早朝七時だ。
避難所でひと晩明かしたサッポロ・サスティナブル・テクニクスの一同とともに、朝ご飯のおにぎりの準備をしているときだった。
長机の準備をしていた柚月は自転車の音が聞こえた気がして顔をあげた。
グランドの入口に人影があった。
「お父さんっ」
布巾を放り出して柚月は走った。
「うおおい、えらく楽しそうじゃねえか」
笑いながら巌は柚月を抱きとめる。巌の顔には無精髭が目立ち目の下には濃い隈ができていた。
「ちゃんと寝てる? ご飯は食べている?」
「お前は大丈夫そうだな。安心した」
「ちゃんと答えてよ」となじる柚月の髪を撫でて「おう」と巌は背後へ声をかける。公武も駆けつけてきていた。
「毎日こいつの連絡をありがとうな。助かる」
「当然のことです。乙部先生もお疲れ様です。──道庁はさぞ大変なんでしょうね」
「愚痴しか出ねえな。んで? なにやってんだ? ひょっとしてアレはお前のロボットか?」
笑顔で首を伸ばした巌の顔がすぐさま鬼の形相になる。
「──なんだありゃ。なんでこんなに柚月に似ているんだ? 聞いてねえぞ」
「あ、えっとその」
「お前はー、情報関係のプロの癖に肖像権を知らねえのかよ。お前の会社はどうなってんだっ」
「大変失礼しましたっ」と背後から声が飛ぶ。松前だ。
「お知らせが大変遅くなり申し訳ありません。私はこういうものです」
松前は巌へ名刺を差し出す。一瞥して巌も気だるそうにジャケットのポケットから名刺を取り出し松前へ差し出した。
「そうかよ。──あんたが阿寒を巻き込んだ松前さんかよ」
「乙部先生のお名前もうかがっております。お会いできて光栄です。お嬢様には弊社の阿寒が大変お世話になっております」
ふん、と巌は鼻を鳴らす。
その巌へ「よかったら召し上がってください。できたてです」と松前はウエットティッシュと『おにぎりん』のおにぎりを差し出した。
巌はそれを不機嫌そうに数秒眺め、「もらうわー」と手を伸ばした。
無表情であっという間に平らげる。「もうひとついかがですか?」と松前が差し出したおにぎりも間髪をいれず手に取り、数口で食べつくす。
「お父さん、喉につかえるから」とお茶を差し出した柚月を無視して、勝手に三つ目のおにぎりを松前から奪い取ると口へ入れていく。
最後に指についた米粒を舐めとり、これまた無言で柚月のお茶をヤケのようにあおった。
公武が真剣な顔つきで巌へ声を出した。
「──どうでしたか」
「うまかった」
パアッと公武の顔に笑みが広がる。
「前に食ったやつとは雲泥の差だった。こういう状況だから、なおさらうまく感じるのかもしれねえけどな。──がんばったな」
公武が口を閉じて肩で大きく息をした。それから鼻先を赤くして、「はい」と唇を震わせた。
すぐに「公武―、これどうすんだー」とワンボックス車から声がかかる。『おにぎりん』の前に長蛇の列ができていた。「うわ、失礼します」と巌へ断って、公武は声の方へと駆けていく。
その背中を見送って、「で?」と巌は松前へドスの効いた声を出した。
「こうしてせっかく会えたんだ。聞かせてもらおうじゃねえかよ。阿寒を研究の第一線から強引におろした理由をよお」
「そこまで先生に気を遣っていただけるとは。阿寒は幸せ者です」
松前は巌の威嚇に臆することなく冷ややかに告げる。
赤の他人のお前にそんな事情を語るいわれはない、そう含むような口振りだ。
実際、初対面でそんな個人的なことを語る方が非常識だ。巌は公武の親でも親戚でもないのだ。
だが、そこで引きさがる巌ではない。
「あいつをただ顎で使うだけの了見なら承知しねえ。あいつの心意気を殺したらただじゃおかねえ」
松前は面食らったような顔をして「逆です」と愛しそうな声を出した。
