こでまり保育園への通勤は、最寄りの桜舞駅から電車で二駅先の金白駅で降りて、そこから歩いて徒歩五分。


 通勤時間はだいたい四十分くらいだ。


 家から自転車で行けなくもない距離なのだけど、雨が降ると厄介だし、悠と待ち合わせして通勤するとたくさん話すことができるので、わたしは電車通勤をしている。


 今日も通勤中、電車でとなりに座ってふたりで話をしている。


 「悠、今週は週安書いた?それにもうすぐ誕生日会だったよね。出し物どうする?」


 「げっ、週安なんも書いてない。誕生日会…、どうしよっか」


 痛いところを突かれて苦い顔をする悠。


 「あ、今日の晴のシュシュ可愛い」と、すぐに話題を変えてきたので、彼が現実逃避をしようとしていることをわたしはすぐに見抜く。


 逃がすわけがない。


 「ただ忘れてただけでしょ」と、わたしがちくりと刺すように言うと、「ごめんよぉ」と素直に悠が謝る。


 「悠ってさ。なんでも手書きじゃん。そろそろパソコンで資料作るやり方を覚えたほうがいいよ。きっと作業も今より早くなるし」


 「えー。俺は人間味がある手書きが好きなんだよ」


 そう言った悠だが、何か思い出した様子で「あ、でも。そうだった。ごめん、晴ぅ。悪いんだけどやっぱりパソコン教えて」と頼んできた。


 パソコンが大の苦手な悠が、自分から教えてほしいだなんて珍しい。


 「わかった。今度、悠んちにノートパソコン持ってくからそれで教えるね」


 「ありがとー。めっちゃ嬉しい、映画でも借りとくよ。この前、晴が好きそうな恋愛映画をレンタルビデオ屋で見つけたんだ」


 わたしが家に行くと言った途端、うきうき気分で浮かれる悠に「目的はパソコンの資料作りだからね」と釘を刺す。


 「うー、でも晴がうちに来てくれるの嬉しいもーん」と、悠は口を尖らした。


 「ついでに、ご飯も作ってあげようかな」


 「やったー!晴の手料理が食べられるー」


 はぁ、また浮かれ出した。


 悠はひとり暮らしして、もうすぐ三年が経とうとしているのに料理が苦手で覚えようとしない。普段もよくカップ麺で食事を済ませている。


 そんな彼の食生活が心配でわたしはご飯を作りに通ったり、うちの残ったおかずをタッパーに詰めてよく差し入れするのだ。


 最近は忙しくて悠の家に行けてないから、どうせ部屋も散らかっているはず、まずは片付けからだな。


 そう考えていると、電車が止まってドアから乗車する人たちが入ってきた。


 すると悠の目がぱっと開く。


 「あ、俺ちょっと席譲るわ」と、言って悠が急に立ち上がる。


 「お母さんお母さん。この席使ってください」


 さっき乗車した赤ちゃんを抱っこ紐い入れている母親に、悠は声をかけた。


 「あ、すぐ降りるから大丈夫ですよ」


 「でも、僕は次の駅で降りるんで使ってください。電車揺れるから危ないし、赤ちゃん抱っこしてると重くて腰も痛くなりますよね」


 「それなら、お言葉に甘えて」


 母親はそう言って、悠が座っていた席にゆっくり腰を下ろす。


 「これから、この子の検診で病院に行くんだけど、実は腰痛で困っていたの。本当にありがとう」


 「いえいえ、どういたしまして。困ったときはお互い様ですよ」と、悠はにっこり笑う。


 悠は困ってる人を見つけると、すぐに声をかけるような人だ。


 一緒に電車に乗ってるときも、妊婦さん、子連れ、老人を見かけるとすぐに席を譲る。


 悠は不器用で要領の悪いところもあるけど、人にあたたかい優しさを素直に向けられる。わたしは彼のそんなところを尊敬している。


 そういえば以前、悠がまだ保育実習生の頃におじいさんの道案内をして遅刻してきたことがあった。


 その日は保育園の芋掘り遠足だったので、当然遅刻なんて許されない。


 あのときの悠の焦った顔、面白かったなぁ。あれは実に悠らしい出来事だった。


 「もしかして彼女さん?」


 となりの席でわたしと悠が話しているのを見た母親が訊ねてきた。


 「一応そうです」


 少し照れながら、わたしは答えた。


 吊り革に捕まっている悠がにやにやしている。


 わたしが彼女です、と自己紹介したのが嬉しいのだろう、単純なやつだ。


 「こんな気遣いできる彼は逃がさないようにしなきゃね、ふふふ」と、母親が微笑む。


 「えー、でも変に頑固だし、遅刻するし、この前なんて忘れ物ばっかの彼にうんざりしてケンカしてしまったんですよ」


 「ふふふ、男なんてそんなものよ。でもね。大事なのは、あなたを誠実に愛して大切にしてくれる人かどうかなのよ。彼はそれができる人だと思うの」と、母親は小さい声で言った。


 「貴重なアドバイスありがとうございます」と、わたしも小声で応える。


 「何こそこそ話してんだよー」


 「女同士の話ー」と、わたしは悠をあしらった。


 金白駅に着いたので、わたしたちは母親に「お気をつけて」と会釈して電車を降りる。


 見ると窓から手を振ってくれていて、わたしたちも手を振って返す。


 ふいに悠を逃げられなくしてしまってるのはわたしで、本当は、悠はわたしなんかと付き合っていないほうが幸せなんじゃないだろうか。


 そんな考えが頭をよぎってしまい、ずきずき痛む胸に手をあてて、わたしはうつむいた。


 「どうした晴?なんか顔色悪くない?」


 そんなわたしにすぐ気づいて、悠が心配そうな顔をして覗き込んでくる。


 普段は能天気で鈍感なくせに、悠はこういうときにはすぐ気づく。


 「大丈夫、ちょっと疲れてるだけ。わたしなんかの心配しなくていいよ」


 とりあえず、そう言って適当に誤魔化した。