「そう思われますか?」

 声をかけてきたのは専務の松前だった。

「私たちも乙部さんにお会いして驚きました。『おにぎりん』と大変イメージが合います」
「だから社員のみなさんはわたしを見て『似ている』とおっしゃったんですか?」

 柚月が驚いた声を出すと、「そりゃそうです」と公武の声がした。やりとりを聞きつけたらしい。誇らしげな顔つきだ。

「デザイナーさんからどんなデザインがいいかと最終リクエストを受けたとき、これは師匠である柚月さんをモデルにすべきだと思って、雰囲気とか髪型とか表情とかを伝えました」

 公武と柚月を見比べて松前は眉をよせる。

「まさかとは思うが、ちゃんとご本人の了承を得たんだろうな」

 あ、と公武の動きが止まる。あらためて柚月へ視線を向けて、そのこわばった顔を見て、ようやく事態の深刻さに気づいたようだ。

「──忘れていました。す、すみません、柚月さん」
「お前なあ」と松前は額に手を当てる。
「世の中には肖像権というのがあってだな。謝ってすむ問題じゃないぞ。我々も事前確認を怠ったのは認める。デザイナーのアイデアだといい張ることも可能だ。だがここまで似るとなると──」

 松前の言葉の途中で背後から怒鳴り声が飛んだ。

「ばかやろう公武、手を止めるなっ。やり直しだろうがっ」
「うわ、すみません柚月さん。本当に申し訳ありませんっ」

 深々と公武は柚月へ頭をさげるとワンボックス車へ駆け戻っていった。「まったく」としかめっ面をして、松前が続いて柚月へ「すみません」と頭をさげる。

「この炊き出しが成功した場合、あなたによく似た印象の『おにぎりん』が、少なくともこの避難所のみなさんへ認知されてしまいます。できるだけの修正は加えますが、この災害下です。どこまでできるかは──」

 あ、う、と柚月も戸惑う。だからといって公武の失敗を願うわけにはいかない。
 公武がどれほど骨身を削って『おにぎりん』を作りあげてきたか。知り合ってひと月と少しだけれども、よくわかっているつもりだ。

 公武さんは本当に寝ても覚めても『おにぎりん』のことばかりを考えていた。
 その公武さんにわたしができることは。

 柚月は「いいえ」と松前へ顔をあげた。きゅっと口角をあげる。

「モデルにしていただいて光栄です」

 松前は目を見張り、それから気持ちよさそうに笑った。

「さすが、公武が師匠と呼ぶはずです。ありがとうございます」

 わあっ、とひときわ大きな歓声があがって柚月と松前は顔を向けた。

『おにぎりん』が動いていた。

 伏し目がちな眼差しで、動作確認するように指先を動かしている。ピアニストが鍵盤へ向かう前にする動きのようだ。それだけでもう子どもたちは大喜びだ。

 さらに『おにぎりん』の隣に炊きあがった米が現れた。遠目でもツヤツヤに炊きあがっているのがわかる。いかにも熱そうなその白米を、『おにぎりん』は塩をつけた手に取っていく。

 それまで白米でなにをするのかわからなかった子どもたちが我先に声をあげた。

「おにぎりーっ」、「『おにぎりん』すげえ」、「熱くないのー?」と大興奮だ。

 あっという間に『おにぎりん』は数十個のおにぎりを握ってキレイに大皿へ並べていった。大振りのおにぎりだ。ほうっ、と大人たちのため息が聞こえる。
 営業が前へ出て「はーい、みなさーん」と声をかけた。

「お待たせしました。『おにぎりん』の握りたておにぎりです。おにぎりを食べて、みなさん、元気を出していきましょうっ。さあ順番にどうぞー」

 声がかかると、わあ、と大人も子どもも列をなした。
「うわ、うま」、「ふわふわ、おいしー」、「え? びっくり。コンビニのおにぎりとぜんぜん違う」、「お母さん、おいしーよー」と誰もが目を輝かせる。その間も『おにぎりん』はおにぎりを握っていく。どんどん列が動いていって、すぐに柚月の番がきた。

 公武が前へ出て柚月へ「どうぞ」とうながした。

「なんだか緊張します」
「僕もです」

 柚月はそっとおにぎりに口をつけた。目を見張る。

「おいしい」
「本当ですか?」
「いままで公武さんにいただいたどのおにぎりよりはるかにおいしいです」

 ふわふわの食感で塩加減もちょうどよくて、食べているとしみじみとして、と数えあげると、公武が口を結んだ。唇を震わせている。鼻先も心なしか赤くなっていく。

「ど、どうかしましたか」

 いえ、と公武はあわてて視線をそらした。鼻をすすって目をしばたたかせてから、柚月へ大きな笑みを浮かべる。

「嬉しくて。やっと──やっと柚月さんにそういってもらえました」
「わたし、そんなに厳しいコメントばっかりでしたか?」
「ありがたかったです」

 ははは、と松前の笑い声が聞こえた。

「鬼師匠のお墨付きがもらえたってわけだな。よかったな、公武。よおし、お前も食え」

 松前にうながされて公武もおにぎりを手に取る。頬張った公武の頬に笑みが広がる。

「──うまい」
「自画自賛かよ」
「いやこれ、本当にうまいべ。ホッとするしさ」

 沼田の声に小清水やまわりの避難者も笑顔でうなずいた。
「もう一個食べたくなる」、「そうだね。元気が出てくる」、「わかるー」と口々にいわれて公武の目元が赤くなる。「まだありますから是非どうぞ」と営業が声をかけると「じゃあ食べちゃう?」、「食べちゃおう」と明るい声がグランドに響いた。

 楽しそうな笑い声を聞きながら公武が「柚月さん」と消え入りそうな声を出した。

「僕のおにぎりは、やっぱりまだ、柚月さんのおにぎりには到底およばないって思います」

 ですが、と息を継ぐ。

「こうしてみなさんに喜んでいただけた。──一度にたくさんの人に届ける必要がある、今回みたいなときには有効だってわかりました。僕のやっていたことは、無駄じゃなかった。そう思えました」

 公武はそっと繰り返す。無駄じゃ、なかった。「柚月さん」と公武はしっかりと柚月へ顔を向ける。

「それもずっと『おにぎりん』に付き合っていただいた柚月さんのおかげです。柚月さんがいなかったら、こうしてみなさんに喜んでいただけることもなかった。本当にありがとうございました」

 胸が苦しくなる。この人は、いつだってこんなふうに謙虚で、いつもわたしにお礼をいってばかりだ。
 だけど──。

「違います。わたしのおかげなんかじゃありません」
「え」
「公武さんがあきらめなかったからです。なんどもなんどもおにぎりを作って、うまくできなくてもがんばって。わたしはそれを見てきました。公武さんががんばっていたのを知っています。これは、公武さんががんばった成果です。すごいです」

 公武が呆けたような顔になる。その公武へ満面の笑みを向ける。

「公武さん──よかったですね」

 肩で大きく息を吸って公武はくしゃりと顔を崩す。そして答える。

「はい」

   *

 久しぶりに巌がやってきたのは、その翌朝だった。