「阿寒がいなければ弊社は成り立たない」
「なんだと?」
「阿寒本人はただおにぎりロボットのプログラミングをさせられていると思っているかもしれません。本人にはスカウト時におにぎりプロジェクトへ参入して欲しいと伝えましたので。ですが、その基礎システムは多くの業界にまで転用できるほどの技術です。弊社の、いや、この国の宝にだってなりうる」
そんなに? と巌だけでなく柚月も目を見張る。
「阿寒が大学にとどまって研究を続けた場合、文科省や開発機構などの阿寒の技術価値を理解できない輩に、それこそ彼の才能を殺されるところでした。だから彼を弊社へ呼び入れたんです」
巌は眉間にしわをよせる。
「そういわれると聞こえはいいが、なんといってもあんたのところは営利団体だ。……文科省とは違うやり方であいつをつぶすんじゃねえのか?」
「そうならないよう、私どもも全力を尽くしています。阿寒に対してだけではない。全社員に対してです。それが弊社の企業理念です」
「サスティナブル、持続可能事業か。それを主体業務としていて、既存業界に頼らないテクニック形態を目指すんだったか? あんたの会社、敵が多そうだな」
「調べていただきまして恐縮です。この国で暮らす限り、自然災害はつきものです。大手企業ならなおさら備える必要があります」
松前たちの会社、サッポロ・サスティナブル・テクニクス。
「サスティナブルは最先端だ」を掲げて「災害およびその先の生活を豊かにする」が企業理念だ。今回ここへ集まった部署のほかにも風力発電開発チームに地熱発電チームもある。
各業界に精通したやり手が集結した、平均年齢四十代後半の札幌を拠点とする企業だ。
「業界荒らしではなく、得意形態の分離です。平常時は大手電力や大手ガス事業で設備運営を賄えばいい。二酸化炭素排出量うんぬんについても頭ごなしに対策遅れを非難する立場にはありません。できることから手を付けるがモットーです。ですが、こうして非常時もある。電力やガスラインが寸断されることもある。弊社はそのためにあります」
わはは、と巌は笑い声をあげた。
「いまはまさに稼ぎ時ってわけだ」
「やや準備不足の感は否めませんが」
「この巨大地震だ。そりゃまあしゃあねえだろうよ。とにかく、あんたの会社の意気込みはわかった」
んで? と巌は腕を組む。
「──なんだって握り飯が出てくるんだ? おにぎりロボットがあんたの会社業務とどう関係するんだ? 非常時の炊き出し事業を幅広くやりたいのか?」
松前は悪そうな笑みを浮かべる。
「目くらましの意味もありました」
あん? と巌が首をかしげる。
「阿寒の挙動は結構な数の業界から注視されていました。弊社にくると知られてから問い合わせがひっきりなしです。その期待を裏切る必要があった」
ここで、と松前は息を継ぐ。
「彼らが期待するような分野の商品を開発したら、弊社ではなく世間が阿寒を追い立て続けるでしょう。そうなったら研究を続けていたときとなんら変わらなくなる。遅かれ早かれ──あいつはつぶれる」
だからこそ、まったくの異業界分野、食品事業。ふうーん、と巌は低く長いうなり声を出した。「どうやらちゃんと、あいつのことを考えてくれているみたいだな」と首の後ろをかく。
それからおもむろに柚月へ振り返り、「ほらよ」と柚月の手のひらへ黒い箱をおいた。
「うちの工学研究院のヤツがまた持ってきた。使ってみな」
「これなに?」と柚月が声を出すより早く松前が身を乗り出した。
「コンパクト蓄電池ですか? 先生がわざわざ持っていらしたとなったら──」
「あんたの想像の十倍すげえやつっぽい。たぶん、これ一台でこの避難所の一日分の電力は軽く貯めておける。柚月、前に渡したソーラー充電器につなげて使えるっつってた。やってみな」
