毎日理絵ちゃんと一緒に下校しているので、授業が終わると彼女の教室に向かうのが放課後の日課だ。
私のクラスの担任教師は、ホームルームを終わらせるのが学年一早い。
彼女のクラスのホームルームが終わり、ドアが開いて蜘蛛の子を散らすように人が飛び出してくる。
出てくる人をある程度廊下でやり過ごしてから、教室をのぞいた。
理絵ちゃんは、クラスの男子と話をしていた。
彼と彼女の会話が終わるのをしばらく廊下で待っていたが、一向に終わらない。
談笑している二人の声が遠い。
しびれを切らして教室に踏み込む。
「理絵ちゃん、帰ろう」
彼女に声をかけると二人がこちらに顔を向け、驚くことに二人ともが笑顔で私を迎えてくれた。
知らない男子に笑いかけられ、緊張する。
その男子をまじまじと見ると、最近理絵ちゃんがホームルームの後、よく話をしている男子だと気づく。
「待ってて。
準備してくる」
彼女は遠めの自席に戻り、私とその男子がその場に残される。
「はじめまして。
葉山といいます」
葉山君は急に自己紹介をしてきた。
世界で一番嫌いな時間が訪れる。
「雨宮です」
警戒しながら短く応えた。
自己紹介をするときはいつも伏し目がちになる。
名前を伝えたときの相手の反応が怖いのだ。
葉山君は「よろしくね」と笑顔で言って、それきりだった。
拍子抜けする。
「知ってる。雨宮さん、『ぽちゃかよ』の呼び名で有名だもんね」くらいは言われるかと覚悟していたが杞憂だった。
望月さんのような希望の光が学校内にも存在していたなんて!
思わぬところでとんでもないお宝を発見し、俄然彼に興味を持った。
葉山君には失礼な話だが、苦手なイケメンではないことも私の中で好感度が高かった。
イケメンではなく、「ぽちゃかよ」とからかわない男子の前では自然体で振る舞える。
彼のことがもう少し知りたくなった。
「葉山君って、下の名前は何て言うの?」
「ひらがなで『みちる』」
「そうなんだ。
柔らかくていい名前」
人の名前はなるべく褒めるようにしている。
自分の名前が褒められる機会がないこともその理由だが、勘づいてしまう。
今回の葉山君で言えば、その名前を、女の子の名前みたいだと長年からかわれてきただろうことに。
これは私にしかできない、空気、いや、名前の読み方かもしれない。
傷ついている人は、同じように傷ついている他人をすぐに嗅ぎ当ててしまう。
「ありがとう。
名前を褒めてもらうってほとんどないから、嬉しいもんだね」
葉山君の明るい声は、私の勘が正しかったことを証明する。
そして同時に、褒め言葉を素直に受け取れる彼が少しうらやましい。
「お待たせ。
じゃあ葉山君、また明日」
「松本さんも、雨宮さんも、また明日ね」
彼が私たちに軽く手を振る。
私は驚きながらも会釈をして、理絵ちゃんの後に続いて教室を出た。
「理絵ちゃん、葉山君と仲いいね。
最近よく話してるでしょ」
山本さんのことが気になっていた。
「やだなぁ、山本さんのことなら大丈夫よ」
彼女から思考を読まれたかのような返事が返ってくる。
理絵ちゃんには、私の単細胞な頭の中なんて何でもお見通しなのかもしれない。
「葉山君はむしろ、香世ちゃんのことが気になっていると思う」
「まさか」
それはない。
いくら理絵ちゃんでも嘘は見逃せない。
私と彼は今日初対面だったのに、なぜ理絵ちゃんはそんなことに気づけるのか。
「香世ちゃんのことを聞かれたことがあるの。
それに去年、香世ちゃんと同じ文化祭実行委員だったって言ってたよ」
彼女が私の思考をすべて読んでいるかのように言葉を続ける。
本当にエスパーなのかもしれない。
もしかして私たち、口に出さなくても頭の中だけで会話できたりするんだろうか。
そう言うと、理絵ちゃんから「香世ちゃんが感情を顔に出しすぎるからよ」と呆れられた。
「葉山君のこと、全然覚えてない。
あんな人、実行委員にいたかな」
上履きをスニーカーに履き替えながら、当時の記憶を絞り出してみたけれど、実行委員の面影は葉山君の顔に誰ひとり重ならなかった。
葉山君を思い出せない私をあざ笑うかのように、昇降口で生ぬるい風に包まれる。
校舎から一歩踏み出すと、日差しが突き刺さってくるかのように照りつけてきた。
「私の何に興味を持っているのかな」
本心の疑問が、ぽろりと口からこぼれる。
「さあね。恋なんて理屈じゃないから。
自分がどんな状況にあっても、好きになるときはなるし、ならないときはならない。
当の本人にも分からないことだらけよ」
理絵ちゃんが独り言のように答えた。
異性から好意を寄せられる経験は、私の人生に無かった。
もちろん、葉山君が私のことを好きだという確証もない。
はたから見たらとんだお門違いで踊っているだけかもしれない。
ただ、少なくとも家族以外で一番信頼している理絵ちゃんの言うことは、私にとってこの世の真理だ。
それに彼は、望月さんに次ぐ、この場所で見つかった大切な希望の光だった。
もっと彼のことを知りたかった。
次の日、思い切って葉山君に連絡先を聞いてみた。
彼は、ものすごく嬉しそうに教えてくれた。
彼のまとっている空気から伝わるほんのりとした好意が、呼吸を楽にさせてくれる気がする。
学校で出会った男子の前で自然に振る舞えたのは、葉山君が初めてだった。
私のクラスの担任教師は、ホームルームを終わらせるのが学年一早い。
彼女のクラスのホームルームが終わり、ドアが開いて蜘蛛の子を散らすように人が飛び出してくる。
出てくる人をある程度廊下でやり過ごしてから、教室をのぞいた。
理絵ちゃんは、クラスの男子と話をしていた。
彼と彼女の会話が終わるのをしばらく廊下で待っていたが、一向に終わらない。
談笑している二人の声が遠い。
しびれを切らして教室に踏み込む。
「理絵ちゃん、帰ろう」
彼女に声をかけると二人がこちらに顔を向け、驚くことに二人ともが笑顔で私を迎えてくれた。
知らない男子に笑いかけられ、緊張する。
その男子をまじまじと見ると、最近理絵ちゃんがホームルームの後、よく話をしている男子だと気づく。
「待ってて。
準備してくる」
彼女は遠めの自席に戻り、私とその男子がその場に残される。
「はじめまして。
葉山といいます」
葉山君は急に自己紹介をしてきた。
世界で一番嫌いな時間が訪れる。
「雨宮です」
警戒しながら短く応えた。
自己紹介をするときはいつも伏し目がちになる。
名前を伝えたときの相手の反応が怖いのだ。
葉山君は「よろしくね」と笑顔で言って、それきりだった。
拍子抜けする。
「知ってる。雨宮さん、『ぽちゃかよ』の呼び名で有名だもんね」くらいは言われるかと覚悟していたが杞憂だった。
望月さんのような希望の光が学校内にも存在していたなんて!
