにかトラブルがあっても途中で止められないし、誰かのせいにもできない。自分を責めるだけだ。
 ──きっと公武さん、いままで誰にもいえないことが山ほどあった気がするんだ。
 ──そうでなくちゃ、おれのことだってこんなに理解できないよ。身に覚えがあるからわかってくれるんだよ。気にしてくれるんだよ。なにがヤバくてなにが問題なのかもわかるんだ。
 ──そうだろ?

 ……うん。柚月は目を閉じる。
 本当に──公武さんは、正しい。
 いつだって欲しい言葉をくれた。

 陽翔くんが行方不明になったときも、海へ向かう車の中でも、それからこの避難所でもなんど公武さんの言葉に救われたか。
 サンゴの話だって公武さんに打ち明けて背中を押してもらったから、わたしはお父さんへ伝えられた。
 公武さんはどんなときも適当に話を流したりせず、しっかりと受け止めて、一緒になってあれこれ考えてくれる。どんな言葉もその場しのぎじゃない。心に響く、熱い思いだ。

 どうしてそんな言葉をかけてくれるのか。

 それってやっぱり、いままで自分がそうして欲しかったからじゃないかなあ。
 自分がもらえなかった言葉で、もらえたら嬉しい言葉。いつか誰かに伝えたいなって思っていた言葉。公武さんのくれた言葉はそうやって準備していないと出てこない言葉ばかりだったもの。
 そういう公武さんだから『おにぎりん』をあんなに素敵に動かせるんだろうけど。

 ……だけど──。

 柚月の不安を代弁するように、陽翔のメッセージは続いている。

 ──なんだかさ。……泣きたくなるんだ。公武さんとメールのやり取りをしているとさ。この人、このまま倒れちゃうんじゃないかって怖くなる。
 ──だからさ。
 ──柚月が支えてやってくれよ。

 目を見張る。

 ──頼むよ。

 まばたきをするのも忘れてその文字に見入る。
 鳥肌が立って身体が震えた。ポロリと涙がこぼれ落ちる。

 陽翔くんが──どれだけの決意でこのメッセージをくれたのか。
 公武さんの車の中でわたしのことを……好きっていってくれた陽翔くん。その陽翔くんにわたしは……ここまでいわせてしまった。わたしがハッキリしないから。

 どうしてわたし、こんな中途半端な気持ちのままで二人に甘えていいって思ったんだろう。
 お父さんが陽翔くんを気にかけてやれっていったから?
 避難所でいつも公武さんがわたしを気にかけてくれるから?
 それとも地震で大変だから許されると思った?
 そんなの。唇を噛みしめる。なんの理由にもならない。
 陽翔くんにここまでいってもらわないと、なにもしないって、わたし、どれだけズルいのよ。

 顔をあげる。大きく息を吸う。必死で笑顔を作る。かっこ悪くてもなんでもいい。陽翔くんにここまでいわせて、なにもしないなんてある?

 そっとスマートフォンをタップする。
 陽翔への返信。あれこれ書き連ねるのはただ見苦しい言い訳に思えた。陽翔の全力のメッセージを真摯に受け止めた、その証となるように柚月は簡潔に入力をする。

 ──ありがとう。がんばる。

   *

 その昼過ぎだ。
 体育館の掲示板の前にいつもに増して人垣ができていた。
 小清水もいて「柚月ちゃん」と手招きをする。「どうしました?」と近よると、「これこれ」と貼り紙を指で示された。
 花火大会のお知らせ、とあった。

「え? グランドでやるんですか?」
「違うって。毎年やってる新聞社主催の打ち上げ花火大会だってさ」
「ええっ。こんなに地震が続いているのに打ち上げ花火だなんて大丈夫なんでしょうか? わたし、てっきり中止になったとばかり思っていました」
「あたしも驚いたさ。しかも協賛企業も百社近くあるってさ。よっぽど気をつけてやるんだろうね」
「百社っ? そんなにっ? しかもこれ、今日ってありますよ? 急すぎませんか?」
「天気はいいからね。開催に問題はないだろうね」

 あれ? と柚月は首をかしげて文面を読み直す。

「開催場所が書いてありません。どこでやるんでしょう」

 いつもなら札幌市を南北に流れる一級河川、豊平川の河川敷で開催される。中島(なかじま)公園の近くで大変な人出となる花火大会だ。そこまでいかなくても天陣山でも見えるので巌が張り切って柚月を誘うのが常だった。
 毎年札幌市民が楽しみにしている花火大会だった。

「やっぱり河川敷でやるんでしょうか」

 うんにゃ、と沼田が話に加わる。

「そこじゃやらないって話さ。それこそ余震が続いているからな。見物客が押しよせたら危ないさ」
「だったらどこで?」
「どこでもだべ」
「へ?」

 沼田は満面の笑みでもう一枚の花火大会のお知らせを指さした。

『花火は避難所からもご覧いただけます。避難状況に合わせてお楽しみください』とある。

「なんでもデカい尺玉を打ちあげるって噂だ。どこからでも見えるようにってさ。応援花火だな」

 札幌市民よ、避難生活は大変だけど、ともにがんばって乗り切ろう──。そういうエールらしい。

「へえ、花火大会ですか」

 公武がお知らせの貼り紙をのぞき込んでいた。
 途端にドキンと胸が鳴る。公武は「何時からなんですか?」と柚月へ顔を向けて、なぜか「あ」と視線をそらした。ギクシャクした動作でお知らせの文字を目で追っている。

「阿寒さん、なんだい? 腹でも痛いのかい?」
「いえ、そういうわけでは」と歯切れ悪く沼田へ返して、お知らせへ視線を戻している。
 ……そういえば陽翔くんは公武さんにもメッセージを送ったとか書いていたっけ。陽翔くん、なにを書いたんだろう。

 そうじゃなくて、と顔をあげる。
 これは絶好のチャンスだ。

 目を閉じ呼吸を整える。小さくうなずいて公武へ「あの」と声を出した。同じタイミングで公武も「あの」と呼びかけていた。へ? と互いに笑い顔になって再びあげた声、それがまたゆるく重なる。

「花火を一緒に見ませんか?」