「え? これ?」とサコッシュから取り出したソーラー充電器にも松前は食いつくように眺める。それを見て巌はまた、わはは、と笑った。
「安心した。あんた、本当に技術屋なんだな。ただの経営者だったら信用ならねえって思ったんだが」
「私は専務ですから。もっとも、社長が技術者を蔑ろにするようでしたら謀反も辞さない覚悟でやっています」
「あんたがそんなだから阿寒は武士みたいなんだな」
よおし、と巌は両手を腰に当てる。
「さっきの工学研究院の知り合いな。簡易空調システムのプロトタイプもあるってよ。マイクログリッド用のやつらしい。あんたのところもマイクログリッドシステムのコンサルっぽいことをやっていただろう?」
マイクログリッド──大きな発電所から電気を受けるのではなく、ごくせまい地域内で電気を生み出し使うシステムだ。
「電力の供給はすぐには無理そうだからな。こういった体育館とグランドを拠点としてマイクログリッドするのも悪かねえよな。まずは体育館へ空調のプロトタイプを設置して室温湿度の制御をするのはどうだ? いくら北海道でも夏真っ盛りだからな。日中とか暑いだろう。ぎゅうぎゅう詰めの避難所なら、なおさら爺さん婆さんには堪えるしよ。だから」
ほれ、とジャケットから名刺を取り出す。
「興味があったらここへ顔を出してみてくれや。機動力のあるあんたのところと手を組めば、おもしれえもんができるんじゃねえか? 時間ができてからでいいからよ。俺からも連絡を入れておく」
松前は丁寧な仕草で名刺を受け取ると巌へ視線を戻した。
やや怪訝そうな眼差しが混じっている。それを見て巌は声を小さくした。
「あんたも気づいているだろうが、この災害、長丁場になる。本州からの応援が期待できないだけじゃない。──わかるだろ?」
ひょっとしたらさらなる大きな自然災害が起きる、そう示唆していた。松前も厳しい顔つきになる。
「公的機関は尻が重くて駄目だ。俺が毎日怒鳴り飛ばしたって『そこまでしなくても』とか抜かしやがる」
目の下に隈を作った巌がそういうのだ。臨機応変など望みようもない状況なのだろう。
「お上が動くのを待っていたら、どんなに工夫して備蓄で食いつないでいても下々の俺らは干上がっちまう。動けるところから動いてくれ。平常時だったら目をつけられるくらい先走ったことをやったとしても、幸いお上の尻は重すぎて構ってられねえから安心してくれ」
名刺に視線を落として、松前は口角をあげる。
「すてきなご縁をいただきました。ぜひともすぐに連絡させていただきます」
失礼します、と松前は断ると、衛星携帯電話を取り出し、本当にその場で名刺相手先へ連絡を入れはじめた。
「おいおい、俺はまだつなぎを入れてないぜ」と巌があわてて、「ちょい貸せや」と松前の通話口で「俺だよ俺」とオレオレ詐欺みたいな声を入れて先方へフォローをする。
そのとき公武の「乙部先生―っ」という声が聞こえた。息を切らして向かってくる。包みを手にしている。
「『おにぎりん』のおにぎりです。持っていってください。本当は柚月さんのおにぎりとのコラボがしたかったんですが、間に合わなくて」
途端に巌は「はあっ?」と声を裏返した。
「柚月とのおにぎりコラボ? それは真っ先にすべきことだろうが。どうしてやらないんだ。柚月のおにぎりを食わせろ。柚月のおにぎり欠乏症だぞゴラッ」
「お父さん、こんなときになにいってんのよ。恥ずかしいわよ」
「いえそれはぜひぜひ私もいただきたいです」と松前が目を輝かせ、「でしたら」と公武が柚月を見る。満面の笑みだ。
「柚月さん、どうか、お手合わせいただけますか?」