思わぬところでとんでもないお宝を発見し、俄然彼に興味を持った。
葉山君には失礼な話だが、苦手なイケメンではないことも私の中で好感度が高かった。
イケメンではなく、「ぽちゃかよ」とからかわない男子の前では自然体で振る舞える。
彼のことがもう少し知りたくなった。
「葉山君って、下の名前は何て言うの?」
「ひらがなで『みちる』」
「そうなんだ。
柔らかくていい名前」
人の名前はなるべく褒めるようにしている。
自分の名前が褒められる機会がないこともその理由だが、勘づいてしまう。
今回の葉山君で言えば、その名前を、女の子の名前みたいだと長年からかわれてきただろうことに。
これは私にしかできない、空気、いや、名前の読み方かもしれない。
傷ついている人は、同じように傷ついている他人をすぐに嗅ぎ当ててしまう。
「ありがとう。
名前を褒めてもらうってほとんどないから、嬉しいもんだね」
葉山君の明るい声は、私の勘が正しかったことを証明する。
そして同時に、褒め言葉を素直に受け取れる彼が少しうらやましい。
「お待たせ。
じゃあ葉山君、また明日」
「松本さんも、雨宮さんも、また明日ね」
彼が私たちに軽く手を振る。
私は驚きながらも会釈をして、理絵ちゃんの後に続いて教室を出た。
「理絵ちゃん、葉山君と仲いいね。
最近よく話してるでしょ」
山本さんのことが気になっていた。
「やだなぁ、山本さんのことなら大丈夫よ」
彼女から思考を読まれたかのような返事が返ってくる。
理絵ちゃんには、私の単細胞な頭の中なんて何でもお見通しなのかもしれない。
「葉山君はむしろ、香世ちゃんのことが気になっていると思う」
「まさか」
それはない。
いくら理絵ちゃんでも嘘は見逃せない。
私と彼は今日初対面だったのに、なぜ理絵ちゃんはそんなことに気づけるのか。
「香世ちゃんのことを聞かれたことがあるの。
それに去年、香世ちゃんと同じ文化祭実行委員だったって言ってたよ」
彼女が私の思考をすべて読んでいるかのように言葉を続ける。
本当にエスパーなのかもしれない。
もしかして私たち、口に出さなくても頭の中だけで会話できたりするんだろうか。
そう言うと、理絵ちゃんから「香世ちゃんが感情を顔に出しすぎるからよ」と呆れられた。
「葉山君のこと、全然覚えてない。
あんな人、実行委員にいたかな」
上履きをスニーカーに履き替えながら、当時の記憶を絞り出してみたけれど、実行委員の面影は葉山君の顔に誰ひとり重ならなかった。
葉山君を思い出せない私をあざ笑うかのように、昇降口で生ぬるい風に包まれる。
校舎から一歩踏み出すと、日差しが突き刺さってくるかのように照りつけてきた。
「私の何に興味を持っているのかな」
本心の疑問が、ぽろりと口からこぼれる。
「さあね。恋なんて理屈じゃないから。
自分がどんな状況にあっても、好きになるときはなるし、ならないときはならない。
当の本人にも分からないことだらけよ」
理絵ちゃんが独り言のように答えた。
異性から好意を寄せられる経験は、私の人生に無かった。
もちろん、葉山君が私のことを好きだという確証もない。
はたから見たらとんだお門違いで踊っているだけかもしれない。
ただ、少なくとも家族以外で一番信頼している理絵ちゃんの言うことは、私にとってこの世の真理だ。
それに彼は、望月さんに次ぐ、この場所で見つかった大切な希望の光だった。
もっと彼のことを知りたかった。
次の日、思い切って葉山君に連絡先を聞いてみた。
彼は、ものすごく嬉しそうに教えてくれた。
彼のまとっている空気から伝わるほんのりとした好意が、呼吸を楽にさせてくれる気がする。
学校で出会った男子の前で自然に振る舞えたのは、葉山君が初めてだった。