「丹羽さんちの清太くーん!」
翌朝。学校に向かうために自転車を漕いでいると、どこからか声がした。
それは田んぼと田んぼの間にある細い用水路。こっちに向かって手を振っていたのは、昔から知っているば栗原のばあちゃんだった。
キキィーッと、ブレーキ音がうるさい自転車を停めると、ちょうど近所のおじさんが運転するトラックが横を通った。
「丹羽さんちの清太くん、おはようさん」
「はよーございまーす」
色んな人から呼ばれる丹羽さんちの清太くん。
丹羽清太。説明するまでもなく、それが俺の名前だ。
「清太くん、おはよう。文子さんの腰の具合はどう?」
わざわざ俺のところまで歩いてきてくれた栗原のばあちゃんと、うちのばあちゃん(文子)は古い友人だ。
「あーもう大丈夫らしいっすよ。今日からまた店に出るみたいです」
「あらあら、それなら良かったわ。じゃあ、清太くんの店番はこれっきり?」
「や、さすがにまだ無理はさせられないんで、今日も学校帰りに手伝いにいく予定です」
「まあ、偉いわね」
ばあちゃんが腰を痛めたのは、一週間ほど前のこと。そんな時くらい店を閉めればいいのに、子どもたちがガッカリするからとばあちゃんは頑固に言い張るもんだから、俺が代わりに店番をしていたのだ。
「あ、そうそう。うちのみいちゃんと仲良くしてくれてありがとうね」
みいちゃんとは、栗原のばあちゃんの娘の子ども、つまり孫のことだ。
俺が栗原さんちのみいちゃんと会ったのは、今から七年前の小学三年生の時。ちょうど夏休み中のお盆時期で、俺は家族みんなで先祖を迎えにいった帰り道だった。
彼女は仏壇に飾るためのホオズキを抱えながら、栗原のばあちゃんと手を繋いで歩いていた。東京から遊びにきたというみいちゃんは、驚くほどに色が白く、少し大きめの麦わら帽子を被っていた。
『清太くんと同い年だから仲良くしてあげてね』
その時は栗原のばあちゃんに紹介されるだけで直接会話はしなかったが、田舎には似つかわしくない都会的な雰囲気を持った彼女に、俺は一瞬で心を奪われてしまった。
それから毎年、八月十三日から十六日の四日間だけみいちゃんに会える夏が始まった。
用もないのに栗原さんちに行ったり、クワガタが入っている虫かごをぶら下げて見せに行ったこともあった。
そうしているうちに自然と心を開いてくれるようになり、夕方には帰るからという約束でふたりで遊んだ日もあった。
どこか特別な場所に行くわけではなく、平たい石を探したり、セミの抜け殻を見つけたり。通りがかりの人から冷えたきゅうりをもらって、それを半分ずつかじり、まだじいちゃんが元気でやっていた店【にわとり】に行っては、風鈴が揺れる店先のベンチでラムネ瓶を飲んだりする、そんな平凡な夏の日々を三回ほど一緒に過ごした。
だけど、彼女は中学生になると栗原のばあちゃんのところへは帰ってこなくなった。
部活が忙しいというみいちゃんと会えない代わりに、俺たちはスマホでやり取りを始めた。
毎日他愛ないメッセージを交わし、時には食べたものや綺麗な風景の写真を送り合うこともあったが、電話をすることは一度もなかった。
頻繁にしていたやり取りは少しずつ減り、たしか最後に送ったのは中学卒業おめでとうというお祝いメッセージだった。
どこの高校に進んだのか、今年のお盆も帰ってくる予定はないのか。それすらも聞けないほど彼女と俺の心の距離は離れているけれど、栗原のばあちゃんは今でも仲良くしていると思っているらしい。
まあ、田舎っていうのは少々時間軸がバグっている部分があるから、栗原のばあちゃんからすれば、俺たちは無邪気に遊んでいた子どもの頃のままなのかもしれない。