避難所でひと晩明かしたサッポロ・サスティナブル・テクニクスの一同とともに、朝ご飯のおにぎりの準備をしているときだった。
長机の準備をしていた柚月は自転車の音が聞こえた気がして顔をあげた。
グランドの入口に人影があった。
「お父さんっ」
布巾を放り出して柚月は走った。
「うおおい、えらく楽しそうじゃねえか」
笑いながら巌は柚月を抱きとめる。巌の顔には無精髭が目立ち目の下には濃い隈ができていた。
「ちゃんと寝てる? ご飯は食べている?」
「お前は大丈夫そうだな。安心した」
「ちゃんと答えてよ」となじる柚月の髪を撫でて「おう」と巌は背後へ声をかける。公武も駆けつけてきていた。
「毎日こいつの連絡をありがとうな。助かる」
「当然のことです。乙部先生もお疲れ様です。──道庁はさぞ大変なんでしょうね」
「愚痴しか出ねえな。んで? なにやってんだ? ひょっとしてアレはお前のロボットか?」
笑顔で首を伸ばした巌の顔がすぐさま鬼の形相になる。
「──なんだありゃ。なんでこんなに柚月に似ているんだ? 聞いてねえぞ」
「あ、えっとその」
「お前はー、情報関係のプロの癖に肖像権を知らねえのかよ。お前の会社はどうなってんだっ」
「大変失礼しましたっ」と背後から声が飛ぶ。松前だ。
「お知らせが大変遅くなり申し訳ありません。私はこういうものです」
松前は巌へ名刺を差し出す。一瞥して巌も気だるそうにジャケットのポケットから名刺を取り出し松前へ差し出した。
「そうかよ。──あんたが阿寒を巻き込んだ松前さんかよ」
「乙部先生のお名前もうかがっております。お会いできて光栄です。お嬢様には弊社の阿寒が大変お世話になっております」
ふん、と巌は鼻を鳴らす。
その巌へ「よかったら召し上がってください。できたてです」と松前はウエットティッシュと『おにぎりん』のおにぎりを差し出した。
巌はそれを不機嫌そうに数秒眺め、「もらうわー」と手を伸ばした。
無表情であっという間に平らげる。「もうひとついかがですか?」と松前が差し出したおにぎりも間髪をいれず手に取り、数口で食べつくす。
「お父さん、喉につかえるから」とお茶を差し出した柚月を無視して、勝手に三つ目のおにぎりを松前から奪い取ると口へ入れていく。
最後に指についた米粒を舐めとり、これまた無言で柚月のお茶をヤケのようにあおった。
公武が真剣な顔つきで巌へ声を出した。
「──どうでしたか」
「うまかった」
パアッと公武の顔に笑みが広がる。
「前に食ったやつとは雲泥の差だった。こういう状況だから、なおさらうまく感じるのかもしれねえけどな。──がんばったな」
公武が口を閉じて肩で大きく息をした。それから鼻先を赤くして、「はい」と唇を震わせた。
すぐに「公武―、これどうすんだー」とワンボックス車から声がかかる。『おにぎりん』の前に長蛇の列ができていた。「うわ、失礼します」と巌へ断って、公武は声の方へと駆けていく。
その背中を見送って、「で?」と巌は松前へドスの効いた声を出した。
「こうしてせっかく会えたんだ。聞かせてもらおうじゃねえかよ。阿寒を研究の第一線から強引におろした理由をよお」
「そこまで先生に気を遣っていただけるとは。阿寒は幸せ者です」
松前は巌の威嚇に臆することなく冷ややかに告げる。
赤の他人のお前にそんな事情を語るいわれはない、そう含むような口振りだ。
実際、初対面でそんな個人的なことを語る方が非常識だ。巌は公武の親でも親戚でもないのだ。
だが、そこで引きさがる巌ではない。
「あいつをただ顎で使うだけの了見なら承知しねえ。あいつの心意気を殺したらただじゃおかねえ」
松前は面食らったような顔をして「逆です」と愛しそうな声を出した。
