そうして、海斗と雷華は朝食を共にし、翠の自宅に向けて出発した。

 雷華の話によると、海斗の家の最寄り駅から二つ離れた駅で降り、十分ほど歩いたところに翠の家はあるらしい。

「あの子、家に帰るまでに四回も躓いたのよ? もう心配で、何度も声をかけそうになったわ。いつもあんな感じなのかしら?」

 乗客もまばらな各駅停車の中、雷華が言う。
 向かいの窓ガラスに映る、並んで座る自分たちの姿を見つめながら、海斗は耳を傾ける。

「『絵しか取り柄がない』なんて、絶対そんなことないと思うの。きっと本人が気付いていない長所が他にもあるはずよ。それを見つけてあげるのが友だちの役目だと、そう思わない?」

 雷華が一方的に話しているのを聞く分には、否定の呪いは発動しない。
 だから、雷華が調子良く話している間は、極力返事をせず聞くことに徹しようと海斗は思った。

 それに……
 出会ったばかりの頃に比べ、遠慮なしに喋るようなった彼女の変化が嬉しくて。
 他の男子は知らないであろう、この可愛らしい喋り声を、もっと聞いていたいという思いもあった。

 だが、

「……ちょっと。さっきから黙り込んでるけど、ちゃんと聞いてるの?」

 隣から顔を覗き込むようにして、雷華が文句を言ってきた。

 長いまつ毛の一本一本まで見えそうな近さ。
 至近距離で見ると、ますます可愛い。
 しかも、言いようのない甘い香りまで漂ってくるので……海斗はドキッとして仰け反る。

「……俺が何か言ったら、鮫島は否定でしか返せなくなるだろ?」
「そんなことない」
「ほら、言わんこっちゃない」
「そんなことないってば!」

 むっと口を尖らせる雷華。
 すぐ目の前にある血色の良い唇に嫌でも視線が奪われ、海斗は咄嗟に目を逸らす。

「……確かに、相槌も打たなかったのは悪かった。俺も八千草のことは心配だ。本当に絵が好きで、それを仕事にしたいというのなら素晴らしいことだと思う。だが、他に取り柄がないからと消去法のような考えで他のことを諦めているなら、それはもったいないな、とも思う」

 翠がどうしてそう考えるようになったのか、そうなるに至った理由があるのだろうが……
 そこに触れられる程、心を開いてもらえるかはわからない。
 だけど、

「こっちから働きかけなきゃ、きっと八千草は閉じこもったままだよな。これも何かの縁だ。鮫島が八千草と本気で友だちになりたいのなら、俺も協力するよ。鮫島の友だち二号としてな」

 もちろん、一号は未空だ。
 こう言えば、「さすがに二人以上は友だちいるわよ!」とか、「別にそこまで友だちになりたいわけじゃないし!」といったわかりやすい否定が返ってくるだろうと海斗は踏んでいた。
 が、実際に返ってきた否定は、

「……え。別にあんたのことは、友だちだと思っていないけど」

 ……という、悲しいくらいに淡々としたものだった。

 あ、そこを否定するんだ?

 と、海斗は猛烈な虚しさに襲われる。
 雷華には『イエスマンの呪い』を解いてもらった恩もあるし、こうして頼ってもらえる間柄になったので、少なくとも友だち判定はもらえていると思っていたのだが……とんだ思い上がりだったようだ。

 そもそも他人の心配ができる程、自分に友だちがいるわけではないことを思い出し、海斗は静かに落ち込む。
 すると、雷華が続けて、

「だって…………男の子との友情なんて、成立するとは思えないし」

 そう、独り言のように呟いた。
 思わず雷華の方を見るが、逃げるように顔を背けられる。

 男女間の友情の是非については世論でも度々議論されるところではあるが、彼女の場合は、呪いによる苦い経験の末にこの結論に至ったのだろう。

 異性だけではない。この厄介な呪縛のせいで、彼女はこんな風に同性の友人を作るのにも空回りしている。
 本当は人一倍、他人を思いやる優しい心を持っているのに。

 やはり、この呪いから解放してやりたい。
 そうすればきっと、彼女には男女問わずたくさんの友だちができるはずだ。

 昨日未空から聞いた神社については、まだ調べ始めたばかり。
 情報を徹底的に洗い、呪いを解く方法を探し出さなければ……

 そう決意を新たにし、海斗は顔を背ける雷華に向けて、

「……そうか。なら、今は『下僕その一』でもいい。とにかく、鮫島の『お友だち大作戦』には協力させてもらうからな」

 否定されるのを覚悟の上で、そう伝えた。
 雷華は、窺うように海斗の方へ振り向くと、

「……『下僕』は却下。それじゃあたしが女王さまみたいじゃない。『お友だち作り隊』の『隊員その一』に改名しなさい」

 ほんのり頬を染め、口を尖らせ言った。

 ……まるで、小学生が考えたような呼び名だな。

 というツッコミを、小さなため息に変えながら、

「……仰せのままに。鮫島隊長」

 海斗は、満更でもない顔で、そう答えた。