「阿寒がいなければ弊社は成り立たない」
「なんだと?」
「阿寒本人はただおにぎりロボットのプログラミングをさせられていると思っているかもしれません。本人にはスカウト時におにぎりプロジェクトへ参入して欲しいと伝えましたので。ですが、その基礎システムは多くの業界にまで転用できるほどの技術です。弊社の、いや、この国の宝にだってなりうる」
そんなに? と巌だけでなく柚月も目を見張る。
「阿寒が大学にとどまって研究を続けた場合、文科省や開発機構などの阿寒の技術価値を理解できない輩に、それこそ彼の才能を殺されるところでした。だから彼を弊社へ呼び入れたんです」
巌は眉間にしわをよせる。
「そういわれると聞こえはいいが、なんといってもあんたのところは営利団体だ。……文科省とは違うやり方であいつをつぶすんじゃねえのか?」
「そうならないよう、私どもも全力を尽くしています。阿寒に対してだけではない。全社員に対してです。それが弊社の企業理念です」
「サスティナブル、持続可能事業か。それを主体業務としていて、既存業界に頼らないテクニック形態を目指すんだったか? あんたの会社、敵が多そうだな」
「調べていただきまして恐縮です。この国で暮らす限り、自然災害はつきものです。大手企業ならなおさら備える必要があります」
松前たちの会社、サッポロ・サスティナブル・テクニクス。
「サスティナブルは最先端だ」を掲げて「災害およびその先の生活を豊かにする」が企業理念だ。今回ここへ集まった部署のほかにも風力発電開発チームに地熱発電チームもある。
各業界に精通したやり手が集結した、平均年齢四十代後半の札幌を拠点とする企業だ。
「業界荒らしではなく、得意形態の分離です。平常時は大手電力や大手ガス事業で設備運営を賄えばいい。二酸化炭素排出量うんぬんについても頭ごなしに対策遅れを非難する立場にはありません。できることから手を付けるがモットーです。ですが、こうして非常時もある。電力やガスラインが寸断されることもある。弊社はそのためにあります」
わはは、と巌は笑い声をあげた。
「いまはまさに稼ぎ時ってわけだ」
「やや準備不足の感は否めませんが」
「この巨大地震だ。そりゃまあしゃあねえだろうよ。とにかく、あんたの会社の意気込みはわかった」
んで? と巌は腕を組む。
「──なんだって握り飯が出てくるんだ? おにぎりロボットがあんたの会社業務とどう関係するんだ? 非常時の炊き出し事業を幅広くやりたいのか?」
松前は悪そうな笑みを浮かべる。
「目くらましの意味もありました」
あん? と巌が首をかしげる。
「阿寒の挙動は結構な数の業界から注視されていました。弊社にくると知られてから問い合わせがひっきりなしです。その期待を裏切る必要があった」
ここで、と松前は息を継ぐ。
「彼らが期待するような分野の商品を開発したら、弊社ではなく世間が阿寒を追い立て続けるでしょう。そうなったら研究を続けていたときとなんら変わらなくなる。遅かれ早かれ──あいつはつぶれる」
だからこそ、まったくの異業界分野、食品事業。ふうーん、と巌は低く長いうなり声を出した。「どうやらちゃんと、あいつのことを考えてくれているみたいだな」と首の後ろをかく。
それからおもむろに柚月へ振り返り、「ほらよ」と柚月の手のひらへ黒い箱をおいた。
「うちの工学研究院のヤツがまた持ってきた。使ってみな」
「これなに?」と柚月が声を出すより早く松前が身を乗り出した。
「コンパクト蓄電池ですか? 先生がわざわざ持っていらしたとなったら──」
「あんたの想像の十倍すげえやつっぽい。たぶん、これ一台でこの避難所の一日分の電力は軽く貯めておける。柚月、前に渡したソーラー充電器につなげて使えるっつってた。やってみな」
「え? これ?」とサコッシュから取り出したソーラー充電器にも松前は食いつくように眺める。それを見て巌はまた、わはは、と笑った。
「安心した。あんた、本当に技術屋なんだな。ただの経営者だったら信用ならねえって思ったんだが」
「私は専務ですから。もっとも、社長が技術者を蔑ろにするようでしたら謀反も辞さない覚悟でやっています」
「あんたがそんなだから阿寒は武士みたいなんだな」
よおし、と巌は両手を腰に当てる。
「さっきの工学研究院の知り合いな。簡易空調システムのプロトタイプもあるってよ。マイクログリッド用のやつらしい。あんたのところもマイクログリッドシステムのコンサルっぽいことをやっていただろう?」
マイクログリッド──大きな発電所から電気を受けるのではなく、ごくせまい地域内で電気を生み出し使うシステムだ。
「電力の供給はすぐには無理そうだからな。こういった体育館とグランドを拠点としてマイクログリッドするのも悪かねえよな。まずは体育館へ空調のプロトタイプを設置して室温湿度の制御をするのはどうだ? いくら北海道でも夏真っ盛りだからな。日中とか暑いだろう。ぎゅうぎゅう詰めの避難所なら、なおさら爺さん婆さんには堪えるしよ。だから」
ほれ、とジャケットから名刺を取り出す。
「興味があったらここへ顔を出してみてくれや。機動力のあるあんたのところと手を組めば、おもしれえもんができるんじゃねえか? 時間ができてからでいいからよ。俺からも連絡を入れておく」
松前は丁寧な仕草で名刺を受け取ると巌へ視線を戻した。
やや怪訝そうな眼差しが混じっている。それを見て巌は声を小さくした。
「あんたも気づいているだろうが、この災害、長丁場になる。本州からの応援が期待できないだけじゃない。──わかるだろ?」
ひょっとしたらさらなる大きな自然災害が起きる、そう示唆していた。松前も厳しい顔つきになる。
「公的機関は尻が重くて駄目だ。俺が毎日怒鳴り飛ばしたって『そこまでしなくても』とか抜かしやがる」
目の下に隈を作った巌がそういうのだ。臨機応変など望みようもない状況なのだろう。
「お上が動くのを待っていたら、どんなに工夫して備蓄で食いつないでいても下々の俺らは干上がっちまう。動けるところから動いてくれ。平常時だったら目をつけられるくらい先走ったことをやったとしても、幸いお上の尻は重すぎて構ってられねえから安心してくれ」
名刺に視線を落として、松前は口角をあげる。
「すてきなご縁をいただきました。ぜひともすぐに連絡させていただきます」
失礼します、と松前は断ると、衛星携帯電話を取り出し、本当にその場で名刺相手先へ連絡を入れはじめた。
「おいおい、俺はまだつなぎを入れてないぜ」と巌があわてて、「ちょい貸せや」と松前の通話口で「俺だよ俺」とオレオレ詐欺みたいな声を入れて先方へフォローをする。
そのとき公武の「乙部先生―っ」という声が聞こえた。息を切らして向かってくる。包みを手にしている。
「『おにぎりん』のおにぎりです。持っていってください。本当は柚月さんのおにぎりとのコラボがしたかったんですが、間に合わなくて」
途端に巌は「はあっ?」と声を裏返した。
「柚月とのおにぎりコラボ? それは真っ先にすべきことだろうが。どうしてやらないんだ。柚月のおにぎりを食わせろ。柚月のおにぎり欠乏症だぞゴラッ」
「お父さん、こんなときになにいってんのよ。恥ずかしいわよ」
「いえそれはぜひぜひ私もいただきたいです」と松前が目を輝かせ、「でしたら」と公武が柚月を見る。満面の笑みだ。
「柚月さん、どうか、お手合わせいただけますか?」